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サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書) 新書 – 1996/10/25
下條 信輔
(著)
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- ISBN-104121013247
- ISBN-13978-4121013248
- 出版社中央公論新社
- 発売日1996/10/25
- 言語日本語
- 本の長さ320ページ
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対象商品: サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1996/10/25)
- 発売日 : 1996/10/25
- 言語 : 日本語
- 新書 : 320ページ
- ISBN-10 : 4121013247
- ISBN-13 : 978-4121013248
- Amazon 売れ筋ランキング: - 145,017位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2024年2月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
心理学の面白そうな部分だけつまんである。ためにならないけどふーんそうだったんだってなる小難しい雑学とかが載ってる。簡単な本では無い。
2015年5月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大学の講義内容を、全九講にまとめ直したもので、「人は自分
で思っているほど、自分の心の動きをわかっていない」という
ものが、その中心教義となります。
第一講から第六講までは、各種理論の変遷やその実験成果を
学びます。
第七講では一転して、サブリミナル・コマーシャリズムへの
危機感が語られます。
そして第八講では、意志とは何かが問われます。
しかし最重要は次の第九講です。
最終となるここでは、潜在的認知プロセスの重要性が、今後
学説から一般認識へと拡がることによる、社会規範や法律、
各種制度への影響が示唆されます。
つまり、潜在的認知に支配された行為の、責任主体の問題となり
ます。
そこは、自意識に法人格のような主体として、責任を負わせる
しかないか、と思いました。
で思っているほど、自分の心の動きをわかっていない」という
ものが、その中心教義となります。
第一講から第六講までは、各種理論の変遷やその実験成果を
学びます。
第七講では一転して、サブリミナル・コマーシャリズムへの
危機感が語られます。
そして第八講では、意志とは何かが問われます。
しかし最重要は次の第九講です。
最終となるここでは、潜在的認知プロセスの重要性が、今後
学説から一般認識へと拡がることによる、社会規範や法律、
各種制度への影響が示唆されます。
つまり、潜在的認知に支配された行為の、責任主体の問題となり
ます。
そこは、自意識に法人格のような主体として、責任を負わせる
しかないか、と思いました。
2020年5月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
きれいな商品でした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
2016年12月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
他の本を読んでいて気になり購入。まだこの本まで行ってませんが期待してす。
2020年6月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ありがとうございました
2007年12月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大小問わず、様々な場面で決断を下すのが人生であり、
そこで下した決断とはもちろん自らの確固たる意思に基づくものだと
信じて生活をしている人が世の中の大半を占めるであろう。
斯く言う私も自由意思の存在を半ば疑いながらも、
やはり人間の営みを左右する決断とは
自分の意識が届く範囲の、無意識ではない意思に因るものだと信じていた。
いや、信じようとしていた。だが…。
こんな平凡なレビューを百読んでも無意味であり、
秀でたレビューも参考程度にしかならないだろう。
実際に本書を手に取り、一気に読んでみることを勧める。
読了後は、心地よい疲れと新たな好奇心が待っていることだろう。
ただ途中に挟まれるイラストが古くさいマンガ独特の不快な絵柄で萎える。
それを採用した著者のセンスのなさが見て取れ、少し悲しくなった。
その部分で星を一つ減らした。読者に分かりやすく伝えるために載せる
図やイラストまで気を配って初めて名著である。
そこで下した決断とはもちろん自らの確固たる意思に基づくものだと
信じて生活をしている人が世の中の大半を占めるであろう。
斯く言う私も自由意思の存在を半ば疑いながらも、
やはり人間の営みを左右する決断とは
自分の意識が届く範囲の、無意識ではない意思に因るものだと信じていた。
いや、信じようとしていた。だが…。
こんな平凡なレビューを百読んでも無意味であり、
秀でたレビューも参考程度にしかならないだろう。
実際に本書を手に取り、一気に読んでみることを勧める。
読了後は、心地よい疲れと新たな好奇心が待っていることだろう。
ただ途中に挟まれるイラストが古くさいマンガ独特の不快な絵柄で萎える。
それを採用した著者のセンスのなさが見て取れ、少し悲しくなった。
その部分で星を一つ減らした。読者に分かりやすく伝えるために載せる
図やイラストまで気を配って初めて名著である。
2015年8月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書のサブタイトルに『潜在的人間観の行方』とあり、表紙カバーの裏には、『人は自分で考えているほど、自分の心の動きを分かっていない。人はしばしば慈覚が無いままに意志決定をし、自分の取った行動の本当の理由には気づかないでいるのだ。人間科学の研究が進むにつれ、「認知過程の潜在性・自働性」というドグマはますます明確になり・・・云々』とある。
タイトルの『サブリミナル〔閾下〕』を、例えば見える限界=識閾〔しきいき〕より下(p.13)と定義しているが、要は『気づかない=潜在的である』ということである。
サブリミナル・マインドの具体例を、世界に先駆けて具体的な煩悩という形で最初に明確にしたのは、<釈尊の教法の真義>である。
***
<釈尊の教法の真義>とは、「凡夫が聖者になり、聖者は釈尊と同等のブッダ(阿羅漢)になる」ことである。その聖者とは「凡夫の心」に「ブッダの心」が共存する者である。「凡夫の心」である「欲界(人間世界のこと)の痴」が、「ブッダの心」である「欲界の智」に置き換われば、第一段階の聖者「預流(よる=シュダオン)」に進化する。この「預流」にならなければ<釈尊の教法の真義>は絶対に理解出来ないのである。
凡夫を聖者にするのは、『心の量子トンネル現象』である。「ブッダの心」が「凡夫の心」に染み込む心の量子トンネル現象は、「欲界の痴」=「身見+疑惑+戒取」=「三結(三煩悩)」に気づいた瞬間に始まる。「身見」は『私』および『私のもの』という自尊心(自己中心の思い込み)のこと、「身見」に迷うことで生じる「疑惑」は「懐疑心・偽善心に基づく失敗への怖れや不安(焦燥感)」のこと、「身見」に頼ることで生じる「戒取」は「古い固定観念(迷信や過った先入観)」を絶対視することである。一旦、『心の量子トンネル現象』が開始すれば、その影響が継続し、やがて「戒取」がもたらした「欲界の貪ぼり(欲貪)」と「疑惑」がもたらした「欲界の怒り(瞋恚)」が減少して第二段階の聖者「一来(いちらい=シダゴン)」となる。さらに、「欲界の貪・瞋・痴」=「身見+疑惑+戒取+欲貪+瞋恚」=「五下分結」が消滅すれば第三段階の聖者「不還(ふげん=アナゴン)」になる。「不還」になれば、欲界との縁が切れるので、人間界(欲界)への輪廻転生はない。欲界との縁が切れた「不還」は、間もなく、第四段階の聖者「阿羅漢」(あらかん=第一段階のブッダ)になる。
釈尊が注目したサブリミナル・マインドとは、「三結」および「五下分結」である。
***
釈尊は、凡夫を聖者に導き、聖者をブッダに進化させる七科三十七道品〔三十七菩提分法ともいう〕を指導した。これは私の見解であるが、釈尊は宗教的な戒取を持たない修行者には「八正道」「四念処」「七覚支」を指導し、宗教的な戒取に拘る修行者には「四正勤」「四神足」「五根」「五力」を指導したと考えている。七科三十七道品の意味は釈尊入滅後に失われてしまったが、復元した結果、「四念処」は「八正道」の「正念」を獲得するまでの修行法であり、「七覚支」は「八正道」の「正念」を確立した状態で「四念処」を実践する修行であることが明確になった。さらに、「七覚支」の「念覚支」は「正念」そのものであり、「択法覚支」は「正念」が働いている状態で実践する「身念処」であり、「精進覚支」はこの「身念処」を持続する実践であり、「喜覚支」は「正念」が働いている状態で実践する「受念処」であり、「軽安覚支」は「正念」が働いている状態で実践する「心念処」である。「定覚支」は「正念」が働いている「身念処」「受念処」「心念処」を持続しながら実践する「正定」であり、「捨覚支」は正念」が働いている「身念処」「受念処」「心念処」と「正定」を持続しながら実践する「法念処」である。
本書は、「四念処」と「七覚支」からなる「八正道」が「凡夫を聖者に変え、聖者をブッダに進化させる」理由を解明できる方向に進み得る研究だと確信した。
タイトルの『サブリミナル〔閾下〕』を、例えば見える限界=識閾〔しきいき〕より下(p.13)と定義しているが、要は『気づかない=潜在的である』ということである。
サブリミナル・マインドの具体例を、世界に先駆けて具体的な煩悩という形で最初に明確にしたのは、<釈尊の教法の真義>である。
***
<釈尊の教法の真義>とは、「凡夫が聖者になり、聖者は釈尊と同等のブッダ(阿羅漢)になる」ことである。その聖者とは「凡夫の心」に「ブッダの心」が共存する者である。「凡夫の心」である「欲界(人間世界のこと)の痴」が、「ブッダの心」である「欲界の智」に置き換われば、第一段階の聖者「預流(よる=シュダオン)」に進化する。この「預流」にならなければ<釈尊の教法の真義>は絶対に理解出来ないのである。
凡夫を聖者にするのは、『心の量子トンネル現象』である。「ブッダの心」が「凡夫の心」に染み込む心の量子トンネル現象は、「欲界の痴」=「身見+疑惑+戒取」=「三結(三煩悩)」に気づいた瞬間に始まる。「身見」は『私』および『私のもの』という自尊心(自己中心の思い込み)のこと、「身見」に迷うことで生じる「疑惑」は「懐疑心・偽善心に基づく失敗への怖れや不安(焦燥感)」のこと、「身見」に頼ることで生じる「戒取」は「古い固定観念(迷信や過った先入観)」を絶対視することである。一旦、『心の量子トンネル現象』が開始すれば、その影響が継続し、やがて「戒取」がもたらした「欲界の貪ぼり(欲貪)」と「疑惑」がもたらした「欲界の怒り(瞋恚)」が減少して第二段階の聖者「一来(いちらい=シダゴン)」となる。さらに、「欲界の貪・瞋・痴」=「身見+疑惑+戒取+欲貪+瞋恚」=「五下分結」が消滅すれば第三段階の聖者「不還(ふげん=アナゴン)」になる。「不還」になれば、欲界との縁が切れるので、人間界(欲界)への輪廻転生はない。欲界との縁が切れた「不還」は、間もなく、第四段階の聖者「阿羅漢」(あらかん=第一段階のブッダ)になる。
釈尊が注目したサブリミナル・マインドとは、「三結」および「五下分結」である。
***
釈尊は、凡夫を聖者に導き、聖者をブッダに進化させる七科三十七道品〔三十七菩提分法ともいう〕を指導した。これは私の見解であるが、釈尊は宗教的な戒取を持たない修行者には「八正道」「四念処」「七覚支」を指導し、宗教的な戒取に拘る修行者には「四正勤」「四神足」「五根」「五力」を指導したと考えている。七科三十七道品の意味は釈尊入滅後に失われてしまったが、復元した結果、「四念処」は「八正道」の「正念」を獲得するまでの修行法であり、「七覚支」は「八正道」の「正念」を確立した状態で「四念処」を実践する修行であることが明確になった。さらに、「七覚支」の「念覚支」は「正念」そのものであり、「択法覚支」は「正念」が働いている状態で実践する「身念処」であり、「精進覚支」はこの「身念処」を持続する実践であり、「喜覚支」は「正念」が働いている状態で実践する「受念処」であり、「軽安覚支」は「正念」が働いている状態で実践する「心念処」である。「定覚支」は「正念」が働いている「身念処」「受念処」「心念処」を持続しながら実践する「正定」であり、「捨覚支」は正念」が働いている「身念処」「受念処」「心念処」と「正定」を持続しながら実践する「法念処」である。
本書は、「四念処」と「七覚支」からなる「八正道」が「凡夫を聖者に変え、聖者をブッダに進化させる」理由を解明できる方向に進み得る研究だと確信した。