黄河文明と長江文明を比較した上で倭族の習俗を明らかにし、日本人の起源の一端が長江文明にあることを明らかにしようとする試みである。
「黄河流域を中心とする地域では、耐寒・耐早性の粟の畑作農業が営まれ、住まいも地炉のある竪穴式住居を基本とした。これに対して長江流域を中心とした地域では、水稲農耕が行われ、増水や洪水から炊事の火を守るために高床式住居が考案され、炉は高床面に設けられた。」ことを黄河文明と長江文明の違いとし、「わが国の弥生人(倭人)は稲作を伴って長江下流域の江南地方から渡来したといわれるが、同じように長江を原住地とする多くの民族が兵戈や迫害によって広域に移動分布した。しかし遠く隔たっていようとも彼らに共通していることは、いずれも文化的特質としての稲作と高床式住居を共有し伝承しているということである。」としている。
また、「長江を原住地とする倭族たちは、戦争や迫害で長江流域の山岳地帯をはじめ、西ではインド、ネパールの東部に、南ではインドシナ半島の全域から、さらにインドネシアの諸島嶼に渡り、また東では朝鮮半島中・南部から日本列島に逃避し、・・・」その文化が広域に広がったとしている。そうだとすれば、大野晋氏が提唱する「
日本語とタミル語
」の謎(なぜ日本語とタミルが似ているか?)も解けるのではないか?
なお、本書の内容をさらに深く理解したければ「
古代朝鮮と倭族―神話解読と現地踏査
」や「
弥生の王国―北九州古代国家と奴国の王都
」を読まれることをお勧めする。
また、長江から日本へ移動する過程で遼河文明に出会ったのではないか?この謎を解くカギは朝鮮古代史の研究である。日本の悪口が書いてあるので反発を感じるかもしれないが「
韓国古代史の正体: 忘れられた史実の真相
」は面白く読める。
日本語が影響を受けたであろう北方系の言語が何であるか?どこで影響を受けたか?は明らかではないが、金平譲司氏の研究(サモエード諸語に日本語の起源を求める研究)に期待している。
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古代中国と倭族: 黄河・長江文明を検証する (中公新書 1517) 新書 – 2000/1/1
鳥越 憲三郎
(著)
- 本の長さ286ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2000/1/1
- ISBN-104121015177
- ISBN-13978-4121015174
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2000/1/1)
- 発売日 : 2000/1/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 286ページ
- ISBN-10 : 4121015177
- ISBN-13 : 978-4121015174
- Amazon 売れ筋ランキング: - 349,717位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2019年12月27日に日本でレビュー済み
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2014年10月23日に日本でレビュー済み
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中古品として ある程度瑕疵がある と表示されていたので 入手して 可なりな部分の
書き込み を 消した。
日焼け等はやむをえない と思われる程度である。
書き込み を 消した。
日焼け等はやむをえない と思われる程度である。
2020年2月8日に日本でレビュー済み
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著者の主張は3つあると思います。
①これまでの古代中国観に対しての異議の申し立て。これまでの中国研究、とりわけ古代史における中国観は黄河流域の畑作を生産手段とした中原(華北)の文化がすべてでした。しかし、河姆渡遺跡発見に始まる長江流域の水田稲作を主生産手段とした文化は、中原文化に引けを取らまい古さ・規模・質を持っていたことを示し、これまでの中原中心の古代中国観に疑問を投げかける。
②長江文明を担った人たちは中原の漢族とは異なる、水田稲作や漁撈を主な生業とした、いわゆるオーストロアジア語族、あるいはミャオ・ヤオ語族などのいまの中国南部の少数民族や東南アジアの民族であった。
③戦乱や中原の漢族に追われ東に移住を余儀なくされた長江文化の担い手の一部が「倭人」として日本(北九州)にやって来て、弥生人の起源のひとつとなった。
②、③について、彼ら長江文明の担い手は、戦乱や中原漢族・中原文化の中国南部へ進出により、漢族に同化、または南や東に移住を余儀なくされます。彼らの文化は、水田稲作、焼き畑農業、漁撈、高上式住宅、機織り技術、しめ縄や鳥居といった信仰関連の物品、貫頭依などの風俗などであり、その類似性から彼らが弥生人の起源であるとする著者は考えています。その主張はリーズナブルだと思います。
疑問点は、鳥越氏が長江流域の先住民すべてを倭人であるとしている点です。彼らのうち水田稲作・漁撈の技術を持って長江下流、より詳しく言うと南部の東シナ海沿岸部から朝鮮半島南部、済州島、北九州にかけて移住してきた人たちが「倭人」と呼ぶべき存在なのではないでしょうか?
鳥越氏の唱える説は「弥生人(文化)江南起源説」としてよいかと思います。国語学者大野晋氏の唱える「弥生文化タミル起源説」よりはるかに現実的だと思います。
①これまでの古代中国観に対しての異議の申し立て。これまでの中国研究、とりわけ古代史における中国観は黄河流域の畑作を生産手段とした中原(華北)の文化がすべてでした。しかし、河姆渡遺跡発見に始まる長江流域の水田稲作を主生産手段とした文化は、中原文化に引けを取らまい古さ・規模・質を持っていたことを示し、これまでの中原中心の古代中国観に疑問を投げかける。
②長江文明を担った人たちは中原の漢族とは異なる、水田稲作や漁撈を主な生業とした、いわゆるオーストロアジア語族、あるいはミャオ・ヤオ語族などのいまの中国南部の少数民族や東南アジアの民族であった。
③戦乱や中原の漢族に追われ東に移住を余儀なくされた長江文化の担い手の一部が「倭人」として日本(北九州)にやって来て、弥生人の起源のひとつとなった。
②、③について、彼ら長江文明の担い手は、戦乱や中原漢族・中原文化の中国南部へ進出により、漢族に同化、または南や東に移住を余儀なくされます。彼らの文化は、水田稲作、焼き畑農業、漁撈、高上式住宅、機織り技術、しめ縄や鳥居といった信仰関連の物品、貫頭依などの風俗などであり、その類似性から彼らが弥生人の起源であるとする著者は考えています。その主張はリーズナブルだと思います。
疑問点は、鳥越氏が長江流域の先住民すべてを倭人であるとしている点です。彼らのうち水田稲作・漁撈の技術を持って長江下流、より詳しく言うと南部の東シナ海沿岸部から朝鮮半島南部、済州島、北九州にかけて移住してきた人たちが「倭人」と呼ぶべき存在なのではないでしょうか?
鳥越氏の唱える説は「弥生人(文化)江南起源説」としてよいかと思います。国語学者大野晋氏の唱える「弥生文化タミル起源説」よりはるかに現実的だと思います。
2021年2月1日に日本でレビュー済み
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この学説を知らなかった自分が情けなく腹立たしい。非常に有益な一冊です。ありがとうございました。
2019年7月7日に日本でレビュー済み
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タイ・雲南の現地探査に基づく倭族の起源について、倭族は古代長江文明から拡散したとの論は説得力がある。黄河文明との比較も丁寧で、世界四大文明論に対する長江文明の位置や存在価値を分かりやすく説明している。河姆渡遺跡より古いボウ頭山遺跡の9000年前の稲籾の記事は稲作の起源に対する決定打と読める。水田稲作、高床式住居、鳥形木製品、鳥居など、倭族の末裔の習俗の事例を多数収録しており、日本人の起源論に重大なヒントを与えてくれる。
2013年11月21日に日本でレビュー済み
本書の著者である鳥越憲三郎・大阪教育大学名誉教授は2007年3月23日、93歳で他界されており、茲にあらためてご冥福をお祈り申し上げたい。
さて、当著は1999年秋に脱稿し、2000年1月に刊行された鳥越先生の「倭族」論の、謂わば集大成的な新書である。先生の「あとがき」によれば、「本書は各地に移動分布した倭族の故里であり、発祥の地でもある中国の長江流域を中心に、倭族論の終結編として執筆したもの」とされている。この「倭族」論の構想自体は1979年の秋頃浮上し、その後数々の論著を世に送り出してきた。先生は《弥生人=倭人=倭族》という「新しい概念」(はじがき)を首唱してきた。ここでまず、私は同じく「父なる大河」と呼ぶ長江流域における文明の存在を大きく取り上げた徐朝龍博士の考究において、鳥越先生との“接点”がなかったのか、非常に気になっている。
確かに、徐博士は「長江文明」の遺民=弥生人の祖先、といった直截的な見方を、例えば『 長江文明の発見 』などで打ち出してはいない。しかしながら、徐博士と鳥越先生の「観点」には相通ずるところがあり、徐博士は「考古学」や「比較文化論」など、鳥越先生は「文化人類学」や「生活文化史」などといった専門領野の相違はあるにせよ、お二人には「古代史」という共通の土壌があるので、積極的な“交流”があっても良かったのでは…とは思っている。例示すると、どちらも「長江文明」の特徴として「水稲農耕」や「高床式住居」などを挙げており、ともに「王朝中心の黄河文明史観」(徐博士)、「中原文化一元論」(鳥越先生)を批判しているからである。
無論、時代的制約もあって、鳥越先生の考察が全て正鵠を射ている、とは言わない。例を挙げると、「長江文明」の頂点に立つ「良渚(リョウショ)文化」の“消滅”に当たって、先生は「楚」が討滅したのではないか、と推断している。だが、この点について、徐博士は「この文明(良渚文化)はどうやら大洪水によって葬られたらしい、という有力な仮説が浮上してきた」(前掲書p.79)と述べており、そうした事実も確認されつつある。また、私が長江文明の遺民ではないか、と考えている「ミャオ族」にも「洪水伝説」の伝承があるようだ(wiki.)。いずれにしても、「長江文明」を築いた人びとが広汎に拡散し、その一部が弥生人の祖先となったことは否定できないだろう。
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本書の著者である鳥越憲三郎・大阪教育大学名誉教授は2007年3月23日、93歳で他界されており、茲にあらためてご冥福をお祈り申し上げたい。
さて、当著は1999年秋に脱稿し、2000年1月に刊行された鳥越先生の「倭族」論の、謂わば集大成的な新書である。先生の「あとがき」によれば、「本書は各地に移動分布した倭族の故里であり、発祥の地でもある中国の長江流域を中心に、倭族論の終結編として執筆したもの」とされている。この「倭族」論の構想自体は1979年の秋頃浮上し、その後数々の論著を世に送り出してきた。先生は《弥生人=倭人=倭族》という「新しい概念」(はじがき)を首唱してきた。ここでまず、私は同じく「父なる大河」と呼ぶ長江流域における文明の存在を大きく取り上げた徐朝龍博士の考究において、鳥越先生との“接点”がなかったのか、非常に気になっている。
確かに、徐博士は「長江文明」の遺民=弥生人の祖先、といった直截的な見方を、例えば『 長江文明の発見 』などで打ち出してはいない。しかしながら、徐博士と鳥越先生の「観点」には相通ずるところがあり、徐博士は「考古学」や「比較文化論」など、鳥越先生は「文化人類学」や「生活文化史」などといった専門領野の相違はあるにせよ、お二人には「古代史」という共通の土壌があるので、積極的な“交流”があっても良かったのでは…とは思っている。例示すると、どちらも「長江文明」の特徴として「水稲農耕」や「高床式住居」などを挙げており、ともに「王朝中心の黄河文明史観」(徐博士)、「中原文化一元論」(鳥越先生)を批判しているからである。
無論、時代的制約もあって、鳥越先生の考察が全て正鵠を射ている、とは言わない。例を挙げると、「長江文明」の頂点に立つ「良渚(リョウショ)文化」の“消滅”に当たって、先生は「楚」が討滅したのではないか、と推断している。だが、この点について、徐博士は「この文明(良渚文化)はどうやら大洪水によって葬られたらしい、という有力な仮説が浮上してきた」(前掲書p.79)と述べており、そうした事実も確認されつつある。また、私が長江文明の遺民ではないか、と考えている「ミャオ族」にも「洪水伝説」の伝承があるようだ(wiki.)。いずれにしても、「長江文明」を築いた人びとが広汎に拡散し、その一部が弥生人の祖先となったことは否定できないだろう。
2015年8月13日に日本でレビュー済み
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特に困ったこともなく、よかったと思います。ありがとうございます。
2022年4月10日に日本でレビュー済み
中国に倭族という少数民族がいるなんて知らなかった。その倭族が稲作とともに日本に渡来して弥生人になったということを、考古学と民俗学の視点というか成果から解き明かしたのが本書。特に、著者が東南アジア各地において実地に調査さした結果を踏まえての議論を読むと、著者の推論が正しいのではと納得させられる。おもしろかった。