日本とドイツにおける戦争責任の取り方を客観的に比較しており、筆者自身の価値観は提示されていない。事実とその背景分析を提示することにより、「戦争責任」とは何かという根源的な問いを読者自身が考えさせられるスタイルになっている。
筆者の分析は冷静である。ドイツがナチスがトリックを用いて戦争責任の処理を行ってきたことについての価値判断は行っていない。
冷戦構造下で再軍備を行う流れの中、ドイツの戦後政権がうまく問題を処理してきたものが、冷戦終了後に改めて戦争責任を問い直さなければならない事態になっているという指摘は、納得が行くものである。
「トリック」という言葉を使うこと自体は、筆者はネガティブに捉えていると思われるが、私はむしろドイツの政権が「トリック」を用いて上手く処理したことは、国の指導者として高く評価できると思う。日本において上手く戦争責任を処理できなかったことは、戦後の保守政権の責任とも考えられる。状況が全く異なるので同一に論ずることが出来ないのは言うまでも無いが、「日本だってもうちょっと別のやり方ができたのでは」と思わされる。
カスタマーレビューをみると、読後に嫌な気分になる人が多いのは面白い。おそらく、戦争責任についての考えが、「安直である」と指摘されているような気分になるからだろう。そういう意味では、自分の姿を映し出す鏡のような本である。
戦争じゃなくたって、誰かに責任を負わせることは難しい。本書は読者に「戦争責任」とは何かを考えさせる良書である。
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戦争責任とは何か: 清算されなかったドイツの過去 (中公新書 1597) 新書 – 2001/7/1
木佐 芳男
(著)
- ISBN-104121015975
- ISBN-13978-4121015976
- 出版社中央公論新社
- 発売日2001/7/1
- 言語日本語
- 本の長さ242ページ
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2001/7/1)
- 発売日 : 2001/7/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 242ページ
- ISBN-10 : 4121015975
- ISBN-13 : 978-4121015976
- Amazon 売れ筋ランキング: - 249,999位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 80位ドイツ・オーストリア史
- - 143位国際法
- - 632位ヨーロッパ史一般の本
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年9月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2018年10月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ドイツの戦争責任感に関しては、これまで西尾幹二氏や川口マーン恵美氏のよい仕事があった。この本は、それらを補完する好著だと思う。あちこちに取材に行く、新聞記者らしい腰の軽さもいい。
日本とドイツが比べられないことはよくわかっが、問題はその先だ。近年、日本国内ではドイツに学べ、はなくなった。その一方、韓国がドイツモデルをやたら引き合いに出している。結局のところ、本当にわかってほしい人たちには、わかってもらえないのだ。
また、著者は従軍慰安婦問題その他で、日本政府の対応のいい加減さを指摘する。そして、政府の個人への補償に対する鈍感さをけなしいるようでもあるが、これは著者の誤解だろう。そもそも、戦争における個人補償はそうそうあるものではない。悪名高いヴェルサイユ条約でも、そこまではしていない。また、韓国内の従軍慰安婦問題では、日韓条約締結の折り、日本政府が個人補償を提案している。これを断ったのは韓国側であり、彼らは個人保証のカネを受けとりながら開発に回してしまっている。宮澤政権での従軍慰安婦問題への対応は情けないかぎりだが、あれは韓国政府の要請に配慮してのことでもある。韓国民の怒りを抑えるのは、韓国政府では無理だから、日本政府におっつけ、日本政府は馬鹿なことにこれを呑んだだけの話だ。うやむやにはしていない。
日本とドイツが比べられないことはよくわかっが、問題はその先だ。近年、日本国内ではドイツに学べ、はなくなった。その一方、韓国がドイツモデルをやたら引き合いに出している。結局のところ、本当にわかってほしい人たちには、わかってもらえないのだ。
また、著者は従軍慰安婦問題その他で、日本政府の対応のいい加減さを指摘する。そして、政府の個人への補償に対する鈍感さをけなしいるようでもあるが、これは著者の誤解だろう。そもそも、戦争における個人補償はそうそうあるものではない。悪名高いヴェルサイユ条約でも、そこまではしていない。また、韓国内の従軍慰安婦問題では、日韓条約締結の折り、日本政府が個人補償を提案している。これを断ったのは韓国側であり、彼らは個人保証のカネを受けとりながら開発に回してしまっている。宮澤政権での従軍慰安婦問題への対応は情けないかぎりだが、あれは韓国政府の要請に配慮してのことでもある。韓国民の怒りを抑えるのは、韓国政府では無理だから、日本政府におっつけ、日本政府は馬鹿なことにこれを呑んだだけの話だ。うやむやにはしていない。
2005年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ドイツとの比較を持ち出し、日本政府や国民が戦争責任や反省を行っていないという批判を今日まで多々きいてきた。
では現実にドイツ政府はどの様に戦争と向き合い、それを反省してきたのか。具体的に知る人は少ないのではないだろうか。
そういった意味で、今まで向けられることのなかった部分に光をあてた、貴重な本であろう。
伍長上がりの、狂信的な人種差別の価値観を持った独裁者がおこした犯罪。そうやってドイツ政府や国民は自らの過去と一線を引こうとしている。
ヴァイツゼッカー大統領が第二次世界大戦終結40周年の演説で、敗戦を解放と表現した部分がまさに象徴的だと著者は指摘している。その他、いかに今日までナチやヒットラー個人に、その戦争の責任を押し付けてきたドイツの現状を語っている。
しかしながら戦争責任を論じるにあたり日本の読者としては、具体的に周辺各国や被害者個人にどのような物質的補償を行ってきたかにはあまりページをさいていないし、教科書問題等には一切ふれていない。
その部分はいささか残念でした。
被害者や加害者、ケースケースによって比較するのは無意味であろう。真摯に過去を反省するとつもりなら、他者の例を持ち出す必要はない。
しかしながら、日本の戦後に対する戦争責任論に対する論議の姿勢を、ドイツを見習ってと主張する方がいるなら、ぜひ本書はそういった人に目を通してもらいたい一冊である。
では現実にドイツ政府はどの様に戦争と向き合い、それを反省してきたのか。具体的に知る人は少ないのではないだろうか。
そういった意味で、今まで向けられることのなかった部分に光をあてた、貴重な本であろう。
伍長上がりの、狂信的な人種差別の価値観を持った独裁者がおこした犯罪。そうやってドイツ政府や国民は自らの過去と一線を引こうとしている。
ヴァイツゼッカー大統領が第二次世界大戦終結40周年の演説で、敗戦を解放と表現した部分がまさに象徴的だと著者は指摘している。その他、いかに今日までナチやヒットラー個人に、その戦争の責任を押し付けてきたドイツの現状を語っている。
しかしながら戦争責任を論じるにあたり日本の読者としては、具体的に周辺各国や被害者個人にどのような物質的補償を行ってきたかにはあまりページをさいていないし、教科書問題等には一切ふれていない。
その部分はいささか残念でした。
被害者や加害者、ケースケースによって比較するのは無意味であろう。真摯に過去を反省するとつもりなら、他者の例を持ち出す必要はない。
しかしながら、日本の戦後に対する戦争責任論に対する論議の姿勢を、ドイツを見習ってと主張する方がいるなら、ぜひ本書はそういった人に目を通してもらいたい一冊である。
2008年6月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦後民主主義の神話の一つにドイツは過去を清算し、日本は清算していないというものがありますが、この本は、その神話を打ち砕く本になります。
題名を見れば、ドイツを批判した本と勘違いするかもしれませんが、そうではなく過去の清算とは、イメージの問題にすぎないということを明らかにした本です。つまり、ドイツはイメージとして過去を清算しやすく、日本は清算しにくい国だということです。これは戦勝国と比べると、もっと分かりやすいと思います。アメリカの原爆やロシア(ソ連)のシベリア抑留、また日本兵やドイツ兵と違い、戦勝国の兵士は品行方正だったと考える人はいないでしょう。
この本を読めば、ドイツを持ち出して日本を非難する人達は真剣に戦争責任を考えている人達ではないということが、よく分かると思います。(真剣に考えているならドイツを過去を清算した国として持ち出さないでしょう。)
他人の不誠実を非難する人が誠実な人とは限らないのです。(「政治」の世界では、自己を正当化するために、不誠実な人が不誠実な人を非難することがよくあります。)
この本は真剣に戦争責任の問題を考えたい人には参考になる本だと思います。
題名を見れば、ドイツを批判した本と勘違いするかもしれませんが、そうではなく過去の清算とは、イメージの問題にすぎないということを明らかにした本です。つまり、ドイツはイメージとして過去を清算しやすく、日本は清算しにくい国だということです。これは戦勝国と比べると、もっと分かりやすいと思います。アメリカの原爆やロシア(ソ連)のシベリア抑留、また日本兵やドイツ兵と違い、戦勝国の兵士は品行方正だったと考える人はいないでしょう。
この本を読めば、ドイツを持ち出して日本を非難する人達は真剣に戦争責任を考えている人達ではないということが、よく分かると思います。(真剣に考えているならドイツを過去を清算した国として持ち出さないでしょう。)
他人の不誠実を非難する人が誠実な人とは限らないのです。(「政治」の世界では、自己を正当化するために、不誠実な人が不誠実な人を非難することがよくあります。)
この本は真剣に戦争責任の問題を考えたい人には参考になる本だと思います。
2024年1月4日に日本でレビュー済み
書かれてる内容や時期が、相当に古い資料や証人から引用している。
それと、戦勝国史観者のみから証言を得ている。
戦勝国史観懐疑派の主張は、全く取材していない。
例えば、ホロコーストについて言えば、現在の最新の資料では、アウシュヴィッツの死亡者は400万人から、110万人に下方修正されている。マイダネクの死亡者は150万人から、8万人まで下方修正されている。ユダヤ人の絶滅を命じたヒトラーの命令書は、全く存在しない。
このような、重要な情報は全く取り上げてない。書かないようにして、隠蔽を図っている。
この本は、ドイツ叩きをしたいのだろうが、実際には、このように、役に立たない情報しかない。
それと、戦勝国史観者のみから証言を得ている。
戦勝国史観懐疑派の主張は、全く取材していない。
例えば、ホロコーストについて言えば、現在の最新の資料では、アウシュヴィッツの死亡者は400万人から、110万人に下方修正されている。マイダネクの死亡者は150万人から、8万人まで下方修正されている。ユダヤ人の絶滅を命じたヒトラーの命令書は、全く存在しない。
このような、重要な情報は全く取り上げてない。書かないようにして、隠蔽を図っている。
この本は、ドイツ叩きをしたいのだろうが、実際には、このように、役に立たない情報しかない。
2017年2月25日に日本でレビュー済み
ドイツと日本の戦争責任の捉え方と処理の仕方の違いが
簡潔に整理されていて勉強になりました。
但し、戦争責任はそもそも敗戦国のみが負うものでは
ないようにも感じました。
アメリカや広島・長崎の原子爆弾投下による民間人の
大量虐殺やイギリスのドレスデン大空襲などみても
戦争犯罪だと思います。
戦争当事者全てが戦争責任を意識して、未来の戦争を
根絶する行動を私はしていきたいと感じました。
簡潔に整理されていて勉強になりました。
但し、戦争責任はそもそも敗戦国のみが負うものでは
ないようにも感じました。
アメリカや広島・長崎の原子爆弾投下による民間人の
大量虐殺やイギリスのドレスデン大空襲などみても
戦争犯罪だと思います。
戦争当事者全てが戦争責任を意識して、未来の戦争を
根絶する行動を私はしていきたいと感じました。
2013年5月7日に日本でレビュー済み
本書は、自分の考えを書き散らかしたというものではなく、ドイツ人へのインタビューを重ねてつくられた貴重な一冊。戦争責任においてドイツに言及しようと思うならば必読の一冊。日本人から見るとドイツの戦争責任は”トリック”が透けて見える不十分なものに見えるが、読売史観の著者をもってしても、日本の戦争責任への思索が相対的には深いことを示している。ドイツの戦争責任は成功したと言われる。その成功の要因を探ることにもなる。
ドイツの戦争責任への反応と、日本の反応は類似点も多く、日本人の戦争責任への反応を考える上でも示唆がある。
本来、人種絶滅を狙ったドイツの戦争は、相当に違うものだ。戦争犯罪への視点が二の次になるのは当然だし、戦争責任への考え方も違わないとおかしい。それを横並びに考えて、自分たちの戦争責任を、比べる、真似るで済ませてきたことが、問題点の一つに思えた。
ドイツの戦争責任への反応と、日本の反応は類似点も多く、日本人の戦争責任への反応を考える上でも示唆がある。
本来、人種絶滅を狙ったドイツの戦争は、相当に違うものだ。戦争犯罪への視点が二の次になるのは当然だし、戦争責任への考え方も違わないとおかしい。それを横並びに考えて、自分たちの戦争責任を、比べる、真似るで済ませてきたことが、問題点の一つに思えた。
2001年9月17日に日本でレビュー済み
「日本はドイツのように戦後補償をきちんとしてこなかった」などという決まり文句を、この本を読んだあとに使うことは難しい。ドイツの戦争責任がいかに巧妙に隠されてきたかが、多くの証言と資料で浮き彫りになる。
論旨は明快である。まず、多くのドイツ人はナチではなかった、といううそが戦後広められた。冷戦体制にドイツ軍を組み込む必要があったため、米国政府もそれに加担した。次に、ドイツはユダヤ人虐殺の問題には取り組んだが、侵略戦争の開始と通常の戦争犯罪(民間人虐待)についての責任にはほとんど触れなかった。つまり、ナチによるホロコーストの責任をドイツ国防軍の戦争責任とすりかえた。仕上げの「トリック」が「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」という有名なヴァイツゼッカー大統領の演説だ。この演説は実は戦争責任に触れず被害者に謝罪もしていないにもかかわらず、ドイツの誠実さを示すものとして高く評価されるようになった。
筆者は元読売新聞記者。感情を抑えた文章が説得力を高めている。「新しい教科書をつくる会」の人が喜びそうな内容だが、筆者はドイツに問題があるからといって日本の問題が免責されるわけではない、とくぎを刺す。ただ、ドイツと日本を比べることの不当さは、イデオロギーを超えて知るべきだろう。同書はドイツでも出版した方がいい。
論旨は明快である。まず、多くのドイツ人はナチではなかった、といううそが戦後広められた。冷戦体制にドイツ軍を組み込む必要があったため、米国政府もそれに加担した。次に、ドイツはユダヤ人虐殺の問題には取り組んだが、侵略戦争の開始と通常の戦争犯罪(民間人虐待)についての責任にはほとんど触れなかった。つまり、ナチによるホロコーストの責任をドイツ国防軍の戦争責任とすりかえた。仕上げの「トリック」が「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」という有名なヴァイツゼッカー大統領の演説だ。この演説は実は戦争責任に触れず被害者に謝罪もしていないにもかかわらず、ドイツの誠実さを示すものとして高く評価されるようになった。
筆者は元読売新聞記者。感情を抑えた文章が説得力を高めている。「新しい教科書をつくる会」の人が喜びそうな内容だが、筆者はドイツに問題があるからといって日本の問題が免責されるわけではない、とくぎを刺す。ただ、ドイツと日本を比べることの不当さは、イデオロギーを超えて知るべきだろう。同書はドイツでも出版した方がいい。