会津は好きではあるが、地域すべてというわけではなかったようだ。忠義に軸をおく武士と、生活に軸をおく庶民。誰もせめれない。
客観的な視点で、お涙頂戴の戊辰戦争には一線を画している。
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会津落城: 戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書 1728) 新書 – 2003/12/1
星 亮一
(著)
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- 本の長さ202ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2003/12/1
- ISBN-104121017285
- ISBN-13978-4121017284
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2003/12/1)
- 発売日 : 2003/12/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 202ページ
- ISBN-10 : 4121017285
- ISBN-13 : 978-4121017284
- Amazon 売れ筋ランキング: - 271,326位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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1935年仙台市生まれ。
1959年東北大学文学部国史学科卒業。
2002年日本大学大学院総合社会情報研究科修士課程修了。
福島民報記者(県政キャップ)、福島中央テレビ報道制作局長等を経て現在、歴史作家。
著書『奥羽越列藩同盟』『幕末の会津藩』『会津落城』(以上、中公新書)、『最後の幕臣小栗上野介』(中公文庫)、『呪われた明治維新』『京都大戦争』『明治維新血の最前戦』『伊達政宗』(以上、さくら舎)、『偽りの明治維新』(だいわ文庫)、『東北を置き去りにした明治維新』(文芸社)、『明治維新というクーデター』『脱フクシマ論』(イースト・プレス)など多数。
『奥羽越列藩同盟』で福島民報出版文化賞、新選組の研究とテレビ出演でNHK東北ふるさと賞、『国境の島・対馬のいま』(現代書館)で日本国際情報学会功労賞受賞。
福島の原発問題と地域再生についても雑誌その他に寄稿している。
日本国際情報学会会員/戊辰戦争研究会を主宰
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年12月22日に日本でレビュー済み
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2019年11月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戊辰戦争時の庶民や下級武士の様子を知りたいと思ったが、本の内容は違っていた。この本自体は戊辰戦争を伝える立派な史書と思う。
2023年4月30日に日本でレビュー済み
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会津藩の悲劇等が分かります、幕末の歴史の象徴です。
2021年3月15日に日本でレビュー済み
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ドラマ等で、白虎隊などが美化されているが…
これが真実なんだろうなぁ〜。
これが真実なんだろうなぁ〜。
2017年10月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
幕末の悲劇「奥羽越列藩同盟」の末の会津落城への原因を考察する。
鳥羽伏見の戦いの敗北の際に将軍・徳川慶喜と会津藩主・松平容保が船でひそかに江戸へ逃げ帰ったことは大きな汚点となる。
慶喜は東征してくる新政府軍に恭順したが、薩長の専横に納得がいかない会津藩は東北諸藩と結び抵抗運動を起こす。
会津藩は新選組を組織し、幕末においても徳川方を代表する藩として名を成していたが、規模的には小藩であり財政は京都守護職に伴う出費で火の車状態であった。
そのため、徳川宗家に近い位置にいながら軍備の近代化は遅れ兵糧・弾薬には常に事欠いていた。
会津藩単独の兵力は数千人で到底薩長軍に対抗することは出来ず、頼みの綱は仙台藩を初めとする東北諸藩であった。
が、東北地方は元々仙台の62万石の伊達家を除いては小藩が多く、他は米沢藩が18万石、庄内藩15万石、南部藩20万石くらいで、
「烏合の衆」的な不安が開戦前から予感された戦いであった。
同盟側はプロシアとイタリアの支援を受けていたのだが、海軍を持たなかったため海からの薩長軍の侵攻に対し為す術なく無抵抗の上陸を許すなどしてしまった。
そのため、プロシア・イタリアからの兵器の調達を押さえられ躓く。
開戦後はやはり他藩との連携の不味さが随所に見られ、敗北を重ねたことで仙台・米沢の両藩が離脱してしまうことで会津藩は孤立した。
当時は情報の伝達が拙く、正確な情報が早い時間に会津藩の首脳陣に伝わらなかったのは致命的であった。
また、会津藩に敵に攻め込まれた際のマニュアルがなく、庶民レベルからの意識の徹底・訓練もされていなかったため、
城下に実際に敵が攻め込んできてから逃げ出すように指示を出すなど対応が全てにおいて後手に回り、
結果多くの婦女子老人等の非戦闘員の自殺を誘発した人災であった。
攻め込んできた新政府軍も周辺の百姓を強制的に働かさせたり商人の財産を没収したり、略奪・放火・強姦行為が行われるなど悪い話が多い。
また、会津藩も日頃から農民を粗略に扱っていた面があり、戦闘において村々に放火するなどした為、
怒った農民が新政府軍に味方するなどした例があり、さらに地域ごとに意識の差が大きく、挙国一致の体制の構築が出来なかった。
最終的には5千人を超える武士・婦女子・藩主とその親族・民衆が鶴ヶ城に籠城して1ヶ月以上に渡り戦うも
数万人の政府軍に取り囲まれての連日の砲撃は死者を増加させるだけで援軍のあてもなく遂に降伏開城に至る。
敗北の原因は多々あるが
1.会津藩には新政府軍における大村益次郎のような大局を見通せる戦略家が不在だった。
2.兵器が旧式であり、食料・弾薬などの物量が不足していた。海軍も存在しなかった。
3.首脳陣に決断力と行動力が不足し、重要な場面での判断ミスが多かった。
4.危機管理マニュアルが作成されていなかった。
ことが大きな理由だ。
敗北した会津は藩主の松平容保の助命こそされたが、最果ての地に罪人として追われ苦難の運命を辿ることになる。
数万人規模の運命が人災で大きく変わったともいえよう。
鳥羽伏見の戦いの敗北の際に将軍・徳川慶喜と会津藩主・松平容保が船でひそかに江戸へ逃げ帰ったことは大きな汚点となる。
慶喜は東征してくる新政府軍に恭順したが、薩長の専横に納得がいかない会津藩は東北諸藩と結び抵抗運動を起こす。
会津藩は新選組を組織し、幕末においても徳川方を代表する藩として名を成していたが、規模的には小藩であり財政は京都守護職に伴う出費で火の車状態であった。
そのため、徳川宗家に近い位置にいながら軍備の近代化は遅れ兵糧・弾薬には常に事欠いていた。
会津藩単独の兵力は数千人で到底薩長軍に対抗することは出来ず、頼みの綱は仙台藩を初めとする東北諸藩であった。
が、東北地方は元々仙台の62万石の伊達家を除いては小藩が多く、他は米沢藩が18万石、庄内藩15万石、南部藩20万石くらいで、
「烏合の衆」的な不安が開戦前から予感された戦いであった。
同盟側はプロシアとイタリアの支援を受けていたのだが、海軍を持たなかったため海からの薩長軍の侵攻に対し為す術なく無抵抗の上陸を許すなどしてしまった。
そのため、プロシア・イタリアからの兵器の調達を押さえられ躓く。
開戦後はやはり他藩との連携の不味さが随所に見られ、敗北を重ねたことで仙台・米沢の両藩が離脱してしまうことで会津藩は孤立した。
当時は情報の伝達が拙く、正確な情報が早い時間に会津藩の首脳陣に伝わらなかったのは致命的であった。
また、会津藩に敵に攻め込まれた際のマニュアルがなく、庶民レベルからの意識の徹底・訓練もされていなかったため、
城下に実際に敵が攻め込んできてから逃げ出すように指示を出すなど対応が全てにおいて後手に回り、
結果多くの婦女子老人等の非戦闘員の自殺を誘発した人災であった。
攻め込んできた新政府軍も周辺の百姓を強制的に働かさせたり商人の財産を没収したり、略奪・放火・強姦行為が行われるなど悪い話が多い。
また、会津藩も日頃から農民を粗略に扱っていた面があり、戦闘において村々に放火するなどした為、
怒った農民が新政府軍に味方するなどした例があり、さらに地域ごとに意識の差が大きく、挙国一致の体制の構築が出来なかった。
最終的には5千人を超える武士・婦女子・藩主とその親族・民衆が鶴ヶ城に籠城して1ヶ月以上に渡り戦うも
数万人の政府軍に取り囲まれての連日の砲撃は死者を増加させるだけで援軍のあてもなく遂に降伏開城に至る。
敗北の原因は多々あるが
1.会津藩には新政府軍における大村益次郎のような大局を見通せる戦略家が不在だった。
2.兵器が旧式であり、食料・弾薬などの物量が不足していた。海軍も存在しなかった。
3.首脳陣に決断力と行動力が不足し、重要な場面での判断ミスが多かった。
4.危機管理マニュアルが作成されていなかった。
ことが大きな理由だ。
敗北した会津は藩主の松平容保の助命こそされたが、最果ての地に罪人として追われ苦難の運命を辿ることになる。
数万人規模の運命が人災で大きく変わったともいえよう。
2018年9月18日に日本でレビュー済み
戊辰戦争の中でも、新政府軍と会津藩の戦いを、悲劇として取り上げている。
最新兵器で武装した新政府軍に比べて、会津藩側には、そうした装備は手薄だった。
しかし、筆者は、会津藩側のそれ以外の問題を数多く指摘して、負けるべくして負けた、としている。
戦いの趨勢を制した白河口の戦いの会津藩側の司令官の西郷は、実戦経験がほとんどなかったこと。
見通しの甘さから、籠城戦の準備が整う前に新政府軍が城下に押し寄せて、後手に回ってしまったこと、など。
それにしても、江戸時代は屈指の雄藩と言われた会津藩が、あっさりと敗北してしまったことは、まさに時代の転換期だったことを如実に表しているように感じた。
最新兵器で武装した新政府軍に比べて、会津藩側には、そうした装備は手薄だった。
しかし、筆者は、会津藩側のそれ以外の問題を数多く指摘して、負けるべくして負けた、としている。
戦いの趨勢を制した白河口の戦いの会津藩側の司令官の西郷は、実戦経験がほとんどなかったこと。
見通しの甘さから、籠城戦の準備が整う前に新政府軍が城下に押し寄せて、後手に回ってしまったこと、など。
それにしても、江戸時代は屈指の雄藩と言われた会津藩が、あっさりと敗北してしまったことは、まさに時代の転換期だったことを如実に表しているように感じた。
2021年3月25日に日本でレビュー済み
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戊辰戦争の実態がよくわかる良書です。薩長中心の明治維新から東北を中心とした幕末・明治の
流れを考えるいいきっかけになりました。
流れを考えるいいきっかけになりました。