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働くということ - グローバル化と労働の新しい意味 (中公新書 1793) 新書 – 2005/4/25
ロナルド・ドーア
(著)
- ISBN-104121017935
- ISBN-13978-4121017932
- 出版社中央公論新社
- 発売日2005/4/25
- 言語日本語
- 本の長さ198ページ
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2005/4/25)
- 発売日 : 2005/4/25
- 言語 : 日本語
- 新書 : 198ページ
- ISBN-10 : 4121017935
- ISBN-13 : 978-4121017932
- Amazon 売れ筋ランキング: - 442,260位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 102位総務・人事・労務管理の労働問題
- - 560位労働問題社会学
- - 1,889位中公新書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2016年8月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
綺麗な状態で届きました。この本が出て10年、ドーア先生が予測(悪い方へ)された通りの展開になりました。是非、みなさま手に取って読んでください。日本大好きの教授です。国防に無頓着な我が国の行き先を心配されています。
2019年10月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
興味深く読ませていただきました。
2009年8月22日に日本でレビュー済み
本書は巷にあふれる雇用問題本とは一線を画している。
それは、本書の著者が外国人であることもあり、他国のデータが充実していることと、グローバリゼーションという状況をよく踏まえられている点にあろう。
新自由主義の流れなどについても、感情的反発ではなく、歴史を通じた大局的な目と、他国のデータという縦と横の二つの観点をきちんと用いて分析されている。
個人的に一番面白いと思ったのは、非常に瑣末な部分なのだが、渋沢栄一が言っていたという「起業家リスク」(運のみならず、顧客を喜ばせようとする心がけが成功を左右する)と「投機リスク」(純粋に金儲け。運と狡猾さのみ)の差という視点であった(p68〜69)
それは、本書の著者が外国人であることもあり、他国のデータが充実していることと、グローバリゼーションという状況をよく踏まえられている点にあろう。
新自由主義の流れなどについても、感情的反発ではなく、歴史を通じた大局的な目と、他国のデータという縦と横の二つの観点をきちんと用いて分析されている。
個人的に一番面白いと思ったのは、非常に瑣末な部分なのだが、渋沢栄一が言っていたという「起業家リスク」(運のみならず、顧客を喜ばせようとする心がけが成功を左右する)と「投機リスク」(純粋に金儲け。運と狡猾さのみ)の差という視点であった(p68〜69)
2007年8月31日に日本でレビュー済み
「働くということ」に対して注がれる著者の透徹した眼差しは、究極的には「公正さ」に対する社会的合意をどのように構築するべきか、という問いに集約されていく。そしてその問いかけはグローバル化が進行する現代の「市場個人主義」の負の側面を鮮やかに浮かび上がらせる。
一つには「その仕事は社会的にどのように有用なのか」という問い。「国際貿易取引に必要な額の200倍以上もの投機的取引」が、時折巻き起こす世界的な金融危機等の負の側面を差し引いてなお余りある有意義なサービスを提供しているといえるのか。
また一つには「貪欲さはどの程度まで許容されるか」という問い。平均的給与所得者の1000倍もの所得を得る経営者たちの高給を説明する概念が単に「社会規範の変化」、つまり「貪欲を貪欲とけなすことをためらう傾向」でしかないこと。そしてこの傾向はこの四半世紀のあいだ加速することはあっても逆転する兆しは見えていない。
これらの問いはどれも答えの出せない問いである。だからこそ、常に問い続けなければならない問いなのだろう。
一つには「その仕事は社会的にどのように有用なのか」という問い。「国際貿易取引に必要な額の200倍以上もの投機的取引」が、時折巻き起こす世界的な金融危機等の負の側面を差し引いてなお余りある有意義なサービスを提供しているといえるのか。
また一つには「貪欲さはどの程度まで許容されるか」という問い。平均的給与所得者の1000倍もの所得を得る経営者たちの高給を説明する概念が単に「社会規範の変化」、つまり「貪欲を貪欲とけなすことをためらう傾向」でしかないこと。そしてこの傾向はこの四半世紀のあいだ加速することはあっても逆転する兆しは見えていない。
これらの問いはどれも答えの出せない問いである。だからこそ、常に問い続けなければならない問いなのだろう。
2014年9月13日に日本でレビュー済み
「ケインズの予想した21世紀と逆行する今、再度「働くこと」を考える」
著者:ロナルド・ドーア(イギリス生まれ、ロンドン大学LSEフェロー)
まず、「働くということ」という題名から、よく書店に並べてある、悩めるサラリーマンや就活生が求める内容だと思っていたら大間違い。
内容は、副題の『グローバル化と労働の新しい意味』であり、歴史・国際的背景をもとに現代市場の多様性を問うことが主題なのかな。
内容もあっちへ行ったりこっちへ行ったり、翻訳だから仕方ないかもしれない?けれど、著者が何を言いたいのかが定まっていない印象だった。
経営哲学の変化によって、従業員価値から株主価値に主義が移行することで、従業員福祉が手薄になり、それが賃金体系にも影響を与えているっていうのは「なるほど」と思った。弊社はどうなんだろう…。
2014/08(06/110)★3.3
著者:ロナルド・ドーア(イギリス生まれ、ロンドン大学LSEフェロー)
まず、「働くということ」という題名から、よく書店に並べてある、悩めるサラリーマンや就活生が求める内容だと思っていたら大間違い。
内容は、副題の『グローバル化と労働の新しい意味』であり、歴史・国際的背景をもとに現代市場の多様性を問うことが主題なのかな。
内容もあっちへ行ったりこっちへ行ったり、翻訳だから仕方ないかもしれない?けれど、著者が何を言いたいのかが定まっていない印象だった。
経営哲学の変化によって、従業員価値から株主価値に主義が移行することで、従業員福祉が手薄になり、それが賃金体系にも影響を与えているっていうのは「なるほど」と思った。弊社はどうなんだろう…。
2014/08(06/110)★3.3
2007年12月31日に日本でレビュー済み
なぜ人は働くのか。少なくとも、よく言われるような「食う」ためでない事は明瞭です。「食う」だけならホームレスでもできます。より正確を期するなら、他人に認められる形で「食う」ために働く、というのが正しいのではないでしょうか。つまりは労働もまたひとつのファッション。意味を操る人間の特性に順じて、より衒示的に「食う」ために働いているのではないかと。そうなると働くことに関しても、流行の労働とそうでない労働が出てくることを避けることは出来ません。それが現在、極めて明瞭に目に見える形、つまり収入という形に収斂し、その影響は只労働の価値を決めるに止まらず、人間の価値にまで及ぶ包括的なものとなりつつあるといいます。本書の主題となるべき問題意識はまさにそこにあるのです。
著者が危惧しているのは、そんな収入のみを基準にした流行の労働が開き直りと自己増殖を進めているように見える点です。生産はひたすら効率性を追い求め、投資は目先の利益率を目安に行われる。そこには社会に有益であるとか、将来の可能性などは大して考慮されず、社会にとって必要不可欠な職業が利益が出ないからといって蔑ろにされ、同じ社会に生きるものが流行の労働能力を持たないからといって権利を奪われていく世界があります。豊かなものがより富み、貧しいものがより乏しくなるような自由。しかも、スタート地点もコースの起伏もバラバラな自由競争の下、高い収入を得ていることがあたかも社会的にも有益な人間の証であるかのような価値観が広がり、尚且つ勝者はそれを当然の如く感じている。今まで人々の連帯を支えていた、高い地位に伴う当然の義務感というものが欠落した勝者たちにとって社会は不要なのでしょうか。著者は数々の可能性を列挙して明解な結論は避けますが、これだけは不変でしょう「あなたの不安が、私の平和を脅かす」。
著者が危惧しているのは、そんな収入のみを基準にした流行の労働が開き直りと自己増殖を進めているように見える点です。生産はひたすら効率性を追い求め、投資は目先の利益率を目安に行われる。そこには社会に有益であるとか、将来の可能性などは大して考慮されず、社会にとって必要不可欠な職業が利益が出ないからといって蔑ろにされ、同じ社会に生きるものが流行の労働能力を持たないからといって権利を奪われていく世界があります。豊かなものがより富み、貧しいものがより乏しくなるような自由。しかも、スタート地点もコースの起伏もバラバラな自由競争の下、高い収入を得ていることがあたかも社会的にも有益な人間の証であるかのような価値観が広がり、尚且つ勝者はそれを当然の如く感じている。今まで人々の連帯を支えていた、高い地位に伴う当然の義務感というものが欠落した勝者たちにとって社会は不要なのでしょうか。著者は数々の可能性を列挙して明解な結論は避けますが、これだけは不変でしょう「あなたの不安が、私の平和を脅かす」。
2005年6月5日に日本でレビュー済み
多くの示唆に富む書籍だが個人的に最も着目したのは、グローバリゼーション下の「公正」と「収入格差進行による社会的連帯の希薄化」いう著者の指摘だった。著者は「公正は」「各国の伝統文化と関係付け」されるが「起因する」わけではなく「思想・経済・権力」三者間のフィードバックは複雑に連鎖し、一概に過去からの連続性に公正さが担保されるのではない、と明晰な分析を見せる。ここは現在のグローバリゼーションにゆれる日本への示唆として重要だ。直近の雇用調査において「社員」と名の付く形態でも3割は契約・派遣へのポートフォリオが進み、その結果明らかに収入格差は進行する事が予測される。その結果社会連帯性が希薄になりつつある結果、徐々に地盤を固め行く庶民感情傾向は「伝統と保守」への回帰だ。そう考えると小泉政権の「規制撤廃・民営化」等グローバルへの競争戦略を邁進させると同時に、希薄化する「一億総中流」の連帯概念として「伝統と文化の日本」をイデオロギーとせんとしている事が連続的に整理がつく。私自身は左派・右派どちらでもないが、果たして「伝統」というものだけが国家ビジョン=国民統合・行動規範として果たして説得的かは大きな疑問があった。西部邁氏らによる「公民教科書」を通読すると、「伝統」を核として国家行為を整理しても結局説明がつかず、国家戦略自体が各々の時点で注力すべき事柄に実利的にシフトしてる事は明白で、この点もまさに著者の指摘と合致する点だ。「社会モラル低下」「企業経営の混迷」ら多くの問題を短絡的に「過去の日本型理念へ回帰すれば立ち直る」といった具体的制度が提示されない根拠のない言説が一人歩きし、それに縋る傾向もある。しかし、『価値基準』とは混迷の中で全体が悩み、その中で初めて現れる「破壊的創造」ではないだろうか?本書は「伝統の連続性」固執と「金融・株主優先」功利の二項対立でなく、バランス感覚を持って考える機会を与えてくれる。
2015年10月12日に日本でレビュー済み
それなりの知識とそれなりの読解力が必要になってきます
私には理解できませんでした
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