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軍神: 近代日本が生んだ「英雄」たちの軌跡 (中公新書 1904) 新書 – 2007/7/1
山室 建徳
(著)
- 本の長さ356ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2007/7/1
- ISBN-104121019040
- ISBN-13978-4121019042
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2007/7/1)
- 発売日 : 2007/7/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 356ページ
- ISBN-10 : 4121019040
- ISBN-13 : 978-4121019042
- Amazon 売れ筋ランキング: - 454,781位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年6月4日に日本でレビュー済み
「政権交代。」における一過性のざわめきを見るような内容。
渋沢栄一も『論語と算盤』で語っているように、日本人の熱しやすく覚め易い性格が「軍神」を生み出している。
庶民は自らが戦争の被害者のような意見を述べるが、軍部を煽ったのは庶民であることにも、気づくべきと考えさせられた。
陸軍と海軍の対立構造、国民性、軍神を否定する軍人の姿など、当時の「空気」を読みには最適な書。
渋沢栄一も『論語と算盤』で語っているように、日本人の熱しやすく覚め易い性格が「軍神」を生み出している。
庶民は自らが戦争の被害者のような意見を述べるが、軍部を煽ったのは庶民であることにも、気づくべきと考えさせられた。
陸軍と海軍の対立構造、国民性、軍神を否定する軍人の姿など、当時の「空気」を読みには最適な書。
2007年10月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書の狙いは、「軍神を手がかりに当時の日本人の戦争観を」探るというものです。この狙いは非常に興味深いもので、それだけで、ある程度成功しているとも思えます。・・・・・しかし、広瀬中佐、乃木、肉弾三勇士、特攻隊とあげられても、その変化の相は綺麗には見えてきません。あるいは、どれだけ調べたのかを誇示しようとしてか、情報量が多すぎ、ストーリーが見えにくいです。・・・・・・広瀬中佐が大正、昭和を通じてどのように捉えられたのか、肉弾三勇士が戦中、戦後を通じてどのように捉えられたのか、など、視点を絞り込んで、その変化を追った方が、「日本人の戦争観」は見えやすいのではないでしょうか。・・・・何かを説明しようとする場合は、比較や変化を常に意識して叙述しないと、読む側にははっきりとは伝わりにくいものです。・・・・・・それと締めがいまいちです。「敵に降伏するとは戦没者に対する裏切り行為」「敗北を受け入れ日本人は大きな精神的な拠り所を失った」「命を落としたものとの間にある深い溝」・・・・・新書としては大部な書を読んできて、最後にこうまとめられてしまうと、読んできたこと自体が否定されているようで不愉快でした。だって、歴史を学ぶことは、過去の人や出来事に、どこか同感できるところを探しつつ、ともに未来を構想しようとする営為ではないかと思われからです。それなのに現在と過去との断絶が強調され、さらには現在が断罪されてしまうと、歴史を学ぶ意味が見えてこなくなってしまうのです。
2022年5月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日露戦争から太平洋戦争にかけて、日本国民が作り出した「軍神」の像を、当時の資料を基に描き出した本。
軍神というものが、決して軍部が国民に宣伝しようとして作り出したのではなく、国民の側からの感動が作り上げたのだということを、当時の国民各層の感想文をもとに描き出している。
全体として、当時の空気に著者自らが飲みこまれてしまったような筆致で、そこには戦後的文脈からの否定もなければ、国威発揚的精神からの賞賛もなく、ただただ当時の、現代から見れば一種異様な精神が描写されている。
この本のエッセンスを示すのが、末章のp339, 「日本人は泣きながら戦争をしていたという感慨が湧いてくる」という一文である。ある種の奇書といえよう。
軍神というものが、決して軍部が国民に宣伝しようとして作り出したのではなく、国民の側からの感動が作り上げたのだということを、当時の国民各層の感想文をもとに描き出している。
全体として、当時の空気に著者自らが飲みこまれてしまったような筆致で、そこには戦後的文脈からの否定もなければ、国威発揚的精神からの賞賛もなく、ただただ当時の、現代から見れば一種異様な精神が描写されている。
この本のエッセンスを示すのが、末章のp339, 「日本人は泣きながら戦争をしていたという感慨が湧いてくる」という一文である。ある種の奇書といえよう。
2007年8月22日に日本でレビュー済み
「軍神」とされた廣瀬武夫や乃木希典らの事跡を単に追ったというだけの本ではない。
見方によっては冗漫とも形容さるべき厚い記述のかなりの部分は、「軍神」とされた人々を、当時の人々がどのように受けとめ、どのように論じたかを跡付けることに費やされている。かなり最後の部分まで読み進めないと明確にはならないが、著者が目指しているのは「軍神」そのものではなく、彼らがまとう「日本精神」の実相であるのだろう。勝ち負けよりも立派な死に方に「真の精神の発露」を見るという近代日本に、読み手はどのような意味を見出せばよいのだろうか。
なお蛇足ながら、「人を神に祀る」という近代日本の営みを考えるにあたっては、本書が取り上げる乃木・東郷・廣瀬・橘といった事例だけでは明らかに不足である。この点に関しては、小松和彦・田中丸勝彦・西村明といった方々の研究を参照されたい。
見方によっては冗漫とも形容さるべき厚い記述のかなりの部分は、「軍神」とされた人々を、当時の人々がどのように受けとめ、どのように論じたかを跡付けることに費やされている。かなり最後の部分まで読み進めないと明確にはならないが、著者が目指しているのは「軍神」そのものではなく、彼らがまとう「日本精神」の実相であるのだろう。勝ち負けよりも立派な死に方に「真の精神の発露」を見るという近代日本に、読み手はどのような意味を見出せばよいのだろうか。
なお蛇足ながら、「人を神に祀る」という近代日本の営みを考えるにあたっては、本書が取り上げる乃木・東郷・廣瀬・橘といった事例だけでは明らかに不足である。この点に関しては、小松和彦・田中丸勝彦・西村明といった方々の研究を参照されたい。
2010年2月7日に日本でレビュー済み
日清・日露戦争での戦争指導者は、まだ国力が蓄えられていない自覚と大国に戦争を挑んだ謙虚さでつねに和睦あるいは講和を考えて、戦争に際してはその時機を探っていたといわれる。しかし、大東亜戦争では、講和を考えていた政治家、外交官は脇に押しやられ、際限ない戦争に乗り出していったのではなかろうか。アメリカ本土まで占領する気などないのに、欧米と戦争を始めれば、欧米は日本を屈服させるまで戦争を遂行するであろうことは容易に想像できたであろうに。日本人の死を恐れない精神の美しさをみたら、彼らの心が凍結して、攻めてこなくなるとでも思ったのであろうか。
本書では「軍神」を作り出すことにより、メディアを含む日本国民が、天皇に滅私奉公する自己犠牲の精神、死の美学、散華・玉砕の美しさに集団自己催眠にかかっていく過程がえぐり出されている。日露戦争では陸軍勝利の名誉はその指導者たる児玉源太郎大将が受け取るべきであるのに、古武士的風貌、殉死した乃木大将が軍神としてあがめられていく。また爆弾三勇士ではおなじことをして生還した兵士がいるにもかかわらず、死んだほうの人間が軍神となり、捕虜となり帰還した兵士は自殺に追い込まれている。
死の美学、散華・玉砕に表された日本民族の精神の美しさに自己陶酔して、戦争というのは厳然たる殺人行為であることを忘れたため、負けてつづけていても敗北の悲惨さに鈍感になっていたのであろう。アメリカがそんな日本人の心を忖度しないという事実を原子爆弾の投下による虐殺により理解し、目を覚まさせられるんであるが、それまで勝敗にこだわらない戦闘行為であったからこそ、戦後は潔くアメリカ軍の占領を受け入れてしまったのであろう。
軍神の歴史を丹念にたどることにより、大東亜戦争にいたる戦争を受け入れていった日本人のこころの在り方を分析した描いた良書である。
本書では「軍神」を作り出すことにより、メディアを含む日本国民が、天皇に滅私奉公する自己犠牲の精神、死の美学、散華・玉砕の美しさに集団自己催眠にかかっていく過程がえぐり出されている。日露戦争では陸軍勝利の名誉はその指導者たる児玉源太郎大将が受け取るべきであるのに、古武士的風貌、殉死した乃木大将が軍神としてあがめられていく。また爆弾三勇士ではおなじことをして生還した兵士がいるにもかかわらず、死んだほうの人間が軍神となり、捕虜となり帰還した兵士は自殺に追い込まれている。
死の美学、散華・玉砕に表された日本民族の精神の美しさに自己陶酔して、戦争というのは厳然たる殺人行為であることを忘れたため、負けてつづけていても敗北の悲惨さに鈍感になっていたのであろう。アメリカがそんな日本人の心を忖度しないという事実を原子爆弾の投下による虐殺により理解し、目を覚まさせられるんであるが、それまで勝敗にこだわらない戦闘行為であったからこそ、戦後は潔くアメリカ軍の占領を受け入れてしまったのであろう。
軍神の歴史を丹念にたどることにより、大東亜戦争にいたる戦争を受け入れていった日本人のこころの在り方を分析した描いた良書である。
2008年3月16日に日本でレビュー済み
軍神というと、軍国主義時代の産物で現代とは関係がないと私たちは思いがちですが、現実に今でも自衛隊員は任官宣誓のさい「命の危険を顧みずに国を守る」ことを宣誓しています。また、軍事的な職種でなくても、警察やレスキューなどの分野では常に公務中に殉職する可能性はあるわけです。そういった人達が実際に殉職した際に国家としてどうやって顕彰するかという問題は常にあるわけです。
そういった目で本書で紹介される事例を見ていったのですが、なかなか興味深いものがありました。
爆弾三勇士の事例では、メディアを通じて世間に広まったエピソードの核心は(1)三勇士が生還を期さない任務に自ら志願したこと(2)それを隊長が許可したこと(3)任務成功後に師団長らが三勇士を涙を流してとむらったこと、の3点でした。ところが、世間のあまりの熱狂ぶりに当惑した工兵中佐が調査したところ(1)〜(3)はいずれも誤りで、実際には三勇士は爆破作戦に従事した2チームの内の1つで、もう1チームは同じ条件で生還していたというのです。
工兵中佐は、戦地へ出た兵士はみな決死隊であり、さらにその上で決死隊を募るようなことはその任務に参加しなかった人たちへの冒涜だと言います。つまり、必死の任務を上官が指示するというむごい「物語」を国民は受け入れがたいと考えた誰かが、決死隊を志願したというエピソードを挿入したというのです。
このように国民には「美談」を受け入れたいという欲望があり、国家には国家というシステムを支えてくれた人を顕彰しなくてはならないという「作動原理」があります。JR踏切事故の事例など、これらの問題は今も私たちの身近にあると言えるのです。
そういった目で本書で紹介される事例を見ていったのですが、なかなか興味深いものがありました。
爆弾三勇士の事例では、メディアを通じて世間に広まったエピソードの核心は(1)三勇士が生還を期さない任務に自ら志願したこと(2)それを隊長が許可したこと(3)任務成功後に師団長らが三勇士を涙を流してとむらったこと、の3点でした。ところが、世間のあまりの熱狂ぶりに当惑した工兵中佐が調査したところ(1)〜(3)はいずれも誤りで、実際には三勇士は爆破作戦に従事した2チームの内の1つで、もう1チームは同じ条件で生還していたというのです。
工兵中佐は、戦地へ出た兵士はみな決死隊であり、さらにその上で決死隊を募るようなことはその任務に参加しなかった人たちへの冒涜だと言います。つまり、必死の任務を上官が指示するというむごい「物語」を国民は受け入れがたいと考えた誰かが、決死隊を志願したというエピソードを挿入したというのです。
このように国民には「美談」を受け入れたいという欲望があり、国家には国家というシステムを支えてくれた人を顕彰しなくてはならないという「作動原理」があります。JR踏切事故の事例など、これらの問題は今も私たちの身近にあると言えるのです。
2007年9月29日に日本でレビュー済み
新書にしては大部のもの。まずは、丹念に事実を追った力作である。「軍神」が、必ずしも軍国主義の時代に国家主導で作られたわけではないということ、極めて情緒的に形成されたことが証明されており興味深い。通常、新書は、難しい大きなテーマの簡略版、素人向けの易しい説明であることが多いが、中規模研究の発表の場としての可能性を示した点で、同じ中公新書の『華族』とあわせて興味深い。ただし、なぜ今「軍神」なのか、ということがもう一つ鮮明ではないのが残念。内向きの感情共同体と成りやすい日本国民の、今後の国際社会における課題のようなことと結びつけば、更に興味深いものになった気がしてならない。