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美しい言葉づかい: フランス人の表現の技術 (中公新書 1957) 新書 – 2008/7/1
井村 順一
(著)
「会話の技術」を身につけるには訓練が必要だ。一七世紀前半期のパリに、話す技術を磨くための場所ができた。「サロン」である。言葉に異常な関心を示す若い貴族が、ランブイエ侯爵夫人の有名なサロンに現れる。その名はヴォージュラ。サロンの言葉づかいを克明にメモし、その後のフランス語の洗練に絶大な影響を及ぼす「文法」を著すことになる。フランス人のもつ言語表現への関心を通して、表現の技術を考えてみよう。
- 本の長さ213ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2008/7/1
- ISBN-104121019571
- ISBN-13978-4121019578
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2008/7/1)
- 発売日 : 2008/7/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 213ページ
- ISBN-10 : 4121019571
- ISBN-13 : 978-4121019578
- Amazon 売れ筋ランキング: - 962,745位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 444位フランス史
- - 2,604位ヨーロッパ史一般の本
- - 3,086位中公新書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2009年2月22日に日本でレビュー済み
登場人物達やその家系や背景についての解説がやたら詳しく、肝心のフランス語の「明晰さ」や「美しさ」いついてはあまり書かれていない。ヴォージラの著書についても、細かい文法的なことがいくつか紹介されているだけで、肝心の文章やしゃれた会話の例はほとんど載っていない。すごく中途半端だ。買って損をした。
2010年5月1日に日本でレビュー済み
一言で言ってしまうとどちらかというと逆に「なぜフランスが美しさに拘るようになったか」という話ではないのかなぁ、ということを思うのだけれども。
時代はヴァロア朝からご存知のブルボン朝(日本でフランスの王朝を意識する場合はほとんどこれになるかと思う)への移行の時期。
あまりフランスの歴史に興味がない人にとってはアンリがいっぱい、ということでむしろ時代ごとの記憶に残る頃ではなかろうか。
中央から少し離れた地方のサロンの女主人が、パリの宮廷で使われていた、実用的ではあるものの美しさに欠ける言葉であった当時のフランス語を叱咤していた、というのが正しい構図の理解の仕方ではないかと私は思う。
他の言語を担った人物たちも地方出身、そして彼らの主張は少しずつ中央の意識を動かし、じきにフランスのアカデミーの主流となる、といったところ。
最初が理想から始まっていたら、それは美しさに拘ることにもなるんじゃなかろうか。
時代はヴァロア朝からご存知のブルボン朝(日本でフランスの王朝を意識する場合はほとんどこれになるかと思う)への移行の時期。
あまりフランスの歴史に興味がない人にとってはアンリがいっぱい、ということでむしろ時代ごとの記憶に残る頃ではなかろうか。
中央から少し離れた地方のサロンの女主人が、パリの宮廷で使われていた、実用的ではあるものの美しさに欠ける言葉であった当時のフランス語を叱咤していた、というのが正しい構図の理解の仕方ではないかと私は思う。
他の言語を担った人物たちも地方出身、そして彼らの主張は少しずつ中央の意識を動かし、じきにフランスのアカデミーの主流となる、といったところ。
最初が理想から始まっていたら、それは美しさに拘ることにもなるんじゃなかろうか。