確かに、個性的で見どころのある画家12人についての評論・エッセーである。
こう並べられると、その画業の卓越性とその早世さに驚かされる。萬鉄五郎・村山槐多・関根正二については読みごたえを感じた。
絵を見ることが好きな人、なかでも日本近代洋画にも目を向けてみようとする人には新書という体裁の中で、読み得な本と思われる。各地の美術館の企画展・常設展をより身近にする一助となると評価できる。
但し書きとして書き加えると、“まえがき”で著者自身も触れているように、さまざまな媒体で発表されて評論を緩やかな共通性の中でまとめたものであるため、統一的な体裁・視点を欠くこと、悪く言えば独りよがりの情緒的な表現・文章がところどころに顔を出すことなど、読み物としてはキズも多く、一冊の本としての完成度は低い。
本としての完成度よりも、ガイドブックとして、実際に12人に画家の絵を見ることと読み返すことのやりとりをするのが最良の読み方かもしれない。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
早世の天才画家: 日本近代洋画の十二人 (中公新書 1993) 新書 – 2009/4/1
酒井 忠康
(著)
- 本の長さ340ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2009/4/1
- ISBN-104121019938
- ISBN-13978-4121019936
この著者の人気タイトル
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2009/4/1)
- 発売日 : 2009/4/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 340ページ
- ISBN-10 : 4121019938
- ISBN-13 : 978-4121019936
- Amazon 売れ筋ランキング: - 979,247位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,104位中公新書
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2009年5月6日に日本でレビュー済み
2017年1月14日に日本でレビュー済み
取り上げられている12人の画家のうち佐伯祐三と岸田劉生くらいしか知らなかったが、フォービズム、未来派、シュールレアリズムといった現代美術の洗礼を受けた大正・昭和期の日本洋画界の一断面を知ることができる興味深い本だ。と同時に「美術評論」という日本特有のジャンルの良く言えば個性だが、その限界を併せて垣間見たような気もする。
「日本の近代美術は人生や生活から独立する力に欠けていた」と著者は言うが、それは日本の近代美術の限界であるとともに魅力である。そしてそうした魅力に寄りかかって書かれていることに、この本の魅力があり、またつまらなさがある。一言で言えば、あまりに文学的であり、私小説的なのだ。著者自身が自覚するように、著者の主観的な思い入れが文章に色濃く反映しているだけでなく、各章で画家の自画像を論じていることにも表れているが、画家の「内面」や「人格」に過度に密着した鑑賞は、絵画を絵画として楽しみたい向きにはうるさく感じられるだろう。評者としても高階秀爾や若桑みどりのようなアカデミックな美術史家による、作品そのものを顕微鏡でなめ回すような犀利な分析のほうが肌に合っている。
もちろん絵画というものを「知的」に「読む」ことばかりでは、これまたつまらないのも確かだ。日本の近代文学には「人格の完成」や「個性の確立」を理想とした太い水脈がある。特に「白樺派」にその傾向が強いが、ヨーロッパの文学が「大人の文学」だとすれば、それは言ってみれば自分探しの「青春の文学」だった。絵画においてそれを実践しようとしたのが岸田劉生だが、日本の近代絵画もある意味で「青春の芸術」と言えるかも知れない。著者が本書で取り上げたように綺羅星のごとく早世の画家達が出現したのも、このことと無関係ではないだろう。
「日本の近代美術は人生や生活から独立する力に欠けていた」と著者は言うが、それは日本の近代美術の限界であるとともに魅力である。そしてそうした魅力に寄りかかって書かれていることに、この本の魅力があり、またつまらなさがある。一言で言えば、あまりに文学的であり、私小説的なのだ。著者自身が自覚するように、著者の主観的な思い入れが文章に色濃く反映しているだけでなく、各章で画家の自画像を論じていることにも表れているが、画家の「内面」や「人格」に過度に密着した鑑賞は、絵画を絵画として楽しみたい向きにはうるさく感じられるだろう。評者としても高階秀爾や若桑みどりのようなアカデミックな美術史家による、作品そのものを顕微鏡でなめ回すような犀利な分析のほうが肌に合っている。
もちろん絵画というものを「知的」に「読む」ことばかりでは、これまたつまらないのも確かだ。日本の近代文学には「人格の完成」や「個性の確立」を理想とした太い水脈がある。特に「白樺派」にその傾向が強いが、ヨーロッパの文学が「大人の文学」だとすれば、それは言ってみれば自分探しの「青春の文学」だった。絵画においてそれを実践しようとしたのが岸田劉生だが、日本の近代絵画もある意味で「青春の芸術」と言えるかも知れない。著者が本書で取り上げたように綺羅星のごとく早世の画家達が出現したのも、このことと無関係ではないだろう。