『論語』というと従来精神修養のための、或いは、道徳的教化のための書物として捉えられてきただろうし、又、そのように読まれてきたといって良いだろう。しかし、筆者はそうした「美しい道徳の言葉の連続」する書物としての『論語』には、マーラーの交響曲の中にある「異音」の如きものがあるという。その一つは述而篇の「子曰甚矣吾衰也久矣吾不復夢見周公也」という一文であるが、全三部構成の本書はこうした「異音」を、今度は言わば通奏低音としつつ論述を進める。
第'T部「論語の成立と展開」では近年の『論語』成立史の研究の進展のあらましが語られる。そこで読者は、近年出土した多数の竹簡資料が『論語』の編纂と流布の過程を明らかにし得る大発見であったことをまず感得できるだろう。第'U部「『論語』を読み解く」では、『論語』中の「師」「学」「為政」「楽」「孝」などの語を取り上げる。こうした語の概念史的分析を通じて、『論語』が単なる道徳だけを語る書物でないことがわかる。第三部「『論語』と孔子」は本書の白眉。そこでは中国古代における「夢」が位置付けられ、筆者は『論語』をそれとの関連で読み解こうとする(私は一読して西郷信綱の『古代人と夢』を想起した)。その結果提示されるのは、孔子の深い絶望を記録した書としての『論語』像であり、そこに行き着くまでの論述の過程はスリリングである。
『論語』をめぐる文献学的な叙述も面白く、特に日本の様々な『論語』の註解を語る件は極めて啓発的。荻生徂徠の註釈が中国に逆輸入されて影響を与えたくだりなどは、思想の伝播史というか、相互交流史というか、色々と想像を巡らす機会を与えてくれる。下手な『論語』についての本を読む前に、まず本書を一読ならず再読しつつ、本丸の『論語』と取り組みたい。久々に読んでいて、原典を紐解きたくなった書籍であった。
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論語 - 真意を読む (中公新書 2153) 新書 – 2012/3/23
湯浅 邦弘
(著)
『論語』は新史料発見により新たな解明が進んでいる。新知見や成立背景を踏まえ、さらに深い理解へ至る読みを示す、論語入門の決定版
- 本の長さ277ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2012/3/23
- ISBN-104121021533
- ISBN-13978-4121021533
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2012/3/23)
- 発売日 : 2012/3/23
- 言語 : 日本語
- 新書 : 277ページ
- ISBN-10 : 4121021533
- ISBN-13 : 978-4121021533
- Amazon 売れ筋ランキング: - 582,231位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,288位中公新書
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年12月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
意外と早く届けて頂きました。注文すると早く読みたいですよね!!
2013年1月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小生の教養不足で、著者の説明に納得できない。 一般論の論語解説を充分消化していないためと思う。
2014年7月27日に日本でレビュー済み
論語を深く理解したい人におすすめの本である。
本書は、論語の成立と展開、論語の読み方、孔子の人物像について考察している。私が心に残った部分は下記のようになる。
・孔子自身は政治に関われなかったが、弟子を通じて政治に関わりたかった。
・論語の「語」とは、「王の徳を明らかにして、先王の務めを知り、明徳を民に持ち込む」ことである。
・論語を、喜びのあまり思わず手足が動き出してしまうぐらいに読書することが望ましいが、必要な箇所を選択して読書することもよい。
論語を異なる角度から見つめ理解を深めたい人にとっては面白いと思われる。
本書は、論語の成立と展開、論語の読み方、孔子の人物像について考察している。私が心に残った部分は下記のようになる。
・孔子自身は政治に関われなかったが、弟子を通じて政治に関わりたかった。
・論語の「語」とは、「王の徳を明らかにして、先王の務めを知り、明徳を民に持ち込む」ことである。
・論語を、喜びのあまり思わず手足が動き出してしまうぐらいに読書することが望ましいが、必要な箇所を選択して読書することもよい。
論語を異なる角度から見つめ理解を深めたい人にとっては面白いと思われる。
2012年5月9日に日本でレビュー済み
本書はまず大前提として、著者の湯浅氏や大阪大学中国哲学研究室([...])による、中国の出土文献研究や、大坂懐徳堂の研究を土台にしていることを踏まえるかどうかで読後感が大きく変わる。(紀元前の出土文献と、江戸時代の学問とで大きな飛躍があることや、なぜ、中井履軒をことさら特別扱いしているのかに違和感を感じた方もおられるのではないだろうか?)言い換えれば、本書は湯浅氏の専門領域である出土文献と、懐徳堂の中井履軒を基点にして、『論語』を湯浅氏独自に再評価しようと試みていると理解すると飲み込みやすくなる。(悪く言えば、この二者ありきが前提になっているとも言える。)
第I部の前半と第II部は、湯浅氏や大阪大学中国哲学研究室が注力している出土文献研究をベースにしたものだが、特に第I部の「文字の通用」については、出土文献の新知見などではなく、筆写や出版によって伝承されてきた伝世文献中で既に得られている知見ばかりである(※)。ただ、「音通や字形の類似による通用関係は多数みられる。我々の想像以上に、当時はゆるやかに文字が通用していた」(p.54)と湯浅氏が指摘する点は、専門家以外ではあまり認知されていない、紹介に値する重要な事柄であり、またそれを一般向けに平易で丁寧に説明している。
全体としては、出土文献から『論語』(及びそれに類する孔子と門弟の問答の記録)を再評価するのと、懐徳堂の中井履軒の視点で『論語』を再評価するのと、それぞれ一冊ずつ別個に分けていたら良かったのに…というのが率直な感想だ。
(※たとえば、p.70の「而」と「如」の通用例は、顧炎武(1613-1682)の学術筆記『日知録』ですでに網羅的に挙げられている。また、定州漢簡『論語』の「功乎異端、斯害也已」の「功」字を、湯浅氏は「字形の類似による誤写」(p.55)としているが、高亨『古字通仮会典』のp.1に「攻」と「功」の伝世文献中の通用例が9例も挙げられている。要するに「攻」と「功」は、「工」を声符(字音)とした音通であって誤写ではない。「攻」字の場合と同様、「異端を功(おさ)むるは、斯れ害あるのみ」と訓む。)
第I部の前半と第II部は、湯浅氏や大阪大学中国哲学研究室が注力している出土文献研究をベースにしたものだが、特に第I部の「文字の通用」については、出土文献の新知見などではなく、筆写や出版によって伝承されてきた伝世文献中で既に得られている知見ばかりである(※)。ただ、「音通や字形の類似による通用関係は多数みられる。我々の想像以上に、当時はゆるやかに文字が通用していた」(p.54)と湯浅氏が指摘する点は、専門家以外ではあまり認知されていない、紹介に値する重要な事柄であり、またそれを一般向けに平易で丁寧に説明している。
全体としては、出土文献から『論語』(及びそれに類する孔子と門弟の問答の記録)を再評価するのと、懐徳堂の中井履軒の視点で『論語』を再評価するのと、それぞれ一冊ずつ別個に分けていたら良かったのに…というのが率直な感想だ。
(※たとえば、p.70の「而」と「如」の通用例は、顧炎武(1613-1682)の学術筆記『日知録』ですでに網羅的に挙げられている。また、定州漢簡『論語』の「功乎異端、斯害也已」の「功」字を、湯浅氏は「字形の類似による誤写」(p.55)としているが、高亨『古字通仮会典』のp.1に「攻」と「功」の伝世文献中の通用例が9例も挙げられている。要するに「攻」と「功」は、「工」を声符(字音)とした音通であって誤写ではない。「攻」字の場合と同様、「異端を功(おさ)むるは、斯れ害あるのみ」と訓む。)