福沢諭吉は「福翁自伝」の中で、西洋の議会で党派に分かれて対峙し、議論を
戦わすというスタイルが果たして日本人に馴染めるものかと、正直に違和感を
感じたと語っていましたが、本書176頁あたりでも触れられているように、大正
から昭和初期にかけての政党政治の全盛時代、政友会と憲政党が競い合っていた
時代の、殊に地方の状況は醜悪きわまりなく、末端に至るあらゆる組織がそれぞれ
の党派ごとに分裂し、互いに反目しいがみ合い、感情的に対立した挙句、時には
暴力沙汰になるようなありさまだったと、小さいころに父に教えられたことがあり
(父も生まれる前のことですが)、これが民主政体の受容における日本人の実力
であったことは、肝に銘じておく必要があります。
本書を読むと、ポピュリズム的な煽り方にも二種類があり、ひとつは、天皇や
憲法などの不可侵とされる原則を盾に政敵を攻撃するもので、美濃部達吉の
天皇機関説への攻撃も、初めは貴族院議員だった美濃部の正論にやり込められた
政治家が意趣返しとして機関説を攻撃し始めたのが、首尾よく大運動に発展し、
まっとうな政治家にも抗しきれないほどまでに拡大したようで、もうひとつの
大問題であった「統帥権干犯」にしても、最初にこの論法を使ったのは野党時代の
憲政党だと聞きますが、選挙で敗れた政友会の犬養や鳩山などの若い議員が、
国際協調と海軍にとっても利益になるはずのロンドン軍縮の調印に対して、
統帥権を盾に攻撃するという挙に出たもので、その背景には、当時の政党政治を
支える層の体質も関係していたと思われます。
もう一つのポピュリズムの流れは、メディアによる徹底的で煽情的な報道の
姿勢で、これは方向性には定式がないところも不気味なところで、国民が
政党政治に飽きると、こうした報道にいいように煽られるようになり、殊に、
ポピュリズムの輿に乗った近衛文麿は、日中戦争では世論の圧力実はメディア
の圧力に唯々諾々と屈して、不拡大の方針を貫徹できず、現場で模索された
和平工作も頓挫させるというお粗末ぶりで、満州事変の頃には軍をこき下ろし
ていたメディアも、日中戦争以降、殊にヒトラーの快進撃が伝えられるように
なると、朝日新聞が初出とされる「バスに乗り遅れるな」という言葉で、
国民と軍とを積極的に煽るようになります。
戦後を顧みると、大手新聞がGHQの検閲を受けたことや、社会党に政権を担う
意志がなかったことが幸いして、メディアによる煽りが永い間深刻な影響を
もたらさずに済みましたが、93年と09年にはメディアによる煽りが政権
交代につながり、殊に近衛の孫でもある細川護熙の日本新党への「日本晴れ」
的な期待は異常なもので、反対にメディアがポピュリズムと看做した小泉内閣は、
永く主張してきた構造改革の政策案が地方の自民党員に受け入れられたことが
誕生のきっかけで、そこは取り違えてはいけないところです。
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戦前日本のポピュリズム - 日米戦争への道 (中公新書 2471) 新書 – 2018/1/19
筒井 清忠
(著)
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現代の政治状況を表現する際に使われる「ポピュリズム」。だが、それが劇場型大衆動員政治を意味するのであれば、日本はすでに戦前期に不幸な経験があった。日露戦争後の日比谷焼き打ち事件に始まり、天皇機関説問題、満洲事変、五・一五事件、ポピュリスト近衛文麿の登場、そして日米開戦へ。普通選挙制と二大政党制はなぜ政党政治の崩壊と戦争という結末に至ったのか。現代への教訓を歴史に学ぶ。
- 本の長さ300ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2018/1/19
- 寸法11 x 1.4 x 17.4 cm
- ISBN-104121024710
- ISBN-13978-4121024718
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商品の説明
著者について
1948年(昭和23年)生まれ.京都大学文学部卒業,同大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学.文学博士.奈良女子大学助教授,京都大学教授などを経て,現在,帝京大学文学部日本文化学科教授.東京財団上席研究員.専攻,歴史社会学.著書に『二・二六事件とその時代』『石橋湛山』『日本型「教養」の運命』『西條八十』(読売文学賞・山本七平賞特別賞受賞),『昭和十年代の陸軍と政治』『近衛文麿』『帝都復興の時代』『満州事変はなぜ起きたのか』『陸軍士官学校事件』『昭和戦前期の政党政治』など.
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2018/1/19)
- 発売日 : 2018/1/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 300ページ
- ISBN-10 : 4121024710
- ISBN-13 : 978-4121024718
- 寸法 : 11 x 1.4 x 17.4 cm
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年2月17日に日本でレビュー済み
2018年4月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は冒頭にポピュリズムの定義として「大衆の人気に基づく政治」とし、日本では戦前からそれが蔓延り、現在と比較しても
あまり変わらないという。いや、もっと言うと日本を日米戦争に追い込んだのはそのポピュリズムであり、そのことを誰も書かない
ことを不思議に思いながらこの本を著したと言っている。日露戦争の後の講和条件への不満から起きた日比谷焼打ち事件を
そのポピュリズムの第一号とし、その後のいろいろな事件で政治家に圧力をかけて来たのがポピュリズムと、マスメディアであると言い切って
いる。外交評論家清沢冽の言葉を引用して「衆論に抗して毅然として立つ少数有力者がいなくなってきた」ことがその理由の一つだ
とも言う。大正時代から戦前にかけての史実を説き起こしながら、丁寧にポピュリズムの勃興とそれを煽るマスメディアの無責任さを
指摘する。この書物を読みながら一部の固有名詞を変えることで、今現在の政治状況と極めて酷似していると感じる人は
多くいるであろう。いかに大衆というのは移ろいやすく、かつ徹底的に愚かになりうる存在であり、それを煽るマスメディアは
いつの時代でも「健在」であることをこの書物は再認識させてくれる。
あまり変わらないという。いや、もっと言うと日本を日米戦争に追い込んだのはそのポピュリズムであり、そのことを誰も書かない
ことを不思議に思いながらこの本を著したと言っている。日露戦争の後の講和条件への不満から起きた日比谷焼打ち事件を
そのポピュリズムの第一号とし、その後のいろいろな事件で政治家に圧力をかけて来たのがポピュリズムと、マスメディアであると言い切って
いる。外交評論家清沢冽の言葉を引用して「衆論に抗して毅然として立つ少数有力者がいなくなってきた」ことがその理由の一つだ
とも言う。大正時代から戦前にかけての史実を説き起こしながら、丁寧にポピュリズムの勃興とそれを煽るマスメディアの無責任さを
指摘する。この書物を読みながら一部の固有名詞を変えることで、今現在の政治状況と極めて酷似していると感じる人は
多くいるであろう。いかに大衆というのは移ろいやすく、かつ徹底的に愚かになりうる存在であり、それを煽るマスメディアは
いつの時代でも「健在」であることをこの書物は再認識させてくれる。
2018年9月7日に日本でレビュー済み
本書は、日比谷焼き討ち事件から日米開戦に至るまでの、戦前日本においてポピュリズムがどのように展開されていたのかを丁寧に記述した本である。
本書は日比谷焼き討ち事件から始まる。
それまでの民権運動と日比谷焼き討ち事件の国民大会の違いとして、それまでは参加民衆はただ観客として見ている位置づけだったものが、大会に「参加」するものとなった点が挙げられている。
実は日比谷焼き討ち事件の前の戦勝祝賀の日比谷公園狂瀾ですでに21人の死者が出ており、「日比谷公園に集まって騒いで死傷者が出る」という危険は既に起きていた。
さて、新聞はポーツマス講和への批判一色(例外は徳富蘇峰ぐらい)で、狂瀾を防ぐための政府の規制(新聞はこれも批判的)に参加者はむしろ反発して警察への暴力へと進んでいく。
こうした大会は大体新聞記者グループが中軸となっており、それは普選護憲運動と軌を一にしているとコメントされている。
ここから普通選挙へと向かう間の重要な出来事として、アメリカでの排日移民法成立が指摘されている。
これはワシントン会議で作られた国際協調主義をアメリカによって自ら壊すものであり、多くの国民はこれに激高し、直近での影響はないにしても「欧米の欺瞞」「反国際協調」の意識はその後のポピュリズムにおいてボディブローのように効いてくる。
のちに中国が約束したはずの協力を無視し、ワシントン条約を守って国際協調主義で問題解決しようとする日本を英米が切り捨てたことがのちの内田外相に強烈な反英米感情を植え付けたのと同様に、欧米大国の偽善・欺瞞というのもポピュリズムの遠因にはある。
さて、その後の若槻内閣、田中内閣、浜口内閣では、新聞は政策よりもスキャンダルや些末事ばかりを報じ、国民もそうしたもので騒動する展開となる。
大逆事件で獄にいた朴烈が獄中で交際相手と抱き合っている写真が政府攻撃として大ダメージを与えたというのは、今でいう劇場型政治である。
天皇がシンボリックに用いられ、言葉尻を捉えて不敬とされ大問題扱いされていくのもこの時期である。
このころから、「議会外の超越的存在」が「新聞メディア」と結託して不都合な内閣を追い落としていく流れが作られていく。
既成政党を「腐敗している」と攻撃し続けるメディアや知識人は、「穢れなき新しい勢力」として「無産政党」「軍部」「近衛新体制」などを次々夢想しては支持し、そして夢は破れていくという展開はここから始まっている。
30年代の頭には、国民にも侮蔑的なまなざしで見られ、軍制改革で縮小を続ける軍よりも新聞の方がはるかに力を持っており、朝日新聞の緒方竹虎が陸軍大臣を一喝した話などが紹介されている。
しかし満州事変以降はむしろ新聞は戦争や威勢のいい拡大方針を声高に主張するようになり、幣原外交は軟弱として追い詰められていく。
五一五事件では犯人を「憂国の士」として賛美し、国際連盟脱退を大喝采で迎え入れる世論、天皇機関説事件(庶民がエリート教授を攻撃するという分かりやすい構図)などの土壌が作られていた。
満州事変では「非難決議をただ無視し連盟に居座る」という頬かぶり論もあり、現在からみるとそれが一番有効な戦略だったと言えるが、そうした方策よりも「世論受けのいい威勢のいい行動」に走ってしまったのである。
その後はよく知られているように、女性(イケメン的側面)にもインテリ(教養主義)にも保守層(出自)にも人気の近衛新体制の成立と崩壊、「バスに乗り遅れるな」でのナチスドイツ追従を経て戦争へと突入する。
このように見てみると、現代のポピュリズムと重なる部分が非常に多いということを感じずにはいられない。
やはり健全な政党政治と政策論争へと進めずに、スキャンダル闘争、不可能な理想主義に基づく「新しい勢力」への盲目的期待へと走ってしまったのが、メディアと世論の最大の問題であった。
また、メディアは「軍部に一方的に利用された」かのように語るのはメディア側の責任逃れであり、相当程度メディアが支え世論が支持したことによる支配体制・戦争突入があったと言っていいだろう。
現代政治を考える上でも、戦前を振り返るうえでも、コンパクトだが意義深い一冊である。
本書は日比谷焼き討ち事件から始まる。
それまでの民権運動と日比谷焼き討ち事件の国民大会の違いとして、それまでは参加民衆はただ観客として見ている位置づけだったものが、大会に「参加」するものとなった点が挙げられている。
実は日比谷焼き討ち事件の前の戦勝祝賀の日比谷公園狂瀾ですでに21人の死者が出ており、「日比谷公園に集まって騒いで死傷者が出る」という危険は既に起きていた。
さて、新聞はポーツマス講和への批判一色(例外は徳富蘇峰ぐらい)で、狂瀾を防ぐための政府の規制(新聞はこれも批判的)に参加者はむしろ反発して警察への暴力へと進んでいく。
こうした大会は大体新聞記者グループが中軸となっており、それは普選護憲運動と軌を一にしているとコメントされている。
ここから普通選挙へと向かう間の重要な出来事として、アメリカでの排日移民法成立が指摘されている。
これはワシントン会議で作られた国際協調主義をアメリカによって自ら壊すものであり、多くの国民はこれに激高し、直近での影響はないにしても「欧米の欺瞞」「反国際協調」の意識はその後のポピュリズムにおいてボディブローのように効いてくる。
のちに中国が約束したはずの協力を無視し、ワシントン条約を守って国際協調主義で問題解決しようとする日本を英米が切り捨てたことがのちの内田外相に強烈な反英米感情を植え付けたのと同様に、欧米大国の偽善・欺瞞というのもポピュリズムの遠因にはある。
さて、その後の若槻内閣、田中内閣、浜口内閣では、新聞は政策よりもスキャンダルや些末事ばかりを報じ、国民もそうしたもので騒動する展開となる。
大逆事件で獄にいた朴烈が獄中で交際相手と抱き合っている写真が政府攻撃として大ダメージを与えたというのは、今でいう劇場型政治である。
天皇がシンボリックに用いられ、言葉尻を捉えて不敬とされ大問題扱いされていくのもこの時期である。
このころから、「議会外の超越的存在」が「新聞メディア」と結託して不都合な内閣を追い落としていく流れが作られていく。
既成政党を「腐敗している」と攻撃し続けるメディアや知識人は、「穢れなき新しい勢力」として「無産政党」「軍部」「近衛新体制」などを次々夢想しては支持し、そして夢は破れていくという展開はここから始まっている。
30年代の頭には、国民にも侮蔑的なまなざしで見られ、軍制改革で縮小を続ける軍よりも新聞の方がはるかに力を持っており、朝日新聞の緒方竹虎が陸軍大臣を一喝した話などが紹介されている。
しかし満州事変以降はむしろ新聞は戦争や威勢のいい拡大方針を声高に主張するようになり、幣原外交は軟弱として追い詰められていく。
五一五事件では犯人を「憂国の士」として賛美し、国際連盟脱退を大喝采で迎え入れる世論、天皇機関説事件(庶民がエリート教授を攻撃するという分かりやすい構図)などの土壌が作られていた。
満州事変では「非難決議をただ無視し連盟に居座る」という頬かぶり論もあり、現在からみるとそれが一番有効な戦略だったと言えるが、そうした方策よりも「世論受けのいい威勢のいい行動」に走ってしまったのである。
その後はよく知られているように、女性(イケメン的側面)にもインテリ(教養主義)にも保守層(出自)にも人気の近衛新体制の成立と崩壊、「バスに乗り遅れるな」でのナチスドイツ追従を経て戦争へと突入する。
このように見てみると、現代のポピュリズムと重なる部分が非常に多いということを感じずにはいられない。
やはり健全な政党政治と政策論争へと進めずに、スキャンダル闘争、不可能な理想主義に基づく「新しい勢力」への盲目的期待へと走ってしまったのが、メディアと世論の最大の問題であった。
また、メディアは「軍部に一方的に利用された」かのように語るのはメディア側の責任逃れであり、相当程度メディアが支え世論が支持したことによる支配体制・戦争突入があったと言っていいだろう。
現代政治を考える上でも、戦前を振り返るうえでも、コンパクトだが意義深い一冊である。
2023年2月7日に日本でレビュー済み
1905年のポーツマス条約(賠償金が無いなど)の内容に対して、民衆が不満を爆発させた日比谷焼き討ち事件から、1940年の第二次近衛内閣誕生までの多くの事象における政治、マスメディア、大衆の反応を解説しています。特に以下の3つが印象的でした。
(1)ポーツマス条約に対して、新聞のなかで唯一政府の立場に立って賛成したのは、徳富蘇峰の『国民新聞』でした。日比谷焼き討ち事件の際、約5000人の民衆が国民新聞社を襲撃しました。
(2)1932年に起きた5.15事件の裁判(1933年~)において、被告の陳述や弁護士の弁論が新聞で大きく取り上げられ、大衆の耳目を集めました。読んだ者の中には、被告に味方する者もおり、減刑を求める約7万件以上の嘆願書が法廷に提出され、その中には血判したものもありました。更に新潟県の青年達から送られてきた嘆願書には、9人分の小指が添えられていました。また、検察官の論告に対して、ある青年将校が悲しみ憤り、遺書を残して脇腹と咽喉を短剣で刺して、血まみれになり、昏倒するという自決未遂まで起こりました。
(3)1931年の満州事変発生後に、毎日新聞の発行部数が増加しましたが、朝日新聞は軍部に批判的であったため、奈良、神奈川、香川において朝日不買運動が起こり、これらの地域で発行部数が減少したことから、重役会で満州事変支持が決定し、報道方針を転換しました。結果、戦線が広がる中、朝日新聞は関東軍の行動を肯定的に報道し、発行部数は増加しました。また、ジャーナリストであった石橋湛山は「満豪を放棄すればわが国は滅ぶのか、人口増は領土を広げても解決しないし、鉄・石炭の原料供給基地の確保は平和貿易でも目的を達成できるのだから、力づくの必要はない」と満州事変を批判しました。
(1)ポーツマス条約に対して、新聞のなかで唯一政府の立場に立って賛成したのは、徳富蘇峰の『国民新聞』でした。日比谷焼き討ち事件の際、約5000人の民衆が国民新聞社を襲撃しました。
(2)1932年に起きた5.15事件の裁判(1933年~)において、被告の陳述や弁護士の弁論が新聞で大きく取り上げられ、大衆の耳目を集めました。読んだ者の中には、被告に味方する者もおり、減刑を求める約7万件以上の嘆願書が法廷に提出され、その中には血判したものもありました。更に新潟県の青年達から送られてきた嘆願書には、9人分の小指が添えられていました。また、検察官の論告に対して、ある青年将校が悲しみ憤り、遺書を残して脇腹と咽喉を短剣で刺して、血まみれになり、昏倒するという自決未遂まで起こりました。
(3)1931年の満州事変発生後に、毎日新聞の発行部数が増加しましたが、朝日新聞は軍部に批判的であったため、奈良、神奈川、香川において朝日不買運動が起こり、これらの地域で発行部数が減少したことから、重役会で満州事変支持が決定し、報道方針を転換しました。結果、戦線が広がる中、朝日新聞は関東軍の行動を肯定的に報道し、発行部数は増加しました。また、ジャーナリストであった石橋湛山は「満豪を放棄すればわが国は滅ぶのか、人口増は領土を広げても解決しないし、鉄・石炭の原料供給基地の確保は平和貿易でも目的を達成できるのだから、力づくの必要はない」と満州事変を批判しました。