斉藤環の本ということで読んでみた。
あまり体系だった本ではないが、面白かったポイントは
・韓国の引きこもりとの比較
・エンタテイメントとしての若者の犯罪の消費の話(これは斉藤さんの昔の本でも指摘されていた)。
・構造的な引きこもり者の暴走
・さめた?新世代の話。世代論?
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「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論 (中公新書ラクレ 174) 新書 – 2005/4/10
斎藤 環
(著)
増大するニート、高齢化するひきこもり、ネットで先鋭化する少年犯罪。これらを通して見えるのは、コミュニケーションの巧みな人・苦手な人の格差化傾向が進み、はなから「負ける」と思いこむ人たちが増えているということだ——本書は、ひきこもり専門医として名高い精神科医が、メディアを騒がせた社会事象にメスを入れ、将来に向けた処方箋を描く。新書では『社会的ひきこもり』以来となる待望の著者2作目となった。巻末に「ニート」の研究者・玄田有史氏との対談を収載。
- 本の長さ253ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2005/4/10
- ISBN-104121501748
- ISBN-13978-4121501745
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2005/4/10)
- 発売日 : 2005/4/10
- 言語 : 日本語
- 新書 : 253ページ
- ISBN-10 : 4121501748
- ISBN-13 : 978-4121501745
- Amazon 売れ筋ランキング: - 440,951位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年9月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
□考えさせられたこと
・決してこうだ、こうしなさいとは結論づけない。むしろ、ひきこもりになった若者、そして親をやさしく著者は包み込む。
・本書で共通するのは密室! だから先ず、朝起きたら窓をあけようよ! おはよう! と声をかけてあげたい。
■著者のまとめー成果を焦らず、悠然と進めてほしい
「ひきこもりの治療にかかわった経験から言えば、訓練も、あるいは大自然や就労の経験すらも安定した効果を常に発揮するわけではない。ことは自己愛にからむ問題だ。その意味からも動機を発見できるような環境や条件を調整するに留め、直接動機にはタッチしないことが望ましい」
■ひきこもりの要因
コミュニケーションの不足からくる負けたと思ったときから始まる自虐的自己愛
■わたしたちへの警告ー人間関係の乏しいこども達にネットコミュニケーションの危険性を伝達すること
「ネットの誹謗中傷は、現実のそれより何百倍も破壊力がある」
「過剰ともいえる少年犯罪の報道は祭りであり、われわれは自らの欲望を自省しなければならない。加害者が匿名となる少年犯罪への提言として、被害者の存在が祭りとして消費されないためにも、匿名として配慮しなければならない」
■将来への危惧
「将来的には今以上に自己中心的なーつまり、子に対して献身的になれないー親が増加する結果、問題は除々に『ひきこもり』から『児童虐待』へとシフトするであろう」
「ニートの高齢化ー生涯納税せず、年金や健康保険料もしたことがないニートたちは、両親の死後、生活保護や医療費をどうするか」
□私が本書を推薦する理由
最近、ある新聞は「団塊世代、定年後85%が働かざるを得ないと考えている。理由の一つが、自分の子供の四分の一が非正規採用(派遣、フリター、ニート等)で生活に不安を感じている」からと報じた。つまり、私にとって他人事ではない。
・決してこうだ、こうしなさいとは結論づけない。むしろ、ひきこもりになった若者、そして親をやさしく著者は包み込む。
・本書で共通するのは密室! だから先ず、朝起きたら窓をあけようよ! おはよう! と声をかけてあげたい。
■著者のまとめー成果を焦らず、悠然と進めてほしい
「ひきこもりの治療にかかわった経験から言えば、訓練も、あるいは大自然や就労の経験すらも安定した効果を常に発揮するわけではない。ことは自己愛にからむ問題だ。その意味からも動機を発見できるような環境や条件を調整するに留め、直接動機にはタッチしないことが望ましい」
■ひきこもりの要因
コミュニケーションの不足からくる負けたと思ったときから始まる自虐的自己愛
■わたしたちへの警告ー人間関係の乏しいこども達にネットコミュニケーションの危険性を伝達すること
「ネットの誹謗中傷は、現実のそれより何百倍も破壊力がある」
「過剰ともいえる少年犯罪の報道は祭りであり、われわれは自らの欲望を自省しなければならない。加害者が匿名となる少年犯罪への提言として、被害者の存在が祭りとして消費されないためにも、匿名として配慮しなければならない」
■将来への危惧
「将来的には今以上に自己中心的なーつまり、子に対して献身的になれないー親が増加する結果、問題は除々に『ひきこもり』から『児童虐待』へとシフトするであろう」
「ニートの高齢化ー生涯納税せず、年金や健康保険料もしたことがないニートたちは、両親の死後、生活保護や医療費をどうするか」
□私が本書を推薦する理由
最近、ある新聞は「団塊世代、定年後85%が働かざるを得ないと考えている。理由の一つが、自分の子供の四分の一が非正規採用(派遣、フリター、ニート等)で生活に不安を感じている」からと報じた。つまり、私にとって他人事ではない。
2005年6月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
が結構多いです。
引篭もりの日韓比較とかは、まあそれなりに好かったけど…
引篭もりの日韓比較とかは、まあそれなりに好かったけど…
2009年10月30日に日本でレビュー済み
この方の本は、文章が読みやすいので売れると思う。精神科医という立場上、そんなに過激なことを言うわけでもないですし。目の付け所がすべてというかテーマの選定の仕方が鮮やかだということは評価すべき。
2007年10月5日に日本でレビュー済み
雑多な思いつきを並べて見せただけで中身は著しく貧弱。気の利いた風なスノビズムが鼻につき、「それがどーした」と言うほかなし。小説やエッセイぢゃないんだから、役に立たない本は出さないでいただきたいもの。
2006年1月3日に日本でレビュー済み
分析や解釈の限界をふまえた上で「対応」を図る臨床家らしい本だと思った。
なぜ負けたと思い込むのか?と原因探求するよりも、その負けっぷりを広く浅く現状確認をしている。
短い時評の寄せ集めなので、物足りないところもあるが、韓国との比較は特に興味深かった。
自信がないという自信への処方箋を、安易に提言しないところに、むしろ好感を持つ。
現状を知れば知るほど、対応の必要性は痛感するが、気の重い課題である。
なぜ負けたと思い込むのか?と原因探求するよりも、その負けっぷりを広く浅く現状確認をしている。
短い時評の寄せ集めなので、物足りないところもあるが、韓国との比較は特に興味深かった。
自信がないという自信への処方箋を、安易に提言しないところに、むしろ好感を持つ。
現状を知れば知るほど、対応の必要性は痛感するが、気の重い課題である。
2005年6月6日に日本でレビュー済み
全体として、低調。他のレビュアーの方も仰るとおり、タイトルは「羊頭狗肉」の気味あり。タイトルは本書のコンセプトというより、これらの時評を書いてきた著者が、現時点で到達した観点を表しているように思う。
私としては、著者が「社会的関心は乏しい」と言い訳しながら社会問題を論じるのを、あまり好意的に見られなかった。やる意味があると思うなら、ハッキリそれを言ったらどうか。
こういう言い訳がましさは、第Ⅵ部‐1「全共闘・新人類・団塊ジュニア」にも表れていて、世代論なんて学問的には成り立たないと言いつつ、「あえて印象論に徹しつつ、世代間格差の精神分析を試みよう」と宣言する。そのあたりはまさに、斎藤自身が新人類世代の特徴と論じる「本気にさえならなければ大丈夫」というシニシズムとコミットメントの絶対矛盾的自己同一性みたいなもんで、「この種のシニシズムこそ最も危険」というオウムの教訓(p205)をアンタはどう考えてるの? と問い詰めたいような…
シニシズムと言えば、第Ⅰ部‐2「『電波少年』打ち切りにみる一つの感性の終焉」はネタからベタ(野蛮)へという宮台真司的観測に沿っており、最近出た北田暁大の「嗤う日本の『ナショナリズム』」のネタから更なる洗練へという構図と対立するところが面白かった。もっとも、斎藤の文章は2003年2月号掲載だから、この種の議論として早かっただろう。
あと、ニート関連の文章ですが、ニートをフリーターに昇格させることなんて可能なの? また、昇格させて、何か変わるのかな、とツッコミたい部分もあった。柄でもない時評なんかするから、そういう凡庸な話を垂れ流すハメになるんじゃないでしょうか。
私としては、著者が「社会的関心は乏しい」と言い訳しながら社会問題を論じるのを、あまり好意的に見られなかった。やる意味があると思うなら、ハッキリそれを言ったらどうか。
こういう言い訳がましさは、第Ⅵ部‐1「全共闘・新人類・団塊ジュニア」にも表れていて、世代論なんて学問的には成り立たないと言いつつ、「あえて印象論に徹しつつ、世代間格差の精神分析を試みよう」と宣言する。そのあたりはまさに、斎藤自身が新人類世代の特徴と論じる「本気にさえならなければ大丈夫」というシニシズムとコミットメントの絶対矛盾的自己同一性みたいなもんで、「この種のシニシズムこそ最も危険」というオウムの教訓(p205)をアンタはどう考えてるの? と問い詰めたいような…
シニシズムと言えば、第Ⅰ部‐2「『電波少年』打ち切りにみる一つの感性の終焉」はネタからベタ(野蛮)へという宮台真司的観測に沿っており、最近出た北田暁大の「嗤う日本の『ナショナリズム』」のネタから更なる洗練へという構図と対立するところが面白かった。もっとも、斎藤の文章は2003年2月号掲載だから、この種の議論として早かっただろう。
あと、ニート関連の文章ですが、ニートをフリーターに昇格させることなんて可能なの? また、昇格させて、何か変わるのかな、とツッコミたい部分もあった。柄でもない時評なんかするから、そういう凡庸な話を垂れ流すハメになるんじゃないでしょうか。
2005年4月17日に日本でレビュー済み
おおっ!と思わせる書名だが、教義がズバリ書かれているわけではない。期待しすぎると肩すかしを食らう。本書は『中央公論』に連載された時評を中心とする26の短編から成っており、それぞれ別個に書かれたものを内容別に並べ替えたもの。それらを統合したときに生まれたのが『「負けた」教の信者たち』なのだと、冒頭で述べる。この序文は本書の内容を凝縮したものであり、一読したところでは理解しかねるのだが、ひととおり読み終えてから読み返すと得心がいくようなものとなっている。
ひきこもり研究の先駆者である著者は《情報格差》に着目する。若者の勝敗を決定づける軸の1つが「コミュニケーション・スキル」である、と斎藤は説く。コミュニケーションが苦手だと思いこまされてしまった時、「負けた」という自意識が生じて自分を「負け組」に分類する。その果てに「ニート」「社会的ひきこもり」といった問題状況が生じるのだ、と。
そして、次のような推測をする。現状を否定し「負けた」と思いこむことで守ろうとしているのは、プライドなのではないか。このナルシシズムの産物を著者は「自傷的自己愛」と名付ける。この推論に至るまでの思考過程を、《若者論》《メディア論》《公正論》という3つの文脈に沿って整理し直したうえで提示しているのが本文である。
時評というものの性質から、少々まとまりに欠けるきらいはある。大きなテーマをめぐって論じているわけでもないので、散漫な印象も受ける。それでも、さすがは精神科医・斎藤環だと思わせる切り口でありました。
ひきこもり研究の先駆者である著者は《情報格差》に着目する。若者の勝敗を決定づける軸の1つが「コミュニケーション・スキル」である、と斎藤は説く。コミュニケーションが苦手だと思いこまされてしまった時、「負けた」という自意識が生じて自分を「負け組」に分類する。その果てに「ニート」「社会的ひきこもり」といった問題状況が生じるのだ、と。
そして、次のような推測をする。現状を否定し「負けた」と思いこむことで守ろうとしているのは、プライドなのではないか。このナルシシズムの産物を著者は「自傷的自己愛」と名付ける。この推論に至るまでの思考過程を、《若者論》《メディア論》《公正論》という3つの文脈に沿って整理し直したうえで提示しているのが本文である。
時評というものの性質から、少々まとまりに欠けるきらいはある。大きなテーマをめぐって論じているわけでもないので、散漫な印象も受ける。それでも、さすがは精神科医・斎藤環だと思わせる切り口でありました。