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郊外はこれからどうなる? - 東京住宅地開発秘話 (中公新書ラクレ 404) 新書 – 2011/12/9
三浦 展
(著)
理想の下に開発された東京郊外。その知られざる歴史、光と影を検証する。郊外論のパイオニアが、マイホームの未来を考える。
- ISBN-104121504046
- ISBN-13978-4121504043
- 出版社中央公論新社
- 発売日2011/12/9
- 言語日本語
- 本の長さ238ページ
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2011/12/9)
- 発売日 : 2011/12/9
- 言語 : 日本語
- 新書 : 238ページ
- ISBN-10 : 4121504046
- ISBN-13 : 978-4121504043
- Amazon 売れ筋ランキング: - 659,897位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年9月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
郊外の 「ファスト風土化」 論が有名になった著者だが,この本はもっと まじめな (?!) 郊外論だ. 東京の山の手の発展の歴史など,東京に住んでいるものには興味がもてる. 日本だけでなくイギリスやアメリカの郊外にも言及している. しかし,山の手論にかなりのページをさいているのをのぞけば,中途半端な印象をうける. もうすこし,ふかぼりすれば,おもしろい内容もあるようにおもえるのだが…
2014年9月16日に日本でレビュー済み
著名マーケター三浦展氏による東京の山の手文化論。
本書によれば、上品な住宅街としての山の手というのは時代によって四段階に拡大してきたらしい。
明治以降に開発され、上野の山を中心とした第一山の手、皇居西部と南部に広がった第二山の手、山手線の
外側にまで広がった第三山の手、ここで第二次大戦を挟み、多摩川を超えて、東京西南部の東急線の沿線の
郊外まで広がった第四山の手へと。そこにはそれぞれ当時の時代を担う企業家や政財界関係者が暮らしてきた。
皇太子妃の出身地が第二(御殿山)〜第三(洗足)の山の手に変遷しているという発見も慧眼だ。
次は第四山の手出身者になるのだろうか。
南武線や大井町線など多摩川沿いの一帯を第三と第四の山の手に挟まれた新下町と定義しているのも、
あのあたりの猥雑な雰囲気をよくとらえているな、と感覚的に頷けて面白い。
また山の手の拡大については、関東平野が山地に突き当たる地理的な制約と日本の人口減から、これ以上の
山の手の拡大はない、と予想している。
これらの分析の背景にあるのは、電鉄会社系の調査会社に所属し、バブル時代に所沢を無理やり山の手であると
でっち上げて売り出そうとした著者の経験だ。本書でも紹介されるバブル時代の、片田舎の不動産を美辞麗句を
並べ立てて、無理やり都会的に仕立てて売りつけようとした不動産屋のキャッチコピー事例は見ていて面はゆい。
虚業としての不動産を知り尽くした著者だけに、本書の山の手論は定量的なバックデータはなく、著者の感覚的な
分類であっても、その論旨にはなかなかな説得力を感じる。東京の地理に興味を持つ人間なら共感できるところが
大きいのではないか。
しかしバブル感覚を引きずっているからこそ、後半になるほど本書の粗も目立つ。山の手と郊外(サバービア)を
一緒くたにした論理展開は、東急線沿線以外の郊外(たとえば町田・相模原・厚木など)の位置づけを不明瞭にする。
東京城南部にのみ偏った視点は、たとえば近年みられる中央区・港区等への都心回帰の動きに目を塞いでいる。
東京東部より先を下町とひとくくりにして歯牙にもかけない傲慢さは、たとえば市川や我孫子など歴史ある高級住宅地の
存在を無視している。それなのに、海外の田園都市の例などを唐突に紹介し、山の手のみならず郊外文化全般を
語ろうとしているのだから、後半はかなり支離滅裂な印象を残す。
結局本書は著者の感覚に沿って定義されたところの山の手論でしかなく、これ一冊で郊外を語るには足りないな、
というのが本書を読み終えた感想だった。そもそも本書は”山の手”という言葉の定義もしないまま、いきなり山の手の
拡大を書き出しているのだから、意図的なミスリードのようにも感じられる。マーケターには情報を割り切りってわかりやすく
整理・コピー化するのは重要なスキルなのはよくわかるが、読む人は山の手と郊外を混同させられたまま、自分があたかも
山の手の住人であるかのように勘違いしてしまわぬよう、気を付けられたし。
本書によれば、上品な住宅街としての山の手というのは時代によって四段階に拡大してきたらしい。
明治以降に開発され、上野の山を中心とした第一山の手、皇居西部と南部に広がった第二山の手、山手線の
外側にまで広がった第三山の手、ここで第二次大戦を挟み、多摩川を超えて、東京西南部の東急線の沿線の
郊外まで広がった第四山の手へと。そこにはそれぞれ当時の時代を担う企業家や政財界関係者が暮らしてきた。
皇太子妃の出身地が第二(御殿山)〜第三(洗足)の山の手に変遷しているという発見も慧眼だ。
次は第四山の手出身者になるのだろうか。
南武線や大井町線など多摩川沿いの一帯を第三と第四の山の手に挟まれた新下町と定義しているのも、
あのあたりの猥雑な雰囲気をよくとらえているな、と感覚的に頷けて面白い。
また山の手の拡大については、関東平野が山地に突き当たる地理的な制約と日本の人口減から、これ以上の
山の手の拡大はない、と予想している。
これらの分析の背景にあるのは、電鉄会社系の調査会社に所属し、バブル時代に所沢を無理やり山の手であると
でっち上げて売り出そうとした著者の経験だ。本書でも紹介されるバブル時代の、片田舎の不動産を美辞麗句を
並べ立てて、無理やり都会的に仕立てて売りつけようとした不動産屋のキャッチコピー事例は見ていて面はゆい。
虚業としての不動産を知り尽くした著者だけに、本書の山の手論は定量的なバックデータはなく、著者の感覚的な
分類であっても、その論旨にはなかなかな説得力を感じる。東京の地理に興味を持つ人間なら共感できるところが
大きいのではないか。
しかしバブル感覚を引きずっているからこそ、後半になるほど本書の粗も目立つ。山の手と郊外(サバービア)を
一緒くたにした論理展開は、東急線沿線以外の郊外(たとえば町田・相模原・厚木など)の位置づけを不明瞭にする。
東京城南部にのみ偏った視点は、たとえば近年みられる中央区・港区等への都心回帰の動きに目を塞いでいる。
東京東部より先を下町とひとくくりにして歯牙にもかけない傲慢さは、たとえば市川や我孫子など歴史ある高級住宅地の
存在を無視している。それなのに、海外の田園都市の例などを唐突に紹介し、山の手のみならず郊外文化全般を
語ろうとしているのだから、後半はかなり支離滅裂な印象を残す。
結局本書は著者の感覚に沿って定義されたところの山の手論でしかなく、これ一冊で郊外を語るには足りないな、
というのが本書を読み終えた感想だった。そもそも本書は”山の手”という言葉の定義もしないまま、いきなり山の手の
拡大を書き出しているのだから、意図的なミスリードのようにも感じられる。マーケターには情報を割り切りってわかりやすく
整理・コピー化するのは重要なスキルなのはよくわかるが、読む人は山の手と郊外を混同させられたまま、自分があたかも
山の手の住人であるかのように勘違いしてしまわぬよう、気を付けられたし。
2012年2月18日に日本でレビュー済み
ぶっちゃけたことを言うと『下流社会』を読んで、「これはひどいな…」という感想を持ち、毛嫌いしていました。
今回卒論で、郊外都市に関する研究をするにあたり、読ませてもらいましたが……
「へぇ」と思うところもありつつ、、アクロスの武勇伝もありつつ、まぁまともな本だなぁと感じました。
ただし、懐疑的に捉えないければいけない点も多くあります。
そもそも三浦氏の述べる郊外の定義が微妙な気がしてなりません。
確かに、「第四の山の手」の話をするため、現在中心市街地となっている場所ももともと郊外だったという話をするため、一貫した郊外の定義は難しいと思うが、年代などによってしっかり定義を分けた方が良いと感じました。
一方、一つの見方として、同じ郊外論若林幹夫氏はその点をしっかり押さえていると思う。
あと、開口一番に「北田と東の『東京から考える』は基本的なことを知らない」と批判しているのに、具体的にどこがダメなのか、彼らの対談に対して、自分の論がいかに優れているのか。そう言った点が良く分からなかった。
そして、もっとも懐疑的に感じるのは『街育』の話である。
この部分では「郊外化」「ファスト風土化」により犯罪が増えたので・・・という、なんの根拠もない話から始まり、結論として「街のみんなで子供育てよーね」的な、筆者の感想としか思えないモデルかつ、良く言われる話がされ、これでいいの?といった疑問と突っ込みを入れたくなりました。
本書を評価出来る点として三点ほど、
第一に、後半に都市論(特に東京論)に関する文献がいくつかピックアップされていた点(ただ、これだけ読んでて、この成果?って突っ込みをしたい気持ちもありますが)。
第二に、「第四山の手論」がまとめられている。都市論系の本を開くと『「東京」の侵略』が引用されていることが多いが、読んだことがなかったので、まとめてくれているのは有りがたかったです。
第三に、「地名索引」がしっかりついていることです。
この三点は非常に参考になると思います。
今回卒論で、郊外都市に関する研究をするにあたり、読ませてもらいましたが……
「へぇ」と思うところもありつつ、、アクロスの武勇伝もありつつ、まぁまともな本だなぁと感じました。
ただし、懐疑的に捉えないければいけない点も多くあります。
そもそも三浦氏の述べる郊外の定義が微妙な気がしてなりません。
確かに、「第四の山の手」の話をするため、現在中心市街地となっている場所ももともと郊外だったという話をするため、一貫した郊外の定義は難しいと思うが、年代などによってしっかり定義を分けた方が良いと感じました。
一方、一つの見方として、同じ郊外論若林幹夫氏はその点をしっかり押さえていると思う。
あと、開口一番に「北田と東の『東京から考える』は基本的なことを知らない」と批判しているのに、具体的にどこがダメなのか、彼らの対談に対して、自分の論がいかに優れているのか。そう言った点が良く分からなかった。
そして、もっとも懐疑的に感じるのは『街育』の話である。
この部分では「郊外化」「ファスト風土化」により犯罪が増えたので・・・という、なんの根拠もない話から始まり、結論として「街のみんなで子供育てよーね」的な、筆者の感想としか思えないモデルかつ、良く言われる話がされ、これでいいの?といった疑問と突っ込みを入れたくなりました。
本書を評価出来る点として三点ほど、
第一に、後半に都市論(特に東京論)に関する文献がいくつかピックアップされていた点(ただ、これだけ読んでて、この成果?って突っ込みをしたい気持ちもありますが)。
第二に、「第四山の手論」がまとめられている。都市論系の本を開くと『「東京」の侵略』が引用されていることが多いが、読んだことがなかったので、まとめてくれているのは有りがたかったです。
第三に、「地名索引」がしっかりついていることです。
この三点は非常に参考になると思います。
2012年2月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
椿峰の緑の環境をお褒めいただき、郊外のモデル地区として
椿峰でのまちづくりには、いやでもがんばらなくては、と思いました。
なお「所沢は第4山の手」だから引っ越したわけではなく
なぜか所沢・椿峰しかないと思ったので、思い切って引越ししたのです。
高齢者にとって坂道が多い環境ですが、長年住んで足腰が鍛えられた
はずです。これは子どもにとっても大事なことです。
また郊外に家を求めたのは地方出身で都内よりも椿峰の環境が
気に入ったからです。
まだ周辺には手つかずの森が残っています。
高層ビルや海岸や河川近くの土地にお住いの方は
所沢にセカンドハウスをいかがでしょうか?
物価が安く、都心に出るのにはかなり便利になりました。
西武ゆうえんち近辺のワッハの森もはりきっています。
というわけで、東京郊外である所沢は、これから発展していきます。
椿峰でのまちづくりには、いやでもがんばらなくては、と思いました。
なお「所沢は第4山の手」だから引っ越したわけではなく
なぜか所沢・椿峰しかないと思ったので、思い切って引越ししたのです。
高齢者にとって坂道が多い環境ですが、長年住んで足腰が鍛えられた
はずです。これは子どもにとっても大事なことです。
また郊外に家を求めたのは地方出身で都内よりも椿峰の環境が
気に入ったからです。
まだ周辺には手つかずの森が残っています。
高層ビルや海岸や河川近くの土地にお住いの方は
所沢にセカンドハウスをいかがでしょうか?
物価が安く、都心に出るのにはかなり便利になりました。
西武ゆうえんち近辺のワッハの森もはりきっています。
というわけで、東京郊外である所沢は、これから発展していきます。
2012年2月11日に日本でレビュー済み
「著者インタビュー」『ゲンダイネット』2012. 2. 8掲載
<[...]> より
<「古くて味のある田園都市に―、それが再生への道です」>
高度成長期には豊かさの象徴であり、団塊世代にとって憧れの地であった郊外。人々はなぜ、それほどまでに郊外に憧れを抱いたのだろうか。
「もともと郊外はお金持ちが住んだ場所だったんです。明治末期の頃、東京では工業化が進み環境が悪化したため、緑豊かな住環境を求めて金持ちが郊外に別邸を持ったり、移住していきました。それも荻窪、吉祥寺、成城など都心から西の方、つまり“山”の方へ広がっていった。昔から富裕層は光も風も通る高台側に住むものですからね。だから、その後開発されていった郊外の住宅地は“山の手風”の衣をまとった造りが多いんです。あえて山の手様式を条件化すれば、広い庭のある家、駅を中心に計画された街路があって街路樹があること。でも、たまプラーザや国立、田園調布などを除き、結果ほとんどは家の形をまねただけになりました」
著者は文献を基に郊外の発展を4期に大別、成り立ちの詳細や地域と学歴の関係、さらに東側郊外など、興味深いデータをどんどん紹介していく。それに照らし合わせてみると、明治時代の1期から昭和初期の3期までと一線を画すのが、子育て時期の団塊世代が八王子や所沢、立川などに居を求めた第4期(昭和55年〜)だ。
「団塊世代の場合、都心に住む所がなく郊外に行ったケースに加え、アメリカの〈芝生のあるコロニアル風住宅〉などの影響がありました。ところが実際に家を買おうとすると、いかんせん求める人数が多いから大きな庭付きの家は得られなかった。自然が豊かだといっても、自分の家の庭はクルマ2台分のガレージでつぶされ、木を植えるほどのスペースもないのが実情です」
<「芝生のあるコロニアル風住宅」は幻想だった>
そして、今やニュータウンはオールドタウン化した。郊外の未来は暗いのか……。
「いえ、むしろ逆で、実は今が本来の郊外住宅地=田園都市を取り戻すチャンスなんです。空き地があれば借りて畑にしてもいいし、隣なら庭にすればいいんです。空き家・空き室は住人の組合をつくって借り、高齢者向け施設など住民全体の利益に供するものとして使う。そうすれば地域に無関係な第三者に乱開発されず、景観も維持できます。これまで日本は未来的な輝く都市を求めてきましたが、社会が成熟し高齢化しつつある今後は、古くて味のある都市に魅力を感じるようになるはず。ぜひ団塊世代には頑張っていただきたいですね」
気鋭の消費社会研究家による郊外論。
(中央公論新社 840円)
◇みうら・あつし 1958年、新潟県生まれ。一橋大学社会学部卒。マーケティング雑誌編集長などを経て、現在は、消費社会を研究するシンクタンク「カルチャースタディーズ研究所」主宰。著書に「『家族』と『幸福』の戦後史」「下流社会」など多数。
<[...]> より
<「古くて味のある田園都市に―、それが再生への道です」>
高度成長期には豊かさの象徴であり、団塊世代にとって憧れの地であった郊外。人々はなぜ、それほどまでに郊外に憧れを抱いたのだろうか。
「もともと郊外はお金持ちが住んだ場所だったんです。明治末期の頃、東京では工業化が進み環境が悪化したため、緑豊かな住環境を求めて金持ちが郊外に別邸を持ったり、移住していきました。それも荻窪、吉祥寺、成城など都心から西の方、つまり“山”の方へ広がっていった。昔から富裕層は光も風も通る高台側に住むものですからね。だから、その後開発されていった郊外の住宅地は“山の手風”の衣をまとった造りが多いんです。あえて山の手様式を条件化すれば、広い庭のある家、駅を中心に計画された街路があって街路樹があること。でも、たまプラーザや国立、田園調布などを除き、結果ほとんどは家の形をまねただけになりました」
著者は文献を基に郊外の発展を4期に大別、成り立ちの詳細や地域と学歴の関係、さらに東側郊外など、興味深いデータをどんどん紹介していく。それに照らし合わせてみると、明治時代の1期から昭和初期の3期までと一線を画すのが、子育て時期の団塊世代が八王子や所沢、立川などに居を求めた第4期(昭和55年〜)だ。
「団塊世代の場合、都心に住む所がなく郊外に行ったケースに加え、アメリカの〈芝生のあるコロニアル風住宅〉などの影響がありました。ところが実際に家を買おうとすると、いかんせん求める人数が多いから大きな庭付きの家は得られなかった。自然が豊かだといっても、自分の家の庭はクルマ2台分のガレージでつぶされ、木を植えるほどのスペースもないのが実情です」
<「芝生のあるコロニアル風住宅」は幻想だった>
そして、今やニュータウンはオールドタウン化した。郊外の未来は暗いのか……。
「いえ、むしろ逆で、実は今が本来の郊外住宅地=田園都市を取り戻すチャンスなんです。空き地があれば借りて畑にしてもいいし、隣なら庭にすればいいんです。空き家・空き室は住人の組合をつくって借り、高齢者向け施設など住民全体の利益に供するものとして使う。そうすれば地域に無関係な第三者に乱開発されず、景観も維持できます。これまで日本は未来的な輝く都市を求めてきましたが、社会が成熟し高齢化しつつある今後は、古くて味のある都市に魅力を感じるようになるはず。ぜひ団塊世代には頑張っていただきたいですね」
気鋭の消費社会研究家による郊外論。
(中央公論新社 840円)
◇みうら・あつし 1958年、新潟県生まれ。一橋大学社会学部卒。マーケティング雑誌編集長などを経て、現在は、消費社会を研究するシンクタンク「カルチャースタディーズ研究所」主宰。著書に「『家族』と『幸福』の戦後史」「下流社会」など多数。
2012年8月15日に日本でレビュー済み
東京の山の手が時代と共に、移り変わり、現在は第4の山の手が形成されていることを紹介している。
山の手の形成により、消費がどう変っているか分析している点が興味ある。
第5の山の手については、人口減少、現在の第4の山の手の先は丹沢や秩父山地であり、第5の山の手は登場しないと結論付けている
内容的には、東京住宅地開発秘話 がメインの内容であった
住宅開発については、よく判る内容であった
タイトルに釣られてしまった私はちょっとがっくり
山の手の形成により、消費がどう変っているか分析している点が興味ある。
第5の山の手については、人口減少、現在の第4の山の手の先は丹沢や秩父山地であり、第5の山の手は登場しないと結論付けている
内容的には、東京住宅地開発秘話 がメインの内容であった
住宅開発については、よく判る内容であった
タイトルに釣られてしまった私はちょっとがっくり
2012年2月26日に日本でレビュー済み
最終章で「これから」について書かれているのだが、それまでに書かれている歴史が長い。歴史自体はとても興味深く面白かったのだが、「これから」を論じてほしい人には向かないだろう。
なので、評価星4つは郊外の歴史につけた。
郊外の歴史については
・東京の高度経済成長期にどのようにして郊外が発展してきたのか。
・欧米と日本の郊外の違いとその関係性
について述べられている。
自分は高度経済成長期には生きていないが、歴史背景に触れながら郊外の発展が述べられていて高度成長期を少しだけ感じることができた。「第4山の手」当時の雰囲気を醸し出す言葉だとは思うが、自分は初めて聞く言葉でむしろ新鮮だった。
欧米との比較についてはアメリカの30年遅れで日本に同じ傾向が出てくることはやはり高度成長期を思い起こさせるし、最新の郊外研究では日本の郊外の良い仕組みが随所で取り入れていることが紹介されているのは誇らしい気持ちになった。
最後の「これから」についてはあまり論じられていないけれど、自分も著者の描いているビジョンのような郊外になってほしい。
なので、評価星4つは郊外の歴史につけた。
郊外の歴史については
・東京の高度経済成長期にどのようにして郊外が発展してきたのか。
・欧米と日本の郊外の違いとその関係性
について述べられている。
自分は高度経済成長期には生きていないが、歴史背景に触れながら郊外の発展が述べられていて高度成長期を少しだけ感じることができた。「第4山の手」当時の雰囲気を醸し出す言葉だとは思うが、自分は初めて聞く言葉でむしろ新鮮だった。
欧米との比較についてはアメリカの30年遅れで日本に同じ傾向が出てくることはやはり高度成長期を思い起こさせるし、最新の郊外研究では日本の郊外の良い仕組みが随所で取り入れていることが紹介されているのは誇らしい気持ちになった。
最後の「これから」についてはあまり論じられていないけれど、自分も著者の描いているビジョンのような郊外になってほしい。