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存在と時間 1 (中公クラシックス W 28) 新書 – 2003/4/1
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- 本の長さ336ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2003/4/1
- ISBN-104121600517
- ISBN-13978-4121600516
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2003/4/1)
- 発売日 : 2003/4/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 336ページ
- ISBN-10 : 4121600517
- ISBN-13 : 978-4121600516
- Amazon 売れ筋ランキング: - 230,865位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 55位中公クラシックス
- - 215位ドイツ・オーストリアの思想
- - 415位西洋哲学入門
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年8月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現象学とは、現象を創造している主体の意向を掴むことだ、という、現象学の本旨が書かれている
2011年2月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
原佑=渡邊二郎訳をやっと三巻通して読むことができました。なかなか文章が難しく、文そのものの意味が分からないところが多かったので、途中から、ドイツ語原書と英訳版(T.Carman他)を併読しながら、読みましたが、いつしかドイツ語版を中心に読み進めていることに気づきました。なぜかというと、本訳書は非常に原書に忠実かつ精確に訳されております(一つの単語には、一つの日本語しか対応しないように訳されいるように感じます)が、直訳に近い訳し方となっており、われわれが日常使う日本語とはほど遠い「言い回し」となっているため、原書で読んだ方がかえって意味が取りやすく感じたからです。特に文章と文章のつながりが理解しにくくなっております。第3巻以降はその傾向が一層強いと感じました。それと、使用されている術語(日本訳)に、原語が付されていないのは不親切ではないかと感じました。ハイデガーについては翻訳者ごとに若干異なる術語表現が使用されていますので、初心者には、同一性を確認するために原語併記をしていただけると有り難いのです。
2020年6月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
難しい本なので朝ホワイトキンドルで読んでます。紙の本で読むより快適です。購入して良かったと思います。
2009年6月10日に日本でレビュー済み
好き嫌いは分かれるものの、『存在と時間』が二十世紀最大の哲学書であることは、だれしも認めざるをえない歴史的事実ではないだろうか。
存在 Sein とは何か。この巨大な問いに対してハイデッガーは「問われているもの Gefragtes 」「問いかけられているもの Befragtes 」「問いたしかめられるもの Erfragtes 」の三者を分ける。この三者がそれぞれ「存在 Sein 」「現存在 Da-sein 」「時間 Zeit 」として定立されることになる。
Sein (存在)を定義するためには再び Sein (…である)を使わなければならない。トートロジーは避けられないように思われる。だがハイデッガーは言う。Sein という言葉を使っている以上は、われわれは何らかの形で Sein を了解しているはずだ、と。だとすれば Sein を了解している存在者、すなわち現存在 Da-sein からわれわれはまず分析しなければならない。
現存在にとってあらゆる対象は道具的存在者としてあらわれる。われわれは目の前のハンマーを、単なる取っ手のついた金属の塊として認識するのではない。ハンマーはハンマーとして、すなわち釘を打つための道具としてあらわれる。同様に釘は釘として、すなわち木材を接合するための道具としてあらわれる。
このような道具的連関の中にわれわれが配置されているのは、われわれが世界内存在 In-der-Welt-Sein であるからにほかならない。現存在はまず存在し、しかる後に自分の周りに世界を見出すのではない。現存在の存在様式は、世界という環境によって規定されている。
叙述は緻密であると同時に難解である。ドイツ人をして「『存在と時間』はドイツ語にさえ翻訳されていない」と言わしめる本書を、日本語訳で読むにはそれなりの覚悟が要る。この翻訳が一番わかりやすいとは思うが、入門書等による事前準備が必須の書である。
存在 Sein とは何か。この巨大な問いに対してハイデッガーは「問われているもの Gefragtes 」「問いかけられているもの Befragtes 」「問いたしかめられるもの Erfragtes 」の三者を分ける。この三者がそれぞれ「存在 Sein 」「現存在 Da-sein 」「時間 Zeit 」として定立されることになる。
Sein (存在)を定義するためには再び Sein (…である)を使わなければならない。トートロジーは避けられないように思われる。だがハイデッガーは言う。Sein という言葉を使っている以上は、われわれは何らかの形で Sein を了解しているはずだ、と。だとすれば Sein を了解している存在者、すなわち現存在 Da-sein からわれわれはまず分析しなければならない。
現存在にとってあらゆる対象は道具的存在者としてあらわれる。われわれは目の前のハンマーを、単なる取っ手のついた金属の塊として認識するのではない。ハンマーはハンマーとして、すなわち釘を打つための道具としてあらわれる。同様に釘は釘として、すなわち木材を接合するための道具としてあらわれる。
このような道具的連関の中にわれわれが配置されているのは、われわれが世界内存在 In-der-Welt-Sein であるからにほかならない。現存在はまず存在し、しかる後に自分の周りに世界を見出すのではない。現存在の存在様式は、世界という環境によって規定されている。
叙述は緻密であると同時に難解である。ドイツ人をして「『存在と時間』はドイツ語にさえ翻訳されていない」と言わしめる本書を、日本語訳で読むにはそれなりの覚悟が要る。この翻訳が一番わかりやすいとは思うが、入門書等による事前準備が必須の書である。
2010年5月4日に日本でレビュー済み
ハイデガーを読むとは何か。
それは『存在と時間』を完全に解ることか。 それは違う。この書が発表されて以来、完全に解ったものはいないであろう。この何十年の間、多くの学者が互いに互いの理解を批判してきたのである。
そもそも、ハイデガーを完全に理解したところで、つまり、存在の意味を理解したところで、何になろうか。解ったときからいつもと同じ日常が続くのではないか。
ハイデガーを読むとは、彼の作法を、つまり、思索の作法を読むことではないだろうか。彼がいかに主題を設定し、問題とその場、問いかける対象を見いだし、邪魔者を取り除き、論を進めていくのか。
ハイデガーを読むとは、思索(またはその作法)を経験すること、それはつまり、映画を見て感動を経験することと同じだと私は思う。
読みは思索の経験であり、ハイデガーを読むことは、思索をせざるを得ない私たちにとって、或る意味、日常そのものではないだろうか。
それは『存在と時間』を完全に解ることか。 それは違う。この書が発表されて以来、完全に解ったものはいないであろう。この何十年の間、多くの学者が互いに互いの理解を批判してきたのである。
そもそも、ハイデガーを完全に理解したところで、つまり、存在の意味を理解したところで、何になろうか。解ったときからいつもと同じ日常が続くのではないか。
ハイデガーを読むとは、彼の作法を、つまり、思索の作法を読むことではないだろうか。彼がいかに主題を設定し、問題とその場、問いかける対象を見いだし、邪魔者を取り除き、論を進めていくのか。
ハイデガーを読むとは、思索(またはその作法)を経験すること、それはつまり、映画を見て感動を経験することと同じだと私は思う。
読みは思索の経験であり、ハイデガーを読むことは、思索をせざるを得ない私たちにとって、或る意味、日常そのものではないだろうか。
2004年10月14日に日本でレビュー済み
本書のタイトルは「存在と時間」となっているが、「存在」も「時間」も、どちらも非常に身近すぎて、私たちはそれらについて、十分に知っていると思っている。しかし本書を読んでみると、私たちの一番基礎の部分にある「存在」や「時間」について、何も知らないのだということを思い知らされる。そしてそれらは実は知りえないことなのかもしれないという絶望感に襲われる。
本書を読めば「存在とは何か」「時間とは何か」が分かる、などと考えてはいけない。分かるのは、存在や時間を問うということがいかに困難なことであるか、ということだけである。しかしそのことが分かるということは、ある意味、存在や時間に対する見方が大きく深まるということでもあり、実はそれが哲学をするということなのだと思う。
本書を読めば「存在とは何か」「時間とは何か」が分かる、などと考えてはいけない。分かるのは、存在や時間を問うということがいかに困難なことであるか、ということだけである。しかしそのことが分かるということは、ある意味、存在や時間に対する見方が大きく深まるということでもあり、実はそれが哲学をするということなのだと思う。
2011年7月10日に日本でレビュー済み
この本で、原典として正確にページを記されているのが、
これ↓です。価格の安さに驚きました。
SEIN UND ZEIT
訳を読んでいて理解不能になった時、すぐに原書を参照すると
さあっと意味が通じて、たいへん助かります。
これ↓です。価格の安さに驚きました。
SEIN UND ZEIT
訳を読んでいて理解不能になった時、すぐに原書を参照すると
さあっと意味が通じて、たいへん助かります。
2008年1月4日に日本でレビュー済み
気楽に読めるような内容ではないが、 桑木務訳よりは気持ちよく、言葉を拾い上げて読むことができる。文字が大きく読みやすい。
新書版の分冊なので、電車の中でも手軽に読める。
渡邊二郎氏の解説文がはじめに掲載されているので、ここを読むだけでも良いと思える。
本書第一巻は多くはこの研究の方法論。他の学問からの分離や独自性。とくに存在論は現象学としてのみ可能であるとして、人間学や心理学、生物学にも一線を画すことの必要性や、人間とか生命という表現を避ける必要性、我々自身が存在者であることの特異性が示される。
何らかの関連によってたつ世界観の「いく層もの関係の網の目」に我々自身がよって立つ存在者だとして、その関係性の薄皮を一枚一枚剥ぎ取っては核心の「存在」へと向かおうとする歩みは遅遅たるものに見える。(誤解を招くものとして、あえて言えば、たまねぎの皮をむいていくうちに、たまねぎの核心はどこにあるのか?とやっている印象もある。)
しかし、実際読み始めるとなんとも、エキサイティングで攻撃的な、それでいて知的で、ときには焦っていると感じられるほどの表現が、一般的クールさを装う重厚な思索の歩みに隠されていると思える。若きハイデッカーの魅力的な精神性を表した傑作でもある。
新書版の分冊なので、電車の中でも手軽に読める。
渡邊二郎氏の解説文がはじめに掲載されているので、ここを読むだけでも良いと思える。
本書第一巻は多くはこの研究の方法論。他の学問からの分離や独自性。とくに存在論は現象学としてのみ可能であるとして、人間学や心理学、生物学にも一線を画すことの必要性や、人間とか生命という表現を避ける必要性、我々自身が存在者であることの特異性が示される。
何らかの関連によってたつ世界観の「いく層もの関係の網の目」に我々自身がよって立つ存在者だとして、その関係性の薄皮を一枚一枚剥ぎ取っては核心の「存在」へと向かおうとする歩みは遅遅たるものに見える。(誤解を招くものとして、あえて言えば、たまねぎの皮をむいていくうちに、たまねぎの核心はどこにあるのか?とやっている印象もある。)
しかし、実際読み始めるとなんとも、エキサイティングで攻撃的な、それでいて知的で、ときには焦っていると感じられるほどの表現が、一般的クールさを装う重厚な思索の歩みに隠されていると思える。若きハイデッカーの魅力的な精神性を表した傑作でもある。