政治学における古典中の古典。
自然法理論と社会契約による政府の形成、それに政府が公共の福祉を
逸脱した場合の市民の抵抗権を根拠付けた書として紹介されることが
多いが、それだけでなく所有権の本質、父の子供に対する権利(父権)
の根拠とその限界、征服者の被征服者に対する権利とその限界、とい
ったテーマについても、幅広く論じられている。
この中公の翻訳はなかなか読みやすいと思う。
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統治論 (中公クラシックス W 49) 新書 – 2007/9/10
- ISBN-104121600983
- ISBN-13978-4121600981
- 出版社中央公論新社
- 発売日2007/9/10
- 言語日本語
- 本の長さ288ページ
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2007/9/10)
- 発売日 : 2007/9/10
- 言語 : 日本語
- 新書 : 288ページ
- ISBN-10 : 4121600983
- ISBN-13 : 978-4121600981
- Amazon 売れ筋ランキング: - 732,766位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年3月16日に日本でレビュー済み
2007年の本。原典は1679年、ロック47歳の著作である。もともとは匿名出版されており、ロックが遺言書の追加条項にて統治論に言及しているため、ロック作だと言われているが、現代に伝わる「統治論」がロック自身の考えを正確に表現したものとは言えないという側面ももつ(統治論には誤植が多く、ロックにとっては不本意な出版だったらしい)。統治論は、政治権力・統治権の根拠はなにか、についての論考である。統治論はもともと二編からなり、第一編は王権神授説への批判であり、第二編が統治権とはなにかという論考であり、本書はこの第二編に対応する。
曰く・・・
ロックは統治権発生以前の人類を自然状態とよぶが、この自然状態においても自然法が生きているという。そして、自然法により、各人は、生命や財産、自由、健康への所有権を有する。人や集団間で相手の生命や自由への所有権を暴力的に奪おうとする状態が戦争状態であり、これを適切に処理するために、各人は自由を一定程度放棄することで共同社会を形成する。こうして、私的な裁判権は放棄される。共同体社会がすべての当事者にとっての公平で同一である一定の常置の規則によって裁き手となる。こうした社会形成を促すのはあくまでも自然法にしたがう、という動機である。ゆえに、各人の処罰権が国王に委譲されたとしても、それはひとえに自然法に適った状態を実現させるためである。
万が一、統治を託された為政者が人々の生命や自由や財物などへの所有権を不当に奪おうとすれば、それはそもそも社会形成の動機に反する(自然法に反する)ので為政者に抵抗してもよい。
政治権力とは、所有権を調整・保全するために死刑等の法律を作り、法律を執行し、外敵から国家を防衛するにあたって共同社会の力を使用する権利のことであり、しかもおしなべてこのようなことを公共の福祉のためにのみ行う権利である。
人は、自分に対して戦争をしかけてくるもの、自分の存在への敵意をあらわにするものに対しては、オオカミやライオンを殺してよいのと全く同じ理由でこれを殺してもよい。基本的な自然法によって人間はできるだけ保全されるべきである。このような敵となる人間は万人に共通の理性の法の絆に服さず、力と暴力以外の何の規則ももっていないから。
すべてのものに価値の差をもうけるものは、労働である。
支配権力は、思いつきの命令ではなく、公に宣言され、世に受け容れられた法によって支配すべきである。思いつきのようなその瞬間まで誰にも知らされない意志などから出てくる、途方も無い無制限の命令に服従させられるとしたら、人々は自然の状態にあったときよりもはるかに悪い状態に陥ることになる。
統治のもつ全権力は、ただ、社会の福祉のためにだけあるものだから、気ままであってはならない。権力は公布された法を通じて行使されるべきである。そのようであってこそ、国民は自分たちの義務を知り、法の限界を守って、安全かつ無事にいられる。
すべての人は、生まれながらに二重の権利を持っている。第一は自分の身体に対する自由の権利であり、第二は他人に先んじてその兄弟とともに父の財産を相続する権利である。
などなど。
曰く・・・
ロックは統治権発生以前の人類を自然状態とよぶが、この自然状態においても自然法が生きているという。そして、自然法により、各人は、生命や財産、自由、健康への所有権を有する。人や集団間で相手の生命や自由への所有権を暴力的に奪おうとする状態が戦争状態であり、これを適切に処理するために、各人は自由を一定程度放棄することで共同社会を形成する。こうして、私的な裁判権は放棄される。共同体社会がすべての当事者にとっての公平で同一である一定の常置の規則によって裁き手となる。こうした社会形成を促すのはあくまでも自然法にしたがう、という動機である。ゆえに、各人の処罰権が国王に委譲されたとしても、それはひとえに自然法に適った状態を実現させるためである。
万が一、統治を託された為政者が人々の生命や自由や財物などへの所有権を不当に奪おうとすれば、それはそもそも社会形成の動機に反する(自然法に反する)ので為政者に抵抗してもよい。
政治権力とは、所有権を調整・保全するために死刑等の法律を作り、法律を執行し、外敵から国家を防衛するにあたって共同社会の力を使用する権利のことであり、しかもおしなべてこのようなことを公共の福祉のためにのみ行う権利である。
人は、自分に対して戦争をしかけてくるもの、自分の存在への敵意をあらわにするものに対しては、オオカミやライオンを殺してよいのと全く同じ理由でこれを殺してもよい。基本的な自然法によって人間はできるだけ保全されるべきである。このような敵となる人間は万人に共通の理性の法の絆に服さず、力と暴力以外の何の規則ももっていないから。
すべてのものに価値の差をもうけるものは、労働である。
支配権力は、思いつきの命令ではなく、公に宣言され、世に受け容れられた法によって支配すべきである。思いつきのようなその瞬間まで誰にも知らされない意志などから出てくる、途方も無い無制限の命令に服従させられるとしたら、人々は自然の状態にあったときよりもはるかに悪い状態に陥ることになる。
統治のもつ全権力は、ただ、社会の福祉のためにだけあるものだから、気ままであってはならない。権力は公布された法を通じて行使されるべきである。そのようであってこそ、国民は自分たちの義務を知り、法の限界を守って、安全かつ無事にいられる。
すべての人は、生まれながらに二重の権利を持っている。第一は自分の身体に対する自由の権利であり、第二は他人に先んじてその兄弟とともに父の財産を相続する権利である。
などなど。