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儒教とは何か 増補版 (中公新書 989) 新書 – 2015/11/21

4.2 5つ星のうち4.2 59個の評価

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儒教は宗教というより、単なる倫理道徳として理解されがちだ。
古い家族制度を支える封建的思想という暗いイメージもつきまとう。
しかし、その本質は死と深く結びついた宗教であり、葬儀など日本人の生活の中に深く根を下ろしている。
本書は、死という根本の問題から儒教を問い直し、その宗教性を指摘する。
そして孔子以前に始まる歴史をたどりながら、現代との関わりを考える。
全体を増補し、第六章「儒教倫理」を加えた。

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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 中央公論新社 (2015/11/21)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2015/11/21
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 296ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4121909895
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121909893
  • 寸法 ‏ : ‎ 11.2 x 1.3 x 17.4 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 59個の評価

著者について

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加地 伸行
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1936年生まれ。60年、京都大学文学部卒業。高野山大学、名古屋大学、大阪大学、同志社大学を経て、大阪大学名誉教授、立命館大学フェロー。専攻は中国哲学史。文学博士(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『中国人の論理学 (ISBN-10: 4480095373)』が刊行された当時に掲載されていたものです)

カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2022年11月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
目から大量のウロコが落ちる名著です。私は50枚くらい落ちました、儒教だけに。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年2月28日に日本でレビュー済み
 中国では、宿命的な関係である子の親への孝行と、契約的な関係である臣下の主君への忠義を、明確に区別しており、忠義より孝行を優先すべきだとし、忠義は有徳(道徳)でつながり、それが中央政権(歴代王朝)を樹立した一方、孝行は血統(血縁)でつながり、それが生活集団を形成しました。
 中国の歴代王朝は、しばしば周辺国の遊牧民が征服したため、血統以外で自分の権威・権力を正当化しなければならず、そこから天(天上の最高神)が、天子(皇帝)としてふさわしい有徳者に、天下(国家)の統治を委任するという思想(天命思想)が誕生・定着しています。
 皇帝が善政をしていれば、その家系が皇位継承できますが(徳治)、もし、皇帝が悪政をすれば、天意でその国家を滅亡させ、別にふさわしい有徳者に、建国を命令するとされ(易姓革命)、ここでの天意とは一般に、人民の支持がなくなることで(民意)、これが王朝交代の根拠とされました。
 それとは無関係に、中国の庶民は、血縁(宗族/そうぞく)・地縁(郷党/きょうとう)をもとに、生活し、国家は庶民の人命・財産等を保証するかわりに徴税しますが、庶民は、国家に依存もせず、信用もせず、忠義と孝行を結び付けないようにしているようです。

 一方、日本では、戦国期まで、武士は、御恩と奉公の契約的な関係なので、双方の合意がないと成立せず、忠誠・同盟か離反・敵対かは、流動的でした。
 しかし、江戸期に、身分・地位が固定化され、幕府が儒教を奨励すると、武士や知識人は、孝行より忠義を優先したり、孝行と忠義を同一視しがちになり、町人(商人・職人)も徒弟制なので、それに同調し、「忠臣蔵」の仇討等が称賛されました。
 明治中期から、教育勅語・軍人勅諭等で、皇室や国家への忠義が強調され、国定教科書でも、忠孝一致がみられ、昭和前期に、天皇は父(家長)、皇后は母、国民は子とし、国家を家制度と重ね合わせ、天皇と国民を直結させ(家族国家観)、大戦に突入しています。
 忠義は、契約的な関係なので、主君が有徳でなければ、臣下は契約解消できますが、孝行は、宿命的な関係なので、親が有徳でなくても、子は無条件に服従しなければならないと、本来の儒教にあります。
 そうすれば、判断がバラバラになり、特定の一族が断絶しても、家制度自体は維持できましたが、忠孝一致にすると、国家を家族、天皇を家長に置き換え、そうなれば、天皇の命令は絶対となり、究極の国民統制につながり、失敗すれば、主君は責任を取らされますが、家長は責任を取らせにくくなります。
 戦争は本来、自分が生き残り、他人を多く殺す行為ですが、満州事変~太平洋戦争(1931-45年)では、国民の生命を粗末に取り扱い、自死を強要したので、戦没者が約310万人まで膨れ上がったにもかかわらず、実質的主君の戦争指導者達は、悪徳で責任を取ったのではなく、法的に責任を取っています。
 つまり、大戦前・大戦中までは徳治、大戦後からは法治ですが、そもそも日本は、欧米列強に植民地化されないよう、法治国家を目標とし、日清・日露戦争までは、捕虜の対応も近代化していたようですが、どうも関税自主権の完全回復後から、徳治国家へと変貌したようです。

 おそらく、中国では、幾多の戦争を頻繁に経験してきたので、忠孝一致で家族が国家に追従すると、王朝交代で国家が滅亡すれば、家族も壊滅するおそれもあるとの教訓から、忠孝分離が導き出されたのでしょう。
 日本では、その背景を考慮せず、役人化した武士や、経営側の町人が、自分達の存在意義を追い求めるとともに、人々を統制するために、儒教を研究し、極少数の武士・町人達の間でのみ適用すべき、臣下の主君への忠義を、天皇と大多数の庶民にまで拡大したため、悲惨な結果となりました。
 戦時中には、家長や長男も見境なく徴兵・戦死したため、敗戦直後から、家制度は実質上崩壊しており、核家族も縮小化した現在、家族は、個人と国家の中間的な共同体としての機能が大幅に低下し、代替の中間的な共同体も、ほとんどありません。
 よって、個人と国家が直結しがちになり、格差拡大を容認すれば、相互扶助できないため、貧困者が急増するのも当然で、中央政府が有徳者として、直接救済に乗り出さざるをえないのは(徳政)、忠孝一致の逆方向の展開といえ、国民が国家に依存したり、期待することにもなります。

 本書は、なぜ中国と日本の儒教が、このように異なったのかを教えてくれました。
 それは、孔子以前に、死の恐怖・不安解消や家系継承のため、祈祷・呪術や孝行(家族論)が基本で、雑多だったのが、孔子以後に、一族への孝行・祭礼(宗教儀礼)を、地域・国家の政治論での仁愛・礼制(社会儀礼)や、宇宙論・存在論(朱子学等)に拡張し、風雅にまとめたからです。
 宗教は、下からの支持と、上からの統制の、両方がないと、長年存続できず、儒教のイメージは、上からの統制が強烈なので、現代では批判されますが、それは、社会の変化によってズレたからで、下からの支持は、すべての宗教に共通しており、死の恐怖・不安の解消が目的だといっています。
 儒教では、個人は必死必滅なので、それを集団で乗り越えようと、祖先を祭祀・崇拝、父母を敬愛し、子孫を誕生させ、これら3つが孝行で、祖先→父母→自分→子孫と家系を継承することで、一族の永久不死不滅を希求しました。
 中国の死生観は、生前には、精神をつかさどる魂(こん)と、肉体をつかさどる魄(はく)が一体化し、死後には、魂が天上に、魄が地下に分離するとなっているので、遺体は地下に埋葬されます。
 そして、命日の招魂儀礼では、地上で生者の頭上に、死者の頭蓋骨をのせれば、そこに天上の魂と地下の魄を呼び寄せ、現世に一時復活できるそうで、ここでも死の恐怖・不安を解消させました。
 なので、死者は、まず喪礼・葬儀、つぎに招魂儀礼を、生者に執り行ってもらわなければならないため、自分の家系の一族が必要で、中国では、同姓不婚とし、父系の同族集団(宗族)を形成しており、日本での、養子制を取り入れた、双系(父系・母系の両方あり)の家制度とは、対照的です。
 ちなみに、儒教での五倫と教育勅語の文言を比較すると、父子の親が父母に孝、長幼の序が兄弟に友、夫婦の別が夫婦相和と改変され、男女や年齢の高低が平等になっており、当時の家督相続の実態が、父系・長子に固執していなかったことがわかります。
 孔子は、忠義より孝行を優先していましたが、前漢の武帝(7代)の時代から、儒教が国教になると、官僚(卿・大夫・士/けいたいふし)達の間で、皇帝への私的な感情から、主君への忠義が一族への孝行につながると思考するようになり、それを日本の江戸期に、武士・知識人達が取り込んだようです。
 日本の武士は、当初から、個人だと早かれ遅かれ必死必滅なので、生死をかけて主君に献身し、自分の戦死により、名声を獲得し、主君からの恩賞で、家系を存続・繁栄させることが、究極の目的なので、反対に、安土桃山期までは、一族の永久不死不滅のために、寝返り・裏切りも横行していました。
 他方、中国道教は、後漢末期から、中国仏教は、魏晋南北朝期から、中国の人々に支持されましたが、かれらは、現世の快楽に執着する傾向にあります。
 なので、儒教では、招魂儀礼で現世での一時復活を希求し、道教では、不老長寿を希求、双方いずれも定着しましたが、仏教では、解脱(げだつ、成仏)できないと、生まれ変わっても苦しみ続けるので、定着しませんでした。
 儒教は、宋の時代には、道教・仏教と比較すると弱点だった、宇宙論・存在論を強化するため、朱子学等の新儒学が登場しましたが、それとともに、官僚の採用が、推薦制から試験制(科挙)に本格化し、儒学・新儒学が出題されたので、官僚必須の教養になっています。
 ここまでみてくると、中国の儒教道徳は、庶民には忠孝分離、政治家や役人にのみ忠孝一致と、使い分けられていましたが、日本の儒教道徳は、明治中期から昭和前期にかけて、安直に忠孝一致を全面適用しており、それが中国よりも日本で、家族が崩壊した要因なのではないでしょうか。

 筆者は、儒教を、礼教性と宗教性に大別していますが、現在、上からの統制による道徳が援用できるのは、政治家・役人等に限定され、宗教性も不要なので、庶民に援用できる、下からの支持による道徳が、儒教経典の中にあるかどうかを検証すべきでしょう。
 また、筆者は、道徳を、絶対的道徳、相対的道徳、個人が修養する道徳に大別し、絶対的道徳は、すでに法制化されており、相対的道徳は、皆で議論・思考することに意義があり、有徳・悪徳のおおよその度合を識別できるようにはなりますが、明確な解答が見い出せるわけではありません。
 修養道徳は、集団を支配するのに都合のいい、人より「上」から目線の道徳ではなく、個人が自律するのに都合のいい、人の「間」の目線の道徳を抽出すべきでしょう。
 最近の政治家や役人は、法的責任はないと言い逃れ、かれらにこそ、道徳が要求されますが、日本で徳治は危険なので、自分達でできないのなら、なぜ、第三者機関に委任し、それを法治で対処しないのでしょうか。
 それとは逆に、有徳者でない政治家・役人や知識人ほど、庶民に道徳を、強制的に教育したがりますが(道徳の教科化等)、自発的に学習しなければ、まったくの無意味で、それも何かを通じて得なければ、机上の空論に終始するでしょう。
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レポート
2022年2月11日に日本でレビュー済み
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儒教は宗教というより倫理道徳のようなものと思ってましたがこの本読むと全く見方変わります。死への畏れに対し祖先から子孫への招魂再生を説く宗教観、あるいは遺伝子を繋ぐ生命論的な考え方から何よりも「孝」という徳を大切にしてると。気づかないけど日本人の生活レベル(葬儀とか)にも色濃く残る儒教思想はかなり面白いです。これいいです。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年7月6日に日本でレビュー済み
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本書『儒教とは何か』は、現代日本における儒教研究の泰斗、加地伸行氏が、書名にある「儒教とは何か」について初学者向けに解説したもの。その前提として、まず「儒教は果たして宗教か? それとも宗教ではないのか?」という問題を投げかけ、氏は「儒教は宗教である」との立場(=この立場をとる専門家は極めて少ない)で自説を展開する。

その説明は、「宗教性」と「礼教性」、さらには「哲学性」という概念分類に基づくもので、儒教の構造が、歴史的に次のように変遷してきたことを理解することができる――。儒教は本来「宗教性/礼教性」が一体となったものだったが、政治での利用が進むにつれ「宗教性」を担う部分と「礼教性」を担う部分とが分離。後者への注目が集まる一方、前者はそれぞれの家族内における祖先祭祀として習俗化していったため、その「宗教性」が次第に無意識化されていった。が、この儒教の「宗教性」に基づく意識は、日本を含む東北アジア儒教文化圏において、いまもなお、さまざまな形で息づいている。底流として、絶えることなく流れ続けている。

そして加地氏は、われわれ東北アジア人としては、その原感覚(=祖先祭祀を核とする宗教性)に基づいて、その上部に現代における倫理や家族論などを樹ててゆくことの大切さを、本書の全編を通して訴える。

こうした歴史的変遷を経ながら、2000年以上の永きにわたり、ほぼ一貫して世界屈指の大帝国の正統思想として君臨してきた儒教(儒学)。そこには、「組織と人」という普遍的課題に関わる至高の知恵が詰まっている。

例えば「ルール」。組織経営にあたっては、行動規範といった理念的なものから実務レベルの規則まで、さまざまルールが必要となるが、そんなルールづくりに際しての望ましい考え方の枠組みを、私たちは「徳治」対「法治」という、儒教における代表的論争から学ぶことができる。

「徳治」とは道徳による政治。孔子、孟子に代表される儒家がこれを理想とした。一方「法治」は法律による政治であり、韓非子ら、儒家に対抗した法家がこれを推進した。

つまりは政治を「道徳」によって行うか、それとも「法律」によって行うか、という問題になるわけだが、儒教における論争は、法と道徳とを対立した概念として捉える欧米流のそれではなく、あくまでも両者をどのような「割合」にするのが望ましいか、というもの。

儒家は、道徳を第一義に考えた。人々が皆、共同体の道徳(習慣・習俗)に従って暮らすことによって秩序ある社会を築こうとした。が、中には必ずこうした習俗・習慣に従わない者がおり、そうした者に対しては、法的処罰を科す。つまり、法治が不要というのでなく、まずは道徳があり、その中の一部として法(罰)があるというもの。そしてこの法治部分の割合をできるかぎり小さくしていく――その先に理想的な社会があると考えた。

一方、法家は、法を中心に据えた。成文法を示し、守るべきものをはっきりさせようとした。が、法家も道徳の大切さを否定した訳ではない。道徳→法の優先順位を、法→道徳に入れ替え、前者の割合を大きくしたということだ。

徳治から法治へという流れには、秦の始皇帝による中央集権国家の樹立という背景があり、その巨大な機構の下では、法治主義に移行せざるをえないという事情があったわけだが、法治、すなわち罪刑法定主義に基づく政治は、「その法網にひっかかりしなければ悪事を働いても構わない」という発想を生み出す温床となった。

と見てくると、「法治」はいわば必要悪。理想は「徳治」にあり、と考えられる。ところで、儒家がめざした徳治は、共同体における≪共同体の道徳≫を前提としたものだといえる。だから、例えば中央集権国家における国家経営のための手段としては無理がある、という点については納得がいく。が、その対象が≪共同体≫の場合には、徳治を理想と位置づけた経営を行っていくのが望ましい、とレビュアーは考える。

この点、日本の組織は「機能集団が共同体に変身する」という大きな特性を備えている。ドラッカーが匙を投げた「企業を共同体化する」という理想が、日本では江戸の昔から実現していた。いや、その≪日本資本主義の精神≫は、良くも悪くも「組織は、それが機能をすると、自ずと共同体に変身してしまう」という、不変の法則を生み出した。

「良くも悪くも」の、問題点への言及はここでは省くが、それはさておき、日本における企業経営は、世界に比類なきこの≪共同体化≫の特性を活かした、徳治=性善説に基づくマネジメントを採るべきではないか。それが日本の強みを最大限に活かしたマネジメント手法ではないか、と思料する。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年2月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
宗教全般に興味を持ちその他の宗教の本と同時購入しました。本来の儒教思想が日本人の生活にどれだけ書かれているかが分かります。意識せずにやっていた習慣や儀式(冠婚葬祭その他の生活のマナー)の意味を知る事は自分たちの為だけでなく、忘れかけた智恵はこれからの社会に再び必要とされるはず。孔子、吉田松陰
の本も一緒に読むと面白いと思う。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年3月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
儒学者の解説本…というよりは密教僧の教判本のようで読みづらかったです
純粋に「儒教とは何か」を知りたい方にはあまりオススメできません。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年3月10日に日本でレビュー済み
すでに「名著」と言われてきた「儒教とは何か?」に、
「儒教倫理」の章をを加えた増補版。
この本の優れたところは、昔から言われてきた「儒教=道徳」という考えを覆し、
儒教も宗教であると言い切ったところだろう。

そもそも宗教とは「人間にとって受け入れがたい、死 について納得させるもの」とし、
世界のどんな宗教も「死の説明」と「倫理道徳」の二面から成ると書いた。
そして儒教もまた、同じである、と。
むしろ、「死」と深く結びついているという論理だ。

加筆された章が、そのことをいっそうはっきりさせてくれる。

テーマがテーマだけに、めんどくさい文章になりそうだが、
非常にわかりやすいし、明快である。

広い意味では日本人論にもつながっていくだけに、
読んでおいて損はない一冊である。
20人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2022年12月11日に日本でレビュー済み
儒教思想に基づいた朱子学は、教育の順序を組織的に考えることで聖人になるための方法を示す教育を重視したものであった。これは日本教育過程の原点でもある。
儒教では人間の理想像である聖人に必ずなることができるとしている。
その過程を格物致知と表現するようだ。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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