私は学の無い人間で、ハムレットなどのオペラやカントなどの偉大な哲学者の知識を知らないため、本書の冒頭から中盤にかけて「伝えたい内容を理解出来るのだろうか…」と不安でした。
読み終えた感想として、若い時にこの本と出会いたかったと思いました。
自分なりに解釈した上で、将来を悲観することなく人生を楽しもうと思えました。
ありがとうございます。
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人間・この劇的なるもの (中公文庫 A 57) 文庫 – 1975/5/10
福田 恆存
(著)
われわれにとって「生きがい」とは何か。充実した生の実感はどこに見つかるか。自由や個性ということの現代人の偶像的通念を排し、人間として己れの根本主題を醒めた眼で真向から見すえる、正統的モラリストの緊張感あふれる人間論。
- 本の長さ153ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1975/5/10
- ISBN-104122002109
- ISBN-13978-4122002104
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1975/5/10)
- 発売日 : 1975/5/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 153ページ
- ISBN-10 : 4122002109
- ISBN-13 : 978-4122002104
- Amazon 売れ筋ランキング: - 640,037位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4,291位中公文庫
- - 10,200位近現代日本のエッセー・随筆
- - 26,763位評論・文学研究 (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年1月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2019年6月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マクベスとハムレットを買ったので、氏の評論を是非とも読みたいと思って手に入れたのだが、予想以上に素晴らしく、其の文調に魅せられた。単なる評論と云う作品解説の類では無く、勿論其の作品自身や、其処から人間世界の心理迄も解き明かしていくのは驚嘆させられた。
2022年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
個性ではなくて役割。
自由ではなくて必然性。
自由は所詮、奴隷の思想。自由の原理は…快楽をもたらすかもしれぬが、けっして幸福をもたらさぬ。
行動というものは、つねに判断の停止と批判の中絶によって、はじめて可能になる。
自由も保守も、福田恆存を踏まえぬ思想は浅はか。
自由ではなくて必然性。
自由は所詮、奴隷の思想。自由の原理は…快楽をもたらすかもしれぬが、けっして幸福をもたらさぬ。
行動というものは、つねに判断の停止と批判の中絶によって、はじめて可能になる。
自由も保守も、福田恆存を踏まえぬ思想は浅はか。
2018年5月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文章が難しく、読むのはなかなか厄介ですが、人間は演じるものであるということがよく理解できました。
2015年7月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人間の社会性というものは演技性を多分に含んでいるのではないか、との疑問がわき、アマゾンを検索して本書を購入した。福田恆存という人は、氏訳の新潮文庫の「ハムレット」と、小林秀雄氏との対談を読んだことがあるため、名前は知っていた。
本書の一章と二章で、私の冒頭の疑問は肯定的に解消された。すなわち、人間は演技するものであると。
三章以降は、おもにシェイクスピアの「ハムレット」を題材として論が展開される。
全編を通して、論じられるテーマは人間の『死生観』である。死生観、とくに『死』を通じて、人間がいかに劇的な存在であるかが論じられる。
本書を通じて、私自身の社会性(=演技性を含むもの)が向上していくことを望む。
『愛は自然にまかせて内側から生れてくるものではない。ただそれだけではない。愛もまた創造である。意識してつくられるものである。』(本書冒頭より)
本書の一章と二章で、私の冒頭の疑問は肯定的に解消された。すなわち、人間は演技するものであると。
三章以降は、おもにシェイクスピアの「ハムレット」を題材として論が展開される。
全編を通して、論じられるテーマは人間の『死生観』である。死生観、とくに『死』を通じて、人間がいかに劇的な存在であるかが論じられる。
本書を通じて、私自身の社会性(=演技性を含むもの)が向上していくことを望む。
『愛は自然にまかせて内側から生れてくるものではない。ただそれだけではない。愛もまた創造である。意識してつくられるものである。』(本書冒頭より)
2023年1月30日に日本でレビュー済み
ここで取り上げられている、様々な作品が読まれている前提で書かれているので、難しさを感じる部分がある。名著の誉は高い本書だが、読者を選ぶと思う。
2015年8月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
かなり難しい内容ではありますが、何度も読み返して深く理解していきたいと思わせる内容です。
2009年11月22日に日本でレビュー済み
私たちは本を読もうとするとき、必ずいくらかはその「結論」を知っている。
本屋で何千冊という本からその一冊を手に取ったとき、
そこには「自分がその本を選択した理由」が必ず含まれているからだ。
昨今のレビューの発達と、「教養主義的な」読書ブームによって、その結論を知ることはますます容易になった。
適当な月刊総合誌を開けば、「読むべき本」から「どのような内容」を読み取れば「教養になるのか」が簡潔にまとめられている。
本書も、そのような「教養的読書のススメ」の一冊にたびたびまぎれている。
それらは、次のような抜書きとともに紹介されることが多い。
「自然のままに生きろという。だが、これほど誤解された言葉もない程度の差こそあれ、
誰もが、なにかの役割を演じたがっている。
また演じてもいる。ただ、それを意識していないだけだ。」(P15)
「舞台をつくるためには、私たちは多少とも自己を偽らなくてはいけないのである。
堪え難いことだ、と青年は言う。自己の自然のままにふるまい、個性を伸張せしめること、それが大事だという。
が、かれらはめいめいの個性を自然のままに生かしているのだろうかかれらはたんに
『青春の個性』というありきたりの役割を演じているのではないだろうか。
私にはそれだけのこととしかおもえない。」(P16)
これらを読んで「自分さがし」や「自己実現」を求める今時の若者を批判することは簡単だ。
しかしながら、著者はこのような「データベース的」に「主張」が「活用」されることを望んではいないだろう。
そして瞬間また「反個性」という役割を反復しているに堕してしまうからだ。
「今日、私たちは、あまりにも全体を鳥瞰しすぎる。
いや、全体が見えるという錯覚に甘えすぎている。
全体が見通せた瞬間、全体という観念が消滅する。知識も知恵消失する。
そこには、すべてを知るものの無智があるだけだ。」(P36)
著者は、随所で私たちが主張に共感したくなるたびに冷水を浴びせる。
本書は役に立って、データベース化できる、そんな今日的知識は提供してくれない。
本書の内容は、人生の中にある実感を通して獲得するしかない。
「絶対的なものに迫って、自我の枠を見出」そうとすることでしかそれはなしえない。
大学入学時、いわゆる「教養主義的」この本を読んだ私は、そのことが分かっていなかった。
「もっとわかりやすく・具体的」な記述を、受験現代文に取り組むがごとく読解していた私には、
本書をほどんど理解できなかった。その後、数年間に堆積されたわずかばかりの「実感」によって、
例えば冒頭の「青春の個性への執着」のようなことが、納得できるようになってきた。
この本は薄く2時間もあれば、読み終える。
だが、いつもこの本を携え、人生の中で少しずつ実感していくことで、
初めてこの本を読み終えたといえるのではないだろうか。
そういう風な非効率な読書がこの本にはふさわしい。
本屋で何千冊という本からその一冊を手に取ったとき、
そこには「自分がその本を選択した理由」が必ず含まれているからだ。
昨今のレビューの発達と、「教養主義的な」読書ブームによって、その結論を知ることはますます容易になった。
適当な月刊総合誌を開けば、「読むべき本」から「どのような内容」を読み取れば「教養になるのか」が簡潔にまとめられている。
本書も、そのような「教養的読書のススメ」の一冊にたびたびまぎれている。
それらは、次のような抜書きとともに紹介されることが多い。
「自然のままに生きろという。だが、これほど誤解された言葉もない程度の差こそあれ、
誰もが、なにかの役割を演じたがっている。
また演じてもいる。ただ、それを意識していないだけだ。」(P15)
「舞台をつくるためには、私たちは多少とも自己を偽らなくてはいけないのである。
堪え難いことだ、と青年は言う。自己の自然のままにふるまい、個性を伸張せしめること、それが大事だという。
が、かれらはめいめいの個性を自然のままに生かしているのだろうかかれらはたんに
『青春の個性』というありきたりの役割を演じているのではないだろうか。
私にはそれだけのこととしかおもえない。」(P16)
これらを読んで「自分さがし」や「自己実現」を求める今時の若者を批判することは簡単だ。
しかしながら、著者はこのような「データベース的」に「主張」が「活用」されることを望んではいないだろう。
そして瞬間また「反個性」という役割を反復しているに堕してしまうからだ。
「今日、私たちは、あまりにも全体を鳥瞰しすぎる。
いや、全体が見えるという錯覚に甘えすぎている。
全体が見通せた瞬間、全体という観念が消滅する。知識も知恵消失する。
そこには、すべてを知るものの無智があるだけだ。」(P36)
著者は、随所で私たちが主張に共感したくなるたびに冷水を浴びせる。
本書は役に立って、データベース化できる、そんな今日的知識は提供してくれない。
本書の内容は、人生の中にある実感を通して獲得するしかない。
「絶対的なものに迫って、自我の枠を見出」そうとすることでしかそれはなしえない。
大学入学時、いわゆる「教養主義的」この本を読んだ私は、そのことが分かっていなかった。
「もっとわかりやすく・具体的」な記述を、受験現代文に取り組むがごとく読解していた私には、
本書をほどんど理解できなかった。その後、数年間に堆積されたわずかばかりの「実感」によって、
例えば冒頭の「青春の個性への執着」のようなことが、納得できるようになってきた。
この本は薄く2時間もあれば、読み終える。
だが、いつもこの本を携え、人生の中で少しずつ実感していくことで、
初めてこの本を読み終えたといえるのではないだろうか。
そういう風な非効率な読書がこの本にはふさわしい。