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グスタフ・マーラー: 愛と苦悩の回想 (中公文庫 M 348) 文庫 – 1987/8/1

4.3 5つ星のうち4.3 7個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 中央公論新社 (1987/8/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1987/8/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 372ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4122014484
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4122014480
  • カスタマーレビュー:
    4.3 5つ星のうち4.3 7個の評価

著者について

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アルマ・マ−ラ−・ウェルフェル
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カスタマーレビュー

星5つ中4.3つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2023年8月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本が届いてすぐにページをめくってみて、なんと昭和62年に発行された本と知り、懐かしく、うれしくて、心が暖かくなりました。毎日、大切に、大切にページをめくっています。ありがとうございました。
2021年5月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古本屋に行く手間もかけずに素晴らしい本を入手出来ました。
2011年6月20日に日本でレビュー済み
マーラーの妻だったアルマ・マーラーによるマーラー伝。

この人の手にかかると、自分とマーラー以外はみんな俗物扱い。当時の大御所中の大御所R・シュトラウスなど、単なる金の亡者として描かれている。
また、全編にわたって、音楽家として才能があった自分が、マーラーのためにいかに犠牲にしたか、という嘆きに貫かれている。

吉田秀和氏は『マーラー』(河出書房新社)に〈私には、ときどき、この人の書いたものは、しばしば現実にあったことと彼女がそうであってほしいと望んでいたこととをごく容易に取り違える傾向があったとしか思えないときがある。才気あふれ自信に満ちた美女にありがちなことだ〉と書いている。
読み物としてはとてもおもしろいが、資料的価値という観点からは、眉に唾して読むほうがよさそうだ。

客観的に書かれたものを読んでみようと思い、村井翔著『マーラー』を手に入れた。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年12月16日に日本でレビュー済み
マーラーの最初のLPを購入したのは、ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニーの「大地の歌」だった。中国の詩人のドイツ語訳がテキストという一見風変わりな曲だった。カスリーン・フェリアのewig, ewigと繰り返しながら寂しく終わる曲だった。私は高校3年生の3学期から重い肺結核で入院していたが、どういう訳か、こんな音楽のLPを買ってしまった。普段は元気のでるベートーヴェンを中心に聞いていたのだが。。。次に買ったマーラーはやはりワルター指揮の交響曲1番「巨人」だった。その後はしばらくマーラーのレパートリーは増えなかった。長すぎるし、大げさすぎるところに抵抗があった。私にはベートーヴェンの実直性のほうが、素直に入り込んでいた。コンヴィチュニーやセルの実直な演奏が相応しかった。その後、大学時代からは楽器をやりだし、バロック音楽にのめり込んでいった。大型のオーディオ装置を入手したごろから、再び、マーラーなどが面白くなった。かなり中断した後のことだ。

ウィーンにも何度も行くうちに、マーラーの墓に行った。近くを通った時、ふと立ち寄った。ベートーヴェン、モーツァルト、シューベルトなどの記念墓地は、花に囲まれ、いつ行っても、音楽の聖地ウィーンらしい。ところが、このグリンツィンのマーラーの墓はシンプルなうえに、華やかさもない。彼がウィーンでどうやっていたのか気になっていた。アルマ・マーラーのことも少しは気になっていた。文庫本を入手していたが、このところやっと読んだ。アルマのかなり強気な性格は、たとえ美人でも私の憧れるタイプの女性ではない。鼻っ柱が強い嫌味な女だと感じる場面もあった。競争意識が強すぎて、相手はほとんど常に敵に見立てている。マーラーが51才で命尽きた一方で、アルマは持ち前の美貌と才気で、歴史に名を残す面々を次々と恋人にして85才まで生き延びる。相手は建築家グロピウスやクリムトなど華々しい。音楽の才能もあったアルマだが、勿論、逆立ちしても音楽の才能だけは、マーラーには勝てない。アルマよりも背の低いマーラーが、アルマに勝てたのは、音楽のとびぬけた才能の面だ。

アルマのこの本を読んで、絶対の真実味があるのは、マーラーの作品を褒める場面だろう。その作品が演奏され、賞賛された話には誇張はないと思う。その他の話には、しばしば眉に唾をつけたくなることがある。他人の評価も普通の人はあまり現れなくて、一流人が多いのだが、その評価は一面的で、観察の浅い面があると思う場面が結構ある。この本の評価に厳しいコメントをつける人は、恐らくアルマの人間観察と描写の軽薄さのせいではないだろうか。

マーラーという豊かな音楽の才能をもった人間に対して、その面で勝てないアルマが、我慢してついて行ったという感じがあちこちでしてしまう。勿論、マーラーの名声は既にヨーロッパとアメリカで確立していたので、行く先々で特別扱いをされるのだが、その事実は次々と述べられている。もっと素直にマーラーを賞賛できる形で表現して欲しかったと思うところがかなりある。それだけに最後の数ページでは、泣ける。

来年、5月にウィーン・フィルハーモニーがメストの指揮で、マーラーの8番を演奏するし、その翌日はウィーン交響楽団が1番を演奏する。切符は未発売なのだが、フライトとホテルは予約済みだ。CDで、マゼールとウィーン・フィルの全集を中心に予習を始めている。ラトルと小澤の全集も聞き始めた。この際、あまり馴染んでいない曲にも挑戦するつもりでいる。

(追加:来年5月がやってきた。後一週間で出発する。音楽会のチケットも家内のも含め、16枚確保した。13日間の旅だ。アルマの本を、再読した。マーラーの8番は、アルマに献呈されている。二人の結婚生活はマーラーの死で、10年ほどで終わった。1901年から1911年までだ。マーラーは51歳、アルマは32歳くらいだ。その間にほぼ、主要なマーラーの曲は作曲されている。アルマのバックアップは大きかったのだろう。指揮活動もウィーンを追い出されてからは、ニューヨークでも高水準の内容だったようだ。しかし、やはり、マーラーはウィーンがベースだ。

もっと、ウィーンの演奏家たちの演奏が聴けるといいのだが、機会は多くない。CD全集だと、交響曲をウィーン・フィルと全曲録音できたのはマゼールだけのようだ。幸いなことにこの全集は素晴らしい。一番のウィーン節をあちこち聞いただけで、他の国のオケではこの味はでないとわかるだろう。今から期待できるのは、メストなのだが。。)

(追加2: ウィーンに予定通り、5月6日から5月18日まで滞在してきた。上に述べたマーラーの1番と8番の演奏会をどちらも聞いてきた。グリンツィン墓地にあるマーラーとアルマ・マーラーの墓にも行ってきた。さらに、この本の面白さは2回、3回と繰り返すほど、アルマの一見ぶっきらぼうな書き方にも慣れてきて、より真意が理解できるようになった。帰国して、1番と8番のCDをいくつかお気に入りのところを聞いてみたが、やはり、CDではマゼールとウィーン・フィルの演奏がもっともウィーン的だと思っている。メストがいつ、ウィーン・フィルとのCDを出してくれるのだろうか。。)
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年6月24日に日本でレビュー済み
 下手な恋愛小説より、この本の方がずっと面白いのではないだろうか。マーラーの夫人であったアルマ・マーラーが、マーラーについて書いた回想の書であるが、読み始めてすぐに思ひ出したのは、漱石の『こころ』の第一部である。『こころ』の主人公であるあの若者が、先生との出会ひを回想する個所と、この本の著者アルマが、ウィーンでのマーラーとの出会ひを回想する箇所が、不思議に似て居る様に感じられたのである。生きて居る人間が、亡き者を回想する時の類似なのだろうか?
 このアルマ・マーラーの本について、吉田秀和氏は、著書の中でこんな興味深い事を書いて居る。

 「グスタフ・マーラーの人柄、生活ぶり、音楽その他についての考え方、それから彼をとりまく環境−−友人、同時代の音楽生活の有り様などを書いたものとしては、何といっても約十年の年月をいっしょに暮らしたアルマ・マーラー夫人の『思い出』が広く知られている。たしかにこれは大事な資料だし、書き手の性格を反映して、読みものとしてもとてもおもしろい。日本でも、これまで、二種類の翻訳が出たのも当然である。だが、彼女の本は魅力的であると同じくらい、書き手の強烈な主観を通して下された判断が多くて、時々、真相は果たしてどうだったのだろうか?と思わせられることがある。マーラーについてはもう一つ、ナターリエ・バウアー・レヒナー(Natalie Bauer-Lechner)という女性のものがあり、こちらは彼がアルマと結婚するまでしか扱ってないが(つまり≪第五交響曲≫に手をつけだしたところまで)、それをおぎなってあまりあるほどの長所をもっている。というのは彼女はアルマと逆で、マーラーの言行を忠実に書きつけるのを旨とし、しかも元来が日記体なので時間による記憶のずれが非常に少ない方法をとっていた。(だから、多くの人が彼女をゲーテに対するエッカーマンにたとえてきたくらいだ)その上、彼女がマーラーに対して抱いていた献身的敬愛の情は並大抵のものではなかったので、マーラーの言葉を書きつける時でも、ただその上っつらを文字にするというのではなく、その深い意味までじっくり考えた上で、それをできるだけ誤りなく伝えようと努力しているのが、読んでいて、よくわかってくる。『愛』がなければ理解は完全ではないが、愛だけでも足りない。そういう意味での『忠実な理解者、伝達者』であろうとした人の本といってよい。これまでも、マーラーの生活、特に≪第一≫から≪第四交響曲≫までを扱った重要な文献には、彼女からの引用が必ずといっていいほど出てきたのも、このためにほかならない。」

(吉田秀和『マーラー』(河出文庫・2011年)9〜10ぺージより(この文章の初出は1989年2月21日朝日新聞))

 この本を読んで居て感じる事は、書き手のアルマ夫人の知性の高さである。彼女は、文学的資質に恵まれた人だったのだろう。だから、この本は、小説の様な面白さに溢れて居るのだが、資料としてこの本を読もうとする場合には、注意が必要だと思はれる。一つの小説として読むのもいいのではないだろうか。

(西岡昌紀・神経内科医)
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2007年2月3日に日本でレビュー済み
箇条書きにすぎない そっけない読後感 それでも マーラーに従う苦労は伝わってきたし

百年前のヨーロッパでは芸術を模倣か独創か みんなで見張っていたのは よくわかった

シェーンべルクとマーラーとの論争など全文読みたいことが

いくつも あっさり片付けられていたのが惜しい
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2003年10月7日に日本でレビュー済み
妻アルマの書いた文章ですが、事実と食い違うところがいくらか見られるそうです。それはアルマの記憶違いによるところが大きいようです。したがって、作曲過程などについての文献としてはあまり用をなさないと思われます。ただし、2人がどう出会ったのかなどの私的な内容は信用できるものですから、伝記としては資料になると言えます。あとは読み物としてどうかということ。翻訳もこなれていて、簡単に読めるのがいいですね。読んでいてそんなに退屈するものではないです(音楽用語がしばしば出ているので、予備知識はもちろん必要ですが)。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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