本書は、私の大の贔屓作家である山田風太郎が、1963年(昭和38年)から1979年(昭和54年)にかけて書いたエッセイ集。氏の死生観や人柄に触れるような味わいがあり、読みごたえがあった。
山田風太郎の死生観に大きな影響を及ぼしたことでは、氏が医学生だった頃に体験した太平洋戦争がまず挙げられると思う。それは『戦中派不戦日記』を読めば身に染みて感じ取れる訳だが、本書の最後に収められた「戦中の〈断腸亭日乗〉」にも強烈な印象を受けた。戦時中のある日をピックアップして、日本軍の記録と永井荷風の「断腸亭日乗」の日記とを並べて行くのだが、そうすることで浮かび上がってくるものがある。この抜き書き作業をしていく山田風太郎の胸中がどのようなものだったか、いかに痛烈な告発をここでしているか、それを思うと絶句するよりほかなかった。
風太郎の幼年時代の記憶を綴ったエッセイや、「漱石と〈放心家組合〉」「漱石のサスペンス」のエッセイも実に興味深く読むことができたが、それ以上に印象に残ったのは、江戸川乱歩の思い出を記したエッセイである。なつかしさと親しみを込めて乱歩先生のことを語る風太郎の文章を読んでいたら、何だかこちらまでしみじみとしてきてしまった。 そう言えば、山田風太郎が亡くなったのは乱歩と同じ7月28日だったんだなあと、ふっと思い出した。
「風々院風々風々居士」こと山田風太郎がこの世を去って三年経つが、その作品の数々は、今も私の心の中に生きている。
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風眼抄 (中公文庫 や 25-1) 文庫 – 1990/11/1
山田 風太郎
(著)
- 本の長さ262ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1990/11/1
- ISBN-104122017599
- ISBN-13978-4122017597
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1990/11/1)
- 発売日 : 1990/11/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 262ページ
- ISBN-10 : 4122017599
- ISBN-13 : 978-4122017597
- Amazon 売れ筋ランキング: - 686,175位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4,413位中公文庫
- - 10,803位近現代日本のエッセー・随筆
- - 28,562位評論・文学研究 (本)
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著者について
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1922年、兵庫県生まれ。東京医科大学卒業。47年、「宝石」新人募集に応募した「達磨峠の事件」がデビュー作。48年「眼中の悪魔」で第2回探偵作家 クラブ賞短編賞を受賞。その後「甲賀忍法帖」を始めとした忍法帖シリーズなどを精力的に発表した。2000年、日本ミステリー文学大賞受賞。01年7月死 去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 八犬傳 下(新装版) (ISBN-13: 978-4331614044)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2010年5月6日に日本でレビュー済み
初めて山田風太郎の本を読んでみた。本来なら「忍法もの」などを先に読むべきなのかもしれないが、なんとなくエッセイ集である本書と縁があった。これがなかなかおもしろかった。印象に残った2篇についてふれておく。
「花のいのち」はわずか3頁ほどのエッセイだが味わい深い。このなかで著者は、吉行淳之介に少しばかり苦言を呈している。吉行が永井龍男の短篇を称揚するために、他の種類の違う作家を認めないような態度を見せていたらしい。吉行曰く、「ダールやブラッドベリイ、ボーモントなどの作家[は]...一度読みおわればタネの分かった手品のように再読する気になれない」らしい。そして、「永井氏の作品は、そういう種類のものとは性質を異にしている」と付け加えている。しかし、山田風太郎は永井の短篇の素晴らしさは認めながらも、その論にはっきり異議を唱える。曰く、「ダールやブラッドベリイは、この最後の、ただいちどだけの火花にいのちをかけているのである。再読など期待せず、再読してはならないものなのである。」この言葉に私は感動し、そこに著者の靱い眼力を見た気がした。
もう1つ、「日本駄作全集のすすめ」の着眼点は秀逸である。漱石や芭蕉を引き合いに、どんな大家でも駄作はあるもので、そういう作家たちの駄作ばかりを集めた全集を出してはどうかと(本気か冗談かは分からないが)提案している。名作全集よりもずっと売れるのではないかと。なるほど、と私もそう思った。本当にどこかの出版社でそういう企画を立ちあげてくれないものだろうか。大いに興味がそそられる。
「飄逸な筆致」とはまさにこういうものを指すのだろうと思った次第。
「花のいのち」はわずか3頁ほどのエッセイだが味わい深い。このなかで著者は、吉行淳之介に少しばかり苦言を呈している。吉行が永井龍男の短篇を称揚するために、他の種類の違う作家を認めないような態度を見せていたらしい。吉行曰く、「ダールやブラッドベリイ、ボーモントなどの作家[は]...一度読みおわればタネの分かった手品のように再読する気になれない」らしい。そして、「永井氏の作品は、そういう種類のものとは性質を異にしている」と付け加えている。しかし、山田風太郎は永井の短篇の素晴らしさは認めながらも、その論にはっきり異議を唱える。曰く、「ダールやブラッドベリイは、この最後の、ただいちどだけの火花にいのちをかけているのである。再読など期待せず、再読してはならないものなのである。」この言葉に私は感動し、そこに著者の靱い眼力を見た気がした。
もう1つ、「日本駄作全集のすすめ」の着眼点は秀逸である。漱石や芭蕉を引き合いに、どんな大家でも駄作はあるもので、そういう作家たちの駄作ばかりを集めた全集を出してはどうかと(本気か冗談かは分からないが)提案している。名作全集よりもずっと売れるのではないかと。なるほど、と私もそう思った。本当にどこかの出版社でそういう企画を立ちあげてくれないものだろうか。大いに興味がそそられる。
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