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謎の七支刀: 五世紀の東アジアと日本 (中公文庫 み 22-9) 文庫 – 1992/1/1
宮崎 市定
(著)
- 本の長さ274ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1992/1/1
- ISBN-104122018692
- ISBN-13978-4122018693
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1992/1/1)
- 発売日 : 1992/1/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 274ページ
- ISBN-10 : 4122018692
- ISBN-13 : 978-4122018693
- Amazon 売れ筋ランキング: - 526,140位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年5月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
東洋史学の泰斗が中国、朝鮮、倭国の古代国際関係を背景に、七支刀銘文の謎解きに挑む労作。だが、説得力ある論を前に、保守派ぞろいの国史学会は何故か完黙。その非進歩性こそが“現代倭国の謎”だ。
2012年1月5日に日本でレビュー済み
著者は中国史の大家。
しかし、本書は中国ではなく、奈良の石上神宮所蔵の国宝・七支刀に刻まれた文字の解読という、ちょっと分野違いのテーマを扱っている。
七支刀には表裏合わせて61文字が象眼されている。しかし、はっきりと読めるのは一部だけで、明治以来、さまざまな翻刻と解釈が行われてきた。それに対して本書では、従来の読みには誤りが多いとして、新たに漢文、金石文の知識で文献学的に読み解く試みをしている。こういった刀に刻まれる文章の定型を参考にし、この言葉にはこれがセットになるはずだ、などとしてグイグイと解読していく。非常に説得力があり、おもしろい。
そのほか、埼玉の稲荷山古墳出土の鉄剣に刻まれた文字の解読なども。
1983年の出版であり、いまでは、著者の解読・提案に対して回答が出されているはずである。どうなったのか知るには別の資料を読むしかない。
しかし、本書は中国ではなく、奈良の石上神宮所蔵の国宝・七支刀に刻まれた文字の解読という、ちょっと分野違いのテーマを扱っている。
七支刀には表裏合わせて61文字が象眼されている。しかし、はっきりと読めるのは一部だけで、明治以来、さまざまな翻刻と解釈が行われてきた。それに対して本書では、従来の読みには誤りが多いとして、新たに漢文、金石文の知識で文献学的に読み解く試みをしている。こういった刀に刻まれる文章の定型を参考にし、この言葉にはこれがセットになるはずだ、などとしてグイグイと解読していく。非常に説得力があり、おもしろい。
そのほか、埼玉の稲荷山古墳出土の鉄剣に刻まれた文字の解読なども。
1983年の出版であり、いまでは、著者の解読・提案に対して回答が出されているはずである。どうなったのか知るには別の資料を読むしかない。
2019年5月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文庫本でも出版されていると知ったのですが、なかなか手に入らなかった本をようやく手に入れることが出来ました。
有り難いことです。
「読みたかった本を読むことが出来た!」これ以上の満足の評価はありません。
有り難いことです。
「読みたかった本を読むことが出来た!」これ以上の満足の評価はありません。
2018年5月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
石上神宮に蔵置されている百済からの七支刀に刻まれた漢文の読解きについて、稀代のアジア史家が平易な文章で新説を展開しているユニークな論文です。長年に亘って論争してきた年代の特定について、隠滅してしまった刀に刻まれた文字を解読する際、宮崎先生は、漢文の常識、当時の国際環境の歴史的理解を武器に、多くが物理的に読み解く珍説紛いの諸解答を俎上に乗せながら読み解きます。先生の筆運びは推理小説の犯人探しのごとく読む者を引き込みます。先生の結論には素人にも分かりやすく、案外真相は常識的な線に落ち着くのだな、と思わせます。
と同時にイワユル日本史家という専門家たちからこの論文が無視されていることに先生は憤懣を吐露します。これは、戦後の学術専門家としての生活権からくる日本独特の悪癖なので、専門外からのイチャモンには自分たちのギルドを守る為、口にチャックをするのは、今に始まったことではありませんね。唯一、松本清張氏が「鉄案」であると支持されたのみ、と先生も苦笑気味に述懐されています。
より本質的には、「日本史」が日本国内の記録・資料・論文を主たるネタとして、理解し再構成しようとする為、当時の世界史(中国史・朝鮮史を中心にして)との関連で日本を捉えない、という鎖国的学問に堕している事実がありますね。先生もこの辺りの事情に不満を漏らされています。
なぜここまで日本史学者が学問的良識より学者(大学教員)であり続けることを優先するような情けない現状に立ち至ったか。
誰かこの辺りの事情を解明してくれたら、今は亡き宮崎先生も莞爾として頷いてくれるかもしれませんね。(もちろん、先生のことですから、先刻承知の事情でしょうが)
と同時にイワユル日本史家という専門家たちからこの論文が無視されていることに先生は憤懣を吐露します。これは、戦後の学術専門家としての生活権からくる日本独特の悪癖なので、専門外からのイチャモンには自分たちのギルドを守る為、口にチャックをするのは、今に始まったことではありませんね。唯一、松本清張氏が「鉄案」であると支持されたのみ、と先生も苦笑気味に述懐されています。
より本質的には、「日本史」が日本国内の記録・資料・論文を主たるネタとして、理解し再構成しようとする為、当時の世界史(中国史・朝鮮史を中心にして)との関連で日本を捉えない、という鎖国的学問に堕している事実がありますね。先生もこの辺りの事情に不満を漏らされています。
なぜここまで日本史学者が学問的良識より学者(大学教員)であり続けることを優先するような情けない現状に立ち至ったか。
誰かこの辺りの事情を解明してくれたら、今は亡き宮崎先生も莞爾として頷いてくれるかもしれませんね。(もちろん、先生のことですから、先刻承知の事情でしょうが)
2006年7月30日に日本でレビュー済み
大和石上神宮に伝わる奇妙な刀には伝来の消息を伝える古代の文字が掘り込まれており、その内容の判読をめぐっては、明治以来、多くの研究者や古代史ファンがロマンをかき立てられてきました。この刀、3世紀の半ば頃、百済の肖古王から我が国の神宮皇后に献上されたものとの伝説もありますが、実際のところはどうなのでしょうか。
本書は、東洋史京都学派の泰斗たる宮崎市定博士が、漢学の文献学的アプローチや五世紀の東アジアの国際情勢に関する分析を加味することにより、従来の考古学的な知見の限界を超えて七支刀伝来の秘密に迫るものです。そして、その成果を踏まえ、稲荷山鉄刀と江田船山大刀を加えた、いわゆる雄略三刀伝来に関する歴史的な意味合いを説き明かそうとしています。
この研究、もともと博士が会長を勤めていた学界での開会スピーチに由来するとのことであり、本書における語り口も特に洒脱で軽妙です。研究史の紹介に関する部分などは、門外漢の小生などにとっては些か鬱陶しいものがありましたが、語り口の巧さでなんとか楽しく読めたと思います。
ところで、本書では、七支刀伝来に関する新たな仮説が提示されていますが、この説は国史学界から殆ど黙殺された由。本書末尾所載の「文庫版あとがき」では、この点についての博士の恨み節をほんの少しだけ聞くことができます。謹厳実直のイメージが強い宮崎博士ですが、人間としての肉声を垣間見るようで、面白く感じました。
本書は、東洋史京都学派の泰斗たる宮崎市定博士が、漢学の文献学的アプローチや五世紀の東アジアの国際情勢に関する分析を加味することにより、従来の考古学的な知見の限界を超えて七支刀伝来の秘密に迫るものです。そして、その成果を踏まえ、稲荷山鉄刀と江田船山大刀を加えた、いわゆる雄略三刀伝来に関する歴史的な意味合いを説き明かそうとしています。
この研究、もともと博士が会長を勤めていた学界での開会スピーチに由来するとのことであり、本書における語り口も特に洒脱で軽妙です。研究史の紹介に関する部分などは、門外漢の小生などにとっては些か鬱陶しいものがありましたが、語り口の巧さでなんとか楽しく読めたと思います。
ところで、本書では、七支刀伝来に関する新たな仮説が提示されていますが、この説は国史学界から殆ど黙殺された由。本書末尾所載の「文庫版あとがき」では、この点についての博士の恨み節をほんの少しだけ聞くことができます。謹厳実直のイメージが強い宮崎博士ですが、人間としての肉声を垣間見るようで、面白く感じました。
2020年9月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
七支刀とは百済から贈られた装飾武器であり、実物が大和の石上神宮に現存してい
る。その表面には金象嵌された61字の銘文があるが、剥落により読めない箇所があ
り、その解釈をめぐって明治以来さまざまな議論があった。銘文は漢文である。漢
文であるならば漢文の作法に従って解釈しなければならないが、従来の解釈はその
点を全く考慮しなかった。例えば、銘文中のある文字を倭または百済の主権者の実
名と解する説が多いが、これは倭と百済の間では起こりえないのである。なぜなら、
漢文世界では主権者が自分の実名を用いれば相手に臣従することを意味し、相手の
実名を用いるときは相手を臣下として遇することになるからだ。
銘文の最初の2字は中国の年号であるが、第2字目が不明確なため、その読み方は
学者によって異なる。多数説はこれを和と読み、第1字と続けて泰和とする。とこ
ろが泰和なる年号はその前後には存在しないので、泰は太と同じとみなし、これを
東晋海西公の太和四年 (369年) に宛てる。しかし、後世において 泰と太を混用し
たとしても同時代の年号の太和をわざわざ泰和に変える必要があるだろうか。
第2字は七支刀に初めて鑢をかけた石上神宮宮司菅政友にしたがって始と読みたい。
泰始4年ならば、南朝宋明帝の泰始四年 (468年) がある。その当時の百済王は蓋鹵
王であるが、その世子であった文周王が上佐平なる特別職に任じられ国政を一任さ
れた。したがって王世子が国王に代わって七支刀を倭国王に贈呈してもちっともお
かしくない。泰始四年は雄略天皇の12年にあたる。当時は日本が活発な対大陸外交
を展開していた時代であり、半島では百済を助けて高句麗に対抗していた。百済が
日本に七支刀を贈呈する理由のある時代だった。
宮崎は銘文末尾の□□□□作は工作人の名前とする従来の説を退け、最後の字は作
ではなく祥の字画の大半が摩滅したものと考え、これに永年大吉祥なる吉祥句をあ
てた。なお 宮崎が解読した七支刀の銘文は南朝宋が元嘉三年 (426年) に下賜用に
造った元嘉刀の銘文に酷似している。宮崎の読みの正しさを証してあまりあるが、
日本の史学界はなぜか宮崎の偉大なる功績を完全に無視している。不可解としか言
いようがない。
る。その表面には金象嵌された61字の銘文があるが、剥落により読めない箇所があ
り、その解釈をめぐって明治以来さまざまな議論があった。銘文は漢文である。漢
文であるならば漢文の作法に従って解釈しなければならないが、従来の解釈はその
点を全く考慮しなかった。例えば、銘文中のある文字を倭または百済の主権者の実
名と解する説が多いが、これは倭と百済の間では起こりえないのである。なぜなら、
漢文世界では主権者が自分の実名を用いれば相手に臣従することを意味し、相手の
実名を用いるときは相手を臣下として遇することになるからだ。
銘文の最初の2字は中国の年号であるが、第2字目が不明確なため、その読み方は
学者によって異なる。多数説はこれを和と読み、第1字と続けて泰和とする。とこ
ろが泰和なる年号はその前後には存在しないので、泰は太と同じとみなし、これを
東晋海西公の太和四年 (369年) に宛てる。しかし、後世において 泰と太を混用し
たとしても同時代の年号の太和をわざわざ泰和に変える必要があるだろうか。
第2字は七支刀に初めて鑢をかけた石上神宮宮司菅政友にしたがって始と読みたい。
泰始4年ならば、南朝宋明帝の泰始四年 (468年) がある。その当時の百済王は蓋鹵
王であるが、その世子であった文周王が上佐平なる特別職に任じられ国政を一任さ
れた。したがって王世子が国王に代わって七支刀を倭国王に贈呈してもちっともお
かしくない。泰始四年は雄略天皇の12年にあたる。当時は日本が活発な対大陸外交
を展開していた時代であり、半島では百済を助けて高句麗に対抗していた。百済が
日本に七支刀を贈呈する理由のある時代だった。
宮崎は銘文末尾の□□□□作は工作人の名前とする従来の説を退け、最後の字は作
ではなく祥の字画の大半が摩滅したものと考え、これに永年大吉祥なる吉祥句をあ
てた。なお 宮崎が解読した七支刀の銘文は南朝宋が元嘉三年 (426年) に下賜用に
造った元嘉刀の銘文に酷似している。宮崎の読みの正しさを証してあまりあるが、
日本の史学界はなぜか宮崎の偉大なる功績を完全に無視している。不可解としか言
いようがない。