岸田先生の本はやはり面白い。
気軽に読めそうな内容であるが、文章は難解な箇所もあり、腰を据えて読む必要がある。
先生が一貫して主張しているように人間は幻想に基づいて生きるしかないのだろうか?
やはりそうなのだろうと不惑を迎え感じるようになった。傍目にはどんなに恵まれた人生を送っていても孤独や空虚感から逃れられないと思う。
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ものぐさ精神分析 (続) (中公文庫 き 3-4) 文庫 – 1996/1/18
岸田 秀
(著)
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- 本の長さ399ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1996/1/18
- ISBN-104122025192
- ISBN-13978-4122025196
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1996/1/18)
- 発売日 : 1996/1/18
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 399ページ
- ISBN-10 : 4122025192
- ISBN-13 : 978-4122025196
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2018年6月3日に日本でレビュー済み
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2016年7月17日に日本でレビュー済み
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人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ。
“すべては幻想である”という価値観をインストールするためには、世間という名の洗脳から自由になる必要が。 人生そのものも幻なら、自分の想いのままに。
“すべては幻想である”という価値観をインストールするためには、世間という名の洗脳から自由になる必要が。 人生そのものも幻なら、自分の想いのままに。
2005年9月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本を読んでから様々な局面で精神的な免疫が出来た気がする。初めて読んだときも私の脳が求めている言葉が次々と出てきた。そればかりか街で少しおかしな人を見ても気が滅入る様なことがなくなった。ああこの人は人格を共同化出来なかったんだなと思うようになってきた。生活していくうちに別な効果も期待され、実に楽しみである。
2004年1月10日に日本でレビュー済み
この本は、「ものぐさ精神分析」の続本である。
したがって、「ものぐさ精神分析」を読まれていない方には、まず、そちらをお薦めする。著者独特の興味深い文章を楽しむことができるであろう。
この「続ものぐさ精神分析」は、もとは、「二番煎じ ものぐさ精神分析」と「出がらし ものぐさ精神分析」の2冊である。タイトルが示すとおり、本当に、二番煎じであり、出がらしである。つまり、最初の「ものぐさ精神分析」と同じ思想を、言い方を変えただけの論文が多い。これは著者も、あとがきで認めているところである。
したがって、残念ながら、最初に「ものぐさ精神分析」を読んだときに感じる独特感・新鮮感はうすい。「また同じことを言っている」と感じるほうが多い。
しかし、逆にいうと、著者の考えを繰り返し読むことにより、理解度が高まるとも言えるので、著者の考えを深めて理解していきたい方には一読をお薦めしたい。
したがって、「ものぐさ精神分析」を読まれていない方には、まず、そちらをお薦めする。著者独特の興味深い文章を楽しむことができるであろう。
この「続ものぐさ精神分析」は、もとは、「二番煎じ ものぐさ精神分析」と「出がらし ものぐさ精神分析」の2冊である。タイトルが示すとおり、本当に、二番煎じであり、出がらしである。つまり、最初の「ものぐさ精神分析」と同じ思想を、言い方を変えただけの論文が多い。これは著者も、あとがきで認めているところである。
したがって、残念ながら、最初に「ものぐさ精神分析」を読んだときに感じる独特感・新鮮感はうすい。「また同じことを言っている」と感じるほうが多い。
しかし、逆にいうと、著者の考えを繰り返し読むことにより、理解度が高まるとも言えるので、著者の考えを深めて理解していきたい方には一読をお薦めしたい。
2015年3月10日に日本でレビュー済み
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単行本に読みなれていない為、字が小さすぎて読みずらかったです。内容はかなり専門的で難しいですね。
2004年9月27日に日本でレビュー済み
子供に「素直になりなさい」などと言える親は、子供の心を知らない無神経な親である。はたして彼らは子供が本当に素直になった場合のことを考えた上で言っているのであろうか? 子供というものは、親子関係をスムースに保つため、親に気に入られるため、かなり気を使い、気をまわし、不満や疑いを押し殺しているものなのである。とにかく、子供がのびのびと自由に振る舞い、そしてそれが親の気に入ることと一致しているといったうまい話が転がっていないことだけは確かである。(「子の心親知らず」の要約)
2004年3月19日に日本でレビュー済み
印象に残ったのは、アメリカ建国時に100万はいたインディアンが20万になった大虐殺の経験の欺瞞が現在のアメリカの戦争フェティシズムという行為の理由であるという「アメリカを精神分析する」 唯物論は黒い白馬、のように形容矛盾であるという「史的唯物論批判」 ユングの本能心理学的考えへの厳しい批判「ユングの元型について」 子供の頃父親と同一視に失敗した者が同性愛者になる、同性愛者は男らしさに挫折した者なので、彼らは普通の女性よりも男らしさを賛美する傾向にある。 三島由紀夫の精神ははじめから死んでいた、この世に生きているという実在感の欠如に彼の創作、その他の活動を説くカギがある、などです
「ものぐさ精神分析」を読んですぐ買いました。岸田秀の本はこれで2冊目です。この本を読んで三島由紀夫がかわいそうでかわいそうでしばらく落ち込んでしまった覚えがあります。他にも「アメリカを精神分析する」「シニシズムの破綻」「役割としての性」に強いショック(岸田秀の本は感銘とか感動とかよりもショック、という表現が自分にはふさわしいと思う)をうけました
「ものぐさ精神分析」を読んですぐ買いました。岸田秀の本はこれで2冊目です。この本を読んで三島由紀夫がかわいそうでかわいそうでしばらく落ち込んでしまった覚えがあります。他にも「アメリカを精神分析する」「シニシズムの破綻」「役割としての性」に強いショック(岸田秀の本は感銘とか感動とかよりもショック、という表現が自分にはふさわしいと思う)をうけました
2020年1月9日に日本でレビュー済み
岸田秀氏のいう「唯幻論」とはいったいなんなのか。
それは結局人類文化というものが失われた人間の本能を補佐するためにあり、
その意味で人間は生物学的存在から疎外されて生きていることを出発点とすべきでしょう。
岸田心理学の要諦はつまるところそういうことなのです。
では、その唯幻論をプラスに(ポジティブに)解するならば、どうでしょうか。
即ち、「人間がまぼろしのような文化や精神というものを相手に生きなければならないとしたら、
人間は抽象的存在者になってしまうであろう。それよりはむしろ具体的な生をいきたほうが、
どれほど得策であろうか」ということになるでしょうか。
文化人類学等で模索してきたのは具体的な生の集合的なリアリティをつうじた、
普遍的で抽象的な文化というものでした。通有性といってもよいでしょう。
汎民族的に得られる文化的通有性をば問題にしてきたのです。
しかし、ここで改めて歴史という事実的側面や個というパーソナルな側面を再評価することは、
既成の社会科学の立場からは許されにくいかもしれません。
というのは、社会科学というのはあくまで集合表象を問題にするからで、
そこには生きた歴史や生きた個人はあまり出てはこないのです。
さらにしかし、心理学ではそれができます。というのは、心理学は自然、人文、社会に跨る、
広大な学問領域を有するからで、それは精神医学等にもつうじ、
さまざまな人間像の吟味検討を経て、自然的あるいは社会的な多形性を伝えています。
さて、そこで次のようなことを提案しておきます:
我や我々をも包括的に相対化してしまうと、心理学の根拠点が揺らぎます。
しかるに、我や我々を絶対視することは利己主義的遺伝子の発想にもつうじ、ある意味で危険です。
そこで、中立策としてはいわば「確立された自己」という観点に立って、
同じく他の自己を見つめることによって、さらなる陶冶(自己形成)を目指してみる、
というのはいかがでしょう。その地平において、真のユマニスムや個人主義が誕生するかもしれません。
スペンサーもいう社会進化にあたるでしょう。そうした向きに本書のご解読をおすすめしておきます。
それは結局人類文化というものが失われた人間の本能を補佐するためにあり、
その意味で人間は生物学的存在から疎外されて生きていることを出発点とすべきでしょう。
岸田心理学の要諦はつまるところそういうことなのです。
では、その唯幻論をプラスに(ポジティブに)解するならば、どうでしょうか。
即ち、「人間がまぼろしのような文化や精神というものを相手に生きなければならないとしたら、
人間は抽象的存在者になってしまうであろう。それよりはむしろ具体的な生をいきたほうが、
どれほど得策であろうか」ということになるでしょうか。
文化人類学等で模索してきたのは具体的な生の集合的なリアリティをつうじた、
普遍的で抽象的な文化というものでした。通有性といってもよいでしょう。
汎民族的に得られる文化的通有性をば問題にしてきたのです。
しかし、ここで改めて歴史という事実的側面や個というパーソナルな側面を再評価することは、
既成の社会科学の立場からは許されにくいかもしれません。
というのは、社会科学というのはあくまで集合表象を問題にするからで、
そこには生きた歴史や生きた個人はあまり出てはこないのです。
さらにしかし、心理学ではそれができます。というのは、心理学は自然、人文、社会に跨る、
広大な学問領域を有するからで、それは精神医学等にもつうじ、
さまざまな人間像の吟味検討を経て、自然的あるいは社会的な多形性を伝えています。
さて、そこで次のようなことを提案しておきます:
我や我々をも包括的に相対化してしまうと、心理学の根拠点が揺らぎます。
しかるに、我や我々を絶対視することは利己主義的遺伝子の発想にもつうじ、ある意味で危険です。
そこで、中立策としてはいわば「確立された自己」という観点に立って、
同じく他の自己を見つめることによって、さらなる陶冶(自己形成)を目指してみる、
というのはいかがでしょう。その地平において、真のユマニスムや個人主義が誕生するかもしれません。
スペンサーもいう社会進化にあたるでしょう。そうした向きに本書のご解読をおすすめしておきます。