うーん。
この本を読みたいと思ったのは以下のコメントを偶然見たから。
「武田百合子には病身の武田泰淳を支えることに微塵も迷いがなかった。」
このコメントを読み、読破したいと思ったのですが、(上)を読む限り、ちょっと合わなかったかな…。嫌いではないのですが。
もしかすると(中)(下)と読み進めるほどに良さがにじむのかもしれませんね。
でも取りあえず、あきらめてはいませんから、今後、読破することもあるかもしれません。
2020.3.25
追記します。
前回はよく読まず、初めの部分を少し読んだだけでレビューを書いてしまいましたが、今回は上巻をすべてきちんと読みました。
こんなにいいとは思いませんでした。
あきらめなくて良かった!!
少しずつ読んでいったらうまくリズムに乗れて段々楽しく、そして夢中になって読みました。
特にいいなと思ったのが年末から年始にかけて。
近所の人たちがとても人情に厚いですね。そしてそれが当たり前で恩着せがましいところなどありません。
こんなにこの時代って人間味あふれていたの?
今の日本とずいぶん違う。
百合子さんは作家の妻だからではありません。
その証拠に百合子さんのことを知らない通りすがりの若い男衆でも「あんたの車汚れてるなぁ。女の車とは思えねえや。」
「そお?」とそのまま泳ぎに行き、帰ってきた百合子さんを待っていた事は…。
私のほうが読んでハッとしちゃった!
そしてもうひとつ。百合子さんもとっても親切です。
無免許運転の若い男の子を車に乗せてやり、送った時の彼との会話は笑った!
この男の子の仲間たちもなかなかいい子たちです!
こんなやりとりがふんだんに書かれており、ものすごくいいな、と思った次第です。
中巻ももちろん読みます。楽しみ。
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富士日記 上巻 改版 (中公文庫 た 15-6) 文庫 – 1997/4/18
武田 百合子
(著)
- 本の長さ474ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1997/4/18
- ISBN-104122028418
- ISBN-13978-4122028418
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1997/4/18)
- 発売日 : 1997/4/18
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 474ページ
- ISBN-10 : 4122028418
- ISBN-13 : 978-4122028418
- Amazon 売れ筋ランキング: - 163,577位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 376位日本文学(日記・書簡)
- - 1,200位中公文庫
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年4月22日に日本でレビュー済み
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2017年6月25日に日本でレビュー済み
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・短い表現に感情を乗せすぎない妙がある。乗せなければ楽しくないし、乗せすぎるとつまらない。記録と感情のバランスが素晴らしい。
・時代性がほぼない。これが戦前、60年代でも、バブルでも、00年代でも、このメンバでこの生活になれば、こうなる。久遠の記録。
・夜飯が適当だったり、家族で違ったり、そういう細かいことがよろしい。酒量もきになるし、きっと飲んでるけど、その点にはあまり触れていない感じも良いではないか。
・時代性がほぼない。これが戦前、60年代でも、バブルでも、00年代でも、このメンバでこの生活になれば、こうなる。久遠の記録。
・夜飯が適当だったり、家族で違ったり、そういう細かいことがよろしい。酒量もきになるし、きっと飲んでるけど、その点にはあまり触れていない感じも良いではないか。
2017年6月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
鳴沢村に山荘を持つものです。当時の鳴沢周辺の様子や、地元の人々の事を知り、そして今と違って交通も開けてなかった時代にパワフルに車を飛ばす筆者の姿を読み、とても元気をもらえました。
2019年6月22日に日本でレビュー済み
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武田百合子さんという方も、小説家であるご主人のことも全く知らなかったのですが。著者紹介のお写真を見ても、大正生まれとは思えない派手めのルックス、自由奔放な性格、物言い。なんとも魅力的な女性です。富士の裾野にある別荘での生活、家計簿のように細かな買い物の記録、3食の献立の記録。本当に、なんでもない日記なのですが、とても良かったです。時間をおいてまた読み返します。
2015年2月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
発表する事は全く考えて居なかった日々の記録故に率直でさりげない表現に好感が持てました。
著者の繊細な感性がキラリと輝く描写は素晴らしく、四季折々に移ろう富士の厳しくも美しい自然に己を委ねゆっくりと読み進めました。
大岡氏との家族ぐるみの交流、素朴な地元の人々の様子はリアルに記されていて心の温もりを感じ、出逢った植物や小動物に向ける眼差しは細やかですが著者の人としての芯の強さを随所に見受けられました。
3冊を読み終わってこれが人間本来の在り方ではないかと思いました。現在の都会での生活は便利さと引き換えに大切なものを失っているのでは?と改めて考えました。
混沌として先の見えない世相の中で立ち止まってゆったりと読むのも良いかと思います。
著者の繊細な感性がキラリと輝く描写は素晴らしく、四季折々に移ろう富士の厳しくも美しい自然に己を委ねゆっくりと読み進めました。
大岡氏との家族ぐるみの交流、素朴な地元の人々の様子はリアルに記されていて心の温もりを感じ、出逢った植物や小動物に向ける眼差しは細やかですが著者の人としての芯の強さを随所に見受けられました。
3冊を読み終わってこれが人間本来の在り方ではないかと思いました。現在の都会での生活は便利さと引き換えに大切なものを失っているのでは?と改めて考えました。
混沌として先の見えない世相の中で立ち止まってゆったりと読むのも良いかと思います。
2016年2月28日に日本でレビュー済み
ヒマだから昨晩、風呂に入って晩御飯が終わった後にしたことを書く。
アルコール・ホリディが四日間続くから、今日もたぶん似たようなことになる。なぜ四日間かと言うと、土曜日にたらふく飲むからだ。
まず、お茶を飲んだ。玄米茶だった。何回も注ぎ足して飲むから、緑茶の方がよかったとかブツブツひとりごちてみる。
歯を磨かなければならないけど、そのまえに済ましておかなければならないことは何か、考えてみる。あ、ハッサクとミカンを食そう。ハッサクはほろ苦く、ミカンは仄かな甘み、うん満足でした。
痔の手当てをしないといけない。尾籠な話ですみません。この病いとのお付合いは、もうかれこれ40年になる。サッカーの練習のとき地べたに座り、円陣を組んだ時からだ。大学の一年の時だった。
忘れもしない、25年前のこと。ー
あまりの悪化に、2日間、寝たきりになったことがある。座ることができない。寝ていても痛い。局所は悲惨な状態だ。恥ずかしくて詳しく書けない。タクシーに乗るにも、座れない。母が特効薬を買ってきてくれた。
漢方薬でRという飲み薬だ。この薬はお湯に溶いて、飲む粉薬だが、泥の水のようになる。
味も、泥湯を飲むような感じだ。これは効くだろうという確信があった。こんなつらい目にあって、効かないわけがない。。。。と思っていたら、案の定、効いた。
3日目に、タクシーで麹町四丁目の会社に出社すると、みんなが切れという。入社したての女子社員まで、同じことを言う。恥ずかしかった。けど、この恐怖の3日間でも、お酒は止めなかった。我ながら、侍だと自負している。人はそれを自滅型だと言う。まあ、見解の相違だ。
このRは最後の手段で、平時、みんなが使っているボラギ***軟膏で十分だ。
歯を磨いた。
志水辰夫の文庫本を半分ほど、読んだ。先日、「行きずりの街」でKOされてから、病み付きだ。それにしても、多彩な作家だ。読むたびに、少し傾向を変えている。
WMPで、数日前に買った伊東ゆかりの「Touch Me Lightly」を、少し聴く。「18才の彼」は名曲である。金子由香利さんのも素敵だが、それよりずっと好きだ。音楽に関係ないが、アルケミーランダムにして聴いていた。
この画像構成のプログラムは凄いなあと感心してしまった。前の会社に入社して最初の半年、朝から晩までプログラムを書かされた。配属先がプログラム課というところだった。胸を張って言える事ではないけれど、いっぺんに落ちこぼれた。半年もプログラマーをやっていると、どうにか格好がつくから不思議だ。その頃と今は全然違うが、乱数を発生させるのは簡単だが、音に反応させて、どのようにロジックを組み立てるのだろう。想像もできない。
DVDの「愛と青春の旅立ち」を見る。劇場で観たから、二度目だ。テイラー・ハックフォード監督は社会派の名匠だ。この映画を観たときは、軍国主義映画とはむろん思わなかったけど、青春映画の監督だと思った。その後の映画をずっと観ていると、ブルーカラーの視点に立つ映像作家であることがよくわかる。この作品でも、ヒロインは製紙工場の女工だった。製糸工場に働く女性たちの挿話も、今回、得心がいった。
やはり感動的だったのは、卒業して鬼軍曹の教官に挨拶する場面である。
もう一つは、製糸工場のラストの移動撮影である。横移動だけだと思っていたら、斜めの縦の移動もあって、最初からかなりの才人だったのも確認できた。
あとやっぱ、主題歌「Up Where We Belong」(ジョー・コッカー&ジェニファー・ウォーンズ)でしょうね。ほかにも、モーリス・アルバートの「フィーリング」(Feelings)なども流れていた。
DVDを観ている間に、トイレに立ち、お茶を飲んだりしていた。ほかには、座ったままでできる軽い腹筋など、してみた。あ、そうだそうだ、五十肩が奇跡的に治ったんですよ。ほっておくと、忘れた頃に治るって言うのは。。。本当でした。左手がまったく、上がらなかった。もともとは、マーケットで、ハッサク(またしても!)、夏みかんをいっぱい買い込んで、担ぎ屋のように持ち帰ったときに痛めたのだった。
あまりの痛さに、骨肉腫かと思ったくらいだ。まあ、治ってよかった。
映画が終わると、12時少し前だ。
まだ、寝る気にならない。ジョナサン・ハスラム「誠実という悪徳」(現代思潮新社)を手にとったけど、どうも気が乗らない。E・H・カーの評伝なんですよね。E・H・カーは、このブログで唯一、まじめに書いた亡くなられた衛藤瀋吉先生が訳された「両大戦間における国際関係史」と「危機の二十年」だけ読んでいて、それはそれは偉人なのは知っている。けど、食指が動かない。
武田百合子さんの「日日雑記」を書棚から引っ張り出して読むと、これが俄然面白い。
「富士日記」は、上・中・下の全部、読んだ。「富士日記」はたしか川上弘美さんが絶賛していて、それで買って読んだのだ。素晴しいものだった。川上さんも、読んで感動して富士山のふもとの民宿に泊まったとか書いてあった。
「日日雑記」は読みやすいし、楽しい。今まで、どうして読まなかったのだろう。こういう本、たくさんあるんだよね。映画の中のセリフで、いつ死んでもいいように、結末から先に読むとか言うのがあった。
こういう箇所があった。
ある晴れた、暖かいお正月にアメ横に出かけて、買い物をした後に、遅いお昼を食べに食堂に行ったときの話だった。食堂は満席で、当然だが、しばらく待たされる。武田百合子さんは陳列棚に並べてある模型の見本料理を眺めていた。
いろんな料理のろう細工の模型があった。以下、引用だ。
「つくづくと眺めていたら、突然、あの世って淋しいところなんだろうな。あの世にはこういう賑やかさはないだろうな。こういうものがごたごたとあるところで、もうしばらく生きていたい!!という気持ちが、お湯のようにこみ上げてきた。」
この頃、武田さんはかなり心臓が悪くなっていて、すぐ亡くなられたのを知って読んでいると、とても悲しくなった。なんだかウルウルしてきた。
昔、スタンリー・クレイマー監督の「渚にて」を見たときのことを思い出した。原爆を落とした国なのに、よくもこんな映画が作れるもんだとムカツキながら、世界が滅亡しても、僕は生きていたいと思ったものだ。なんだかんだいいながら、健康でいられるのがありがたく思えた。
アルコール・ホリディが四日間続くから、今日もたぶん似たようなことになる。なぜ四日間かと言うと、土曜日にたらふく飲むからだ。
まず、お茶を飲んだ。玄米茶だった。何回も注ぎ足して飲むから、緑茶の方がよかったとかブツブツひとりごちてみる。
歯を磨かなければならないけど、そのまえに済ましておかなければならないことは何か、考えてみる。あ、ハッサクとミカンを食そう。ハッサクはほろ苦く、ミカンは仄かな甘み、うん満足でした。
痔の手当てをしないといけない。尾籠な話ですみません。この病いとのお付合いは、もうかれこれ40年になる。サッカーの練習のとき地べたに座り、円陣を組んだ時からだ。大学の一年の時だった。
忘れもしない、25年前のこと。ー
あまりの悪化に、2日間、寝たきりになったことがある。座ることができない。寝ていても痛い。局所は悲惨な状態だ。恥ずかしくて詳しく書けない。タクシーに乗るにも、座れない。母が特効薬を買ってきてくれた。
漢方薬でRという飲み薬だ。この薬はお湯に溶いて、飲む粉薬だが、泥の水のようになる。
味も、泥湯を飲むような感じだ。これは効くだろうという確信があった。こんなつらい目にあって、効かないわけがない。。。。と思っていたら、案の定、効いた。
3日目に、タクシーで麹町四丁目の会社に出社すると、みんなが切れという。入社したての女子社員まで、同じことを言う。恥ずかしかった。けど、この恐怖の3日間でも、お酒は止めなかった。我ながら、侍だと自負している。人はそれを自滅型だと言う。まあ、見解の相違だ。
このRは最後の手段で、平時、みんなが使っているボラギ***軟膏で十分だ。
歯を磨いた。
志水辰夫の文庫本を半分ほど、読んだ。先日、「行きずりの街」でKOされてから、病み付きだ。それにしても、多彩な作家だ。読むたびに、少し傾向を変えている。
WMPで、数日前に買った伊東ゆかりの「Touch Me Lightly」を、少し聴く。「18才の彼」は名曲である。金子由香利さんのも素敵だが、それよりずっと好きだ。音楽に関係ないが、アルケミーランダムにして聴いていた。
この画像構成のプログラムは凄いなあと感心してしまった。前の会社に入社して最初の半年、朝から晩までプログラムを書かされた。配属先がプログラム課というところだった。胸を張って言える事ではないけれど、いっぺんに落ちこぼれた。半年もプログラマーをやっていると、どうにか格好がつくから不思議だ。その頃と今は全然違うが、乱数を発生させるのは簡単だが、音に反応させて、どのようにロジックを組み立てるのだろう。想像もできない。
DVDの「愛と青春の旅立ち」を見る。劇場で観たから、二度目だ。テイラー・ハックフォード監督は社会派の名匠だ。この映画を観たときは、軍国主義映画とはむろん思わなかったけど、青春映画の監督だと思った。その後の映画をずっと観ていると、ブルーカラーの視点に立つ映像作家であることがよくわかる。この作品でも、ヒロインは製紙工場の女工だった。製糸工場に働く女性たちの挿話も、今回、得心がいった。
やはり感動的だったのは、卒業して鬼軍曹の教官に挨拶する場面である。
もう一つは、製糸工場のラストの移動撮影である。横移動だけだと思っていたら、斜めの縦の移動もあって、最初からかなりの才人だったのも確認できた。
あとやっぱ、主題歌「Up Where We Belong」(ジョー・コッカー&ジェニファー・ウォーンズ)でしょうね。ほかにも、モーリス・アルバートの「フィーリング」(Feelings)なども流れていた。
DVDを観ている間に、トイレに立ち、お茶を飲んだりしていた。ほかには、座ったままでできる軽い腹筋など、してみた。あ、そうだそうだ、五十肩が奇跡的に治ったんですよ。ほっておくと、忘れた頃に治るって言うのは。。。本当でした。左手がまったく、上がらなかった。もともとは、マーケットで、ハッサク(またしても!)、夏みかんをいっぱい買い込んで、担ぎ屋のように持ち帰ったときに痛めたのだった。
あまりの痛さに、骨肉腫かと思ったくらいだ。まあ、治ってよかった。
映画が終わると、12時少し前だ。
まだ、寝る気にならない。ジョナサン・ハスラム「誠実という悪徳」(現代思潮新社)を手にとったけど、どうも気が乗らない。E・H・カーの評伝なんですよね。E・H・カーは、このブログで唯一、まじめに書いた亡くなられた衛藤瀋吉先生が訳された「両大戦間における国際関係史」と「危機の二十年」だけ読んでいて、それはそれは偉人なのは知っている。けど、食指が動かない。
武田百合子さんの「日日雑記」を書棚から引っ張り出して読むと、これが俄然面白い。
「富士日記」は、上・中・下の全部、読んだ。「富士日記」はたしか川上弘美さんが絶賛していて、それで買って読んだのだ。素晴しいものだった。川上さんも、読んで感動して富士山のふもとの民宿に泊まったとか書いてあった。
「日日雑記」は読みやすいし、楽しい。今まで、どうして読まなかったのだろう。こういう本、たくさんあるんだよね。映画の中のセリフで、いつ死んでもいいように、結末から先に読むとか言うのがあった。
こういう箇所があった。
ある晴れた、暖かいお正月にアメ横に出かけて、買い物をした後に、遅いお昼を食べに食堂に行ったときの話だった。食堂は満席で、当然だが、しばらく待たされる。武田百合子さんは陳列棚に並べてある模型の見本料理を眺めていた。
いろんな料理のろう細工の模型があった。以下、引用だ。
「つくづくと眺めていたら、突然、あの世って淋しいところなんだろうな。あの世にはこういう賑やかさはないだろうな。こういうものがごたごたとあるところで、もうしばらく生きていたい!!という気持ちが、お湯のようにこみ上げてきた。」
この頃、武田さんはかなり心臓が悪くなっていて、すぐ亡くなられたのを知って読んでいると、とても悲しくなった。なんだかウルウルしてきた。
昔、スタンリー・クレイマー監督の「渚にて」を見たときのことを思い出した。原爆を落とした国なのに、よくもこんな映画が作れるもんだとムカツキながら、世界が滅亡しても、僕は生きていたいと思ったものだ。なんだかんだいいながら、健康でいられるのがありがたく思えた。
2018年2月18日に日本でレビュー済み
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