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道誉なり 上巻 (中公文庫 き 17-4) 文庫 – 1999/2/1
北方 謙三
(著)
- 本の長さ356ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1999/2/1
- ISBN-104122033462
- ISBN-13978-4122033467
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1999/2/1)
- 発売日 : 1999/2/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 356ページ
- ISBN-10 : 4122033462
- ISBN-13 : 978-4122033467
- Amazon 売れ筋ランキング: - 596,679位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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昭和22(1947)年、佐賀県唐津市生れ。47年中央大学法学部卒。58年「眠りなき夜」で第1回日本冒険小説協会大賞、第4回吉川英治文学新人賞、平 成3年「破軍の星」で第4回柴田錬三郎賞、16年「楊家将」で第38回吉川英治文学賞、18年「水滸伝」で第9回司馬遼太郎賞、19年「独り群せず」で第 1回舟橋聖一文学賞、22年第13回日本ミステリー文学大賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 独り群せず (ISBN-13: 978-4167419110 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2009年10月16日に日本でレビュー済み
この作品で、作者の南北朝時代を読むのは3作目。
佐々木道誉を主に、尊氏サイドと平行していく形でストーリーが進んでいった。
前2作は、悪党が主軸だったので、今回武士が主で新鮮な気がした。
生き方も考え方も、背負っているものも違うと、改めて思った。
相変わらず文章が魅力で、すらすらと読んでしまった。
道誉=バサラ、というものが何か、なんとなく感じることが出来た様な気がした。
道誉にかぎらず、作品に出てくる人たちはみんな、
どこか頭の回転や機転や視野が非凡だなぁと
羨望してしまう。
(2009.8.10読)
佐々木道誉を主に、尊氏サイドと平行していく形でストーリーが進んでいった。
前2作は、悪党が主軸だったので、今回武士が主で新鮮な気がした。
生き方も考え方も、背負っているものも違うと、改めて思った。
相変わらず文章が魅力で、すらすらと読んでしまった。
道誉=バサラ、というものが何か、なんとなく感じることが出来た様な気がした。
道誉にかぎらず、作品に出てくる人たちはみんな、
どこか頭の回転や機転や視野が非凡だなぁと
羨望してしまう。
(2009.8.10読)
2016年2月25日に日本でレビュー済み
1999年の小説。めずらしくも、ばさら大名・佐々木道誉を主人公とした小説である。
建武の新政のころ、武士たちは揉め事を公平に裁いてくれる棟梁を求める。そこに公家が入ってくるから面倒なことになる。公家の武士に対する憎悪が背景にある。朝廷は尊氏を無視できないので、本来なら彼にどこかの役職を任せたいのだが、尊氏は固辞しつづける。
建武の新政のころの朝廷は北条一門の広大な領地を手中にしたので、あるいはこのときなら銭で兵を養うことができたかもしれない。護良親王(大塔宮)は、武士が土地と武力の双方をもつことが面倒のもとなのだから、武士は土地だけもち、それを朝廷が守ってやればよい、朝廷だけに軍勢があればよい、と考える。しかし、護良親王は尊氏に排除される。尊氏にとってこれが大きかった。楠木正成や名和長年は家格が低すぎるので兵を集められない。必然的に新田義貞の存在が重くなる。護良親王と対立すれば帝との対立と見られかねないが義貞との対立なら武士対武士の構図にできる。
中先代の乱がおこると、鎌倉の足利直義はわざと負けて、尊氏は勅許を得られないまま東に向かう。佐々木道誉も参陣する。後醍醐天皇も直義の敗北は尊氏が京を出る名目を作るためのものと読んだからこそ勅許は与えない。尊氏も、北条時行が諏訪頼重を頼ったとき信濃を締め付けず、挙兵しやすいようにしてやっていた。反乱軍の仕業とみせかけて護良親王を殺すつもりだった。護良親王を斬ったものの、反乱軍の仕業とみせかけるようにはうまくできなかった。
尊氏は、帝が自分を嫌っていることを気に病むところがある。道誉は帝は自分のようなばさら者が好きなのだ、尊氏の方が新田義貞よりもばさらを持っているという。道誉は、ただ毀したいと思う男のことをばさら者という、と定義する。帝は毀し、尊氏も同じだという。
尊氏軍は賊軍となると、尊氏は出家するといいだす。本当は女々しいのかもしれない、最後の最後になって帝に反抗できないタイプ。六波羅探題を攻め、護良親王を殺し、諸国の武士には恩を売り、周到な準備をしてきたのに最後の最後に塞ぎの虫に襲われてしまう。小心でもあり、大胆でもある。周到でありながら、最後にすべてを放り出そうとする。自分とはまるで異質な男だと道誉は思う。
結局、尊氏が煮え切らないため道誉は弟を戦死させてしまった挙げ句、敵軍に降参する。数日後、気を取り直した尊氏は反撃。道誉はこのタイミングで再び尊氏側に寝返る。快進撃の尊氏だが、北畠顕家に破れ、九州に落ちていく。九州では菊池武敏3万5千と1200の手兵で対峙することになる。このとき尊氏は、九州の武士が自分たちに眼を注いでいるのだからここでは引けないと決意。九州の武士は棟梁を求めているはず、という尊氏の読みは当たり、どんどん味方に寝返ってくる。この勝利が分水嶺となった。
楠木正成は、単身、佐々木道誉を訪ねる。朝廷+幕府、というのがこの国の落ち着く先であり、帝という存在をつぶしたくない、と訴える。楠木正成は、自分は滅びるしかない男であると自嘲的でもある。尊氏につけば男として滅び、帝につけば首を取られるだろうと諦観している。道誉は、後醍醐天皇は広い目がない暗愚な王であるとけなすが、正成はだからこそ倒幕ができた、不屈ということを教えられたと帝のことをかばう。
楠木正成、名和長年、新田義貞、更には、不気味な北畠顕家も討ち果たされていく。尊氏は征夷大将軍になるが、不意につまらなくなってもくる。
高師直は、道誉は死ぬのをこわがってはいないが、自分が変わることをこわがっているのではないか、という。正成も尊氏が6カ国を与えるといってもなびかず、後醍醐の政治が間違っていることも知っているはずなのに、変わらなかった。道誉も正成もよくわからないというが、高師直は尊氏もどこかわからないところがある、という。
建武の新政のころ、武士たちは揉め事を公平に裁いてくれる棟梁を求める。そこに公家が入ってくるから面倒なことになる。公家の武士に対する憎悪が背景にある。朝廷は尊氏を無視できないので、本来なら彼にどこかの役職を任せたいのだが、尊氏は固辞しつづける。
建武の新政のころの朝廷は北条一門の広大な領地を手中にしたので、あるいはこのときなら銭で兵を養うことができたかもしれない。護良親王(大塔宮)は、武士が土地と武力の双方をもつことが面倒のもとなのだから、武士は土地だけもち、それを朝廷が守ってやればよい、朝廷だけに軍勢があればよい、と考える。しかし、護良親王は尊氏に排除される。尊氏にとってこれが大きかった。楠木正成や名和長年は家格が低すぎるので兵を集められない。必然的に新田義貞の存在が重くなる。護良親王と対立すれば帝との対立と見られかねないが義貞との対立なら武士対武士の構図にできる。
中先代の乱がおこると、鎌倉の足利直義はわざと負けて、尊氏は勅許を得られないまま東に向かう。佐々木道誉も参陣する。後醍醐天皇も直義の敗北は尊氏が京を出る名目を作るためのものと読んだからこそ勅許は与えない。尊氏も、北条時行が諏訪頼重を頼ったとき信濃を締め付けず、挙兵しやすいようにしてやっていた。反乱軍の仕業とみせかけて護良親王を殺すつもりだった。護良親王を斬ったものの、反乱軍の仕業とみせかけるようにはうまくできなかった。
尊氏は、帝が自分を嫌っていることを気に病むところがある。道誉は帝は自分のようなばさら者が好きなのだ、尊氏の方が新田義貞よりもばさらを持っているという。道誉は、ただ毀したいと思う男のことをばさら者という、と定義する。帝は毀し、尊氏も同じだという。
尊氏軍は賊軍となると、尊氏は出家するといいだす。本当は女々しいのかもしれない、最後の最後になって帝に反抗できないタイプ。六波羅探題を攻め、護良親王を殺し、諸国の武士には恩を売り、周到な準備をしてきたのに最後の最後に塞ぎの虫に襲われてしまう。小心でもあり、大胆でもある。周到でありながら、最後にすべてを放り出そうとする。自分とはまるで異質な男だと道誉は思う。
結局、尊氏が煮え切らないため道誉は弟を戦死させてしまった挙げ句、敵軍に降参する。数日後、気を取り直した尊氏は反撃。道誉はこのタイミングで再び尊氏側に寝返る。快進撃の尊氏だが、北畠顕家に破れ、九州に落ちていく。九州では菊池武敏3万5千と1200の手兵で対峙することになる。このとき尊氏は、九州の武士が自分たちに眼を注いでいるのだからここでは引けないと決意。九州の武士は棟梁を求めているはず、という尊氏の読みは当たり、どんどん味方に寝返ってくる。この勝利が分水嶺となった。
楠木正成は、単身、佐々木道誉を訪ねる。朝廷+幕府、というのがこの国の落ち着く先であり、帝という存在をつぶしたくない、と訴える。楠木正成は、自分は滅びるしかない男であると自嘲的でもある。尊氏につけば男として滅び、帝につけば首を取られるだろうと諦観している。道誉は、後醍醐天皇は広い目がない暗愚な王であるとけなすが、正成はだからこそ倒幕ができた、不屈ということを教えられたと帝のことをかばう。
楠木正成、名和長年、新田義貞、更には、不気味な北畠顕家も討ち果たされていく。尊氏は征夷大将軍になるが、不意につまらなくなってもくる。
高師直は、道誉は死ぬのをこわがってはいないが、自分が変わることをこわがっているのではないか、という。正成も尊氏が6カ国を与えるといってもなびかず、後醍醐の政治が間違っていることも知っているはずなのに、変わらなかった。道誉も正成もよくわからないというが、高師直は尊氏もどこかわからないところがある、という。
2008年9月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
南北朝時代の傑物の一人佐々木道誉の視点から描く、室町幕府勃興の物語。
北方先生は歴史小説の中ではあまりトップの内面を描写しないと思っていた。(「楊家将」で皇帝を描写はしているが、主役級の扱いではない。)
この作品では幕府のトップである足利尊氏の人物像をかなり書き込んで、佐々木道誉から見た尊氏という造りになっている。
道誉自身も戦闘で子を失ったりするわけだが、尊氏といえば、弟直義や股肱の臣でもある高師直といった対幕府、対南朝戦を共に乗り越えてきた「近しい者」を自分の手で葬り去っている。
後世から見れば「なんで?」とか「自分の栄達のためにはなんでもするひどい奴」のような印象をもたれても仕方ないのだが、この作品で整理された解釈を追うと、「さもありなん」と思えないでもない。
史実であるとは思わないが、北方先生の解釈する尊氏像にそれほど違和感はない。
結局は「男がどう生きるか(どう死ぬか)」という北方作品普遍のテーマに行き着くわけだが、この作品はあまりストレートにその主題を表現しているとは言いがたい。
その意味で一連の南北朝物の中では「異質」。
「笛」「唄」「舞」といった「芸道」を効果的に登場人物の内面を写す「鏡」のように使っている。その点も異質である。
本作に先行する
「悪党の裔」(赤松円心)
本作の後に刊行された
「楠木正成」
も合わせて、できれば「悪党の裔」、本作、「楠木正成」の順に読まれることをお勧めする。
文字というメディアでありながら、非常に立体的な解釈につながることと思う。
北方先生は歴史小説の中ではあまりトップの内面を描写しないと思っていた。(「楊家将」で皇帝を描写はしているが、主役級の扱いではない。)
この作品では幕府のトップである足利尊氏の人物像をかなり書き込んで、佐々木道誉から見た尊氏という造りになっている。
道誉自身も戦闘で子を失ったりするわけだが、尊氏といえば、弟直義や股肱の臣でもある高師直といった対幕府、対南朝戦を共に乗り越えてきた「近しい者」を自分の手で葬り去っている。
後世から見れば「なんで?」とか「自分の栄達のためにはなんでもするひどい奴」のような印象をもたれても仕方ないのだが、この作品で整理された解釈を追うと、「さもありなん」と思えないでもない。
史実であるとは思わないが、北方先生の解釈する尊氏像にそれほど違和感はない。
結局は「男がどう生きるか(どう死ぬか)」という北方作品普遍のテーマに行き着くわけだが、この作品はあまりストレートにその主題を表現しているとは言いがたい。
その意味で一連の南北朝物の中では「異質」。
「笛」「唄」「舞」といった「芸道」を効果的に登場人物の内面を写す「鏡」のように使っている。その点も異質である。
本作に先行する
「悪党の裔」(赤松円心)
本作の後に刊行された
「楠木正成」
も合わせて、できれば「悪党の裔」、本作、「楠木正成」の順に読まれることをお勧めする。
文字というメディアでありながら、非常に立体的な解釈につながることと思う。
2016年1月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
深みがない、流行作家の原稿を埋める促成栽培の太平記
しかし、まあ学術書でもないのでそこまで要求するのは酷でもあり、室町時代の入口の入門書
それにつけても、歴史学者はなにをしてるのか?
しかし、まあ学術書でもないのでそこまで要求するのは酷でもあり、室町時代の入口の入門書
それにつけても、歴史学者はなにをしてるのか?
2013年8月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
佐々木道誉と尊氏の対決にわくわくさせられます。戦闘シ-ンは流石北方小説です。
2013年1月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
北方謙三の歴史小説はたくさん読みましたが、その中でも面白いと思います。