対談集の面白さ。博学な丸谷、山崎両氏の語り口を通じて披露される歴史の妙。正史、通史にはない独特の
切り口。つられて両氏の「二十世紀を読む」を注文した。
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日本史を読む (中公文庫 ま 17-12) 文庫 – 2001/1/1
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- 本の長さ406ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2001/1/1
- ISBN-104122037719
- ISBN-13978-4122037717
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2001/1/1)
- 発売日 : 2001/1/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 406ページ
- ISBN-10 : 4122037719
- ISBN-13 : 978-4122037717
- Amazon 売れ筋ランキング: - 228,558位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1925(大正14)年、山形県鶴岡市生れ。東京大学英文科卒。1957年『笹まくら』で河出文化賞、1968年「年の残り」で芥川賞受賞。その後、小説、評論、エッセイ、翻訳と幅広い文筆活動を展開。『たった一人の反乱』(谷崎潤一郎賞)『裏声で歌へ君が代』『後鳥羽院』(読売文学賞評論・伝記部門) 『忠臣藏とは何か』(野間文芸賞)「樹影譚」(川端康成賞)『輝く日の宮』(泉鏡花文学賞、朝日賞)等、多くの著作がある。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 人間的なアルファベット (ISBN-13: 978-4062160995)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2019年11月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2010年2月7日に日本でレビュー済み
歴史の教科書じゃなかなか出てこない内容が続々登場して楽しい。
「政治的手法としての男色」とか小題をみても今まで知らなかった
事実が盛りだくさんでした。
そういうトリビア以上に面白かったのが、歴史的事実の必然を語る
より可能性としてありえたことが起こらなかった何故? の視点が
たくさん入っていたこと。
それにしてもなぜ日本は中国という巨大な文明から仏教は受容しつつ
儒教的なものは全面的に受け入れなかったんだろう?
ますます歴史が好きになる本です。
「政治的手法としての男色」とか小題をみても今まで知らなかった
事実が盛りだくさんでした。
そういうトリビア以上に面白かったのが、歴史的事実の必然を語る
より可能性としてありえたことが起こらなかった何故? の視点が
たくさん入っていたこと。
それにしてもなぜ日本は中国という巨大な文明から仏教は受容しつつ
儒教的なものは全面的に受け入れなかったんだろう?
ますます歴史が好きになる本です。
2011年9月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
このふたりは旧知の間柄で、何度も対談を重ねてきているので、どこかでそれを目にする
機会もあるだろうが、この本を読んでいる最中や、読み終えた時に湧いてくるのは、
”こういう内容には、ここでしか出会えないだろう”という充実感。
通常、「歴史」というのは社会史であり、政治史である。
歴史として残ってきているのは勝者の記録で、それをつなげたのが「歴史」になる。
日本史の教科書などでも、まず語られるのは社会史であり、政治の転変で、
それらの後ろに、ついでのように付け足されるのが文化のページ。
だが、ここで2人が語っているのは、「文化こそが人を動かし、事物の展開の軸となる」ということ。
ふたりは具体的な研究成果として書物を読みあいながら、その書物が語る時代の中に分け入り、
想像力というサーチライトをあてながら、歴史の実態に迫る。
これは丸谷氏の小説『輝く日の宮』でも駆使された手法。
第1章の「万葉集」では、大伴旅人が一夫多妻制社会のなかにいて、
複数の妻たちが歌において競い合い、旅人はそれらにひとつずつ応えていた事実を指摘する。
それを基にして万葉や新古今の華やかさが生まれ、文化的成果が次々に結実したと語る。
教科書的な歴史の記述が、乾いた、硬直したものだとするなら、
この二人によって照らし出される歴史の姿は、どこまでも柔らかで、人間的。
機会もあるだろうが、この本を読んでいる最中や、読み終えた時に湧いてくるのは、
”こういう内容には、ここでしか出会えないだろう”という充実感。
通常、「歴史」というのは社会史であり、政治史である。
歴史として残ってきているのは勝者の記録で、それをつなげたのが「歴史」になる。
日本史の教科書などでも、まず語られるのは社会史であり、政治の転変で、
それらの後ろに、ついでのように付け足されるのが文化のページ。
だが、ここで2人が語っているのは、「文化こそが人を動かし、事物の展開の軸となる」ということ。
ふたりは具体的な研究成果として書物を読みあいながら、その書物が語る時代の中に分け入り、
想像力というサーチライトをあてながら、歴史の実態に迫る。
これは丸谷氏の小説『輝く日の宮』でも駆使された手法。
第1章の「万葉集」では、大伴旅人が一夫多妻制社会のなかにいて、
複数の妻たちが歌において競い合い、旅人はそれらにひとつずつ応えていた事実を指摘する。
それを基にして万葉や新古今の華やかさが生まれ、文化的成果が次々に結実したと語る。
教科書的な歴史の記述が、乾いた、硬直したものだとするなら、
この二人によって照らし出される歴史の姿は、どこまでも柔らかで、人間的。
2015年6月24日に日本でレビュー済み
丸谷の分身、9歳年下の山崎との対談集である。
あるいは、 山崎の分身、9歳年上の丸谷との対談集である。
ふだんは目から鼻に抜けるほど明晰で説明上手な山崎による丸谷追悼文の結語が、
「丸谷さんが亡くなってしまって僕は・・・僕はもう・・・・」
であったことを知って涙しないものは人間ではない。(いや、ほんとは両者のファンでないというだけだが。)
さて内容。日本史を肴(さかな)に縦横無尽、やりたいほうだいの常夏放談。
どのページからでも いくらでも引用できるが、数個だけ。
p96
丸谷「森鴎外の書いた詩のなかに、伊澤蘭軒という秀才が養子先から追い出された話があるでしょう。その養子先の男が年寄りで、その妻に愛人があるのに養父がそれを許している」
p340
サリエリの時代に批評というものが発達していたら、サリエリはモーツァルトを毒殺などせずに西洋史上最大の批評家になれた という話。
p124
山崎「都市とは、ジャーナリズムの世界なんですよ」
など。 お互いへの信頼感、好き放題しゃべれる楽しさが伝わってくる。
あれだ。ジョンレノン「バンド時代がなつかしいのは、じぶんの演奏にまわりが反応してくれること。どんどん即興していける雰囲気だよ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
月旦評(げったんひょう)は、後漢の許劭が開いた人物評論の故事にちなむ用語。転じて 、一般に、品定めを行うことや、人物評をすることを、月旦評と言い表すようになった。 『 後漢書』の本伝によれば、許劭は、従兄の許靖らとともに、毎月1日に郷里の人物の ...
あるいは、 山崎の分身、9歳年上の丸谷との対談集である。
ふだんは目から鼻に抜けるほど明晰で説明上手な山崎による丸谷追悼文の結語が、
「丸谷さんが亡くなってしまって僕は・・・僕はもう・・・・」
であったことを知って涙しないものは人間ではない。(いや、ほんとは両者のファンでないというだけだが。)
さて内容。日本史を肴(さかな)に縦横無尽、やりたいほうだいの常夏放談。
どのページからでも いくらでも引用できるが、数個だけ。
p96
丸谷「森鴎外の書いた詩のなかに、伊澤蘭軒という秀才が養子先から追い出された話があるでしょう。その養子先の男が年寄りで、その妻に愛人があるのに養父がそれを許している」
p340
サリエリの時代に批評というものが発達していたら、サリエリはモーツァルトを毒殺などせずに西洋史上最大の批評家になれた という話。
p124
山崎「都市とは、ジャーナリズムの世界なんですよ」
など。 お互いへの信頼感、好き放題しゃべれる楽しさが伝わってくる。
あれだ。ジョンレノン「バンド時代がなつかしいのは、じぶんの演奏にまわりが反応してくれること。どんどん即興していける雰囲気だよ」
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月旦評(げったんひょう)は、後漢の許劭が開いた人物評論の故事にちなむ用語。転じて 、一般に、品定めを行うことや、人物評をすることを、月旦評と言い表すようになった。 『 後漢書』の本伝によれば、許劭は、従兄の許靖らとともに、毎月1日に郷里の人物の ...
2009年5月4日に日本でレビュー済み
丸谷・山崎コンビの対談集は数多くあるが、本書は、「中央公論」誌上で8回にわたり連載されたもので、飛鳥時代から戦後高度成長期までの日本の通史が扱われている。斎藤茂吉「万葉秀歌」から相田洋「電子立国日本の自叙伝」まで40冊弱の歴史小説、戯作、評伝、歌論、哲学書等を素材に、想像力豊かで自在に「日本史を読」んでいる。
2人の目利きが選んだ歴史書と、2人の碩学が語る当時の世相はいずれも興味深い。評者にとって特に面白かった箇所を具体的に挙げよう。1つは角田文衛著「待賢門院璋子の生涯」を紹介し、院政時代の宮廷(サロン)の乱倫について論じている箇所である。璋子が生んだ子(後の崇徳天皇)の父親は夫君の鳥羽天皇ではなくその祖父の白河法王であったことを、角田氏がオギノ式理論で厳密に証明している点を引用し、このことが保元の乱の伏線となったとの仮説は読んでいて楽しくなった。もう1つは鳥井民著「横浜富貴楼 お倉」を素材に、江戸下町生まれで元遊女のお倉さんが横浜尾上町に開いた料亭(サロン)とそこを贔屓にした明治の元勲達の話である。長州や薩摩出身の高官が何故頻繁に東京から横浜まで出かけたかの推測は説得性があるし、お倉の才覚と教養が、外務大臣の人選や外貨調達策に関与し日本郵船合併を斡旋する話には、興味をそそられた。
著者たちは「ヒストリカル・イフ」は禁じ手といいながらも、大胆な発想と確かな学識に基づく想像は自由奔放である。もっとも親しい2人の座談は時には盛り上がりが過ぎて、奇談、法螺話の類いが散見するにしても、読む者に歴史に遊ぶ歓びを与えてくれる。
2人の目利きが選んだ歴史書と、2人の碩学が語る当時の世相はいずれも興味深い。評者にとって特に面白かった箇所を具体的に挙げよう。1つは角田文衛著「待賢門院璋子の生涯」を紹介し、院政時代の宮廷(サロン)の乱倫について論じている箇所である。璋子が生んだ子(後の崇徳天皇)の父親は夫君の鳥羽天皇ではなくその祖父の白河法王であったことを、角田氏がオギノ式理論で厳密に証明している点を引用し、このことが保元の乱の伏線となったとの仮説は読んでいて楽しくなった。もう1つは鳥井民著「横浜富貴楼 お倉」を素材に、江戸下町生まれで元遊女のお倉さんが横浜尾上町に開いた料亭(サロン)とそこを贔屓にした明治の元勲達の話である。長州や薩摩出身の高官が何故頻繁に東京から横浜まで出かけたかの推測は説得性があるし、お倉の才覚と教養が、外務大臣の人選や外貨調達策に関与し日本郵船合併を斡旋する話には、興味をそそられた。
著者たちは「ヒストリカル・イフ」は禁じ手といいながらも、大胆な発想と確かな学識に基づく想像は自由奔放である。もっとも親しい2人の座談は時には盛り上がりが過ぎて、奇談、法螺話の類いが散見するにしても、読む者に歴史に遊ぶ歓びを与えてくれる。
2004年7月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今までも世界史よりは日本史好きでしたが、いろんな見方があるものだと教えてもらいました。教科書に書いてあること、歴史とはこうであった、という決まりきったものがあるという印象でした。それでも結構好きでしたが。でも考えてみれば昔を知るための方法はその時代にかかれたものや残されているもので判断するしかないわけで、それ自体だけではその人となりや、事件の発端まで本当はこんなことがあったのさ、なんてことは知ることが出来ない事もあるわけですよね。だからこそゆがめるというのではなくいろんな切り口で一つの事件なり人物なりを見つめてみた本もあるんだよ、こんな解釈もあるんだということが書かれていると感じました。歴史の表舞台からは隠れている人もいるわけですから。いやあ、私が何も知らなかったのですね、残念です。今までこんなふうに考えることをしていなかった。紹介されているのは正直知らない本ばかりでしたが、読んでみたくなりました、どれでも良いから。それで、もっと柔軟に日本史を知りたい気分です。
2006年1月27日に日本でレビュー済み
博識なジジイ二人の対談集である。各章とも題材として取り上げている文献と各々の知識を基に歴史上のif等に大胆な仮説を持ち出したり、推理を繰り広げているのだが、それが実に的を射ていて圧巻。仮説、推理それ自体が物語を作り出し、実に広いイマジネーションを与えてくれる。まさに知識とはこう使うべしというお手本である。
歴史を考えるとき、左か、右かといったことでしか考えられない傾向があるが、それとはまったく違う次元の歴史観を味わえる。読み終えて非常に視野が広がった気になる。何度も読み返していく度に新しい発見がある、非常に中身の濃い対談集である。
歴史を考えるとき、左か、右かといったことでしか考えられない傾向があるが、それとはまったく違う次元の歴史観を味わえる。読み終えて非常に視野が広がった気になる。何度も読み返していく度に新しい発見がある、非常に中身の濃い対談集である。