本書は、1941年11月に日米交渉の最終局面において、野村大使を補佐するために特派全権大使として交渉に当たった外交官栗栖三郎が終戦 3年後の1948年11月に記した書籍である。
栗栖は、1936年11月に日独防共協定の締結後の駐独大使を務め、1940年 9月の日独伊三国同盟に調印した大使である。
この時期の、日本、ドイツ、ソ連の関係は複雑である。日本は日清戦争に勝利するもその直後に独、仏、露の三国干渉により遼東半島の権益を放棄させられ、この報奨としてドイツは山東半島の権益を得て、ロシアは遼東半島の権益を得た。この時点においてドイツ、ロシアは日本にとって敵国であった。1914年にドイツが始めた第一次世界大戦に、イギリスの要請により日本も参戦し、戦後、日本はドイツが支配していた南洋諸島の統治を連盟から委任された。日本は、山東半島のドイツによる租界権益については、これを中国に返還している。したがって、1920年以後、ドイツにとって日本は敵国であった。
膨大な戦後補償を課せられたドイツは戦後復興を求めてソ連に接近し、支那大陸に進出した。ドイツは、1927年12月から支那事変勃発 1年後の1938年 7月 5日まで、蒋介石に軍事及び経済顧問団を派遣し、軍事品を輸出し、軍隊整備、対日本戦に対する戦闘訓練を指導していた。ドイツ軍事顧問団は、1932年 1月の第一次上海事変において、国民党軍を軍事指導し、対日敵視政策、対日強攻策をとるように指導した。勿論、ソ連も、1922年から、中国共産党に軍事及び資金の支援を行い、国民党に指導者を送り込み、支那のソビエット化を指導し、戦争による疲弊後の共産革命を目的として、国民党と日本との戦いを仕組み挑発していた。この時点において、ドイツとソ連は日本の敵国であった。
この様な日独ソ支の関係において、ソ連の世界共産主義革命に対抗するために、1936年11月に日独防共協定( その後、イタリア、スペイン等が参加して多国間協定となる) が締結されたのである。
しかし、1939年 8月20日、日本とソ連とは国境紛争の戦闘( ノモハン事件) が行われている中、ドイツは、日独防共協定がありながら、1939年 8月23日に日本との交渉もなく、突然、独ソ不可侵条約を締結し、ソ連と共にポーランドに侵攻し、第二次大戦が始まった。時の平沼騏一郎首相をして、「欧州事情は複雑怪奇なり」と言わせしめ、平沼内閣は崩壊した。この時、ドイツは、経済復興したドイツに対して日本の実業界が英米協調路線であることに不満を示し、日本がソ連へ接近することを希望している。
ドイツは、1940年 5月になると、オランダ、ベルギー、ルクセンベルグに侵攻し、ダンケルクの戦いで英仏連合軍を敗走させ、これを見たイタリアは、6 月 9日に連合国に参戦し、フランスは 6月21日に降伏し、指導者はイギリスに亡命している。この結果、仏領インドシナ( ベトナム、ラオス、カンボジア) は、支配者を失い、外交上のノーマンズランド(外形上の支配はヴシー亡命政府)となった。
この時期、支那は、ドイツからの軍事支援は廃止されており、汪兆銘による南京政府が樹立されていた。重慶に敗走した蒋介石には英米から経済及び軍事支援が行われていた。また、日本は米国から一方的に通商条約を破棄され、資源の日本への輸出が制限され禁止されていた。
このような世界情勢において、外務大臣松岡洋右は、破竹の勢いのドイツと、軍事同盟を締結して、日独伊三国同盟にソ連を引き入れれば、米国からの開戦は防止できると考えていた。
1940年 9月27日に日独伊三国同盟に調印したのが駐独大使栗栖である。栗栖は、ドイツがイギリス本土決戦を成功させても、何れは英米が相手となること、日米関係を改善しない中、直ちにドイツと同盟を締結することは国論の支持が得られないこと、欧米戦争の終結を図るのが局外にいる日米の責任であるとして、調印に反対している。ただし、これは戦後の記載であり、当時、日本を大陸から排除することを目的とする米国の真意を理解できていなかったのではないか。
米国からの宣戦布告とも言うべきハルノートが突きつけられた1941年11月26日の僅か 9日前に、栗栖は日米交渉に参加している。 この時、野村大使は米国の譲歩はなく、米国はドイツに参戦するよりは、日本に対して開戦することの方が米国民の理解が得られるとの心証を得ている。
米国は、ドイツの勢いがなくなったこの時期であっても、ドイツが南米を支配し、征服した英海軍を利用して米国を攻撃してくることは必定であるので、大西洋と太平洋を挟んで、ドイツと日本から挟撃されることを約する三国同盟は認められないとする。
日本は、米国とドイツとの開戦が自動的に、日本の参戦を導くものではないとし、米国との間で太平洋一般協定を締結すれば、日本の参戦の恐れもなく、仏印からも撤兵すると主張している。しかし、米国は、背後からの日本の攻撃を恐れて三国同盟の廃止を要求している。
この時、仮に、三国同盟を日本が破棄していたら、日米戦争は回避できたかは疑問である。支那事変が解決できない理由に、米英の蒋介石への軍事及び経済支援がある。日本は、蒋介石への軍事物資等支援ルートの遮断のためと、石油、その他の工業材料の米国からの日本への輸出禁止と、米国の強制により、イギリス、オランダによる東南アジアからの鉱石、ゴムなどの原料や、米の日本への輸出禁止等の日本に対する経済封鎖のために、仏印に進駐している。
日本は、米国に、蒋介石支援を停止した上で、蒋介石との和平の仲介を依頼している。しかし、米国は、蒋介石支援を停止した状態での日支和平交渉は不公平であると主張している。日支紛争に直接関係がない第三国が、紛争当時国の一方に加担すること自体が公平ではない。
ハルは、日本が東亜においてリーダシップを発揮することは望むが、武力征服は世界平和の障害であると考えている。しかし、支那事変の拡大は、蒋介石国民党及び共産党に原因があり、日本は領土的野心はなく、平和安寧、治安回復を目的としていたのである(東條英機宣誓供述書)。日本は、甲案で、平和と治安が回復すれば支那、仏印から計画的に撤兵するとしているのである。
しかし、米国は、チャーチルと蒋介石の反対に合い、妥協案を撤回して、ソ連のスパイのハリーデクスタ・ホワイトが起案した即時撤兵等を要求した強硬案であるハルノートを日本に突きつけた。
現在、中国は、国際条約、法律、国際仲裁を守らず(革命外交)、常に、自国民を外国に送り出して、民族侵略(長野朗長、1930年の「支那の真相」、1941年の「民族戦」、1942年の「支那30年」)を繰り返している。今の中国の革命外交と民族侵略のやり方と国民性は、実は、100 年前から不変なのである。
米国は、南米の権益を独占して西欧からの干渉を禁止しておきながら、自国の利益のため、遠く離れた支那における権益を求め、支那の革命外交や匪賊の堪えない抗争と住民に対する苛斂誅求、支那の国民性を理解していなかった。米国には、当時の日本がフセインの支配するイラクのように写っていたのであろうか。これでは、日米交渉が成立する訳がなく、最初から戦争に至ることは分かっていた。
戦後、71年が経過した。日本は、そろそろ、大東亜戦争に対する正当な歴史観を主張しても良いのではないかと思う。
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泡沫の三十五年 改版: 日米交渉秘史 (中公文庫 B 1-50 BIBLIO20世紀) 文庫 – 2007/3/1
来栖 三郎
(著)
戦争回避のための対米交渉に心血を注いだ特派全権大使が、ハル国防長官との息づまる折衝や真珠湾攻撃以降の日々を悲痛な思いをこめて綴る。〈解説〉村田晃嗣
- 本の長さ267ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2007/3/1
- ISBN-104122048230
- ISBN-13978-4122048232
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2007/3/1)
- 発売日 : 2007/3/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 267ページ
- ISBN-10 : 4122048230
- ISBN-13 : 978-4122048232
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,018,300位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2016年8月10日に日本でレビュー済み
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2008年2月1日に日本でレビュー済み
この回想録は、当時切羽詰っていた日米交渉を一任された外交官、来栖三郎の回想録です。
氏のこの本の中で最も印象に残ったのは日米交渉中のハル長官らの描写もそうですし、
他にも多くの貴重な証言があるのですが、私は敢えて彼の日本人観をあげたいです。
というのも日清戦争以来、日本軍の軍規は世界でも誉れ高いもので、第一次世界大戦の
ときなど、かつて日本軍よって日露戦争の際に捕虜とされたロシア軍人が日本軍として
戦争に参加したいと来栖ら外交官の元に懇願してきたといいます。
また、この大戦の際に捕虜となったドイツ兵への扱いなども国際的に高い評価を得ました。
私は、戦前日本の地位を築き上げたのは外交官の努力だけでなく、軍規にもあったと思います。
しかし、五・一五事件と二・二六事件を経て日本人のこういった心は失われたと著者はいいます。
同胞である日本人を天誅の名の下に殺戮する彼等青年将校とそれを賞賛した民衆には
もはや武士道精神など失われていたというのです。
この意見は、賛否や是非はともかく、一つの見方としては非常に興味深いものだと思いました。
これからも、本を読む中でこういった斬新な見方を少しでも知る事ができたらと思います。
氏のこの本の中で最も印象に残ったのは日米交渉中のハル長官らの描写もそうですし、
他にも多くの貴重な証言があるのですが、私は敢えて彼の日本人観をあげたいです。
というのも日清戦争以来、日本軍の軍規は世界でも誉れ高いもので、第一次世界大戦の
ときなど、かつて日本軍よって日露戦争の際に捕虜とされたロシア軍人が日本軍として
戦争に参加したいと来栖ら外交官の元に懇願してきたといいます。
また、この大戦の際に捕虜となったドイツ兵への扱いなども国際的に高い評価を得ました。
私は、戦前日本の地位を築き上げたのは外交官の努力だけでなく、軍規にもあったと思います。
しかし、五・一五事件と二・二六事件を経て日本人のこういった心は失われたと著者はいいます。
同胞である日本人を天誅の名の下に殺戮する彼等青年将校とそれを賞賛した民衆には
もはや武士道精神など失われていたというのです。
この意見は、賛否や是非はともかく、一つの見方としては非常に興味深いものだと思いました。
これからも、本を読む中でこういった斬新な見方を少しでも知る事ができたらと思います。
2007年7月4日に日本でレビュー済み
ハル・ノートを突きつけられる日米交渉をハイライトとし、当時の世界情勢をかなり詳述している良書。日米中欧だけではなく、その筆は南米までも描写している。
様々な国を巡り、心ならずも日独伊三国同盟の調印者となった著者の気骨に満ちた外交精神を、時に当時の日本政府と軍を批判し、時にアメリカとの交渉を和やかに描き、著者の平和への願いで筆は置かれている。
日米交渉では途中まではハル・ノートとは桁違いの、当時の情勢下では日本にとってかなり好条件の提案がアメリカ側からされているのだが、日本政府はそれでも納得しない。
その結果ハル・ノートという最後通牒を突きつけられた、と著者は考えているが、『ハル回顧録』を読むとハル国務長官は最初の交渉からかなり日本に対して敵意を抱いていたことがわかる。
両書を併読することをお薦めする。
それにしても、戦争という国家の危機を背負っているという重責の下での交渉とはいえ、現代日本の弱腰外交との格差には暗然たる思いにとらわれる。
外交精神の書として読みたいが、戦争に至る日本と世界という歴史を紐解くための本として読むだけでもかなりのボリュームを持っている。
様々な国を巡り、心ならずも日独伊三国同盟の調印者となった著者の気骨に満ちた外交精神を、時に当時の日本政府と軍を批判し、時にアメリカとの交渉を和やかに描き、著者の平和への願いで筆は置かれている。
日米交渉では途中まではハル・ノートとは桁違いの、当時の情勢下では日本にとってかなり好条件の提案がアメリカ側からされているのだが、日本政府はそれでも納得しない。
その結果ハル・ノートという最後通牒を突きつけられた、と著者は考えているが、『ハル回顧録』を読むとハル国務長官は最初の交渉からかなり日本に対して敵意を抱いていたことがわかる。
両書を併読することをお薦めする。
それにしても、戦争という国家の危機を背負っているという重責の下での交渉とはいえ、現代日本の弱腰外交との格差には暗然たる思いにとらわれる。
外交精神の書として読みたいが、戦争に至る日本と世界という歴史を紐解くための本として読むだけでもかなりのボリュームを持っている。