吉田健一氏の酒食に闗する文句でよく記憶してゐるのは、
「 青いシヤルトルーズは、 雨が降る日に窓越しに街を眺めながら三杯まで」
と云ふもの。(ぢや、黃色のシヤルトルーズは何杯まで?)
氏の文章は學生時代に憧れたものだ。それを模倣するのは、
どうにも書きづらいレポートを記す時くらゐのものだつたが、
あれほど讀みにくいと思つてゐた文體が、瀧澤さんの文章に
馴れた現在では、むしろ明快至極のものに感じられる。逆に、
あつちの難解な文章を讀み解くには、吉田健一氏の文體に馴れ
るのが一番かも知れない。
なほ、p.242の『中國飮酒詩選』は『中華飮酒詩選』が正しい
やうである。もう一つあつたのだが、酒に呑まれた頭が何處かに
紛失してしまつた。
<蛇足>
栗本薫の六道ヶ辻シリーズだつたか、或る作品の中の擬古文でひどく
間違つた假名遣ひがあつたが、最近はやりの校正擔當が役立たずだつ
たのか、それとも、もともと擬古文なんてのはその程度だつたからか。
これは作者が鬼籍に入つた現在では知る由も無い。
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私の食物誌 改版 (中公文庫 B 18-26 BIBLIO) 文庫 – 2007/7/25
吉田 健一
(著)
- 本の長さ255ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2007/7/25
- ISBN-104122048915
- ISBN-13978-4122048911
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2007/7/25)
- 発売日 : 2007/7/25
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 255ページ
- ISBN-10 : 4122048915
- ISBN-13 : 978-4122048911
- Amazon 売れ筋ランキング: - 469,698位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 75位中公文庫BIBLIO
- - 14,432位エッセー・随筆 (本)
- - 46,898位ビジネス・経済 (本)
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2004年10月7日に日本でレビュー済み
美味しかったものについての短文がずらりとならんでいます。わざとらしい装飾も誇張もなく、「美味しいものを食べる幸福」をこれほど率直に語っている本も少ないと思います。「カステラ」を食べに行った時、カステラより余った「かす」の部分の方があんまり美味しいので、袋詰めにしてもらった、とかいう話には思わず口に唾が出てきそうになりました。書かれた文章自体も美味しい本です。
2010年3月7日に日本でレビュー済み
かつての東京をも含む日本各地の美味なる特産物の味が、多分に思い出に拠りながら綴られていくエッセイ。
だけど、調理方法なんかはほとんど書かれていない。これは筆者が常に「食べる」側の立場にあったからで、海老を茹でる程度はするものの、基本的に、プロフェッショナルに調理を委ねたほうが合理的だし旨いものが食べられるという信念に基づき、諸所の特産品が回想される。
本書で重要な論点はふたつ。
「その場所の特産物は、その場所を離れては味わえない」ということ、そこから演繹される「旨いものは(通常)大量生産に向かない」という基本的な事実。
別に贅沢な話ではなく、食べ物というのは、土地の風土や慣習に多く従属するのであって、味が全国でかっちり同じように画一的に機能するものではない、ということです。味というものは、科学的に数値化できるデータでは、決してない。その主張が、折に触れて何度も顔を出します。
個人的には、新橋で酔い覚ましに出されていたという「まぐろの刺し身の茶漬け」なるものがもっとも衝撃的でした。
だけど、調理方法なんかはほとんど書かれていない。これは筆者が常に「食べる」側の立場にあったからで、海老を茹でる程度はするものの、基本的に、プロフェッショナルに調理を委ねたほうが合理的だし旨いものが食べられるという信念に基づき、諸所の特産品が回想される。
本書で重要な論点はふたつ。
「その場所の特産物は、その場所を離れては味わえない」ということ、そこから演繹される「旨いものは(通常)大量生産に向かない」という基本的な事実。
別に贅沢な話ではなく、食べ物というのは、土地の風土や慣習に多く従属するのであって、味が全国でかっちり同じように画一的に機能するものではない、ということです。味というものは、科学的に数値化できるデータでは、決してない。その主張が、折に触れて何度も顔を出します。
個人的には、新橋で酔い覚ましに出されていたという「まぐろの刺し身の茶漬け」なるものがもっとも衝撃的でした。