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シャネル: 人生を語る (中公文庫 モ 8-1) 文庫 – 2007/9/22
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孤高の少女時代から一大モード帝国を築くまで、清新な全訳と綿密な注釈により、シャネルの肉声が甦る。シャネル唯一の回想録を新訳。
- 本の長さ273ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2007/9/22
- ISBN-104122049172
- ISBN-13978-4122049178
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商品の説明
出版社からのコメント
それにもまして今回の真骨頂はシャネルの純真無垢な肉声が甦ったことである。時に可憐、時に残酷な名言がたくさん織り込まれている。仕事について、異性・同性についての辛口批評は時空を超えて共感を呼び起こす。
著者について
一八八八ー一九七六 パリ生まれ、フランスの作家。二〇代の若さで外交官となり、世界各地を旅して、小説から評論までコスモポリットな作品を残した。一九二二年にだした小説『夜ひらく』で一躍文壇にデビューし、ダンディな風姿で二〇年代パリ社交界の寵児となった。この頃コクトーたちをとおしてシャネルと知り合う。第二次大戦の折りにヴィシー政権の外交官を務め、パリ解放とともに国外追放の身となってスイスに長く滞在。このときシャネルと再会して聞き書きスタイルのシャネル伝をのこす。ド・ゴールの引退とともにパリに復帰、一九六八年、アカデミー会員となる。
山田登世子
福岡県生まれ。フランス文学者。現在、愛知淑徳大学教授。ファッション、ブランド、メディア、リゾートなど、近代フランス文化史をベースにした著書多数。いろいろな本のなかでシャネルを語る。パリを舞台にした恋愛小説も書く。主な著書に『モードの帝国』(ちくま学芸文庫)、『ブランドの世紀』(マガジンハウス)、『ブランドの条件』(岩波新書)、『晶子とシャネル』(勁草書房)、小説『恍惚』(文藝春秋)など。主な訳書に、バルザック『従妹ベッド』(藤原書店)、セルトー『文化の政治学』(岩波書店)ほか。
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2007/9/22)
- 発売日 : 2007/9/22
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 273ページ
- ISBN-10 : 4122049172
- ISBN-13 : 978-4122049178
- Amazon 売れ筋ランキング: - 73,658位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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無学な少女であったとは、とても想像もつかないような思考。
観察眼、審美眼。
そして、それを言葉にする能力に長けている。
言葉にする能力は、ポール・モランの力に依るところも多いと思う。
また、翻訳も素晴らしい。
意図を組み、日本語らしく、うつくしい日本語にまとまっている。
期待して買ってみました。
まだ読んでいる途中ですが、早くも文体の不統一が目につきます。シャネルの語りが
「なのよ」「わ」と女言葉になっていたかと思えば、「である」調になっていると
いう具合です。聞き語りであるにせよ、もう少し自然な調子にできなかったのかと
思えてなりません。あるいは原文が訳し難いものなのでしょうか。
あと、画像が少ない、というかほとんど入っていませんね。モードの歴史に疎い人間と
しては、その辺も期待していたので残念です。
新訳と銘打たれているものの、上記のように肩透かしを食らった気分になりましたので、
申し訳ありませんが星は3つにさせていただきます。
それぞれフランスを追われたふたりは、終戦直後の1946年、スイスで邂逅する。そのときシャネルがモランに語りつくした<私の生き方>のメモが本書のもとになっている。
原題も「シャネルの歩き方」「シャネルのふるまい方」といった意味。
その意味で、本書は小説でもなければ、シャネル伝でもない。
ココ・シャネルというひとりの女性が、自分はどんな人間で、どんな時代を、どのように生きたか……を自在に語ったモノローグである。
ページのあちこちで、自立した女の<精神の火花>がパチパチ飛び跳ね、一読、かなりの名著であると思った。
十九世紀の装飾過多な女性ファッションを一新した<モードの革命>、あるいはピカソやコクトー、ディアギレフら芸術家たちとの交流、イギリスの実業家や大貴族との恋愛、といった波乱の人生を支えたモチーフが率直に明かされている。
《(男たちは)わたしのことを捨てられた小雀だと思った。本当は野獣だったのだけれど》
《わたしには両極がある。わたしはとても臆病で、しかも大胆、とても陽気で、しかもさびしがり屋。激しいのはわたしの性格ではなくて、この両極のコントラストなのよ》
《はじめはお金が欲しいと思って始める。それから、仕事が面白くなってゆく。働く楽しさはお金の楽しみよりずっと大きい。要するにお金は独立のシンボルにすぎない》
《わたしはなぜモードの革命家になったのだろうか。自分の好きなものをつくるためではなかった。何よりもまず、自分が嫌なものを流行遅れにするためだった》
《真の文化は何かをそぎ落としてゆくが、モードにあっても、美しすぎるものから始まってシンプルなものへ到達するのが普通だ》
《欠点はもう一つの魅力になるのに、隠すことばかり考える。むしろ欠点をうまく使いこなせばいいのよ。そうすれば、こわいものなしになる》
本文中には、こんな言葉がたくさんちりばめられていて、フランス的エスプリも十二分に満喫できる。
ただし、シャネル唯一の女友だちミシアの姓《ゴデブスカ》が「ゴブデスカ」になっていたり、《ディズレーリ》が「ディズリレー」になっていたり、山田登世子さんらしからぬ誤記があるのは残念。
自分も 魅惑する女たちも充実させることができた
「知的な女は百万人に五人」わたしの知人にも嘘をついているという自覚のない嘘つき女はいるし 女性より男性に自分とは かなり異質な現象をよく理解できる才能の持ち主が多い
学問のある有名女性たちの暴言 失言も よく見たり聞いたりする
やはり何もかも手に入れると限界を忘れて あらぬ所に自分らしさを表現してしまう
女性は多いのだろうか シャネルやアナイス・ニンは稀有な女性である
パリについて アメリカについて 魂が宿る伝統について 時代を五感に開花させる流行について シャネル流に基本も機能も映像が浮かぶように詩的に 動かぬ証拠を焼きつけるように
明晰に語ってくれている 愛別離苦と離合集散のパリ基準をよく観察し 将来に響く勝敗を考察しつつ 流れ去る意気投合と生活様式を呼吸するかのように わがものとしていた 自分の夢を世界にちりばめたという意味で女らしく 悲惨な過去からも学ぶべきことを学び 生涯 孤高に働き続けた意味で男らしい
死後も世界中の 何もないところから たった一人で稼ぎ 養う女たちの憧れ 支えとなっているのが よくわかった
シャネルの生涯がバレエなど舞台化 アーサー・カぺル ミシア ディアギレフ
ウェストミンスター公らのナビゲーションによる映画化されることを期待する
それがあまりにもどかしくて、読みながらかなり苛立ちを抑えられなかった、というのが
率直なところ。
シャネルの肉声に価値を置かれる方は読まれてみてもよいのではないか、と思う。
とりわけ、第22章「モード、あるいは失われるための創作について」は、なかなかに秀逸。
ただやはり、文体的なものに関しては大いに疑問が残る。原著によるものなのか、はたまた
訳者によるものなのか、ただただ鬱陶しいばかりの「わたし」語りに辟易とさせられた、と
いうのが偽らざる感想。ココ・シャネルの孤独、熱情、自己愛といった要素を際立たせるには
むしろ、過剰なまでに冷淡な文体こそがふさわしかったのでは、と個人的には強く感じる。
全体の構成にも疑問符がつく。幼年期からの生涯を彼女のことばを通じて辿るという形式を
とってはいるものの、いたずらなエピソードの羅列に終始してしまっている感は否めず、
互いの出来事が絡まりあって、重層的にひとつのストーリーを構築していくことに完全に
失敗している。
結論。史料としてはあり。小説としてはなし。