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回想のモンゴル 改版 (中公文庫 う 15-14) 文庫 – 2011/8/23
梅棹 忠夫
(著)
- 本の長さ241ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2011/8/23
- ISBN-104122055237
- ISBN-13978-4122055230
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2011/8/23)
- 発売日 : 2011/8/23
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 241ページ
- ISBN-10 : 4122055237
- ISBN-13 : 978-4122055230
- Amazon 売れ筋ランキング: - 778,055位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4,954位中公文庫
- - 119,219位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年3月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
第二次大戦のさなか、研究生としてモンゴルに渡った梅棹青年。終戦まで、自由な雰囲気の中で様々な学究らと交流しつつ、各地を巡り、遊牧起源論のアイデアをつくりあげていく。民具資料の繊細なスケッチは必見。
2014年12月26日に日本でレビュー済み
1991年の本。著者は、京都大学教授や国立民族学博物館館長などを歴任した民族学、比較文明学の権威である。本書は1944年から1年にわたってモンゴルで行ったフィールド・ワークのまとめである。当時、モンゴル(の一部)は蒙古聯合自治政府という政権が支配していて、蒙古自治邦という半独立国家を形成していた(首都は張家口市で現在の河北省にある)。当時のモンゴルはいくつもの国にわかれていた。
曰く・・・
モンゴルは完全な属人行政の世界であって、属地支配の感覚はにぶい。土地にはっきりした境界はない。行政単位は旗であり、各旗ごとに所属する人間が決まっている。
モンゴル人にイエ制度はない。家名もなく姓もない。ひとりひとりはその個人名以外のよびかたをもたない。
ラクダは気難しい。行進中もなにか気に入らないことがあるとすわりこんでしまう。気に入らないことがあると、首をうしろにむけて、のっている人に胃の反芻物を吹きかけたりする。ラクダは足が速い。馬より速いともいわれる。
モンゴルの最大の家畜災害は凍害である。草が凍りつくと、家畜は草を食べられなくなる。草の備蓄は一応しているが。凍害は4,5年に1度来るといわれる。家畜は株のようなもの。所有していれば自然に配当がつくし、毎年数%ずつ増えていくが、凍害というパニックになると大暴落。
著者が終戦で内地に引き上げた頃、内地で敗戦を迎えた人たちはまったくうちしおれていた。しかし、著者は、戦争も終わったし国際的孤立も解消されるだろうし海外活動の障害になっていた軍もいなくなったのだから日本はこれから栄える、と説いてまわる。
モンゴルでは、原則として衣服を洗濯しない。よごれてもそのまま。水浴はしない。湖はあるが泳がない。便所もない。草原ですませる。
モンゴルでは歌が発達している。すばらしい歌手はたくさんいるし流行歌もある。一方、楽器はあまり発達していない。
羊を屠畜するときには、仰向けにして腹を裂いて大動脈を指で切る。血を地面にこぼしてはならない。
などなど。
曰く・・・
モンゴルは完全な属人行政の世界であって、属地支配の感覚はにぶい。土地にはっきりした境界はない。行政単位は旗であり、各旗ごとに所属する人間が決まっている。
モンゴル人にイエ制度はない。家名もなく姓もない。ひとりひとりはその個人名以外のよびかたをもたない。
ラクダは気難しい。行進中もなにか気に入らないことがあるとすわりこんでしまう。気に入らないことがあると、首をうしろにむけて、のっている人に胃の反芻物を吹きかけたりする。ラクダは足が速い。馬より速いともいわれる。
モンゴルの最大の家畜災害は凍害である。草が凍りつくと、家畜は草を食べられなくなる。草の備蓄は一応しているが。凍害は4,5年に1度来るといわれる。家畜は株のようなもの。所有していれば自然に配当がつくし、毎年数%ずつ増えていくが、凍害というパニックになると大暴落。
著者が終戦で内地に引き上げた頃、内地で敗戦を迎えた人たちはまったくうちしおれていた。しかし、著者は、戦争も終わったし国際的孤立も解消されるだろうし海外活動の障害になっていた軍もいなくなったのだから日本はこれから栄える、と説いてまわる。
モンゴルでは、原則として衣服を洗濯しない。よごれてもそのまま。水浴はしない。湖はあるが泳がない。便所もない。草原ですませる。
モンゴルでは歌が発達している。すばらしい歌手はたくさんいるし流行歌もある。一方、楽器はあまり発達していない。
羊を屠畜するときには、仰向けにして腹を裂いて大動脈を指で切る。血を地面にこぼしてはならない。
などなど。
2011年9月6日に日本でレビュー済み
梅棹忠夫のモンゴル関連の文章をまとめて一冊にした文庫本オリジナルの編集だ。
『梅棹忠夫著作集』には『モンゴル研究』として一巻があてられているが、よほどのことがなければ参照することはないだろう。文庫本一冊にまとめられた本書で、梅棹忠夫の原点がモンゴル、それも戦前の内モンゴル(=内蒙古)におけるフィールドワーク経験にあったことを実感として確認することができる。
内容的にはきわめて地味な本である。だが、著者の原点がモンゴルであり、遊牧社会でのフィールドワークであることを知れば、「梅棹忠夫の原点」を知るためには、必ずや読まねばならない本であることを悟ることだろう。
じっさい読んでみれば、これがじつに面白い。本書の半分をしめる「回想のモンゴル」は、ある意味では梅棹忠夫の青春記でもある。二年間の徴兵猶予をもらった24歳の動物学専攻の大学院特別研究生として内モンゴル(=内蒙古)に渡ることができた著者の、日本の敗戦によってからくも脱出して帰国するまでの記録である。
内モンゴルに滞在できたのは、隣接する満洲国において日本の影響力が及んでいた期間だけであった。そのため、理系の人間は軍に対して無自覚だなどという批判を、後付けでなす者が少なくなかったらしい。
だが、軍が関与していようがいまいが、貴重なフィールドワークによる研究がなされたことは否定できないのであり、しかも脱出する際には、地図をふくめた研究成果のフィールドノートを用意周到に「偽装」し、日本に持ち帰ることに成功している。運という要素も強かったが、梅棹忠夫の実務家としての能力がきわめて高かったことを示しているいうこともできるだろう。
とにかく読んで面白い本だ。とくに、「モンゴル遊牧図譜」はじつに貴重なフィールドワークの記録であり興味深い。モンゴルや遊牧世界に関心があれば言うまでもないが、もしそれほど関心が強くなくても、読めば確実のその世界を知り、関連する知識の体系を知ることができる。
「梅棹忠夫の原点」を知る一冊として、あらためて刊行された意味は大きい。ぜひ、モンゴルのさわやかな風を感じることのできるこの一冊を読んでほしいと思う。
『梅棹忠夫著作集』には『モンゴル研究』として一巻があてられているが、よほどのことがなければ参照することはないだろう。文庫本一冊にまとめられた本書で、梅棹忠夫の原点がモンゴル、それも戦前の内モンゴル(=内蒙古)におけるフィールドワーク経験にあったことを実感として確認することができる。
内容的にはきわめて地味な本である。だが、著者の原点がモンゴルであり、遊牧社会でのフィールドワークであることを知れば、「梅棹忠夫の原点」を知るためには、必ずや読まねばならない本であることを悟ることだろう。
じっさい読んでみれば、これがじつに面白い。本書の半分をしめる「回想のモンゴル」は、ある意味では梅棹忠夫の青春記でもある。二年間の徴兵猶予をもらった24歳の動物学専攻の大学院特別研究生として内モンゴル(=内蒙古)に渡ることができた著者の、日本の敗戦によってからくも脱出して帰国するまでの記録である。
内モンゴルに滞在できたのは、隣接する満洲国において日本の影響力が及んでいた期間だけであった。そのため、理系の人間は軍に対して無自覚だなどという批判を、後付けでなす者が少なくなかったらしい。
だが、軍が関与していようがいまいが、貴重なフィールドワークによる研究がなされたことは否定できないのであり、しかも脱出する際には、地図をふくめた研究成果のフィールドノートを用意周到に「偽装」し、日本に持ち帰ることに成功している。運という要素も強かったが、梅棹忠夫の実務家としての能力がきわめて高かったことを示しているいうこともできるだろう。
とにかく読んで面白い本だ。とくに、「モンゴル遊牧図譜」はじつに貴重なフィールドワークの記録であり興味深い。モンゴルや遊牧世界に関心があれば言うまでもないが、もしそれほど関心が強くなくても、読めば確実のその世界を知り、関連する知識の体系を知ることができる。
「梅棹忠夫の原点」を知る一冊として、あらためて刊行された意味は大きい。ぜひ、モンゴルのさわやかな風を感じることのできるこの一冊を読んでほしいと思う。
2012年2月25日に日本でレビュー済み
戦争中の1944年に学術調査のためにモンゴルに入り、終戦で日本に引き上げてくるまでの、貴重な記録。
いまから見ると大変な時代と思えるが、梅棹にかかると、単なる時代の一コマにしかすぎなかった。
梅棹という人物のスケールの大きさに、改めて感心させられる。
酒を浴びるほど飲んで、馬に乗って帰り、馬に振り落とされるなど、モンゴルにおける刺激的な生活の数々が綴られている。
夫人もモンゴルに呼び寄せていたようで、夫人も、後年、一番もう一度行きたい場所は、このモンゴルの地であったと言う。
また、遊牧民族の発生に関する今西説は、実は梅棹がはじめに思いつき、今西に語った、というエピソードも紹介されている。
学術調査、という堅苦しい言葉の裏に隠れた、実に人間的な側面に溢れた、まさに好著である。
いまから見ると大変な時代と思えるが、梅棹にかかると、単なる時代の一コマにしかすぎなかった。
梅棹という人物のスケールの大きさに、改めて感心させられる。
酒を浴びるほど飲んで、馬に乗って帰り、馬に振り落とされるなど、モンゴルにおける刺激的な生活の数々が綴られている。
夫人もモンゴルに呼び寄せていたようで、夫人も、後年、一番もう一度行きたい場所は、このモンゴルの地であったと言う。
また、遊牧民族の発生に関する今西説は、実は梅棹がはじめに思いつき、今西に語った、というエピソードも紹介されている。
学術調査、という堅苦しい言葉の裏に隠れた、実に人間的な側面に溢れた、まさに好著である。