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日本の名著 30 佐久間象山・横井小楠 ペーパーバック – 1970/1/1
省けん録,海防上書,鞜野日記,国是三論,海軍問答書,沼山対話 他
- 本の長さ542ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1970/1/1
- ISBN-104124003706
- ISBN-13978-4124003703
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1970/1/1)
- 発売日 : 1970/1/1
- 言語 : 日本語
- ペーパーバック : 542ページ
- ISBN-10 : 4124003706
- ISBN-13 : 978-4124003703
- Amazon 売れ筋ランキング: - 302,696位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 425位日本の思想(一般)関連書籍
- - 38,182位社会・政治 (本)
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年1月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
竹越与三郎が、維新実現に貢献した思想家として大いに評価した佐久間象山と横井小楠だが、このたび、中央公論社『日本の名著30 佐久間象山 横井小楠』(1970年刊)を読んでみたが、すごいねこの二人。幕末に生きた人とは思えない。ずっと鎖国だった日本にいながら、広い世界的視野があり、しかも火急のときにも動じない真のサムライ魂の持ち主なのだ。世にも珍しいコスモポリタンの武士だね。
佐久間象山(1811-1864年)は、1854年、弟子の吉田松陰の密航計画に連座して江戸伝馬町の獄につながれたのだが、そのときに思ったことを綴ったのが『省諐録(しょうけんろく)』である。佐久間象山のひととなりが彷彿とする書なので、いくつか章句を抜粋する。
“自分の行為の価値判断は、自分で決めるべきである。行為の結果を本当に味わうことができるのは自分しかいない。罪の有無も私自身の問題であって、外から蒙った罪など気にかける必要はない。私は忠信の真心を貫いて処罰を受けたのである。これを恥だと思うようであれば、それは、不正の手段で富貴となることを栄誉とするのとかわらない”
“他人が知りえないことを自分だけが知っており、他人にできないことを自分だけができる。これは自分が特別に天の恵みを受けているのである。そのように特別の能力を授けられながら、もっぱら自分一己のことだけを考えて天下のことを考えないならば、それは天の恵みにそむいている。その罪は大きいとしなければならない”
“私は久しく事物の理を窮めようとしてきた。そうしてこれまでは、内では家庭のこと、外では同郷のものや親戚友人のことなどを、その理に従って処理し、われながらよくやったと思ってきた。しかし、いま反省してみると、いろいろと心づかいの足りないところがあって、満足を与えていない場合も多い、それというのも、私の研究がまだ未熟で、世の中のことに十分に通じていなかったからである。もっと努力しなければならない”
“書物を読む場合には、暗唱できるほどに熟読すべきである。そうでないとあまり益はない。私は獄中にあって、書物がそばにない。ここでは、毎日だまって考えているばかりである。このときに思考の助けとなり戒めとなるものは、平素から精読して暗記しているものだけである”
“内には精神を安定させ、外には血気を盛んにし、昼間は適正な食事をとり、夜は睡眠を少なめにする。修養の条件はこれくらいで、他にこまごましたことを必要とするわけではない”
“「敏」という一字、これは学問をするための基本であるとともに、政治の要諦としてもこれ以上のものはない。世の中には学ぶべきこともなすべきことも非常に多くある。だから学問するにしても政治をするにしても敏でなければならないのだ。学問に一生を送りながら粗雑な知識ばかりつめこんで何の役にも立たなかったり、常に官職にありながらぐずぐずして何の功績もなかったりするものがある。これはみな、敏でないから努力の効果があがらないのである”
“有っても何の足しにもならず、無いからといってだれも困らないというような学問は、すなわち無用の学である。有用の学とは、たとえば夏の葛衣・冬の皮衣のようなもので、これを作るものがなければ民衆は生活に困るのである”
“帝王の政治は、富のありかたの基準を民衆の側に置いている。もし民衆の側に余裕があればその分を国庫に収め、逆に民衆の間に不足があれば国庫から放出して補うのである。だから、百姓が飢えているのに帝王のみが満ち足りているというようなことはなく、また百姓が満ち足りているのに国は貧しいということも起こらない”
“夷狄をうまくあしらうためには、まず夷狄の国の実情を知らなければならない、そうして夷狄の国の実情を知るためには夷狄の国の言葉に通じなければならない”
“私は二十歳になって、一藩的な規模で考えたり行動したりすることができるようになった。三十歳では日本的な規模で考えかつ行動することを知った。四十歳を過ぎた今日では、全世界的な規模で考え、またそのような気宇をもって行動しなければならないと思っている”
最後の文章なんて、論語の「為政編」そっくりじゃないか。佐久間象山は幕末の孔子だな。
横井小楠も佐久間象山に負けず劣らず、すごい。
横井小楠(1809-1869年)は、万延元年に越前福井藩に招かれ、藩政改革のために『国是三論』を著した。この書は1960年に書かれているのだが、1856年にアメリカで刊行された『ペリー提督日本遠征記』の内容や、1853年から1856年にかけてフランス・イギリス・トルコとロシアの間で戦われたクリミア戦争についても言及している。日本という孤立した島国で世界の最新情報をキャッチしていたとは、何というアンテナをもっているのか、驚いてしまう。
本文は、「天・富国論」、「地・強兵論」、「人・士道」の三編からなる問答集である。それぞれ、国や藩の財政を豊かにする方策、兵力を高める方策、武士を心身ともに鍛錬する方策について語られているが、かなり具体的で、得心がいく。例えば、「天・富国論」では、以下のような語りで、懇切丁寧に説いている。
“租税に出した残りの米や米以外の穀物、糸・麻・楮・漆の類、その他およそ民間で生産されるすべての産物を藩が買い上げて藩の倉に集めることとし、買い上げ値段は民に利益がありしかも藩政府としても損をしないというところに落ち着けばよい・・・商品の生産にたずさわりたいとか、もっと増産したいとの意欲をもちながら、資力がないために果たせないものが多い。その場合、藩政府は民家に資金糧食を貸し付けて希望どおりの仕事ができるようにしてやり、その産物を藩政府に収めさせ、その買い上げ代金の中から貸し付け分を返上させればよい・・・栽培法や製造法について新しい簡便な方法とか、また便利な器械などがある場合には、まず藩政府の手で実験をしてみて、実効があるとわかってから民に採用させる”
“工・商の民についても同様である。資金糧食を貸し付け、技術を教えて新しい生産にたずさわらせ、利益を上げるようにする”
“武士については、節倹につとめず贅沢三昧にふけったために困窮におちいったものは、武士の資格をみずから放棄したにひとしいのだからほうっておけばよい。救ってやらなければならないのは、不慮の災害にあったり、その禄高では養いきれないほど多くの親族があったりして困窮しているものである・・・当主の弟や次男坊たちにも仕事をさせなければならない。そこで、各人の能力に応じ多少の俸禄を支給し生活を安定させ、つかせる任務に応じて住居を与えてやる。たとえば航海を希望するものは海辺に住まわせて舟に乗せ、養蚕を希望するものは桑田の中に住まわせて蚕室を与えるという具合である。こうしておけば、海辺に住まわせたものは、やがて海軍に役立ち、桑田の中に住まわせたものはやがて農兵として陸軍に役立つだろう”
“財政のことは、鎖国時代にくらべると大いにやりやすくなった。民の生活を安定させて生産にはげませ、その産物の販売を管理することによって藩を富まし士を富ませればよいのである。例をあげて説明しよう。まず一万両相当の銀札を作って領民に貸し付け養蚕にあたらせる。その製品たる繭糸を藩政府が集めて開港地に持って行き西洋の商人に売れば、およそ一万一千両の金貨になるであろう。こうすれば、紙幣が数カ月のうちに正金に変って非常な利益があるだけでなく、一千両の純益があがっている”
“いま、言いにくいことをあえて言わせてもらえば、幕府はその当初から諸大名の力を弱めようとして、参勤交代を命じたのをはじめ、土木工事の手伝い、日光山・久能山の警固、関所の警備などを割り当て、さらに近年では辺境の防備出兵など苛酷な労役を課し、それが各藩の民衆に重い負担としてのしかかっていることを少しも意に介していない。また貨幣の制度をはじめとする諸制度も、幕府の権力を振り回して徳川家に都合のよいように定め、天下庶民のためという観点は少しもない。天下のための政治という態度がみられないのだから、ペリーが「無政事の国」といったのも至極もっともであろう”
以上は「天・富国論」のほんの一部である。具体的で分かりやすい。「地・強兵論」や「人・士道」においてもしかり、面白くてどんどん読めてしまう。
佐久間象山(1811-1864年)は、1854年、弟子の吉田松陰の密航計画に連座して江戸伝馬町の獄につながれたのだが、そのときに思ったことを綴ったのが『省諐録(しょうけんろく)』である。佐久間象山のひととなりが彷彿とする書なので、いくつか章句を抜粋する。
“自分の行為の価値判断は、自分で決めるべきである。行為の結果を本当に味わうことができるのは自分しかいない。罪の有無も私自身の問題であって、外から蒙った罪など気にかける必要はない。私は忠信の真心を貫いて処罰を受けたのである。これを恥だと思うようであれば、それは、不正の手段で富貴となることを栄誉とするのとかわらない”
“他人が知りえないことを自分だけが知っており、他人にできないことを自分だけができる。これは自分が特別に天の恵みを受けているのである。そのように特別の能力を授けられながら、もっぱら自分一己のことだけを考えて天下のことを考えないならば、それは天の恵みにそむいている。その罪は大きいとしなければならない”
“私は久しく事物の理を窮めようとしてきた。そうしてこれまでは、内では家庭のこと、外では同郷のものや親戚友人のことなどを、その理に従って処理し、われながらよくやったと思ってきた。しかし、いま反省してみると、いろいろと心づかいの足りないところがあって、満足を与えていない場合も多い、それというのも、私の研究がまだ未熟で、世の中のことに十分に通じていなかったからである。もっと努力しなければならない”
“書物を読む場合には、暗唱できるほどに熟読すべきである。そうでないとあまり益はない。私は獄中にあって、書物がそばにない。ここでは、毎日だまって考えているばかりである。このときに思考の助けとなり戒めとなるものは、平素から精読して暗記しているものだけである”
“内には精神を安定させ、外には血気を盛んにし、昼間は適正な食事をとり、夜は睡眠を少なめにする。修養の条件はこれくらいで、他にこまごましたことを必要とするわけではない”
“「敏」という一字、これは学問をするための基本であるとともに、政治の要諦としてもこれ以上のものはない。世の中には学ぶべきこともなすべきことも非常に多くある。だから学問するにしても政治をするにしても敏でなければならないのだ。学問に一生を送りながら粗雑な知識ばかりつめこんで何の役にも立たなかったり、常に官職にありながらぐずぐずして何の功績もなかったりするものがある。これはみな、敏でないから努力の効果があがらないのである”
“有っても何の足しにもならず、無いからといってだれも困らないというような学問は、すなわち無用の学である。有用の学とは、たとえば夏の葛衣・冬の皮衣のようなもので、これを作るものがなければ民衆は生活に困るのである”
“帝王の政治は、富のありかたの基準を民衆の側に置いている。もし民衆の側に余裕があればその分を国庫に収め、逆に民衆の間に不足があれば国庫から放出して補うのである。だから、百姓が飢えているのに帝王のみが満ち足りているというようなことはなく、また百姓が満ち足りているのに国は貧しいということも起こらない”
“夷狄をうまくあしらうためには、まず夷狄の国の実情を知らなければならない、そうして夷狄の国の実情を知るためには夷狄の国の言葉に通じなければならない”
“私は二十歳になって、一藩的な規模で考えたり行動したりすることができるようになった。三十歳では日本的な規模で考えかつ行動することを知った。四十歳を過ぎた今日では、全世界的な規模で考え、またそのような気宇をもって行動しなければならないと思っている”
最後の文章なんて、論語の「為政編」そっくりじゃないか。佐久間象山は幕末の孔子だな。
横井小楠も佐久間象山に負けず劣らず、すごい。
横井小楠(1809-1869年)は、万延元年に越前福井藩に招かれ、藩政改革のために『国是三論』を著した。この書は1960年に書かれているのだが、1856年にアメリカで刊行された『ペリー提督日本遠征記』の内容や、1853年から1856年にかけてフランス・イギリス・トルコとロシアの間で戦われたクリミア戦争についても言及している。日本という孤立した島国で世界の最新情報をキャッチしていたとは、何というアンテナをもっているのか、驚いてしまう。
本文は、「天・富国論」、「地・強兵論」、「人・士道」の三編からなる問答集である。それぞれ、国や藩の財政を豊かにする方策、兵力を高める方策、武士を心身ともに鍛錬する方策について語られているが、かなり具体的で、得心がいく。例えば、「天・富国論」では、以下のような語りで、懇切丁寧に説いている。
“租税に出した残りの米や米以外の穀物、糸・麻・楮・漆の類、その他およそ民間で生産されるすべての産物を藩が買い上げて藩の倉に集めることとし、買い上げ値段は民に利益がありしかも藩政府としても損をしないというところに落ち着けばよい・・・商品の生産にたずさわりたいとか、もっと増産したいとの意欲をもちながら、資力がないために果たせないものが多い。その場合、藩政府は民家に資金糧食を貸し付けて希望どおりの仕事ができるようにしてやり、その産物を藩政府に収めさせ、その買い上げ代金の中から貸し付け分を返上させればよい・・・栽培法や製造法について新しい簡便な方法とか、また便利な器械などがある場合には、まず藩政府の手で実験をしてみて、実効があるとわかってから民に採用させる”
“工・商の民についても同様である。資金糧食を貸し付け、技術を教えて新しい生産にたずさわらせ、利益を上げるようにする”
“武士については、節倹につとめず贅沢三昧にふけったために困窮におちいったものは、武士の資格をみずから放棄したにひとしいのだからほうっておけばよい。救ってやらなければならないのは、不慮の災害にあったり、その禄高では養いきれないほど多くの親族があったりして困窮しているものである・・・当主の弟や次男坊たちにも仕事をさせなければならない。そこで、各人の能力に応じ多少の俸禄を支給し生活を安定させ、つかせる任務に応じて住居を与えてやる。たとえば航海を希望するものは海辺に住まわせて舟に乗せ、養蚕を希望するものは桑田の中に住まわせて蚕室を与えるという具合である。こうしておけば、海辺に住まわせたものは、やがて海軍に役立ち、桑田の中に住まわせたものはやがて農兵として陸軍に役立つだろう”
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“いま、言いにくいことをあえて言わせてもらえば、幕府はその当初から諸大名の力を弱めようとして、参勤交代を命じたのをはじめ、土木工事の手伝い、日光山・久能山の警固、関所の警備などを割り当て、さらに近年では辺境の防備出兵など苛酷な労役を課し、それが各藩の民衆に重い負担としてのしかかっていることを少しも意に介していない。また貨幣の制度をはじめとする諸制度も、幕府の権力を振り回して徳川家に都合のよいように定め、天下庶民のためという観点は少しもない。天下のための政治という態度がみられないのだから、ペリーが「無政事の国」といったのも至極もっともであろう”
以上は「天・富国論」のほんの一部である。具体的で分かりやすい。「地・強兵論」や「人・士道」においてもしかり、面白くてどんどん読めてしまう。
2013年1月23日に日本でレビュー済み
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武士として、朱子学者として、外国からの侵略に危機感をいだいて敵を知るためには敵の言葉を知らなければならないと
30を過ぎてから蘭学を学び蘭書を学んで、それを殖産計画や防衛計画に生かした、体制擁護の崋山の思想が理解できる。
30を過ぎてから蘭学を学び蘭書を学んで、それを殖産計画や防衛計画に生かした、体制擁護の崋山の思想が理解できる。
2016年4月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現代まで日本人が混乱しているのが、日本人の「仁」の心と西洋文明との融合がうまくいっていないから。二人とも「仁」に基づく道徳思想は欧米より日本の方が優れていると思っていた。福沢諭吉のように思想自体も西洋から輸入するのが良いという考えではなく、日本の思想と欧米の科学技術の併存させるべきと考えていた。私はこの二人の思想にとても共感する。この二人のどちらかが暗殺されずに生きていたら、大久保利通とどんなバトルをしただろうか。現代語なので読みやすい。過去の文化や歴史を否定するサヨクの学者はなぜ昔の日本の思想家に惹かれるのか。それもとても興味深い。
2014年7月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
横井小楠の見識には眼が開かれる思いです。実学に偏した西洋の学に対し、心の学によって徳性を磨いたかつての日本。それも明治以降の近代化のなかで失われてしまったのか。
2022年4月17日に日本でレビュー済み
中央公論社が対談用に贔屓にしていた福田屋(京都の時は今はなき東籬だった。こちらは、たぶん湯川秀樹あたりが常連にしていたのだろう)は今も営業しているのかどうか知らないが、ここに二人の「革命家もどき」が集って対談している記録が、本書の月報に載っている。これは甚だ愉快だった。彼らの底が知れるというものだが、例えば、これももう存在しない店で恐縮、京都駅前の屋台的飲み屋(当時の革命家も隠れ家にしていたとか。京大紛争にもみくちゃにされていた数学者・小針なども屢々現れた、とか)で怪気炎を上げた、というなら「凄み」もあったに違いないが、、
それは置いといて、
内容は、二人の対談は何の遠慮会釈もなく、中公の名著シリーズにはさんである提灯会話のレベルが多い月報(岩波の月報物は、その点で、もっとひどいかも)の中では、痛快なものである。豪快である。気も合っている。彼らのその後は言わずもがなにしても、その心意気や善し、である。
かつては象山も小楠も胡散臭い輩に見なしていたのだが、改めて松浦氏の発言やら解説を読み直してみると、新一万円札発行前の、提灯ドラマだった「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一などより、象山と小楠をメインにした大河ドラマが一本作れそうな気がしてきた。日本なるものを、もっと深く憂い、思い遣る人々の悪戦苦闘が画けるのではなかろうか?
コロナと言い、ウクライナと言い、昨今の政治屋の為体と言いゲンナリすることばかりだが、久しぶりに元気の出る一冊ではありました。
どうです?直木賞作家・今村先生ひとつ物してみませんか?え?ガチ思想物で食指がのびない、、ま、そう言わんと
それは置いといて、
内容は、二人の対談は何の遠慮会釈もなく、中公の名著シリーズにはさんである提灯会話のレベルが多い月報(岩波の月報物は、その点で、もっとひどいかも)の中では、痛快なものである。豪快である。気も合っている。彼らのその後は言わずもがなにしても、その心意気や善し、である。
かつては象山も小楠も胡散臭い輩に見なしていたのだが、改めて松浦氏の発言やら解説を読み直してみると、新一万円札発行前の、提灯ドラマだった「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一などより、象山と小楠をメインにした大河ドラマが一本作れそうな気がしてきた。日本なるものを、もっと深く憂い、思い遣る人々の悪戦苦闘が画けるのではなかろうか?
コロナと言い、ウクライナと言い、昨今の政治屋の為体と言いゲンナリすることばかりだが、久しぶりに元気の出る一冊ではありました。
どうです?直木賞作家・今村先生ひとつ物してみませんか?え?ガチ思想物で食指がのびない、、ま、そう言わんと
2022年12月23日に日本でレビュー済み
驚いたのは、横井がエマニュエル・スウェーデンボルグのオランダ語版を見せられて、「これならキリスト教も理解できる。従来のキリスト教は不合理過ぎて理解できないが」と言ったということでした。
2018年4月3日に日本でレビュー済み
丸山真男は『忠誠と反逆』の中で松陰の米艦渡航事件に関連し、象山のユニークな言動に触れている。目的が何であれ松陰は国禁を破った罪を詫びた。しかし象山は屁理屈をいう。松陰に密航を教唆しておきながら「まさか実行するとは思っていなかった」とまで言うのだ。このような日本人とは、一体どんな人物なのかと強い関心をもって本書を手にとってみたら、まことに興味深い実学的思想家に出会うことになった。
『浦賀日記』などは、ペリー来航時のそれこそ手に汗にぎる奔走ぶりとあわせて砲学者の蘊蓄と危機意識を知れる一級の読み物だ。また『鞜野日記』は上信越国境の山々を(千曲川と苗場山の間)、鉱物資源などを求めて実地に歩いた山の旅行記として興味津々だった。しかし何といっても笑ってしまったのは、妾をもったことへの妻の嫌味に対する反論だ。象山は京都で召使(妾)二人を雇った。「女中を集めてさぞ楽しかろう」と妻が手紙に書く。こちらは極めて難しい仕事に奮闘し、浪人に命を狙われている毎日であるのに、「せめて召使でもできれば少しはお心のなぐさめになりましょう」とどうして言えないのか、と象山は説教するのだ。時代が違うと言って捨てるには惜しい面白さがある。
この本に収められている横井小楠も、象山に引けを取らず面白い。『学校問答書』などでは、名君は時代が落ち着くとすぐに学校を作りたがるが、学校から人材が育ったためしはない、と言い切る。唐の太宗を引合いに出し、天下の秀才八千人の中から一人の人材もでなかった、と。無論この『学校問答書』は、あるべき学校の姿を述べているのだが、この逆説的な宣言が単なるレトリックではない迫力があるのだ(小楠の実学思想か)。ところでこの小楠も京都で召使を雇うのだが、彼女らは金を欲しがるだけでちっとも役にたたない、妻に早くこちらに来るように言っている。分かりやすい現代語訳で、彼らの生の声に触れられるのが何とも楽しい。
『浦賀日記』などは、ペリー来航時のそれこそ手に汗にぎる奔走ぶりとあわせて砲学者の蘊蓄と危機意識を知れる一級の読み物だ。また『鞜野日記』は上信越国境の山々を(千曲川と苗場山の間)、鉱物資源などを求めて実地に歩いた山の旅行記として興味津々だった。しかし何といっても笑ってしまったのは、妾をもったことへの妻の嫌味に対する反論だ。象山は京都で召使(妾)二人を雇った。「女中を集めてさぞ楽しかろう」と妻が手紙に書く。こちらは極めて難しい仕事に奮闘し、浪人に命を狙われている毎日であるのに、「せめて召使でもできれば少しはお心のなぐさめになりましょう」とどうして言えないのか、と象山は説教するのだ。時代が違うと言って捨てるには惜しい面白さがある。
この本に収められている横井小楠も、象山に引けを取らず面白い。『学校問答書』などでは、名君は時代が落ち着くとすぐに学校を作りたがるが、学校から人材が育ったためしはない、と言い切る。唐の太宗を引合いに出し、天下の秀才八千人の中から一人の人材もでなかった、と。無論この『学校問答書』は、あるべき学校の姿を述べているのだが、この逆説的な宣言が単なるレトリックではない迫力があるのだ(小楠の実学思想か)。ところでこの小楠も京都で召使を雇うのだが、彼女らは金を欲しがるだけでちっとも役にたたない、妻に早くこちらに来るように言っている。分かりやすい現代語訳で、彼らの生の声に触れられるのが何とも楽しい。