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ナ・バ・テア (C・Novels BIBLIOTHEQUE 84-2) 新書 – 2004/10/1
- 本の長さ338ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2004/10/1
- ISBN-10412500871X
- ISBN-13978-4125008714
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2004/10/1)
- 発売日 : 2004/10/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 338ページ
- ISBN-10 : 412500871X
- ISBN-13 : 978-4125008714
- Amazon 売れ筋ランキング: - 2,172,823位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,897位C★NOVELS
- - 6,672位SF・ホラー・ファンタジー (本)
- - 51,206位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
1957年愛知県生まれ。工学博士。
某国立大学の工学部助教授の傍ら1996年、『すべてがFになる』(講談社文庫)で第1回メフィスト賞を受賞し、衝撃デビュー。以後、犀川助教授・西之園萌絵のS&Mシリーズや瀬在丸紅子たちのVシリーズ、『φ(ファイ)は壊れたね』から始まるGシリーズ、『イナイ×イナイ』からのXシリーズがある。
ほかに『女王の百年密室』(幻冬舎文庫・新潮文庫)、映画化されて話題になった『スカイ・クロラ』(中公文庫)、『トーマの心臓 Lost heart for Thoma』(メディアファクトリー)などの小説のほか、『森博嗣のミステリィ工作室』(講談社文庫)、『森博嗣の半熟セミナ博士、質問があります!』(講談社)などのエッセィ、ささきすばる氏との絵本『悪戯王子と猫の物語』(講談社文庫)、庭園鉄道敷設レポート『ミニチュア庭園鉄道』1~3(中公新書ラクレ)、『自由をつくる 自在に生きる』(集英社新書)など新書の著作も多数ある。
ホームページ「森博嗣の浮遊工作室」(http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/)
●これから出る本→予定表(http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/myst/timetable.html)
●作者による作品の紹介(http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/myst/myst_index.html)
●出版された本の一覧→出版年表(http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/myst/nenpyo.html)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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きっと、考えるスピードと書くスピードが同じくらいなんでしょうね、森氏。
読んでいて、文章で書いてあることなのか、今自分自身が考えていることなのか、一瞬混乱するぐらい。
読んでいて、文章で書いてあることなのか、今自分が操縦しているのか、一瞬わからなくなるくらい。
皆さんにもきっとクサナギと同じような時期があったはず。
クサナギはその時期がずっと続いているんです。
時間軸的には、「スカイ・クロラ」より前で
プッシャタイプが投入され、
トラクタタイプが衰退しはじめた時期の話。
主人公は「僕」。
この「僕」は、ストーリの前半で誰だかわかるのだが、驚く人物であった。
「スカイ・クロラ」で登場するクサナギ・ミズキの秘密が明らかになり、
エプローグではカウリングに施す反射防止の黒塗りを黒猫にしている戦闘機が登場する。
このパイロットも誰かがわかる。
「スカイ・クロラ」同様に
ドックファイトの描写は冴えていて
読んでいて熱くなる。
映画のイメージでこれを読むと草薙氏の印象に少しギャップを感じますが内容が面白いので特に気になりませんでした。
戦闘シーンは空戦機動の専門用語オンパレードなので、一体何をしているのか分からない人も沢山いると思いますが、
そこが分からなくてもスト-リー的には殆ど影響ないので「なんか飛び回りながら撃ち合ってるんだなぁ」程度でもイイと思います。
(とはいえ、状況がイメージ出来た方が更に面白くなるので、軽く調べてみるのもいいでしょう。)
「で、結局、映画版の謎部分はハッキリしたのか?」というと、大まかな部分はスッキリしました。
コックピット後方にプロペラを持つ、プッシャ式(推進式)の戦闘機。主翼の前方にカーナード(前翼)を持つ特異なスタイルは、劇中、天才パイロットである草薙水素によって、軽く、極めて機動性が高い機体として評価されている。この散香の、航空力学における動的安定性マージンは、マイナス(負)となっている。
旅客を快適に輸送するための旅客機は、たとえ操縦桿から手を離したとしても安定したグライド(滑空)を見せる。しかし戦うために作られた散香は、その不安定さこそがアイデンティティーそのものとなっている。一瞬にして揚力を失い、追尾してくる敵機を前方にやり過ごし、そして瞬時に攻守を入れ替えての銃撃。劇中で草薙が得意とする、ストールターンのマニューバ(戦闘機動)だって、この不安定さがあってからこそ成立するギリギリの行動だ。
未だピストンレスエンジン(=ジェットエンジン)は発明されていない、今とは異なる世界。
そこでは世界の安定を図るため、戦争を一企業の営利活動として行わせる、という政策がとられている。有史以来、人の歴史に戦争の絶えたことはなかった。しかしそれを、国家間の大規模な争いでなく、私企業同士の空中戦という形での限定された形に封じ込めることにより、民衆の国家への帰属意識を暴走させることなく、また、人間が本来持っている闘争心を代理消費させることで、大きな混乱を未然に防ぐことに成功した世界。
その私企業の空中戦は、キルドレ、という子どもたちによって行われている。
成長をやめた子どもたち。誰もが中学生程度の年齢で成長を止め、精神的にも肉体的にも未熟なまま、言い換えれば純粋さを持ったまま、永遠に生き続ける子どもたち。
キルドレは誰もが世界の安定のための生贄であることを感じながら、それとはまったく異なる次元に生きている。
それは、白い雲を越えた先の、スカイブルーの世界。
そこで行われる戦闘は、相手を落とさなければ自分が落とされる、という厳然としたルールのもとで行われる、しかしあくまで優美で美しい、“ダンス”。
強烈なGと混濁する意識の中で、互いに相手の後ろを取ろうと、互いに自分優位の体制で機関銃の引き金を引こうと競り合う子どもたちはしかし、とても深いところで互いを尊敬しあい、互いの命を預けあう。どちらかが撃墜されるという前提のもとで交わされる、極めて純粋な敬意と称賛。
そして何より彼らが大切にするのは、高空の中でしか得られない、真の自由。命をやり取りすることで初めて生まれる、尊く気高い自由。
ラダーを切ってフラップを上げ、ナイフ・エッジの体勢からスロットルを開ける。どこまでも自由で、美しい戦闘機動の描写が続く。冷たく、冴えた高空の上で。
それと対比され、キルドレ達が激しく唾棄する、地上の世界。換言すればそれは、大人の世界であり、汚れて、粘着質の情念が渦巻く世界。そこで彼らは呼吸することも満足にできず、コミュニケーションも不全となり、自らを律する背骨を失うように見える。
その、空と陸の、子どもと大人の、清と濁のコントラストが、この「スカイ・クロラ」シリーズのテーマそのものだ。
自分自身は一体、どこを飛んでいる、と思うか?
空気が薄く、気温は低く。その代りどこまでも青く透き通ったあの空か。あるいは濃密な大気圧に押しつぶされ、さまざまな匂いの入り混じったこの地上か。
心はいつでも少年のつもりでいても、自分がしていることは、彼らが憎む大人のやりくちなのではないのか?
筆者である森は、永遠のキルドレのひとりである森は、読み手の喉元に鋭く、その問いを突き付ける。お前は敵なのか、味方なのか、と。
本書の主人公であるキルドレのひとり、草薙水素の愛する機体は散香A2。先行開発型の高性能テスト機である。極めてピーキーなその戦闘機の、動的安定性マージンは、負である。
まさに、この物語そのもののように、危うく、そして鋭角な印象をもたらす。
そしてそれは、我々が生きるこの、二律背反した世界そのものであるとも言えるのではないだろうか?
大人、皆の目標として戦闘機を操縦するエースパイロットであるティーチャ、子供(キルドレ)としてティーチャ(大人)を目標に戦闘機を操縦する主人公たち。普段、自分たちが"大人"に描いている妄想と現実。大人になるとは、どういうことなのか?をストーリーを通じて考えさせられた。
ただ、とても共感できる。
ひそやかで冷たく見える、子供の思い描く完全な世界。そこに長くはいられないことも、いつしか彼女も飛ばなくなるだろうという物語の促す〈予感〉さえも、とても覚えのある感覚のように思う。
「キルドレ」などの特殊な設定が目を引くかもしれないが、その〈特殊さ〉を引けば、それは結構、現実味のある感情ではないだろうか。
ただ「あとがき」で、よしもとばなな氏も『人よりもむしろ犬のほうが話が合うような人生』と述べているように、それはよそから見たら、ちょっと偏屈というか……「誰にも分かってもらえなくて結構」、むしろ「なぜみんなはわからないんだろう?」というような視点を持ったことのないタイプには、ひょっとしたら鼻につくのかもしれない(いや、この説明のほうが、もっと鼻につく気もしないではないが)。
戦闘機が分からない私にも、戦闘シーンの描写は見ていて気持ち良い。怖いくせに。でも、楽しいんだろうな。そんな気持ちにさせられる。
――昔々、私も空にいた気がする。そんな錯覚を覚える一冊。
いや、やっぱ海だったかも。まいっか。
───醜いものを、格好の良いものにすり替える。全部うそだ。汚いものを、綺麗なものでカバーする。反対はありえない。外見だけは美しく見えるように作る。しかし、そうすることで、中はもっと汚れてしまう。この反対はない。俺たちの仕事を考えてみろ。格好良くイメージが作られる。今日の写真みたいにな。しかし、実体はどうだ?写真には血の一滴も映らない。オイルで汚れてさえいない。(p.294)
本書では改行を多用する表現が目立つ。楽をしているように見えて(実際はそうかもしれないが)、その行間が独特のテンポを持っていて、主人公の思考とリンクすることができる。人間が頭の中で考えることは、そんなに長い文章ではなく、細切れの分節にすぎない。空を戦闘機で飛んでいる気分が微塵だけれど、不思議と感じられる気がしました。
著者:森博嗣
発行:2005.11.25 初版
読了:2016年30冊(4月7冊)★3.3