1 扱いにくい灰色の基本問題―複雑性
2 意味社会
3 ポストヒューマン―人間という尺度からの別れ
4 批判的意識の大思想家たち
5 それぞれのメディア世代
6 メディアの世界
7 文化―近代化の埋め合わせ
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意味に餓える社会 単行本 – 1998/12/1
- 本の長さ301ページ
- 言語日本語
- 出版社東京大学出版会
- 発売日1998/12/1
- ISBN-104130100823
- ISBN-13978-4130100823
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
現実において、自明なものはもう何もない。自明性の喪失自体が、自明になっている。「生きる意味」「本来の人間性」などというものは、もうない。それでもなお、なぜわわれわれは意味をもとめようとするのかを明らかにする。
登録情報
- 出版社 : 東京大学出版会 (1998/12/1)
- 発売日 : 1998/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 301ページ
- ISBN-10 : 4130100823
- ISBN-13 : 978-4130100823
- Amazon 売れ筋ランキング: - 610,347位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年10月31日に日本でレビュー済み
随所にニーチェが引用されていることからも明らかなように、本書はニーチェの予見した大衆社会において、「意味」がなければ生きられない、大いなる健康を失った人間がどう生きればよいのかを問う。
「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的であって、われわれは考えられるどんな世界よりも良い世界に生きている。」(2頁)
というのが著者の答えなのだけれど、意味を問う人々がこの答えに納得するはずはない。「存在するものは、たいていは善き意図よりもましである」ことを常識として体得していない人々をどうすればよいのか。「現実的なものの向こうに理性的なものがあるという救済約束には気をつけなければならない」という忠告は、現代における究極の真実であるが、「かの人々」には届かない。
ブラックボックス化した経済、政治、法律、学術などの各システムが、
「環境からの刺激に反応することを示してみせることができるようなコミュニケーション(インターフェース・デザイン)をもつことが必要になろう」(290頁、訳者あとがき)
著者であるボルツ自身の解決策は、いま一つ、説得力に欠ける印象であるが、訳者である村上淳一氏の著書を読むと、解決の糸口が見つかるのではないかと思える。
本筋から少しはずれるが、
「エコロジーの言説において自然が占める地位は、革命的言説においてプロレタリアートが占めた地位に正確に対応している。プロレタリアートと同様に自然は抑圧され、侮辱され、搾取されていると説かれる」(209頁)
との著者の指摘には目からウロコが落ちた。
「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的であって、われわれは考えられるどんな世界よりも良い世界に生きている。」(2頁)
というのが著者の答えなのだけれど、意味を問う人々がこの答えに納得するはずはない。「存在するものは、たいていは善き意図よりもましである」ことを常識として体得していない人々をどうすればよいのか。「現実的なものの向こうに理性的なものがあるという救済約束には気をつけなければならない」という忠告は、現代における究極の真実であるが、「かの人々」には届かない。
ブラックボックス化した経済、政治、法律、学術などの各システムが、
「環境からの刺激に反応することを示してみせることができるようなコミュニケーション(インターフェース・デザイン)をもつことが必要になろう」(290頁、訳者あとがき)
著者であるボルツ自身の解決策は、いま一つ、説得力に欠ける印象であるが、訳者である村上淳一氏の著書を読むと、解決の糸口が見つかるのではないかと思える。
本筋から少しはずれるが、
「エコロジーの言説において自然が占める地位は、革命的言説においてプロレタリアートが占めた地位に正確に対応している。プロレタリアートと同様に自然は抑圧され、侮辱され、搾取されていると説かれる」(209頁)
との著者の指摘には目からウロコが落ちた。