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仏教入門 ペーパーバック – 1983/1/1
高崎 直道
(著)
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- ISBN-104130130110
- ISBN-13978-4130130110
- 出版社東京大学出版会
- 発売日1983/1/1
- 言語日本語
- 本の長さ280ページ
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登録情報
- 出版社 : 東京大学出版会 (1983/1/1)
- 発売日 : 1983/1/1
- 言語 : 日本語
- ペーパーバック : 280ページ
- ISBN-10 : 4130130110
- ISBN-13 : 978-4130130110
- Amazon 売れ筋ランキング: - 166,530位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 723位仏教入門
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年11月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
もちろん仏教用語は難しいし、その理解は容易ではないが、本格的な研究者の方の本の中では、比較的判りやすいのではないだろうか。如来蔵を専門とし、唯識にも深い見識をお持ちで、当方の好きな方の一人である。先年亡くなられたのが残念である。ご冥福をお祈りします。
2013年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
駒沢大学にて、かつて、使われていた『仏教一般』という教科書のうち、本書の著者が担当されていたところの「第一部 仏教の大綱」部分を元にして、書かれたのが本書とのこと。おそらく大学一年生の仏教概論の水準と推定される。思想史的アプローチとでも言うのだろうか、いわば、仏教という思想を、主体として、それ自身が、歴史の中で、螺旋状に、展開・発展していくような、そうしたいわば「仏教の物語」として、一気に通読することもできる。なぜ、ある時点である特定の体系がでてきたのか、思想史的位置づけが一本通っているおかげで、ただ概念を羅列されただけであったとすると、些末な分類に過ぎないかのように思われがちな項目にも興味をもって、表紙から表紙まで、一気に読み進むことが出来る。版型もコンパクトで、装丁も軽量に抑えられており、持ち運びもしやすい。唯一、やや残念なのは、余白が大きく、活字の大きさがやや小さいことで、老眼である私には、そこがちょっと辛かった。
2020年1月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
仏教の考え方というよりも、細かい解釈に多くのページを割いている。
それが好きな人は面白いだろうけど個人的には正直屁理屈にしか思えなかった。
まあ、こういう風に解釈した人がいた・・・という認識でいいのかもしれないが・・・
変に細かい説明ばかりで大筋や真髄についての説明が疎かになっている印象。
それが好きな人は面白いだろうけど個人的には正直屁理屈にしか思えなかった。
まあ、こういう風に解釈した人がいた・・・という認識でいいのかもしれないが・・・
変に細かい説明ばかりで大筋や真髄についての説明が疎かになっている印象。
2007年11月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の専門領域に偏ることなく、仏教入門書としての基本は丁寧に解説し、将来の勉学への道標として専門用語を散りばめながら、釈尊仏教、小乗仏教、大乗仏教などを公平に取り上げて見せる手腕に感心させられた。しかも学問的良心が感じられる著者の指摘は、重要な示唆に富んでいる。その中の一つを引用して、所感を述べたい。形而上学的議論に対する釈尊の解答拒否である「無記」(p.77)を扱うことで大乗仏教として進化したとされる箇所である。
引用1:“この無我説の持つ理論的弱点は、業とか輪廻を説く場合にも顕れた。「我」が無いというのに、いったい何が業を背負って次の生をうけるのか。これは仏教がその教理体系を理論の平面で矛盾無く説こうとしたとき生じた難問であった。”(p.173)
引用2:“以上、唯識説は迷いと覚りの世界を心の転換というかたちで捉え、これを理論的に説明したが、そのような心の転換――転依――がどのようにして達成可能であるか、そのために喩伽行すなわち禅定の修行が要求される。その喩伽行の基本となるのが「唯識観」である。”(p.185)
上記引用で、“理論の平面で矛盾無く説明する”ために導入された唯識が“これを理論的に説明した”と著者は解説している。
しかし、そのような理論の方向に進むことこそ、釈尊が「毒矢の喩え」(P.78)をもってその努力が無意味であることを悟らせようとしたものである。なぜなら、理論の平面は無限の可能性を持つ広がりなので、その完璧な実証には無限の時間(三阿僧祗劫)を必要とするからである。理論的に完成されたとする唯識仏教から釈尊を超える聖者は誕生していないが、無限の時間が必要と言うのであるから当然であろう。
釈尊は「三結(身見、疑惑、戒禁取)」(p.132)を断てば、「シュダオン(須陀')」という聖者の流れに入り(預流)、しかもその後何度か人間界に生まれ変わるとしても、必ず「阿羅漢」になると断言している。シュダオンならば、この人生でも辿り着けるとする釈尊の教法こそ、現代の我々にも希望と勇気を与えるはずである。それに対して、仏になるまで三阿僧祗劫を必要とする唯識仏教は人々を意気消沈させるだけでなく、仏になれない場合でも責任回避できるように辻褄合わせをしたと思うのは私だけであろうか。
1,952年から1,956年にミャンマーで召集された「第6結集」で承認された「ビルマ版パーリ語三蔵経」に立ち返る時だと思われる。
引用1:“この無我説の持つ理論的弱点は、業とか輪廻を説く場合にも顕れた。「我」が無いというのに、いったい何が業を背負って次の生をうけるのか。これは仏教がその教理体系を理論の平面で矛盾無く説こうとしたとき生じた難問であった。”(p.173)
引用2:“以上、唯識説は迷いと覚りの世界を心の転換というかたちで捉え、これを理論的に説明したが、そのような心の転換――転依――がどのようにして達成可能であるか、そのために喩伽行すなわち禅定の修行が要求される。その喩伽行の基本となるのが「唯識観」である。”(p.185)
上記引用で、“理論の平面で矛盾無く説明する”ために導入された唯識が“これを理論的に説明した”と著者は解説している。
しかし、そのような理論の方向に進むことこそ、釈尊が「毒矢の喩え」(P.78)をもってその努力が無意味であることを悟らせようとしたものである。なぜなら、理論の平面は無限の可能性を持つ広がりなので、その完璧な実証には無限の時間(三阿僧祗劫)を必要とするからである。理論的に完成されたとする唯識仏教から釈尊を超える聖者は誕生していないが、無限の時間が必要と言うのであるから当然であろう。
釈尊は「三結(身見、疑惑、戒禁取)」(p.132)を断てば、「シュダオン(須陀')」という聖者の流れに入り(預流)、しかもその後何度か人間界に生まれ変わるとしても、必ず「阿羅漢」になると断言している。シュダオンならば、この人生でも辿り着けるとする釈尊の教法こそ、現代の我々にも希望と勇気を与えるはずである。それに対して、仏になるまで三阿僧祗劫を必要とする唯識仏教は人々を意気消沈させるだけでなく、仏になれない場合でも責任回避できるように辻褄合わせをしたと思うのは私だけであろうか。
1,952年から1,956年にミャンマーで召集された「第6結集」で承認された「ビルマ版パーリ語三蔵経」に立ち返る時だと思われる。
2014年9月20日に日本でレビュー済み
仏教を解説した本はたくさんあります。しかし、いずれかの宗派に偏っていたりして、その源流や違いがわかりづらく、偏見のない知識を持てているのか不安でした。
本書は仏教の歴史、仏教の教えなどできるかぎり偏らないように書かれてある本です。
途中若干偏りを感じることはありますが、他書にくらべれば微々たるものです。
参考文献も豊富で、自分で勉強して深めていくこともできます。
内表紙はオレンジ色で、これも仏教をイメージしたのでしょうか。
名著だと思います。なんちゃって仏教徒でも、教養に読む価値ありです。非常にお勧めです。
本書は仏教の歴史、仏教の教えなどできるかぎり偏らないように書かれてある本です。
途中若干偏りを感じることはありますが、他書にくらべれば微々たるものです。
参考文献も豊富で、自分で勉強して深めていくこともできます。
内表紙はオレンジ色で、これも仏教をイメージしたのでしょうか。
名著だと思います。なんちゃって仏教徒でも、教養に読む価値ありです。非常にお勧めです。
2008年6月22日に日本でレビュー済み
本書は学生向けに書かれた教科書を基に、一般向けとして書き直したもの。
高崎氏は東大名誉教授(出版当時は東大教授)。末木文美士東大大学院教授は本書を一般向けの
入門書として自著のなかで、推薦している。
本書は教科書を基にしているだけあって、その内容は、偏りのなく、全般的なものとなってい
る。学問的なものとなっているので、信頼できる。かなり、おすすめできる。
本書を通読するのがもちろん、よいだろうが、仏教用語の意味を調べるために、辞書的な
使用するのもよいだろう。詳しく説明されているので、理解に役立つと思う。
本書は教科書的であるが、一般の教科書には見られない特色がある。
それは法についての説明である。法を縁起であるとする従来の説に立つのではなく、
自内証(自ら覚るべきもの)とし、その法を覚ったのちに、十二支縁起が内観、観察されている
というもの。この立場は故・玉城康四郎東大名誉教授の説と通じるものとなっている。
仏教を理解するうえで、この点を理解するか否かは死活問題であるはず。
本書は法、縁起、一切法の意味することをかなり詳しく説明している。仏教にとって最も大事
な部分である。関心のある方には強くおすすめできる。ただ、一般向けに書かれているとは
いえ、学問的なものであるので、一般の人にとって煩雑に感じられるかもしれない。このこと
は本書を全体を通じていえることなので、通読するのは大変かもしれない。
蛇足ですが、私は辞書的な使い方をしている。
高崎氏は東大名誉教授(出版当時は東大教授)。末木文美士東大大学院教授は本書を一般向けの
入門書として自著のなかで、推薦している。
本書は教科書を基にしているだけあって、その内容は、偏りのなく、全般的なものとなってい
る。学問的なものとなっているので、信頼できる。かなり、おすすめできる。
本書を通読するのがもちろん、よいだろうが、仏教用語の意味を調べるために、辞書的な
使用するのもよいだろう。詳しく説明されているので、理解に役立つと思う。
本書は教科書的であるが、一般の教科書には見られない特色がある。
それは法についての説明である。法を縁起であるとする従来の説に立つのではなく、
自内証(自ら覚るべきもの)とし、その法を覚ったのちに、十二支縁起が内観、観察されている
というもの。この立場は故・玉城康四郎東大名誉教授の説と通じるものとなっている。
仏教を理解するうえで、この点を理解するか否かは死活問題であるはず。
本書は法、縁起、一切法の意味することをかなり詳しく説明している。仏教にとって最も大事
な部分である。関心のある方には強くおすすめできる。ただ、一般向けに書かれているとは
いえ、学問的なものであるので、一般の人にとって煩雑に感じられるかもしれない。このこと
は本書を全体を通じていえることなので、通読するのは大変かもしれない。
蛇足ですが、私は辞書的な使い方をしている。