クラシックに限らないが、音楽ファンは「耳から入ってくる音」以外のことには、おおむね無頓着だ。しかし、ジミ・ヘンドリックスの「星条旗よ、永遠なれ」がヴェトナム戦争や黒人差別と分かちがたく結びついているように、バロック音楽も当時の社会を反映している。
多くの音楽史は、和声や楽器構成など(やはり、最終的には耳から入ってくる情報)の流に偏りがちだが、この本はそうではない。
バロック音楽が、当時の科学(数学や幾何学!)や哲学と結びついていたことを、本書で著者は私のような素人にもわかるように説いている。もちろん、いわゆる音楽史的な面もしっかりおさえてある。
コンパクトな本だが、内容はその厚み以上に充実している。
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バロック音楽 豊かなる生のドラマ (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 1989/3/20
磯山 雅
(著)
1:1.装いに真実を求めて -バロック音楽の始まり
2:2.音楽による祝祭 -オペラの誕生
3:3.この世における聖の開花 -宗教音楽の高揚
4:4.廃墟に流れる歌 -ドイツ音楽の目覚めと発展
5:5.歌うヴァイオリン -イタリアにおける器楽の興隆
6:6.大御代を輝かす楽の音 -フランス音楽の一世紀
7:7.趣味さまざま -国民様式の対立と和合
:8.音楽を消費する先進国 -イギリスとヘンデル
9:9.神と人間に注ぐ愛 -バッハにみるバロック音楽の深まり
10:10.数を数える魂 -バロック音楽の思想
:11.コーヒーを飲みながら、音楽を -十八世紀における音楽の市民化
12:12.現代に息づくバロック -受容史と今日的意義
2:2.音楽による祝祭 -オペラの誕生
3:3.この世における聖の開花 -宗教音楽の高揚
4:4.廃墟に流れる歌 -ドイツ音楽の目覚めと発展
5:5.歌うヴァイオリン -イタリアにおける器楽の興隆
6:6.大御代を輝かす楽の音 -フランス音楽の一世紀
7:7.趣味さまざま -国民様式の対立と和合
:8.音楽を消費する先進国 -イギリスとヘンデル
9:9.神と人間に注ぐ愛 -バッハにみるバロック音楽の深まり
10:10.数を数える魂 -バロック音楽の思想
:11.コーヒーを飲みながら、音楽を -十八世紀における音楽の市民化
12:12.現代に息づくバロック -受容史と今日的意義
- ISBN-104140015705
- ISBN-13978-4140015704
- 出版社NHK出版
- 発売日1989/3/20
- 言語日本語
- 本の長さ214ページ
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登録情報
- 出版社 : NHK出版 (1989/3/20)
- 発売日 : 1989/3/20
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 214ページ
- ISBN-10 : 4140015705
- ISBN-13 : 978-4140015704
- Amazon 売れ筋ランキング: - 872,585位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 141位18世紀・古典派以前のクラシック音楽
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2010年1月4日に日本でレビュー済み
バロック音楽に興味があって(特にヴィヴァルディ)、
この時代の背景と、音楽の発達や変化を絡めた著作を探していた。
今まで手に取った本は、そうした興味関心を満たしてくれなかったのだが、
この本は違った。
さすがに冒頭は、フェリックス・アーヨとイ・ムジチネタから始まっていくが
筆はすぐに17世紀初頭のイタリアのマントヴァに飛ぶ。
ひとりの音楽家が教皇パウロ'U世に自作の曲を献呈するためローマに向かっている。
手に携えているのは通常通りの形式を守った合唱曲と、
管弦楽を輝かしさを存分にふりまきながら進む「聖母マリアの夕べの祈り」。
これが初期バロック最大の音楽家といわれるモンテベルディが本書に登場する場面。
「モンテヴェルディが作曲したふたつの作品は、同じ人の手によるとは思えぬほど、スタイルが異なっている。
六声のミサ曲が、合唱を主体として渋く、厳粛に綴られているのに対し、
聖母マリアの祝日のための音楽は、独唱、合唱そして管弦楽を、対比も豊かに用いて、
まばゆいばかりの華麗さを発散している。
異なった書き方の音楽が、このように並び立つということは、
それまでの音楽史においては、とうてい考えられなかった」
的確な歴史把握と描写を交えながら、バロック音楽の歩みが綴られる。
無味乾燥な教科書風の退屈はどこにもない。
周辺の他ジャンル文化、政治状況、楽器の発達なども書き記され
それらがバロック音楽という一枚のタブローに納まっていく。
この時代の背景と、音楽の発達や変化を絡めた著作を探していた。
今まで手に取った本は、そうした興味関心を満たしてくれなかったのだが、
この本は違った。
さすがに冒頭は、フェリックス・アーヨとイ・ムジチネタから始まっていくが
筆はすぐに17世紀初頭のイタリアのマントヴァに飛ぶ。
ひとりの音楽家が教皇パウロ'U世に自作の曲を献呈するためローマに向かっている。
手に携えているのは通常通りの形式を守った合唱曲と、
管弦楽を輝かしさを存分にふりまきながら進む「聖母マリアの夕べの祈り」。
これが初期バロック最大の音楽家といわれるモンテベルディが本書に登場する場面。
「モンテヴェルディが作曲したふたつの作品は、同じ人の手によるとは思えぬほど、スタイルが異なっている。
六声のミサ曲が、合唱を主体として渋く、厳粛に綴られているのに対し、
聖母マリアの祝日のための音楽は、独唱、合唱そして管弦楽を、対比も豊かに用いて、
まばゆいばかりの華麗さを発散している。
異なった書き方の音楽が、このように並び立つということは、
それまでの音楽史においては、とうてい考えられなかった」
的確な歴史把握と描写を交えながら、バロック音楽の歩みが綴られる。
無味乾燥な教科書風の退屈はどこにもない。
周辺の他ジャンル文化、政治状況、楽器の発達なども書き記され
それらがバロック音楽という一枚のタブローに納まっていく。
2009年2月16日に日本でレビュー済み
最初の勤務地が大阪であった評者にとって、最も沢山足を運んだコンサートは朝比奈隆と大阪フィルの演奏会。朝比奈先生とは同じエレベーターに乗ったこともある。だからということでもないが、昨年生誕100年だった朝比奈の生まれた1908年が大昔という感覚はない。祖母は1910年代の生まれであり、つい先日まで存命であったし、そう考えると、第一次世界大戦もロシア革命もそんなに昔という気は全然しない。これは個人的な感懐に過ぎないのか。
第2次大戦なんて、ほんの少し前の事件であり、高度成長期にはこちらはもう生まれており、朝鮮戦争、ベトナム戦争も、さらに70年代の石油ショックなど現代史というより、「こないだの騒動」という気もする。
こういう私的な感懐から敷衍するわけでもないが、ベートーヴェンが生まれた1770年はフランス革命に先立つこと20年弱・・・。といっても勿論、18世紀が近いわけではないが、朝比奈はフルトヴェングラーに逢っているわけであり、フルトヴェングラーは19世紀末に生まれていることを考えれば、その世紀の初頭どころか30年代の手前(1827年)までベートーヴェンは生きていたのである。フルトヴェングラーにとって朝比奈は子供世代、ベートーヴェンは曽祖父世代ということになる。細かいことを気にしなければ。
以上を踏まえれば、ベートーヴェンの生まれた18世紀末と19世紀初頭は、そ〜んなにも遠いとは思えなくなってくる。
漸く本書だが、この本は、そんなベートーヴェンおじいさんの前までの音楽史を描いている。
案外とそんなに昔のことでもない・・・とは言えないまでも、古典派、ロマン派より以前の昔過ぎるわけのわからん時代の音楽という意識は薄れてくる。
まあ、それもこれも、評者がこのあたりの音楽史に疎いからであろうが、普段馴染んでいる古典派・ロマン派まで、それ以前の曽祖父世代を押さえれば、音楽史は途端に見えやすくなってくる。
礒山の記述は誠に平易簡明であり、煩瑣な音楽理論は少なく、すいすいと読める。
ルネサンス以降、近代西欧の成り立ちも基本からわかる結構であり、バロックが途端に身近になる気がする。西欧諸国の国民性の違いも音楽史を通してよくわかる。
とは言え、さすがにモンテヴェルディともなってくると、偉大なるおじいさんのそのまたさらに偉大なる曽祖父・・・という感じは否めないが。バッハまでなら、ベートーヴェンの曾おじいさんで通る。そうなればこっちのもの??
第2次大戦なんて、ほんの少し前の事件であり、高度成長期にはこちらはもう生まれており、朝鮮戦争、ベトナム戦争も、さらに70年代の石油ショックなど現代史というより、「こないだの騒動」という気もする。
こういう私的な感懐から敷衍するわけでもないが、ベートーヴェンが生まれた1770年はフランス革命に先立つこと20年弱・・・。といっても勿論、18世紀が近いわけではないが、朝比奈はフルトヴェングラーに逢っているわけであり、フルトヴェングラーは19世紀末に生まれていることを考えれば、その世紀の初頭どころか30年代の手前(1827年)までベートーヴェンは生きていたのである。フルトヴェングラーにとって朝比奈は子供世代、ベートーヴェンは曽祖父世代ということになる。細かいことを気にしなければ。
以上を踏まえれば、ベートーヴェンの生まれた18世紀末と19世紀初頭は、そ〜んなにも遠いとは思えなくなってくる。
漸く本書だが、この本は、そんなベートーヴェンおじいさんの前までの音楽史を描いている。
案外とそんなに昔のことでもない・・・とは言えないまでも、古典派、ロマン派より以前の昔過ぎるわけのわからん時代の音楽という意識は薄れてくる。
まあ、それもこれも、評者がこのあたりの音楽史に疎いからであろうが、普段馴染んでいる古典派・ロマン派まで、それ以前の曽祖父世代を押さえれば、音楽史は途端に見えやすくなってくる。
礒山の記述は誠に平易簡明であり、煩瑣な音楽理論は少なく、すいすいと読める。
ルネサンス以降、近代西欧の成り立ちも基本からわかる結構であり、バロックが途端に身近になる気がする。西欧諸国の国民性の違いも音楽史を通してよくわかる。
とは言え、さすがにモンテヴェルディともなってくると、偉大なるおじいさんのそのまたさらに偉大なる曽祖父・・・という感じは否めないが。バッハまでなら、ベートーヴェンの曾おじいさんで通る。そうなればこっちのもの??