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主観から始めて普遍性を目指すという、客観性は担保されるのか。そんなことが? と。
哲学の中でも異質のものという位置づけ。
独我論であり、認識の論なのだが結論は形而上学的思考と言える。
現代の脳科学、心理学が存在しなかった時代の思考。
そういうフッサール現象学を引っ張り出してきて、あらたな肉付けを行い、現代社会にコミットできるものに仕立てているというもの。
哲学という学問の再構築させようとする行いは素晴らしい。
以下、ご参考までに。
1. 構成主義と現実性の関係:フッサールは意識の構成的性質を強調したが、このアプローチは現実の物的存在や外部の事実とどのように関連するのかが不明確であるという批判がなされてきた。
2. 過度な主観主義:フッサールの意識の「純粋化」の試みは、物的世界や他者との関係性を過度に省みない主観主義に陥るリスクがあるとの指摘がある。
3. 無意識の問題:フッサールは意識の明示的な内容に焦点を当てたが、無意識の役割や意識の暗黙の側面を十分に考慮していないとの批判がなされてきました。この点で、フロイトや後の現象学者、特にメルロ=ポンティはフッサールのアプローチに異議を唱えた。
4. 意識の普遍性と特定性:フッサールは意識の普遍的な構造を明らかにしようとしたが、文化や歴史的背景、個人の経験による意識の変動性や特定性をどれほど考慮できているのか疑問が提起されたのでは。
5. エポケーの可能性:フッサールの「エポケー」(意識的な前提の一時的な括弧外し)は、真に実行可能なのか、そしてそれが意味するところは何かについての議論や批判がある。
★ 本質直観・エポケー等の難解な論の展開は、単純化して考えると社会人として当たり前に行っていること。
例えば以下のように。
a 視野が狭くなってないか・・抽象度・・具体的と抽象的
b 時間を置いて、きちんと寝かす・・客観性の確保
c 真逆を考える・・逆転の発想
d 違う人の視点から考える・・複眼的思考(違う見方)
e 常識の壁・・自分の常識が先入観となって視野を狭める
f 前例の壁・・過去の経験則から「おそらく・・」と推測する
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現象学入門 (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 1989/6/20
竹田 青嗣
(著)
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この目で見た世界と実存する世界は同じものなのか?近代哲学がついに超えられなかった難問を、'世界が造られる場'として意識を捉え直すという発想の転換でかわしたフッサールの考え方の芯を、できるだけ平明な言葉でわかりやすく紹介。
第1章現象学の基本問題(「近代哲学の根本問題」-「主観と客観」
近代の哲学者たち-デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェ)
第2章現象学的「還元」について(発想の転換-デカルトの「夢」について
「還元」の意味-「確信」の生じる条件
「諸原理の原理」
知覚直観と本質直観)
第3章現象学の方法-『イデーン』を読もうとする読者のために(自然的態度、素朴な世界像について
の開始-エポケーの方法
「純粋意識」という残余、超越論的主観について
超越論的主観における「世界の構成」
事象は「志向的統一」である
原理
意味統一としての「経験」
構造)
第4章現象学の展開-は誰にでもできる理由(近代的な世界像の成立
超越論的主観性と間主観性-他我経験の現象学
生活世界の現象学)
第5章現象学の探究(現象学的'反批判'
サルトルとポンティ-現象学の難問
ハイデガー存在論の挑戦)
現象学入門/用語解説
・竹田青嗣
・版型:B6
・総ページ数:224
・ISBNコード:9784140015766
・出版年月日:1989/06/01
第1章現象学の基本問題(「近代哲学の根本問題」-「主観と客観」
近代の哲学者たち-デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェ)
第2章現象学的「還元」について(発想の転換-デカルトの「夢」について
「還元」の意味-「確信」の生じる条件
「諸原理の原理」
知覚直観と本質直観)
第3章現象学の方法-『イデーン』を読もうとする読者のために(自然的態度、素朴な世界像について
の開始-エポケーの方法
「純粋意識」という残余、超越論的主観について
超越論的主観における「世界の構成」
事象は「志向的統一」である
原理
意味統一としての「経験」
構造)
第4章現象学の展開-は誰にでもできる理由(近代的な世界像の成立
超越論的主観性と間主観性-他我経験の現象学
生活世界の現象学)
第5章現象学の探究(現象学的'反批判'
サルトルとポンティ-現象学の難問
ハイデガー存在論の挑戦)
現象学入門/用語解説
・竹田青嗣
・版型:B6
・総ページ数:224
・ISBNコード:9784140015766
・出版年月日:1989/06/01
- 本の長さ238ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日1989/6/20
- ISBN-104140015764
- ISBN-13978-4140015766
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登録情報
- 出版社 : NHK出版 (1989/6/20)
- 発売日 : 1989/6/20
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 238ページ
- ISBN-10 : 4140015764
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2023年9月18日に日本でレビュー済み
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2023年3月1日に日本でレビュー済み
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中古でした、少し色褪せはありましたが気にならない状態でした。内容は難解ながら説明が具体的でわかりやすかったです。
2019年4月14日に日本でレビュー済み
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分かり易い解説ですが、内容は深すぎてぬかるみにはまる思い。まず、この一冊をクリアすれば次が見えるでしょう。
2022年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、フッサールの現象学を中心に、それを大きく展開させたハイデガーの存在論を含めて、 両者の現象学を詳細に解説した竹田青嗣氏による書物である。
フッサールの現象学についての本書の説明は多岐にわたるが、<核心的な箇所>をひとつだけ挙げておこう。
「デカルトは徹底的な懐疑の果てに、<考える私=コギト>の存在を最後の不可疑性として取り出した。しかし<コギト>の存在の確実性はそれ自体では<コギト>の<外側>の存在(=世界そのものやその中にある事物の存在)を保証しない。何度も繰り返すように、<主観>は自己の外に決して出られないから、これを確かめられないのである。 まさしくそのために、デカルトは、<主観>の外側に「神」の存在することを”証明”し、この「神」によって<主観>の認識の正しさを保証させなくてはならなかったのである。
これに対して、フッサールはつぎのように考えていることになる。<主観>は外に出られないし、また「神」のような保証人を立てて自分の外側からその認識の「正しさ」、「確実性」を保証してもらうわけにもいかない。言い換えれば、<主観>は自己の外側にあるものの実在の「確実性」を、主―客の「一致」という仕方で得ているのでは全くない。主観はそれをただ自分の内部からのみ、なんらかの対象存在の「不可疑性」(=妥当)という仕方でだけ得ている。」(pp.56-57)
一知半解ではあるが、他所記述より援用して説明する。
フッサールの主張の眼目は、「<主観>は自己の外に決して出られない」ということのようだ。つまり主観は事物(客観)に到達できないということ。だから主観と客観の一致をめざす伝統的認識論は成立しないが、主観から客観を説明することはできる。 なぜなら人間は「原的な直観」(知覚直観と本質直観)という条件を自己の内に持っているからだ(p.73)。人間が自己の内にもつもの。これはハイデガーによって別のかたちで引き継がれる。
さて本書は、いろいろな概念を使って展開されるフッサールの現象学の難解な記述を、論理的に(わかりやすく)説明したものだ。それは以下の目次に現れている。
第1章 現象学の基本問題、第2章 現象学的還元について、第3章 現象学の方法、第4章 現象学の展開、第5章 現象学の探求。そしてキーワードの用語解説。
また、一つの問題を観点を変えて説明し、ときに図や表を援用するする教育的な態度は、親切・丁寧といえよう。
本書の第二の魅力は第5章「現象学の探求」にある。ここでは現象学の継承者、J.P.サルトルとM.メルロ=ポンティが批判されるのみならず、著名な日本の哲学者である今村仁司(1942-2007)、廣松渉(1933-1994)、竹内芳郎(1924-2016)ら先学の現象学理解(pp.175-177, pp.161-166, pp.155-156)に対する批判も鋭く織り込まれており、 単なる入門書とは異なる著者竹田氏の準備と構えがうかがわれる。
そして圧巻はフッサール現象学の後継者としてのハイデガーの存在論哲学の説明だ。上に述べたフッサール現象学の<核心的な箇所>に対応させて、著者によるハイデガーの主張を私なりにまとめれば、次のようになる。
主観(人間存在)と客観(事物の存在あるいは他なるものとしての世界)との関係は非対称的で、どちらが先(原因)であるかということを意味しない。人間存在を規定しているのは「気遣い」だ。その「気遣いとは、常に実践的関心を伴った生活世界での、私の明証性の根拠となるもの、つまり、あの内在としての知覚を存在論的に言い換えたもの」(p.192)だ。「内在としての知覚」とは、人間存在に内在している、つまり人間の意識の志向力の彼岸にあるために人間自身がコントロール不能な、「原的な直観」としての知覚直観のことだ。かくして竹田氏は言う。「気遣いとう人間存在の本性は、 身体、他者、言葉という事物存在(=存在者)を規定するものだが、これに対して事物存在は、気遣いのありようを規定できない」。つまり「<主観>は自己の外に決して出られない」(p.193)のである。このことは私たちが信じている科学に対する絶対的信頼を揺さぶる。それを竹田氏は、「現象学の<内在ー超越>原理は、これまで科学的な<真理>(客観的真理)と呼ばれていたものが、ひとつの<超越>、つまり人間の生活世界の必要から事物存在の一般的利用可能性という目的に沿って説明されたひとつのフィクションに過ぎないことを明らかにした」(p.203)という。 かといって著者は科学を否定しない。「 それは人間の生活世界に資するという点で有意味性をはっきり持っているからだ」(p.203)と。
本書第三の魅力は先人哲学者等との徹底的な議論にある。まず、フランスの哲学者、サルトルの「現象学的存在論の試み」(『存在と無』)の批判(pp.166-172)や、メルロ=ポンティの「心ー身」相関論への批判(pp.172-175)が展開される。特にメルロ=ポンティの身体論の思想界への影響はいまなお大きい。本書は批判を通じてフッサールの現象学の特徴と魅力を浮かび上がらせている。次は、著者がフッサール、ハイデガーという哲学界の巨人の思索を当然のように超えていこうとする挑戦的な意志にある(第5章4.まとめ)。著者は、「現象学ー存在論というかたちで進んできた思想が、いまどのような展開の可能性を持つかということについて」、「人間と世界との関係」は「知的関係ではなく、むしろエロス的関係であることを示唆する」(p.205)としている。その志向は本書以前の著者の出版物の題名にも見えるが、2017年以降に続々と出版される『欲望論』につながっているのか、と未読ながら想像している。
本書は、2018年版(第46刷)の帯に「誰にでもわかりやすい入門書」とあるとおりの優れた入門書である。もちろん、カント哲学などをある程度読んだ経験がない限り、本書の内容を分かりやすいと考える人はそれほど多くないだろうが、現在では多くの哲学者について優れた入門書が多数あり、併読すれば理解出来ると思う。
もちろん本書には用語の説明が足らないと感じることもあった。また他の現象学書を読み、本書に対する批判も読めば、竹田氏の説明の問題点も出てくるかも知れないだろう。個人的には特に自然科学の専門家の意見に関心がある。
ともあれ本書は1989年の第一刷以来増刷され続けている。私が読んだのは2018年の第46刷であるが、この数字にも本書の価値が示されているといえよう。
フッサールの現象学についての本書の説明は多岐にわたるが、<核心的な箇所>をひとつだけ挙げておこう。
「デカルトは徹底的な懐疑の果てに、<考える私=コギト>の存在を最後の不可疑性として取り出した。しかし<コギト>の存在の確実性はそれ自体では<コギト>の<外側>の存在(=世界そのものやその中にある事物の存在)を保証しない。何度も繰り返すように、<主観>は自己の外に決して出られないから、これを確かめられないのである。 まさしくそのために、デカルトは、<主観>の外側に「神」の存在することを”証明”し、この「神」によって<主観>の認識の正しさを保証させなくてはならなかったのである。
これに対して、フッサールはつぎのように考えていることになる。<主観>は外に出られないし、また「神」のような保証人を立てて自分の外側からその認識の「正しさ」、「確実性」を保証してもらうわけにもいかない。言い換えれば、<主観>は自己の外側にあるものの実在の「確実性」を、主―客の「一致」という仕方で得ているのでは全くない。主観はそれをただ自分の内部からのみ、なんらかの対象存在の「不可疑性」(=妥当)という仕方でだけ得ている。」(pp.56-57)
一知半解ではあるが、他所記述より援用して説明する。
フッサールの主張の眼目は、「<主観>は自己の外に決して出られない」ということのようだ。つまり主観は事物(客観)に到達できないということ。だから主観と客観の一致をめざす伝統的認識論は成立しないが、主観から客観を説明することはできる。 なぜなら人間は「原的な直観」(知覚直観と本質直観)という条件を自己の内に持っているからだ(p.73)。人間が自己の内にもつもの。これはハイデガーによって別のかたちで引き継がれる。
さて本書は、いろいろな概念を使って展開されるフッサールの現象学の難解な記述を、論理的に(わかりやすく)説明したものだ。それは以下の目次に現れている。
第1章 現象学の基本問題、第2章 現象学的還元について、第3章 現象学の方法、第4章 現象学の展開、第5章 現象学の探求。そしてキーワードの用語解説。
また、一つの問題を観点を変えて説明し、ときに図や表を援用するする教育的な態度は、親切・丁寧といえよう。
本書の第二の魅力は第5章「現象学の探求」にある。ここでは現象学の継承者、J.P.サルトルとM.メルロ=ポンティが批判されるのみならず、著名な日本の哲学者である今村仁司(1942-2007)、廣松渉(1933-1994)、竹内芳郎(1924-2016)ら先学の現象学理解(pp.175-177, pp.161-166, pp.155-156)に対する批判も鋭く織り込まれており、 単なる入門書とは異なる著者竹田氏の準備と構えがうかがわれる。
そして圧巻はフッサール現象学の後継者としてのハイデガーの存在論哲学の説明だ。上に述べたフッサール現象学の<核心的な箇所>に対応させて、著者によるハイデガーの主張を私なりにまとめれば、次のようになる。
主観(人間存在)と客観(事物の存在あるいは他なるものとしての世界)との関係は非対称的で、どちらが先(原因)であるかということを意味しない。人間存在を規定しているのは「気遣い」だ。その「気遣いとは、常に実践的関心を伴った生活世界での、私の明証性の根拠となるもの、つまり、あの内在としての知覚を存在論的に言い換えたもの」(p.192)だ。「内在としての知覚」とは、人間存在に内在している、つまり人間の意識の志向力の彼岸にあるために人間自身がコントロール不能な、「原的な直観」としての知覚直観のことだ。かくして竹田氏は言う。「気遣いとう人間存在の本性は、 身体、他者、言葉という事物存在(=存在者)を規定するものだが、これに対して事物存在は、気遣いのありようを規定できない」。つまり「<主観>は自己の外に決して出られない」(p.193)のである。このことは私たちが信じている科学に対する絶対的信頼を揺さぶる。それを竹田氏は、「現象学の<内在ー超越>原理は、これまで科学的な<真理>(客観的真理)と呼ばれていたものが、ひとつの<超越>、つまり人間の生活世界の必要から事物存在の一般的利用可能性という目的に沿って説明されたひとつのフィクションに過ぎないことを明らかにした」(p.203)という。 かといって著者は科学を否定しない。「 それは人間の生活世界に資するという点で有意味性をはっきり持っているからだ」(p.203)と。
本書第三の魅力は先人哲学者等との徹底的な議論にある。まず、フランスの哲学者、サルトルの「現象学的存在論の試み」(『存在と無』)の批判(pp.166-172)や、メルロ=ポンティの「心ー身」相関論への批判(pp.172-175)が展開される。特にメルロ=ポンティの身体論の思想界への影響はいまなお大きい。本書は批判を通じてフッサールの現象学の特徴と魅力を浮かび上がらせている。次は、著者がフッサール、ハイデガーという哲学界の巨人の思索を当然のように超えていこうとする挑戦的な意志にある(第5章4.まとめ)。著者は、「現象学ー存在論というかたちで進んできた思想が、いまどのような展開の可能性を持つかということについて」、「人間と世界との関係」は「知的関係ではなく、むしろエロス的関係であることを示唆する」(p.205)としている。その志向は本書以前の著者の出版物の題名にも見えるが、2017年以降に続々と出版される『欲望論』につながっているのか、と未読ながら想像している。
本書は、2018年版(第46刷)の帯に「誰にでもわかりやすい入門書」とあるとおりの優れた入門書である。もちろん、カント哲学などをある程度読んだ経験がない限り、本書の内容を分かりやすいと考える人はそれほど多くないだろうが、現在では多くの哲学者について優れた入門書が多数あり、併読すれば理解出来ると思う。
もちろん本書には用語の説明が足らないと感じることもあった。また他の現象学書を読み、本書に対する批判も読めば、竹田氏の説明の問題点も出てくるかも知れないだろう。個人的には特に自然科学の専門家の意見に関心がある。
ともあれ本書は1989年の第一刷以来増刷され続けている。私が読んだのは2018年の第46刷であるが、この数字にも本書の価値が示されているといえよう。
2021年4月16日に日本でレビュー済み
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心理、心の変化や経験や感情など、感性が掴めた感じです
気持ちや心理を知りたい人におすすめします
気持ちや心理を知りたい人におすすめします
2023年8月1日に日本でレビュー済み
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商品はキレイな状態ですが、ページに目立つ『折れ』が二ヶ所ありました。【非常に良い】であるからゆえの不満であり、これが【良い】であったら、「まあ、こんなもんだろ」と思えるのですが、残念。
2019年3月24日に日本でレビュー済み
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中年に差し掛かり、恥ずかしながら、現象学というものに最近初めて触れてみました。
本書の前に、谷氏の、これが現象学だ、を読了しましたが、わかったような分からないようなモヤモヤ感があったので、有名な入門書のようなので手にとってみました。
正直、あまり哲学とは無縁のわたしには、入門でも骨を折りました。色々なページを何回も読み返さないと、ん?という感じになります。あとかなり集中して読まないと話が入ってきません。電車などの人混みといった、ざわつきの中では読めなかったです笑
特にノエシスの下りは谷徹氏の説明を読んでなければよく理解できませんでした。ノエシス=志向ではないのでしょうか?と思ったのですが、意識の作用的契機、という言葉が全くピンと来ません。また間主観性と他我の説明もかなろ混乱しました。もはや、入門書というより、現象学のややこしさの問題のような気がします。ただ最期のハイデガーとの比較は面白かったです。 メルロ=ポンティの思想をもっと知りたかったです。
難しいですがこのような単純に理解できない哲学の授業を、初等教育などから受けていれば、人生の見方や歩み方が変わるのかなと感じました。資格とか学校名とかそんなものは古いと言われていますが、まだまだ即座に判断可能な、目に見える対象に惑わされて人生が決まっていく気がして、哲学は大事だなと感じています。
本書の前に、谷氏の、これが現象学だ、を読了しましたが、わかったような分からないようなモヤモヤ感があったので、有名な入門書のようなので手にとってみました。
正直、あまり哲学とは無縁のわたしには、入門でも骨を折りました。色々なページを何回も読み返さないと、ん?という感じになります。あとかなり集中して読まないと話が入ってきません。電車などの人混みといった、ざわつきの中では読めなかったです笑
特にノエシスの下りは谷徹氏の説明を読んでなければよく理解できませんでした。ノエシス=志向ではないのでしょうか?と思ったのですが、意識の作用的契機、という言葉が全くピンと来ません。また間主観性と他我の説明もかなろ混乱しました。もはや、入門書というより、現象学のややこしさの問題のような気がします。ただ最期のハイデガーとの比較は面白かったです。 メルロ=ポンティの思想をもっと知りたかったです。
難しいですがこのような単純に理解できない哲学の授業を、初等教育などから受けていれば、人生の見方や歩み方が変わるのかなと感じました。資格とか学校名とかそんなものは古いと言われていますが、まだまだ即座に判断可能な、目に見える対象に惑わされて人生が決まっていく気がして、哲学は大事だなと感じています。
2014年2月20日に日本でレビュー済み
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フッサール現象学についての入門書。
著者の説明が丁寧で、かつややこしいところでは身近なもので例示してくれたり、イラストで説明してくれたりするので非常に好感が持てる。
私自身は浅学にして近代思想はよく知らなかったのだが、
「主観―客観」という二項対立の図式こそが通底するテーマだという著者の主張は、なるほどなぁと思うこと頻り。
いわゆる「客観」だけでは説明できない個別の「主観」がある…というのは理解できる話だが、
今度は個別であるはずの主観から「共通認識」が如何に生じるのかという問題が出てくる。
この辺を解決するために、フッサールは主観からスタートするという方法を取ったのであり、単なる独我論的な主張とは一味違う…らしい。
思想・哲学の概略が第一章に書かれている点も、私のような人間にはとても嬉しかった。
ただし、出版されてから既に長い時間が経っているので、現在の先端的な議論とは乖離があるかもしれない。
そこは注意したほうが良いのかも。
著者の説明が丁寧で、かつややこしいところでは身近なもので例示してくれたり、イラストで説明してくれたりするので非常に好感が持てる。
私自身は浅学にして近代思想はよく知らなかったのだが、
「主観―客観」という二項対立の図式こそが通底するテーマだという著者の主張は、なるほどなぁと思うこと頻り。
いわゆる「客観」だけでは説明できない個別の「主観」がある…というのは理解できる話だが、
今度は個別であるはずの主観から「共通認識」が如何に生じるのかという問題が出てくる。
この辺を解決するために、フッサールは主観からスタートするという方法を取ったのであり、単なる独我論的な主張とは一味違う…らしい。
思想・哲学の概略が第一章に書かれている点も、私のような人間にはとても嬉しかった。
ただし、出版されてから既に長い時間が経っているので、現在の先端的な議論とは乖離があるかもしれない。
そこは注意したほうが良いのかも。