分析哲学の入門と、可能世界理論、様相理論の紹介と、その意味することの著者なりの主張。
その主張である「なんでもあり」、から、「あるがまま」へのつながりは鮮烈。ニヒリズムへの目配せも行っているところも良かった。
可能世界や様相理論の、現実との実際のつながりは、量子力学のスリット実験等の例にあるように、すごく興味深いが(私には)、その点よりも、本書は上記の主張が良かった。
おそらく著者も意識しているのではないかと思うが仏教の即心即仏と通じる思想だと思う。
ニーチェは、永劫回帰から「超人となることを」を帰結としたが、「あるがままに」を帰結するのは、東洋人だからだろうか。
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可能世界の哲学 「存在」と「自己」を考える (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 1997/2/1
三浦 俊彦
(著)
- 本の長さ247ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日1997/2/1
- ISBN-104140017902
- ISBN-13978-4140017906
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
現実とは異なる時空間に無数の「ありうる世界」が実在している、とする可能世界論。なぜ、現実以外の世界を考えるのか? その学問的射程を探り、「存在」や「自己」の不思議さに迫る。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (1997/2/1)
- 発売日 : 1997/2/1
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 247ページ
- ISBN-10 : 4140017902
- ISBN-13 : 978-4140017906
- Amazon 売れ筋ランキング: - 116,935位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年12月1日に日本でレビュー済み
震災以降、西洋風の科学重視の独我論というものにどんどん疑問が増してきたので加筆訂正してあります。
特に後半の人間原理の部分についてです。
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この著者の考え方に「ほぼ」同意見です。同じようなことを考えている人っているもんですね。
といっても私が「そこ」に辿り着いたのは「今世紀に入ってから」ですけど。
20世紀末に、量子論まで絡めて「可能世界」について哲学的考察を行ったこのような書物がすでに存在していました。
ただ、最後まで読まないと著者の「結論」が見えてこない本ではあります。
でも、その最後の結論部分が実にすばらしい…
子供の頃、「<自分>が死んだら、この世界はどうなるのだろう?」とか「<自分>が食べるたくあんの音と他人の食べるたくあんの音が違うのはなぜ?」とかいった独我論的疑問を感じたことのある人には、ぜひご一読をお勧めします。
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ただし、私は「通常使われている意味での」人間原理というものを肯定はしません。
また、今ではシャンカラの不二一元論でこのような独我論的問題を解決できると考えています。
ここで語られている「人間原理」とファインチューニングについては、もう少し詰めて考えたいところがあります。
「<自分>が存在しているのはそのようにファインチューニングされているからだ」というのはトートロジーであって、実は何も説明していません。
なぜこのような事態が起きるかというと、<自分>というものが「存在している」ということを当然の前提としているからです。
これを説明するのに物理学を持ち出すまでもなく、
生物学的に「利己的な遺伝子が生命存続のために<自分>という『虚構』を必要としたのだ」とでも説明しておけばよかったのです。
つまり<自分>とは『虚構』であって、そもそも「存在」などしていません。
虚構の上に構築した理論もまた虚構であり、つまりファインチューニングもまた虚構である、ということになります。
(古い東洋思想の一例としてあげた)シャンカラの不二一元論で語られているのは「汝はそれ(神)である」でした。
これはスピノザの「神即自然(世界内存在)」にも通底している考え方で、
生物学の「利己的な遺伝子(つまり自然=神)が生命存続のために<私>という『虚構』を必要としたのだ」とも共通しているものです。
ここから導き出されることとして、
「数多ある可能世界(これもまた神即自然)のうちの「この」世界に唯一<自分>が存在している「ように思える」のもまた『<私>という虚構(フィクション)』である」ということが指摘できます。
特に後半の人間原理の部分についてです。
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この著者の考え方に「ほぼ」同意見です。同じようなことを考えている人っているもんですね。
といっても私が「そこ」に辿り着いたのは「今世紀に入ってから」ですけど。
20世紀末に、量子論まで絡めて「可能世界」について哲学的考察を行ったこのような書物がすでに存在していました。
ただ、最後まで読まないと著者の「結論」が見えてこない本ではあります。
でも、その最後の結論部分が実にすばらしい…
子供の頃、「<自分>が死んだら、この世界はどうなるのだろう?」とか「<自分>が食べるたくあんの音と他人の食べるたくあんの音が違うのはなぜ?」とかいった独我論的疑問を感じたことのある人には、ぜひご一読をお勧めします。
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ただし、私は「通常使われている意味での」人間原理というものを肯定はしません。
また、今ではシャンカラの不二一元論でこのような独我論的問題を解決できると考えています。
ここで語られている「人間原理」とファインチューニングについては、もう少し詰めて考えたいところがあります。
「<自分>が存在しているのはそのようにファインチューニングされているからだ」というのはトートロジーであって、実は何も説明していません。
なぜこのような事態が起きるかというと、<自分>というものが「存在している」ということを当然の前提としているからです。
これを説明するのに物理学を持ち出すまでもなく、
生物学的に「利己的な遺伝子が生命存続のために<自分>という『虚構』を必要としたのだ」とでも説明しておけばよかったのです。
つまり<自分>とは『虚構』であって、そもそも「存在」などしていません。
虚構の上に構築した理論もまた虚構であり、つまりファインチューニングもまた虚構である、ということになります。
(古い東洋思想の一例としてあげた)シャンカラの不二一元論で語られているのは「汝はそれ(神)である」でした。
これはスピノザの「神即自然(世界内存在)」にも通底している考え方で、
生物学の「利己的な遺伝子(つまり自然=神)が生命存続のために<私>という『虚構』を必要としたのだ」とも共通しているものです。
ここから導き出されることとして、
「数多ある可能世界(これもまた神即自然)のうちの「この」世界に唯一<自分>が存在している「ように思える」のもまた『<私>という虚構(フィクション)』である」ということが指摘できます。
2005年2月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
哲学は「可能世界」という考え方を導入することによって、
かなり客観的な議論ができるようになった、ということを、
部外者にもわかりやすく(難しいですけど)説明してくれる本です。
--------------------------------------------------------------------------
第四章では、可能主義の中で最も極端な
様相実在論という思想がうまくいくかどうかを調べます。
この説は「何でもあり」を真っ正直に実践するきわめて効率的な考えであり、
同時に途方もない考えであるため
(なにしろ現実世界以外に無数の世界が本当にあるというのです)、
本気で主張している哲学者が世界に一人か二人しかいないにもかかわらず、
可能世界についての文献では
常に議論の中心になっている重要な思想です。(p14-15)
--------------------------------------------------------------------------
時間をかけてじっくり読む価値があります。
難しいのですが、
「本当は重要なことを何も言っていない」タイプの難しさではありません。
三浦俊彦は非常に明晰なことを言っており、
必死に判りやすく、面白く説明しようと努力していることくらいは伝わります。
もともとの概念が難しいだけで、
じっくり読んでいけばその部分は理解できるのです。
で、この本を完全に理解したら、
かなりこの世が違って見えるのではないかと予感させます。
少なくとも哲学も「客観的なアプローチをしよう」
と努力しているのだ、ということが良くわかりました。
かなり客観的な議論ができるようになった、ということを、
部外者にもわかりやすく(難しいですけど)説明してくれる本です。
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第四章では、可能主義の中で最も極端な
様相実在論という思想がうまくいくかどうかを調べます。
この説は「何でもあり」を真っ正直に実践するきわめて効率的な考えであり、
同時に途方もない考えであるため
(なにしろ現実世界以外に無数の世界が本当にあるというのです)、
本気で主張している哲学者が世界に一人か二人しかいないにもかかわらず、
可能世界についての文献では
常に議論の中心になっている重要な思想です。(p14-15)
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時間をかけてじっくり読む価値があります。
難しいのですが、
「本当は重要なことを何も言っていない」タイプの難しさではありません。
三浦俊彦は非常に明晰なことを言っており、
必死に判りやすく、面白く説明しようと努力していることくらいは伝わります。
もともとの概念が難しいだけで、
じっくり読んでいけばその部分は理解できるのです。
で、この本を完全に理解したら、
かなりこの世が違って見えるのではないかと予感させます。
少なくとも哲学も「客観的なアプローチをしよう」
と努力しているのだ、ということが良くわかりました。
2004年9月30日に日本でレビュー済み
遅ればせながら論理学の基礎を独学してみようかと思っていた私にとっては,学習意欲を鼓舞してくれる本だった。不正確な言い方になるが,「すべての~」と「ある~」,「必然的に~」と「可能性がある~」などといった論理学の言い回しが,「可能なあらゆる世界」における存在論的な思考に置き換えられること,主語と述語からなる言明は世界認識を表明していることに気づかされた。
可能世界とはなにかについては,それを実在とする意見としない意見,それぞれがさらに細分されて,結論が出ていないという。個人的にはいわゆる「神」という言葉で表現されるところのものの知において無限の可能世界があり,現実にはいまのこの世界のみがあるのだと思い,それについて論理学的に証明可能かどうかには,それほど興味はない。また「百歩ゆずって全知全能の神の実在を認めて,なぜこの世界だけを実在させたか」との疑問についても,興味はない。それは神の自由意志だと思うから。自由意志で,あえて選んでこの世界を創った。あえて選んでこの花を,その草木を,あの人この人を創った。それが自由な意志によるものゆえに「神はそのひとり子を与えるほど,世を愛された」と信じてしまうものにとっては,それを人間の理屈で理解したいだとか,できるだとか思うのは,頭のよい人ならではの勘違いだと感じる。海の水をコップでくみつくそうとするようなものだ。そんなわけで,作者が力を入れた後半の「世界」と「自己」についての考察は,つまらなかった。
可能世界とはなにかについては,それを実在とする意見としない意見,それぞれがさらに細分されて,結論が出ていないという。個人的にはいわゆる「神」という言葉で表現されるところのものの知において無限の可能世界があり,現実にはいまのこの世界のみがあるのだと思い,それについて論理学的に証明可能かどうかには,それほど興味はない。また「百歩ゆずって全知全能の神の実在を認めて,なぜこの世界だけを実在させたか」との疑問についても,興味はない。それは神の自由意志だと思うから。自由意志で,あえて選んでこの世界を創った。あえて選んでこの花を,その草木を,あの人この人を創った。それが自由な意志によるものゆえに「神はそのひとり子を与えるほど,世を愛された」と信じてしまうものにとっては,それを人間の理屈で理解したいだとか,できるだとか思うのは,頭のよい人ならではの勘違いだと感じる。海の水をコップでくみつくそうとするようなものだ。そんなわけで,作者が力を入れた後半の「世界」と「自己」についての考察は,つまらなかった。
2013年12月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
哲学に興味を持って、その中でも可能世界をマスターしたかったのですが、
残念ながら、理解できませんでした。
残念ながら、理解できませんでした。
2011年12月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
飯田隆「言語哲学大全3―意味と様相 (下) 」に挫折して以来、様相論理や可能世界論には近づきがたいものを感じていた。本書の存在は知っていたが、何となく食指が動かなかった。
今回食わず嫌いをやめて本書を読んでみて、その分かりやすさに驚いた。「大全」が読者と一緒に「謎を解く」スタイルなのに対し、本書は回答を先に提示する。一長一短あるのだろうが、大全第3巻に挫折した私には有難かった。筆者は小説家も兼ねているだけに文章はとても読みやすい。本書を読んだ後、大全第3巻に再チャレンジしたところ、今度はすんなりと理解できた。
他のレビュアーも指摘するとおり、本書の後半(5章と6章)は可能世界論の標準的解説というよりは「哲学よみもの」的色彩が強くなっており、読者の関心に応じて評価が分かれるだろう。正直、私にはピンとこなかった。が、前半の解説部分だけでも絶品である。
今回食わず嫌いをやめて本書を読んでみて、その分かりやすさに驚いた。「大全」が読者と一緒に「謎を解く」スタイルなのに対し、本書は回答を先に提示する。一長一短あるのだろうが、大全第3巻に挫折した私には有難かった。筆者は小説家も兼ねているだけに文章はとても読みやすい。本書を読んだ後、大全第3巻に再チャレンジしたところ、今度はすんなりと理解できた。
他のレビュアーも指摘するとおり、本書の後半(5章と6章)は可能世界論の標準的解説というよりは「哲学よみもの」的色彩が強くなっており、読者の関心に応じて評価が分かれるだろう。正直、私にはピンとこなかった。が、前半の解説部分だけでも絶品である。