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自由を考える―9・11以降の現代思想 (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2003/5/1

4.4 5つ星のうち4.4 17個の評価

商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

9・11以降、安全を求める人々の動物的本能が最重視される一方で、イデオロギーや理念等の人間的な要素が形骸化しつつある。テロ事件から若者のオタク化までの事象を論じつつ、時代に即応した新しい自由のあり方を探究する。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ NHK出版 (2003/5/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2003/5/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本(ソフトカバー) ‏ : ‎ 256ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4140019670
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4140019672
  • カスタマーレビュー:
    4.4 5つ星のうち4.4 17個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2011年11月18日に日本でレビュー済み
 学部生の私には、少々背伸びした感のある本でした。
本の内容を解説し、両者の特徴をとらえながら読むこと
は残念ながらできませんでしたが、個人的に面白かった
のは第二部の「純愛」についてのパートは非常に面白く
読めました。オタクにとっての恋愛観のような語りかた
をされていましたが、オタクという条件を除いても、そ
動物的な性と純愛については当てはまるのではないかと
思いました。
 何度も読んで、二人の本を読んでもっと深めたいと思
うきっかけになる本だと思います。

−−−−−−−二回目を読み終わり(2012/1/19)−−−−−−−−
 本書を読んだ後に、特に二章部分に関心をもったので、東浩紀氏の
『動物かするポストモダン』『ゲーム的リアリズムの誕生』と、大澤
真幸氏の『増補虚構の時代の果て』を読み、さらに、本書の読み返し
て、再度読んでみて思ったのは、やはり深める一冊で入門書のよう存
在であると思いました。

本書のタイトル『自由を考える』。これは本書の序盤でも述べられて
いますがこれからの自由を提示しているわけではないです。本当に考
え、考え方を提示しているだけです。しかし、彼ら二人は、2003年と
いう非常に早い時点でこの議論を行い、考え方を提供していると考え
ました。
 今の自由は本当に自由なのか、非常に壮大なテーマを与えられ、社
会学者はこれに対して今、必死で回答を出そうとしているのだと考え
ました。

改めて、いい本です。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年9月25日に日本でレビュー済み
 デリダ論から出発してオタク評論家になったと見なしていた東浩紀がマトモな評論家であったことを知って、彼を見直そうというきっかけになった本。ここでは大澤真幸の議論に付き合って一歩も引かず、かつさりげなく過剰に弁証法的思考に傾く大澤をいなしているのは見事。
 二人の問題意識は重なっている。権力というものを、ジョセフ・ナイのいう「ソフト・パワー」(要は洗脳)という観点から捉えている。つまり、管理されていると感じさせない管理が最高の(つまりもっとも危険な)管理である、ということで、これは生命学の森岡正博の「無痛文明」にも通ずる考え方で、現代知識人が関心を寄せるテーマは同じようなことなのだ、と感心した。
 しかし、残念ながら、「どうして自由が必要か」という最後の問いに、両者ともうまく答えを見いだせないいらだちを、浅羽通明が「安全の方を自由より重んじる人間は自由を捨てたらいい」と切って捨てているが、この指摘は説得力があると思われる。敢えてこの批判に対して二人を弁護するとすれば、現代社会においては、全員が合意しないと成り立たないことがあるのであって、各自が選択の自由を必ずしも持てるとは限らない、つまり、安全を担保するためには、全員が「自由を捨てる」ことに合意する必要があるのだ、と返答することになろう。
 エキサイティングな討論であることは確かである。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2003年11月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いわゆる現代思想が、時代の空気に即した言葉を紡ぎ出せなくなってから10年近くが経つだろうか。自由の証である選択肢の多様さを追求すればするほど実際の行動制約でがんじがらめにされ、文明的で快適な生活を欲望すればするほど貧困で動物的なコミュニケーションの罠にはまる。自由と文明を謳歌した90年代の思想が、これほど色あせて見えるのは今さらに驚きだ。
この本は、表層イメージの華麗な戯れ(シミュラークル)こそ資本主義社会の快楽を享受する方法であると称賛したポストモダン思想が無惨にうち砕かれ、進歩しようとすればするほど退廃に追い込まれてしまう現代社会の閉塞状況とその原理を、正面切って見据え、言語化しようとした2人の思想家の苦闘の様子を、あますところなく伝えている。海外の思想書の解釈と紹介に精一杯で、結局日本の社会の根底で起きつつあった意識の大変動を見抜けなかった他のポストモダン思想家たちと比べた時、東氏と大澤氏の鋭さ、そして語りえないかもしれないものを愚直に語ろうとする真摯さに、大いに共感を覚える。また、あとがきで語られている大澤氏のイラク戦争の結果の予見には、心底感服させられた。
ただ、いかんせん、この状況を説明するための的確な言葉が足りなさすぎるのがもどかしい。東氏の言う「環境管理型権力」が、従来型の規律強要型の権力とどのように違い、それに主体的に立ち向かう術はあるか、といった、現実の資本主義社会に生きる我々にとっての指針は、本書の中ではまだ示されていない。今後の氏の論考に大いに期待したいところだ。
31人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年10月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
社会学者と哲学者の対談。
ひとりひとりのパートが長く、よくこんなに一気に話せるなぁと
閉口しつつ読んだが、ちょっと難しかった。

安全を求めるがゆえに行き過ぎた管理社会への反論として、
他者への共感を育む機会が失われてしまうことが最大の問題と指摘。

人にとって大事はことは二つある。
それは、「他の誰でもない私」。
もう一つは、「他の誰かだったかもしれない私」。

後者を想像できうるから、共感が生まれ、社会を営むことが出来る。

環境管理社会は、常時、他の誰でもない私を意識させる。
ゆえに他者への共感が生まれにくくなるではないか。
これこそが、管理社会の恐ろしいところとの指摘は、
なるほどなぁと思う。



3.11以前の書籍だが、原発の安全性について科学的意見が分かれてしまうことに
ついて書かれており、興味深かった。

『第三の審級=「普遍的な真理」を超える・超越する「普遍的な真理』は、
科学がになっていたが、その役割をもう科学が担えなくなってしまっている。

そこで、哲学や思想がその、第三の審級を担える可能性があるのではないか、
というのが東氏の主張である。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2007年4月27日に日本でレビュー済み
非常に面白い対談である。

すでに数々のレビューで紹介されているので、本筋には

あまりふれないつもりだが、この本の中心的な内容は

大澤真幸氏による「あとがき」でうまくまとめられている。

「(ベルリンの壁が崩壊し)われわれは、壁のない社会が到来

するだろうとの期待を抱いたのだ。・・・(だが)・・・われわれが

手に入れたのは、無数の―偏在する―不可視の壁だったのだ。」

つまり、「自由を奪われている」という意識を与えないで、

実は「自由を奪っている」かもしれない今の社会の恐ろしさ

について論じている。

本筋の話も非常に興味深いのだが、この対談を通じて

東浩紀氏の思想・哲学のあり方に対する考えかたが

たびたび見えるのが非常に面白かった。

「自由」ってなんだろう・・・と考えはじめるのに、

大きな一歩となる良書である。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2004年3月2日に日本でレビュー済み
 1958年生まれの社会学者と1971年生まれの哲学者が、流行の現場主義に理論を再導入し、問題を提起し(解決ではなく)、現場から理論を叩き直すことを意図して行なった、2002年後半の3回にわたる対談の記録。大きな物語の共有に基礎を置く従来の「規律訓練型権力」に対して、近年では人の行動を物理的・無意識的に制限する「環境管理型権力」が台頭してきている。後者は価値観の多様化と矛盾しない権力の在り方であり、したがって対抗することが難しい。人間は固有性(自分でしかありえない私)と偶有性(他者であったかもしれない私)の二つを持って、初めて人間でいられる。偶有性のために、人間は疎遠なものでも引き受け得る想像力(共感能力)をもっているが、環境管理型権力はその弱体化につけこむ。現在の権力は、偶有性の弱体化(動物化)により連帯の可能性も弱体化し(島宇宙化)、公共圏のヴァーチャル・リアリティ化(対話の無力化)とセキュリティの強化(剥き出しの生の管理=生物的身体の編成)とが、乖離したまま同時に進行している状況において働く。これに対抗しようとすると、「犯罪をする自由」のような、収まりの悪い表現になってしまうため、著者達は新たな概念の発明によって、この偶有性の重要性を表現し、政治的身体と生物的身体をもう一度結び付けようとしている。議論がやや抽象的だが、現在の自由に関する問題の所在を鋭く突いている(国家権力よりも社会の方が危険に感じられる現代の状況下での、イデオロギーを無効化したセキュリティの暴走)。ただ、凡庸な実践を積み重ねていくというなら、セキュリティ情報の「管理者」の問題(警察の不祥事の監視の在り方や、サイバーテロの危険性)は問題にすべきだろう。なお、大澤氏が論理の流れを重視するあまり、二面性の弁証法的総合を強調しがちなのに対し、東氏はより実践的であり、二面性の並存を強調する傾向がある。
31人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2004年4月8日に日本でレビュー済み
 実際にアフガンでNGOワークをした経験のある自分にとっては、帰国後読んだこの本の中で、中東イスラム・テロが「物言わぬ」存在として驚異(脅威)を持って整理されていることに違和感を感じた。アタリ前だけど、その土地にいくと饒舌に彼らはアメリカ、日本、資本主義とイスラムなどについて語ってくる。
 この本は9.11以後の「自由」についての対談なのだが、ここで語られる「自由」は住基ネットが取り上げられているように日本の都市生活における「自由」、それもテクノロジーとの関係における「自由」に限定した話だということを読者は心がけておくべきだろう。
 イスラム教徒やアメリカのクリスチャンと話していて感じるのは、大抵の人は何らかの信仰がないと「不安」だということで、多分、今「自由」を語るには、そういうメンタリティからの「自由」のほうが哲学者・批評家に語ってほしいことなのだと感じる。
19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2003年4月26日に日本でレビュー済み
 私達は一般に太陽が行くことができなくても、それを不自由だと考えることはない。その選択肢が意識されないからだ。
 かかる事態がもう少し身近な状況で人為的に起きているというのが本対談の問題意識である。例えば、CDにコピーガードがついたならば、現時点では不自由に感じるかもしれないが、将来的にはそもそもコピーをするという選択肢が意識されなくなるだろう(環境管理型権力)。
 とはいえ、完全に機能することはなく、なんらかのセキュリティーホールはあるだろう。だが、それを知りうる人は一部の技術者でしかない。
 そこで、対抗エリートの育成が案としてでてくる(宮台真司)のだが、東は否定的だ。むしろ人文的なアプローチ、「概念の発明」を提唱する。その一つが「匿名の自由だろうが、法律が反匿名化している状況では困難である。プロバイダー責任法がその例だろう。
 しかし、肯定的にみるならば、社会において匿名性がゆるされているのは子供である(少年法)。大人への形成期として戯れることが許される。とはいえ、子供から大人への成長という弁証法がある点で、東の主張を捉え損ねているかもしれない。
 最後に大澤の議論にコメントできなかったのは残念だが、思想系の対談でこれほどかみ合う議論も珍しい。非常に面白いし触発される内容である。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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