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ワキから見る能世界 (生活人新書 195) 新書 – 2006/10/1
安田 登
(著)
- 本の長さ234ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日2006/10/1
- ISBN-10414088195X
- ISBN-13978-4140881958
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登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2006/10/1)
- 発売日 : 2006/10/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 234ページ
- ISBN-10 : 414088195X
- ISBN-13 : 978-4140881958
- Amazon 売れ筋ランキング: - 572,679位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2024年1月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
同窓生との会話ねたり。知らないことばかりです。為になります。ほんと何も知らんねんなあ。と!
2009年3月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
卑近な話で恐縮ですが、
観世流に「安達原」という曲があります。旅の僧(ワキ)が女所帯に一夜の宿を請い、
断るのを無理に泊まり込んで真夜中に宿の女主人(シテ)が屍肉を漁っているのを発見し
退治するという、なんとも宿の住人側からすると、断ったのに上がり込まれて、
自ら恥じながらも静かなひっそりとした生活を暴き立てられて、しかも
成敗されるという、独善的で、余計なお世話、みたいなストーリーのものがあります。
能楽堂に通い詰めて5年目になりますが、ずっと腑に落ちずにいました。
ある観世流のシテ方が、能楽におけるシテの舞や謡いは全てワキ方に向かって表現されており、
おワキに共感することなく、能を観ても理解できないだろうと仰ったことがあります。
よくよく考えてみれば、能の舞台で言語を放つ役割として、地謡・シテ方・狂言方・ワキ方がありますが、
私が思うに、一番話し言葉に近い言語を放っているという気がして、
おワキのコトバに耳を傾け始めたときから能楽が楽しめるようになり始めたのを覚えていたので、
本書を読んでみることにしました。
ワキとは、決して脇役ではなく、浮き世の現実から非現実としての能舞台に「ワケ」入る存在であり、
分け入り、道行きとともに謡を謡うことによって、柱で囲まれた三間四方の能舞台と空間を浄化し
浮き上がらせる重要な役割だということが、腑に落ちました。
観世流に「安達原」という曲があります。旅の僧(ワキ)が女所帯に一夜の宿を請い、
断るのを無理に泊まり込んで真夜中に宿の女主人(シテ)が屍肉を漁っているのを発見し
退治するという、なんとも宿の住人側からすると、断ったのに上がり込まれて、
自ら恥じながらも静かなひっそりとした生活を暴き立てられて、しかも
成敗されるという、独善的で、余計なお世話、みたいなストーリーのものがあります。
能楽堂に通い詰めて5年目になりますが、ずっと腑に落ちずにいました。
ある観世流のシテ方が、能楽におけるシテの舞や謡いは全てワキ方に向かって表現されており、
おワキに共感することなく、能を観ても理解できないだろうと仰ったことがあります。
よくよく考えてみれば、能の舞台で言語を放つ役割として、地謡・シテ方・狂言方・ワキ方がありますが、
私が思うに、一番話し言葉に近い言語を放っているという気がして、
おワキのコトバに耳を傾け始めたときから能楽が楽しめるようになり始めたのを覚えていたので、
本書を読んでみることにしました。
ワキとは、決して脇役ではなく、浮き世の現実から非現実としての能舞台に「ワケ」入る存在であり、
分け入り、道行きとともに謡を謡うことによって、柱で囲まれた三間四方の能舞台と空間を浄化し
浮き上がらせる重要な役割だということが、腑に落ちました。
2014年1月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
能の世界は、シテから見れば「霊力の支配する時空」、ワキの立場からすれば「夢幻体験」である。
それは、そこに何らかの変革があって生まれ直す(=リセット)という事にある。正月がそうであるし、初心もその事を表わしている。
世阿弥は、「家を以って継ぐとせず、継ぐ事を以って継ぐとす」と云った。
形のないものを受け継ぐという事であり、能に記譜法というものはなかった。
日本人は、それを拒否してきたと思う。
文字の普及は、仏教の流布まで待たなければならなかった。
それは、その証左でありそれは、リセット民族であった証拠ではないだろうか。
さて、能とは、どういうものかという事が象徴的に示されている。
それは、例えば。
さまざまに品かはりたる恋をして 凡兆
浮世の果は皆小町なり 芭蕉
この連句からは、現実の生々しい恋から一瞬にして王朝世界と現実世界との間に幻の架け橋が出現し、私たちの恋も物語の世界の恋となる。
それは、藤原定家が、「見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」と詠んだように「花」や「紅葉」という色彩を「なかりけり」によって縹渺たる霞の彼方に押し込めてソフトフォーカスをかけたと同じ手法である。
能とは、王朝世界の宮廷絵巻を含め日本の歴史を内包している。そこに、何時でも参入可能である。
「砧」の「思ひ出は身に残り」は、表層の「こころ」と「からだ」に対する深層を云っている。
「ワキ」とは、欠落の人であり旧跡への旅により「無」化する過程である。その欠落を「乞ひ」願い神仏に「賜へ」と懇願する。芭蕉も漱石もそうであった。そして、「異界」に出会う。彼の世と此の世の表裏を繋ぐには、「ワキ」という第三の存在を必要とする。
巻末に、この本に登場する能作品のリストがある。
現代は、「思ひ」や「身」などから眼を背け世界は、単なる情報の集積となりつつある。私の記憶も痩せ衰えてしまい、著者が使っている縹渺などの言葉は、死語となりつつある。
それは、そこに何らかの変革があって生まれ直す(=リセット)という事にある。正月がそうであるし、初心もその事を表わしている。
世阿弥は、「家を以って継ぐとせず、継ぐ事を以って継ぐとす」と云った。
形のないものを受け継ぐという事であり、能に記譜法というものはなかった。
日本人は、それを拒否してきたと思う。
文字の普及は、仏教の流布まで待たなければならなかった。
それは、その証左でありそれは、リセット民族であった証拠ではないだろうか。
さて、能とは、どういうものかという事が象徴的に示されている。
それは、例えば。
さまざまに品かはりたる恋をして 凡兆
浮世の果は皆小町なり 芭蕉
この連句からは、現実の生々しい恋から一瞬にして王朝世界と現実世界との間に幻の架け橋が出現し、私たちの恋も物語の世界の恋となる。
それは、藤原定家が、「見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」と詠んだように「花」や「紅葉」という色彩を「なかりけり」によって縹渺たる霞の彼方に押し込めてソフトフォーカスをかけたと同じ手法である。
能とは、王朝世界の宮廷絵巻を含め日本の歴史を内包している。そこに、何時でも参入可能である。
「砧」の「思ひ出は身に残り」は、表層の「こころ」と「からだ」に対する深層を云っている。
「ワキ」とは、欠落の人であり旧跡への旅により「無」化する過程である。その欠落を「乞ひ」願い神仏に「賜へ」と懇願する。芭蕉も漱石もそうであった。そして、「異界」に出会う。彼の世と此の世の表裏を繋ぐには、「ワキ」という第三の存在を必要とする。
巻末に、この本に登場する能作品のリストがある。
現代は、「思ひ」や「身」などから眼を背け世界は、単なる情報の集積となりつつある。私の記憶も痩せ衰えてしまい、著者が使っている縹渺などの言葉は、死語となりつつある。
2011年7月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
能、特にワキ方に興味を持ち、たまたまこの本に出会いました。
素晴らしい内容でした。
私は能に関しては本当に初心者で、いろはもよく分からないのですが
ワキがただそこにいて、あいづちも打たず、つくねんと存在すら消して
いるなかで、シテが情念を消化させていく、という構造に
とても深い興味がありました。
ワキがどうしてシテと出会うのか、
ワキになるにはどうしたらいいのか、など
面白い内容が盛りだくさんでした。
どうやら「異界を旅する能」というちくま文庫から出版されている
本と内容的にはほぼ同じなようです。
こちらは絶版ですので、おそらく筆者も構成を加えて世に出した
異界を旅する能の方が手に入りやすいですし、
検討する余地があると思います。
素晴らしい内容でした。
私は能に関しては本当に初心者で、いろはもよく分からないのですが
ワキがただそこにいて、あいづちも打たず、つくねんと存在すら消して
いるなかで、シテが情念を消化させていく、という構造に
とても深い興味がありました。
ワキがどうしてシテと出会うのか、
ワキになるにはどうしたらいいのか、など
面白い内容が盛りだくさんでした。
どうやら「異界を旅する能」というちくま文庫から出版されている
本と内容的にはほぼ同じなようです。
こちらは絶版ですので、おそらく筆者も構成を加えて世に出した
異界を旅する能の方が手に入りやすいですし、
検討する余地があると思います。
2007年11月3日に日本でレビュー済み
能というと小難しそうとか眠いといわれていますが、本書を読むと「ハレ」が日常化してしまった現代においてその代替物として「リセットする「場」」として能が機能するということがよくわかります。本書では能の謡の掛詞などについてさまざまな例を挙げて説明されているので、能を見てもその面白さがいまいちわからないという方が読むと能の構成がわかり、また違った楽しみ方に気づかせてくれると思います。