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日本人はなぜ謝りつづけるのか: 日英〈戦後和解〉の失敗に学ぶ (生活人新書 264) 単行本 – 2008/8/1
中尾 知代
(著)
「日本人は、私たちを殴るとき、何を考えていたのか」という、元捕虜たちが抱きつづける疑問。
それがある限り、私たちの謝罪は通じない。
- ISBN-104140882646
- ISBN-13978-4140882641
- 出版社NHK出版
- 発売日2008/8/1
- 言語日本語
- 本の長さ253ページ
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商品の説明
出版社からのコメント
第二次世界大戦の敗戦が日本に課した大きな宿題の一つが、英国軍元捕虜への謝罪問題。
謝ってもらっていないと感じる英国と、謝ったと思っている日本。
両国の認識のズレを明らかにし、日英和解という美名のもとで無視される元捕虜たちの思いに向き合い、中国や韓国も視野に入れた、真の戦後和解への道を探る。
謝ってもらっていないと感じる英国と、謝ったと思っている日本。
両国の認識のズレを明らかにし、日英和解という美名のもとで無視される元捕虜たちの思いに向き合い、中国や韓国も視野に入れた、真の戦後和解への道を探る。
著者について
中尾知代(なかお・ともよ)●
1960年生まれ。東京大学大学院文科学研究科修了。現在、岡山大学大学院准教授。専門はメディア表象論、社会文化学、オーラルヒストリー。エセックス大学博士課程在籍、元オックスフォード大学客員研究員、国際オーラルヒストリー学会広域アジア地域評議員。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2008/8/1)
- 発売日 : 2008/8/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 253ページ
- ISBN-10 : 4140882646
- ISBN-13 : 978-4140882641
- Amazon 売れ筋ランキング: - 646,989位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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第二次大戦の英・米・蘭の捕虜や民間人抑留者と戦後に抑留された日本兵の記憶とトラウマの家族間継承を研究。日本オーラル・ヒストリー学会理事。英エセックス大学でポストコロニアル学・映画の日本イメージで博士号取得。専門社会調査士
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年8月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦後和解の問題をあつかった本書がきわめてユニークなのは、関係者のことばや象徴的な行動を歴史の文脈の中に置きなおして、なぜ日本人は謝り続けなければならないかを鋭く分析していることである。主題は捕虜問題であるが、オーラルヒストリーを研究する著者は、十五年にわたり英国を中心に元捕虜らのことばに耳を傾け、かれらの過酷な戦争体験とトラウマを記録してきた。本書の提出する情報量は豊かであり、取り上げた問題点も多岐にわたっている。またメディア分析に優れているのも本書の特徴といえよう。一九九八年一月、天皇訪英を控えて訪英した橋本龍太郎首相がブレア首相に対し捕虜問題について「お詫び」を述べ、そのことばが英大衆紙「サン」に掲載された。ゴシップ記事が売りのタブロイド紙で、元捕虜が手にするのも限られた通俗紙である。なぜこのような新聞に首相が「寄稿」したのか。当時、日本の大使やメディアは、謝罪寄稿により英国の世論は好転したかのように論じたが、英各紙の反応は「日英の経済をスムーズにするための方策であり、天皇訪英に対してのタブロイド対策」ということに落ち着いたという。結局、首相の謝罪は無効であった。著者によるその間の分析は、日本側の思慮不足への指摘から、英首相の画策、新聞王として有名なマードックの介在まで示唆してスリリングにさえ思えた。著者は民間和解外交の功罪についても批判的に分析している。その根底には、和解活動を行う日本人たちが、加害側に属する者としてあえて真実を究明し、被害者と共に真実に直面する勇気を持っていたかどうかの問いがあるように思われる。2008年、9月14日 山陽新聞 共同通信配信
2008年9月9日に日本でレビュー済み
魂のない言葉は虚しい。魂とは、それまでの行動の蓄積ということでもある。行動の伴わない言葉には力がない。それはただの戯れ言に過ぎない。この著書は著者の血みどろの精神の行動の記録だ。各々のページに、彼女が対峙した老人たちと、そして彼女自身の鮮血がこびり付いている。悪戦苦闘の記録といってもいい。而して、それは説得力を持つ。
やや挑発的なタイトルとは裏腹に、著者は、いまメディアで聞き飽きている「日本よ、もっと謝れ」とか、「いや、謝る必要はない」とかいう言葉づらだけの小競り合いに参画する気はない。彼女は、何とかして「憎しみと怒りの輪廻」を断ち切ろうと苦闘する。「個たる被害者」の呪詛と罵声を彼女の躯で受け止め、「加害者たる全体」とどう切り結ぶか苦悩する。「全体の責任」という得体の知れぬ怪物に挑むさまは、その困難さという意味においては、巨大な「城」に分け入ろうとする測量士・「K」の苦闘すら想起させる。
その行動のきっかけとなったものは、かつて彼女自身がイギリス人の老人から、突然、悪意に満ちた言葉をぶつけられた時に感じた「理不尽さ」だった。このシーンにおいては、歴史の被害者と加害者が全く逆転する。何の落ち度もない少女が、祖父ほどの年配の男から言葉の暴力を受ける「理不尽さ」。しかし、傷つけられた躯以上に全身を怒りと憎しみに蝕まれた老人にすれば、自分の目の前の罪のない少女でさえ、自分を虐待した「全体の一部」に他ならなかったのだ。
虐殺された捕虜たちが発したunanswered questionを、彼女もまた、この著書を通じて発し続ける。彼女の叫びは、口角泡を飛ばして「謝罪すべきや否や」を朝までテレビカメラの前でわめき続ける文化人たちより、遥かに力強く、重い。
やや挑発的なタイトルとは裏腹に、著者は、いまメディアで聞き飽きている「日本よ、もっと謝れ」とか、「いや、謝る必要はない」とかいう言葉づらだけの小競り合いに参画する気はない。彼女は、何とかして「憎しみと怒りの輪廻」を断ち切ろうと苦闘する。「個たる被害者」の呪詛と罵声を彼女の躯で受け止め、「加害者たる全体」とどう切り結ぶか苦悩する。「全体の責任」という得体の知れぬ怪物に挑むさまは、その困難さという意味においては、巨大な「城」に分け入ろうとする測量士・「K」の苦闘すら想起させる。
その行動のきっかけとなったものは、かつて彼女自身がイギリス人の老人から、突然、悪意に満ちた言葉をぶつけられた時に感じた「理不尽さ」だった。このシーンにおいては、歴史の被害者と加害者が全く逆転する。何の落ち度もない少女が、祖父ほどの年配の男から言葉の暴力を受ける「理不尽さ」。しかし、傷つけられた躯以上に全身を怒りと憎しみに蝕まれた老人にすれば、自分の目の前の罪のない少女でさえ、自分を虐待した「全体の一部」に他ならなかったのだ。
虐殺された捕虜たちが発したunanswered questionを、彼女もまた、この著書を通じて発し続ける。彼女の叫びは、口角泡を飛ばして「謝罪すべきや否や」を朝までテレビカメラの前でわめき続ける文化人たちより、遥かに力強く、重い。
2012年4月28日に日本でレビュー済み
私と同様☆1つ評価の方と基本的に一緒の感想である。
あえて付け加えるなら、日英貿易摩擦が起きたのは80年代、この本が出たのが2008年。20年近く経ってこの本を出した意義が良く分らない。
留学期間中に、元イギリス兵士に。「日本は戦争のことも、自分でしでかしたことよりも原子爆弾のことをいって被害者でいる気だ」と嫌味を言われた。タブロイド紙に日本の悪口を書かれた。
これらがきっかけのようだが、日本で言ったら最下層の人間が憂さを晴らすために悪ものを探す、最も叩きやすいのを叩く、これは世界ではよくある話であり、日本国内でもそうだろう。ましてやタブロイド紙は日本でいえばスポーツ新聞みたいなもんで、そんなものにいちいち反応するほうがどうかと思う。
結局、留学に行ったお嬢様が「嫌味を言われて悔しい!」と言っているだけのようにしか思えない。腹が立つなら、「イギリスはが麻薬を売り込むためにアヘン戦争をやって領土を奪った中国に対して謝罪したことあるのか!」と言ってもいいくらいだ。そこからスタートしなければ和解なんてものは、表面的なものにしか過ぎない。
戦後アメリカをはじめとする戦勝国の日本に対して行った戦後教育の最たる例と言ってもいい本である。
あえて付け加えるなら、日英貿易摩擦が起きたのは80年代、この本が出たのが2008年。20年近く経ってこの本を出した意義が良く分らない。
留学期間中に、元イギリス兵士に。「日本は戦争のことも、自分でしでかしたことよりも原子爆弾のことをいって被害者でいる気だ」と嫌味を言われた。タブロイド紙に日本の悪口を書かれた。
これらがきっかけのようだが、日本で言ったら最下層の人間が憂さを晴らすために悪ものを探す、最も叩きやすいのを叩く、これは世界ではよくある話であり、日本国内でもそうだろう。ましてやタブロイド紙は日本でいえばスポーツ新聞みたいなもんで、そんなものにいちいち反応するほうがどうかと思う。
結局、留学に行ったお嬢様が「嫌味を言われて悔しい!」と言っているだけのようにしか思えない。腹が立つなら、「イギリスはが麻薬を売り込むためにアヘン戦争をやって領土を奪った中国に対して謝罪したことあるのか!」と言ってもいいくらいだ。そこからスタートしなければ和解なんてものは、表面的なものにしか過ぎない。
戦後アメリカをはじめとする戦勝国の日本に対して行った戦後教育の最たる例と言ってもいい本である。
2008年9月14日に日本でレビュー済み
著者の中尾知代は、恵子・ホームズのような民間の和解家が、まるで「日英<戦後和解>の失敗」の原因だったかのように非難している。あまりにも非論理的な批判だ。
たとえば、650万のユダヤ人が虐殺されているとき、杉原千畝は6000人に「命のビザ」を発行したが、それを「たった6000人しか救えなかった」と批判する者が、いったいどこにいるのか。
杉原が救えなかった6001人目は、杉原をうらんだかもしれない。だが、だからといって、それをもって杉原を批判することが、果たしてできるのか。
ホームズらが日英和解を「失敗」させたと中尾がいうのなら、その「根拠」を学問的に示すべきだ。だが、「失敗」の根拠としてあげているのは、中尾が聞いたという元捕虜らのコメントのみ。中尾自身の分析は、全くない。
しかし、それでは議論にならないのである。なぜなら、中尾はホームズらを批判する元捕虜のコメントを執拗に紹介しているが、ホームズらを支持する元捕虜たちは中尾のやり方や議論を批判している、ということも十分ありうるからだ。
橋本謝罪についても然り。そもそも大衆紙『サン』の読者が、そんなに丁寧に謝罪文を読んだとは、とても思えない。橋本が謝った、という事実がより重要だったはず。このあたりの議論については、中尾の批判する小菅信子の『戦後和解』の橋本謝罪分析のほうが、客観的でバランスがとれている。
民間の交流活動が、政府のカバーしきれない部分をカバーし、和解の実現に向けてそれなりに有益であることは、いまや国際的な「常識」。にもかかわらず、NHK出版は、なぜ、民間和解家にこれほど攻撃的な本を出すのか。まったく理解に苦しむ。
たとえば、650万のユダヤ人が虐殺されているとき、杉原千畝は6000人に「命のビザ」を発行したが、それを「たった6000人しか救えなかった」と批判する者が、いったいどこにいるのか。
杉原が救えなかった6001人目は、杉原をうらんだかもしれない。だが、だからといって、それをもって杉原を批判することが、果たしてできるのか。
ホームズらが日英和解を「失敗」させたと中尾がいうのなら、その「根拠」を学問的に示すべきだ。だが、「失敗」の根拠としてあげているのは、中尾が聞いたという元捕虜らのコメントのみ。中尾自身の分析は、全くない。
しかし、それでは議論にならないのである。なぜなら、中尾はホームズらを批判する元捕虜のコメントを執拗に紹介しているが、ホームズらを支持する元捕虜たちは中尾のやり方や議論を批判している、ということも十分ありうるからだ。
橋本謝罪についても然り。そもそも大衆紙『サン』の読者が、そんなに丁寧に謝罪文を読んだとは、とても思えない。橋本が謝った、という事実がより重要だったはず。このあたりの議論については、中尾の批判する小菅信子の『戦後和解』の橋本謝罪分析のほうが、客観的でバランスがとれている。
民間の交流活動が、政府のカバーしきれない部分をカバーし、和解の実現に向けてそれなりに有益であることは、いまや国際的な「常識」。にもかかわらず、NHK出版は、なぜ、民間和解家にこれほど攻撃的な本を出すのか。まったく理解に苦しむ。
2008年8月18日に日本でレビュー済み
なぜか「小谷野氏が植民地はスルーしている」と強調するが、この本の第五章は、そもそも、植民地の問題をスルーし英国の姿勢が、日本人がお詫びをしたくない理由だ、とはっきり書いていて気持ちいい。(英国の奴隷制度の謝罪したが、植民地には反対したのも)、BC級戦犯、JSP(アーロンが有名だが)しかり。著者は、植民地を無視して日英間が握手する和解式典への違和感を表明する。日・英ともに高い、元植民地のプライド。日本の中でぐだぐだ言ったり相殺せず「植民地責任などを問題化して相手に伝えろ、対話しろ」との意見には納得した。「死んでお詫び」が通じない文化と、どう付き合うか、これは外交の問題だ。
日本人として、初めて橋本首相が、サン紙に言ってセリフをみて、なんか悔し涙が出た。著者も悔しかったろう。ドイツ型のオワビをまねたところで、うまくいくはずもない。現在「和解は成功だ」との学説が流れているだけに、実情をあれこれ知れて、貴重だった。サンに掲載された橋本首相の「お詫び」が日本の外務省では読めない意味を外交上も考えた。裁判情況を含め、第5章以後がもっと、読みたい。
日本人として、初めて橋本首相が、サン紙に言ってセリフをみて、なんか悔し涙が出た。著者も悔しかったろう。ドイツ型のオワビをまねたところで、うまくいくはずもない。現在「和解は成功だ」との学説が流れているだけに、実情をあれこれ知れて、貴重だった。サンに掲載された橋本首相の「お詫び」が日本の外務省では読めない意味を外交上も考えた。裁判情況を含め、第5章以後がもっと、読みたい。
2008年8月29日に日本でレビュー済み
これまで日本政府は、英国人捕虜に向けた「おわび」を二度表明してきた(95年・98年)。にもかかわらず、元捕虜たちの怒りはおさまらず、補償要求、謝罪要求は続いている。これは、いったい何故なのか。
本書第2章では、その理由が詳細に論じられている。「謝罪」という表現をかたくなに回避して発せられる「おわび」は、被害者たちの不信をまねく。「おわび」の掲載メディアや英語表現の選択ミスなど配慮不足による問題も多い。こちら側では謝っているつもりだとしても、元捕虜・元抑留者やその遺族・家族たちにとっては、いつまでたっても謝罪が発せられないという思いが募っていくのは当然だろう。読みながら、なるほどと思わされる部分がいくつもあった。
「謝罪」は、被害者たちの心情や、それぞれの社会の文化・伝統への十分な配慮のもとに行われる必要がある。そのことを再確認させられた。
本書のもう一つの重要性は、「和解成功」の例として語られることの多い英国人元捕虜問題が、じつは深刻な課題を抱え続けた状態にあることを伝えている点にある(第3章・第4章)。政府とつながった民間の和解活動が、元捕虜たちを深く傷つけてしまっているケースさえあるのだ(その内容については本書をお読みいただきたい)。
筆者は、長年にわたり英国人元捕虜や遺家族からの聞き取り調査を続けてきた。本書は、その成果である。被害者たちとの丁寧な人間関係を築きながらの作業であったことが、記述の端々から読み取れる。わたしたちのもとに届きにくかった(ときにはメディアによって歪められてきた)被害者たちの「声」がここにはただしく刻み込まれている。
なぜ日本の「謝罪」が被害者に受け止められないのか、そして「謝罪」や「和解」がどうあるべきかを、真摯に考えさせられる好著である。
本書第2章では、その理由が詳細に論じられている。「謝罪」という表現をかたくなに回避して発せられる「おわび」は、被害者たちの不信をまねく。「おわび」の掲載メディアや英語表現の選択ミスなど配慮不足による問題も多い。こちら側では謝っているつもりだとしても、元捕虜・元抑留者やその遺族・家族たちにとっては、いつまでたっても謝罪が発せられないという思いが募っていくのは当然だろう。読みながら、なるほどと思わされる部分がいくつもあった。
「謝罪」は、被害者たちの心情や、それぞれの社会の文化・伝統への十分な配慮のもとに行われる必要がある。そのことを再確認させられた。
本書のもう一つの重要性は、「和解成功」の例として語られることの多い英国人元捕虜問題が、じつは深刻な課題を抱え続けた状態にあることを伝えている点にある(第3章・第4章)。政府とつながった民間の和解活動が、元捕虜たちを深く傷つけてしまっているケースさえあるのだ(その内容については本書をお読みいただきたい)。
筆者は、長年にわたり英国人元捕虜や遺家族からの聞き取り調査を続けてきた。本書は、その成果である。被害者たちとの丁寧な人間関係を築きながらの作業であったことが、記述の端々から読み取れる。わたしたちのもとに届きにくかった(ときにはメディアによって歪められてきた)被害者たちの「声」がここにはただしく刻み込まれている。
なぜ日本の「謝罪」が被害者に受け止められないのか、そして「謝罪」や「和解」がどうあるべきかを、真摯に考えさせられる好著である。