アマゾンで購入し、ドキドキしながら一気通貫で最後まで読んだ。読みやすくて分かりやすくて面白い。本書には一切棋譜が出てこない。将棋界の仕組みについても、その都度分かりやすくフォローされている。電王戦が、将棋ファン以外にも大いに注目を集めたイベントであることを意識してのことだと思う。筆者の松本氏は親切で丁寧な方だと思った。
本書で一番衝撃を受けたのは、渡辺明二冠の発言だ。
帯に記載されている「二年連続での負け越し。プロ棋士にとっては大ピンチです。」というコメントを読んだときは「お決まりのパターン」だと思った。
「日本将棋連盟は将棋分野の独占組織だ。棋戦スポンサーの大新聞各社とは長年のお付き合いがある。来年・再来年に棋戦タイトル料を激減させるような契約更改を要求されることはまず無いだろう。危機感を演出することで注目が集まれば、部数増や視聴率アップのチャンスにつながる。」
帯のコメントを読んだとき、タイトルホルダーの出処進退を曖昧糢糊としたまま時間稼ぎをする「お決まりのパターン」を予想した。
ところが、本書234ページに掲載されている松本氏による渡辺明二冠へのインタビューでの発言。
「続けて渡辺は、『このまま終わりにしても、誰も納得しないでしょう』と、きっぱりと言った。コンピュータとの対局にもし指名されるのであれば、受けて立つ。そう宣言したのだ。」
渡辺明は腹をくくれる男だと思った。当方、今まで繰り返し
「羽生・渡辺・森内はコンピューター将棋から逃げまくっている。負ければ、タイトルの価値がスマホのアプリの利用料以下に転落してしまうのを恐れているからだ。」
と発言してきた。渡辺明二冠の面前で、「申し訳ございませんでした」と謝りたい気持ちで一杯になった。渡辺明二冠の発言だけで定価の十倍以上の価値があった。
さて本書は、1960年代の詰将棋解答ソフトから始まり、2014年の第3回電王戦まで駆け抜ける構成だ。それぞれの時代ごとのページ配分が適切だ。
森田将棋発売、ディープブルーの勝利、TACOSへの辛勝、Bonanza登場と、コンピューター将棋の歴史に影響を与えた事件がテンポよく理解できる。科学技術を結集して構築した未知の棋力に対するプロ棋士の戸惑いや、根気強く試行錯誤を続ける開発者・研究者の忍耐力が分かりやすく描写されている。人間 対 コンピューター の対決は、視聴者・読者の知的好奇心を大いに刺激するテーマであり続けているのが分かる。だからこそ、電王戦が開催されるようになったのだと思う。
本書のメインである第1回から第3回までの電王戦についても詳しいページが割かれている。棋士側の描写だけではなく、コンピューター将棋開発者がいかにして電王戦に出場できるようになったのかという視点でも描写されている。双方について公平に配分されて描写されていると思った。どーしても棋士側の視点中心に描写される記事が多いので、松本氏の公平な視点がとても新鮮に感じられた。ただし、コンピューター将棋開発者のうち、山本氏についての記述のウェートが相対的に大きすぎる。電王戦に出場したコンピューター将棋開発者のことを、当方はみんな好きだし応援したい。山本氏についてはもちろん知りたいけれど、一丸氏や竹内氏や英紀氏についても同じぐらい知りたい。唯一不公平に感じた。
本書の中でいくつか気になったこと。
森田和郎氏について。当方の記憶を呼び戻せば、1986年〜1987年頃のマイコンBASICマガジンだったと思う。巻末の白黒ページに、ソフトハウスごとの連載ページがあった。(森田氏が所属していた)ランダムハウスのページにて、コンピューター将棋についての森田氏のエッセイが掲載されていた。記憶に頼るので正確な表現は思い出せないが、こんな趣旨のことが書かれていたと思う(間違っていたら、どなたか訂正お願いいたします)。
「人間の名人に勝てるソフトの開発に成功したら、引退する。でも、当分引退できそうに無い。自分の知りうる定跡を全てソフトに盛り込んでもアマチュア高段者の壁が破れない。理屈ではなく経験則にもとづいて選択された手を、プログラム上で表現するのが難しい。」
当時、この森田氏のエッセイを読んで、「そんなものだろうな。プロ棋士には永久に勝てないんじゃないか?」と当方は思った記憶がある(だからこそ覚えている)。
コンピュータ将棋協会の瀧澤会長のコメントが意外に厳しいので驚いた。電王戦が長く続いてくれた方がソフトの盲点を潰すチャンスが増えるので、プロ棋士をフォローすると当方は思っていた。ところが本書212ページ。
「もっと危機感を持っていいただいていれば・・・・。言い訳できない結果だと思います。」
とのことだ。事前貸出・バージョン固定・スペック固定の条件が裏目に出た。第二回電王戦の佐藤四段や三浦九段の戦い方の方が、プロ棋士の勇気を引き立たせたと思う。
「ソフトの盲点を衝く手順を発見するのは、将棋の本質と無関係な作業だ。こんな作業に時間を費やして勝っても意味が無い。がっぷり四つで自分の将棋を指したい。」
という考え方を当方は大好きだ。ただし、日本将棋連盟は現在に至るまで「プロの権威」を前面に押し出してきた。タイトルホルダーが宇宙一将棋が強いから、独占や終身在職権保障が許容されてきた。菅井さんや森下さんの戦い方を好きになれても、日本将棋連盟は「勝敗のケジメ」を追及されると思う。瀧澤会長の意見に当方は賛成だ。
橋本八段の発言について(本書233ページ)。
「そしてもし、タイトルホルダー三人(森内、羽生、渡辺)が出るとしたら、対局料は億でしょう。」
現実と偏見の区別が全くついていない発言だと思った。ドスパラにて電王戦モデルのPCが299,980円(+税)で発売中だ。電王戦対局バージョンのPonaXも発売された。市販されているPCやソフトで実現できる技術に勝てるかどうか怪しいくせに、どーしてプロ棋士の対局料に億の価値があるのかさっぱり分からない。「プロの権威」を取り戻して今までどおりのプロ制度の存続を望むなら、市販されているPCやソフトで実現できる技術に圧勝できる棋力がある。プロ棋士が圧勝できるのなら体力的・精神的な負担は小さい。体力的・精神的な負担は小さい将棋なら、プロ棋士の対局料はタダで十分だ。独占や終身在職権保障が許容されている状況にどっぷりつかっているうちに、橋本八段は現実と偏見の区別がつかなくなったと思った。
匿名を条件に、奨励会員(と親御さん)にアンケートやインタビューを本書で実施して欲しかった。質問の内容はいちいち書くまでも無いと思う。現在、奨励会からプロ四段への昇段者は半年につき原則二名(例外でプラス一名)だ。年間のプロ志望者が毎年六名以内なら、全員がプロ棋士になれる。プロ棋士に憧れを抱いているが挫折する子供が一定数存在し続けなければ、現在のプロ制度は成り立たない。奨励会員(と親御さん)が、将棋界の将来についてどのように考えているのか知りたかった。
自動車とマラソンの例について。自動車を運転するには、学科試験と実地試験をパスしなければならない。数ヶ月の時間と数十万円の費用がかかる。小学生の能力・経済力では実現不可能だ。フルマラソンの二時間台前半での完走が小学生に難しいのと同様にだ。
「スマホやPCで最善手を検索し、検索した通りの手を盤上で再現する」には、時間も費用もかけず小学生でもできる。近い将来、検索しながら将棋を指せば名人にも勝てる。
「人間同士にしか出来ない対局のロマン」などといわれても、説得力はゼロだ。自動車とマラソンの例を、将棋界の現在の状況に当てはめるのは無理があると思った。
渡辺明が腹をくくれる男だと知ることが出来ただけで星十個。
親切で丁寧な松本氏に星十個、面白くて分かりやすくて話題性抜群の本書に星十個。星三十個をつけたい本です。

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ルポ 電王戦 人間vs.コンピュータの真実 (NHK出版新書) 新書 – 2014/6/6
松本 博文
(著)
なぜプロ棋士は敗れたのか?
プロ将棋棋士とコンピュータが真剣勝負を繰り広げる電王戦シリーズ。今年おこなわれた第3回大会は、プロ棋士側の1勝4敗に終わった。かつてはルールすら守れなかったコンピュータは、いかにしてプロ棋士を凌駕したのか? そして、現役のトップ棋士たちはこの結果に何を思うのか――? コンピュータ将棋に精通する著者が、丹念な取材のもとに書き下ろす迫真のルポルタージュ。
プロ将棋棋士とコンピュータが真剣勝負を繰り広げる電王戦シリーズ。今年おこなわれた第3回大会は、プロ棋士側の1勝4敗に終わった。かつてはルールすら守れなかったコンピュータは、いかにしてプロ棋士を凌駕したのか? そして、現役のトップ棋士たちはこの結果に何を思うのか――? コンピュータ将棋に精通する著者が、丹念な取材のもとに書き下ろす迫真のルポルタージュ。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日2014/6/6
- 寸法11.2 x 1.3 x 17.1 cm
- ISBN-104140884363
- ISBN-13978-4140884362
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商品の説明
出版社からのコメント
将棋のプロ棋士がコンピュータに敗れる。つい十数年前まで、そんな話は絵空事にすぎなかった。しかし、いま――。日本中を熱狂の渦に巻き込んだ電王戦の裏には、どんなドラマが潜んでいたのか。開発者や棋士たちの素顔を描きながら、戦いの全貌を伝える迫真のルポルタージュ。将棋とは? 知性とは? 人間とは? 「21世紀の文学」とも評された決戦の記録。
著者について
松本博文(まつもと・ひろふみ)
1973年、山口県生まれ。将棋観戦記者。東京大学将棋部OB。在学中より将棋書籍の編集に従事。同大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力し、「青葉」の名で中継記者を務める。本書が初の単著となる。
1973年、山口県生まれ。将棋観戦記者。東京大学将棋部OB。在学中より将棋書籍の編集に従事。同大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力し、「青葉」の名で中継記者を務める。本書が初の単著となる。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2014/6/6)
- 発売日 : 2014/6/6
- 言語 : 日本語
- 新書 : 256ページ
- ISBN-10 : 4140884363
- ISBN-13 : 978-4140884362
- 寸法 : 11.2 x 1.3 x 17.1 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 721,337位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年1月8日に日本でレビュー済み
私自身、米長さんの時からほとんどの対戦をライブで観戦してきた人間であるので、記憶をたどりながら、大変楽しく読ませていただいた。
囲碁と違って将棋の方は、ディープラーニングがメインになる前に決着がついたところがあり、人工知能の話はあまり出てこないが、電王戦の背景、裏舞台、そして関わった人間が描かれており、電王戦という将棋の歴史における最もインパクトのある出来事の記録として、素晴らしい好著であると思います。
名人に勝つまでの記録としての第2版を期待して星⭐️4つとします。
囲碁と違って将棋の方は、ディープラーニングがメインになる前に決着がついたところがあり、人工知能の話はあまり出てこないが、電王戦の背景、裏舞台、そして関わった人間が描かれており、電王戦という将棋の歴史における最もインパクトのある出来事の記録として、素晴らしい好著であると思います。
名人に勝つまでの記録としての第2版を期待して星⭐️4つとします。
2014年7月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
表題通り、過去3回に渡る「電王戦」の模様を主に将棋ソフト開発者側の視点から描いたドキュメンタリーである。本来は将棋の知識に加え、人工知能・機械学習を含む計算機プログラミングの知識、ゲ-ム(木)理論に関する知識等が必要とされるのだが、将棋以外の専門知識を殆ど要さないように工夫されている。逆に言えば、ソフト開発者達の人間模様に的を絞った感があり、臨場感こそあるが、副題にある「人間vsコンピュータ」とは内容がやや乖離している様に映った。
「電王戦」に出場したプロ棋士に対して、直接インタビューして本音を聞き出すのは確かに難しいとは思うが、読者が期待しているのはまさにこの点であって、この意味で本書は読者の期待を裏切っているだろう。また、本書でも言及されているトップ棋士の3名のタイトル・ホルダー、羽生、森内、渡辺が「電王戦」あるいは将棋ソフトに関してどのような見解を持っているかという点も将棋ファンにとっては興味津々なのだが、この点に関しても本書は応えていない(渡辺が「電王戦」に参加する意志を持っている事は書かれているが)。全体的にプロ棋士に対する突っ込みが甘いと思う。
森内が「プロ棋士と将棋ソフトとは協力関係にあるのが望ましい」と語っているのを何かで読んだ記憶があるが、まさしくその通りであって、本書をキッカケに将棋自身、人間(プロ棋士)及び計算機各々の可能性について関心を持つ方が増えれば幸いだと思う。
「電王戦」に出場したプロ棋士に対して、直接インタビューして本音を聞き出すのは確かに難しいとは思うが、読者が期待しているのはまさにこの点であって、この意味で本書は読者の期待を裏切っているだろう。また、本書でも言及されているトップ棋士の3名のタイトル・ホルダー、羽生、森内、渡辺が「電王戦」あるいは将棋ソフトに関してどのような見解を持っているかという点も将棋ファンにとっては興味津々なのだが、この点に関しても本書は応えていない(渡辺が「電王戦」に参加する意志を持っている事は書かれているが)。全体的にプロ棋士に対する突っ込みが甘いと思う。
森内が「プロ棋士と将棋ソフトとは協力関係にあるのが望ましい」と語っているのを何かで読んだ記憶があるが、まさしくその通りであって、本書をキッカケに将棋自身、人間(プロ棋士)及び計算機各々の可能性について関心を持つ方が増えれば幸いだと思う。
2014年6月17日に日本でレビュー済み
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第三回電王戦の顛末を主軸に置きながら、将棋ソフト開発者たちの苦労と発展の歴史を記してくれています。
変な偏り、煽りもなくできるだけ公平な視点で、断定的な表現は避けつつ事実を要点よくまとめてくれています。
残念ながら参加棋士のインタビューなどはとくにありませんが、断片的な発言は掲載されていて、少ないながらも棋士の視点、考えもわかります。ただ絶対量としては圧倒的にソフト開発者側の情報が多く、開発者の視点のドキュメンタリーであるといえると思います。
某棋士が500万円で出場を打診されたが断ったこと、Ponanza山本氏のPVでの発言は編集によってゆがめられていたこと、いまでこそネットで探せばわかるような話なのかもしれませんが当時では近しい関係者しか知りえない情報が簡潔な文章でつづられていて楽しく読めます。
人間vsコンピュータが今後どのようになるのかわかりませんが、また次の変化点が来たときにこの本を読みなおしたいとおもいました。
そう思わせてくれる良書だと思います。
変な偏り、煽りもなくできるだけ公平な視点で、断定的な表現は避けつつ事実を要点よくまとめてくれています。
残念ながら参加棋士のインタビューなどはとくにありませんが、断片的な発言は掲載されていて、少ないながらも棋士の視点、考えもわかります。ただ絶対量としては圧倒的にソフト開発者側の情報が多く、開発者の視点のドキュメンタリーであるといえると思います。
某棋士が500万円で出場を打診されたが断ったこと、Ponanza山本氏のPVでの発言は編集によってゆがめられていたこと、いまでこそネットで探せばわかるような話なのかもしれませんが当時では近しい関係者しか知りえない情報が簡潔な文章でつづられていて楽しく読めます。
人間vsコンピュータが今後どのようになるのかわかりませんが、また次の変化点が来たときにこの本を読みなおしたいとおもいました。
そう思わせてくれる良書だと思います。
2014年6月12日に日本でレビュー済み
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私は以前から将棋ファンで、渡辺竜王VSボナンザ・清水女流VSあから2010・そして電王戦は全てネット中継で見たし、コンピュータ将棋選手権も現地に解説を聞きに行っていた。なのでコンピュータVSプロ棋士の戦いにはそれなりの予備知識があり、また、本書の著者が松本博文さんであることにも注目していた。松本さんは、将棋連盟とLPSAの対立に巻き込まれ、将棋連盟により対局中継の仕事を奪われたことで将棋界では有名な人だ。だから私の期待としては、松本さんが本書で将棋連盟に何らかの抗議をするのではないか、つまり将棋連盟の悪質さを表す事実を暴露するのではないか、ということがあった。しかし、その期待に叶うようなことは書かれていなかった。著者は将棋連盟に対して公平な視点で執筆したと言えるだろう。
そしてもう一つの私の期待は、第2回・第3回電王戦の、あの10局の熱戦の裏側にあった知られざるドラマを読むことだった。それは当然、『ルポ 電王戦』という題名の本の主要なテーマである。では、その期待は叶えられたのか――と問われれば、私は満足できるものではなかったと答えたい。まず、10局全てについて記述するにはページ数が少なすぎ、簡潔にまとめているため私のようにネット中継を見ていた者にとっては既に知っていることが多かった。そして、これが最大の疑問点なのだが、なぜ出場したプロ棋士にインタビューをしなかったのだろうか。第3回電王戦の後に橋本八段と渡辺二冠が語った話は載っているが、なぜこの棋戦で熱戦を繰り広げた5人の棋士の話が無いのか。しかも、本書にはポナンザの開発者である山本一成さんの私生活の情報はかなり詳しく書かれているが、それは本書の主題ではないので必要ではないばかりか、山本さんにとっても妻の藍さんにとっても読者にとっても不愉快なことだろう。なぜ山本さんの私生活に充てた多くの文章を、出場した棋士、または電王戦で将棋界に大きな波紋を呼んだ伊藤さん(ボンクラーズの開発者)や磯崎さん(やねうら王の開発者)の談話に充てなかったのか。この点で、私は著者の松本さんに対して強い不満がある。他人夫婦の出会いから結婚までの色恋話を出版物で晒し上げることに抵抗は無かったのだろうか。それよりも将棋連盟や将棋界の問題点について踏み込んだ記述をするのがジャーナリズムではないか。
私がこのような不満を述べるのも、松本さんはそれができる立場にいるからだ。将棋連盟とLPSAの抗争をリアルタイムで見てきた者として、私は松本さんを応援する気持ちを抱いてきた。松本さんは誰よりも将棋界内部の腐敗を知っているはずだし、自身もその被害者の一人となってしまった。その当事者にしか書けない物があるはずだ。本書は、コンピュータ将棋について予備知識の無い一般向けの概説、そして3回の電王戦のダイジェストとしてはとても良くできている。そして、著者の将棋への情熱も充分に伝わってくる。しかし、この著者ならもっと鋭く斬り込んだ内容が書けたはずだと思うと、その取材不足と共に大きな不満が残る。
そしてもう一つの私の期待は、第2回・第3回電王戦の、あの10局の熱戦の裏側にあった知られざるドラマを読むことだった。それは当然、『ルポ 電王戦』という題名の本の主要なテーマである。では、その期待は叶えられたのか――と問われれば、私は満足できるものではなかったと答えたい。まず、10局全てについて記述するにはページ数が少なすぎ、簡潔にまとめているため私のようにネット中継を見ていた者にとっては既に知っていることが多かった。そして、これが最大の疑問点なのだが、なぜ出場したプロ棋士にインタビューをしなかったのだろうか。第3回電王戦の後に橋本八段と渡辺二冠が語った話は載っているが、なぜこの棋戦で熱戦を繰り広げた5人の棋士の話が無いのか。しかも、本書にはポナンザの開発者である山本一成さんの私生活の情報はかなり詳しく書かれているが、それは本書の主題ではないので必要ではないばかりか、山本さんにとっても妻の藍さんにとっても読者にとっても不愉快なことだろう。なぜ山本さんの私生活に充てた多くの文章を、出場した棋士、または電王戦で将棋界に大きな波紋を呼んだ伊藤さん(ボンクラーズの開発者)や磯崎さん(やねうら王の開発者)の談話に充てなかったのか。この点で、私は著者の松本さんに対して強い不満がある。他人夫婦の出会いから結婚までの色恋話を出版物で晒し上げることに抵抗は無かったのだろうか。それよりも将棋連盟や将棋界の問題点について踏み込んだ記述をするのがジャーナリズムではないか。
私がこのような不満を述べるのも、松本さんはそれができる立場にいるからだ。将棋連盟とLPSAの抗争をリアルタイムで見てきた者として、私は松本さんを応援する気持ちを抱いてきた。松本さんは誰よりも将棋界内部の腐敗を知っているはずだし、自身もその被害者の一人となってしまった。その当事者にしか書けない物があるはずだ。本書は、コンピュータ将棋について予備知識の無い一般向けの概説、そして3回の電王戦のダイジェストとしてはとても良くできている。そして、著者の将棋への情熱も充分に伝わってくる。しかし、この著者ならもっと鋭く斬り込んだ内容が書けたはずだと思うと、その取材不足と共に大きな不満が残る。
2017年8月7日に日本でレビュー済み
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自分以上に強いコンピューター将棋を夢見た日があったが、いまやはるか彼方。自宅の激指とたまには遊ぶかな。とても読み物として楽しかった。
2014年6月16日に日本でレビュー済み
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電王戦とタイトルにありながら、どちらかと言えばコンピュータ将棋とその開発者に視点が注がれており、第3回電王戦が話題の中心かと思って買ったただけに、ちょっと肩すかし。本書はコンピューター将棋の歴史を振り返る意味では備忘録的価値はあると思う。サイドストリーは意外と面白かったが、本筋となる部分の掘り下げは物足りなく感じた。やはり対局した棋士へのインタビューがないようでは片手落ちの感は否めない。
2014年7月24日に日本でレビュー済み
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この本は、コンピュータ将棋の進歩を支えた人々の視点から、約半世紀の歴史を概観している。
題名から「電王戦の裏の真実」のようなワイドショー的ゴシップを期待してはいけない。
作者の筆致はむしろ淡々としており、後世の人が21世紀初頭の将棋文化を研究するときに、良い資料になるかもしれない。
この本を読んで改めて認識させられたのが、「電王戦」が遅きに失したことだ。
コンピュータ将棋のレーティング(強さの指標)が現役棋士を越えても、将棋連盟はまだ女流棋士や引退棋士との対局でお茶を濁していた。
客観的データがいくら危機を告げても、人々はその危機から目を背け、問題の先送りを選択する。
歴史上しばしば見られる現象が、「将棋」においても起こってしまったことを、この本の読者は知ることができる。
たぶん、それがこの本の題名にある「真実」の意味の一つだと思う。
題名から「電王戦の裏の真実」のようなワイドショー的ゴシップを期待してはいけない。
作者の筆致はむしろ淡々としており、後世の人が21世紀初頭の将棋文化を研究するときに、良い資料になるかもしれない。
この本を読んで改めて認識させられたのが、「電王戦」が遅きに失したことだ。
コンピュータ将棋のレーティング(強さの指標)が現役棋士を越えても、将棋連盟はまだ女流棋士や引退棋士との対局でお茶を濁していた。
客観的データがいくら危機を告げても、人々はその危機から目を背け、問題の先送りを選択する。
歴史上しばしば見られる現象が、「将棋」においても起こってしまったことを、この本の読者は知ることができる。
たぶん、それがこの本の題名にある「真実」の意味の一つだと思う。