じづらだけ見て、意味も確かめずに子どもの名前に使う親とそれに子どもが気付いたとき、また親が調べもせずにつけたことを子どもが知ったときの衝撃を危惧していらっしゃいます。その通りだと思います。
本の内容の善し悪しには直接関係ありませんが、「曜」を「〓」(略字)で最近は書けない/書かないという話で、略字(多分ツクリが「玉」)のほうが校正されすぎて元に戻ってしまっていると思うのですがどうなんでしょう。
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漢字に託した「日本の心」 (NHK出版新書) 新書 – 2014/6/6
笹原 宏之
(著)
「金田一賞」受賞学者が
漢字の文化史を多角的に解明!
「訓読み」や「国字」を独自に創出するなど、漢字を日本語になじませるための不断の努力を重ねてきた日本人が、漢字に託してきたものは何なのか。金田一京助博士記念賞を受賞した第一線の日本語研究者である著者が、その類まれな博覧強記を武器に、漢字の様々な使用例を見つめ、多角的に検討し明らかにしていく。
漢字の文化史を多角的に解明!
「訓読み」や「国字」を独自に創出するなど、漢字を日本語になじませるための不断の努力を重ねてきた日本人が、漢字に託してきたものは何なのか。金田一京助博士記念賞を受賞した第一線の日本語研究者である著者が、その類まれな博覧強記を武器に、漢字の様々な使用例を見つめ、多角的に検討し明らかにしていく。
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日2014/6/6
- 寸法11.3 x 1.4 x 17.1 cm
- ISBN-10414088438X
- ISBN-13978-4140884386
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商品の説明
著者について
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
1965年、東京生まれ。早稲田大学社会科学総合学術院教授。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得。博士(文学)。『国字の位相と展開』(三省堂)で第35回金田一京助博士記念賞受賞。「常用漢字」「JIS漢字」「人名用漢字」の改定に携わる。『方言漢字』(角川選書)、『日本の漢字』(岩波新書)、『漢字の現在』(三省堂)など著書多数。
1965年、東京生まれ。早稲田大学社会科学総合学術院教授。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得。博士(文学)。『国字の位相と展開』(三省堂)で第35回金田一京助博士記念賞受賞。「常用漢字」「JIS漢字」「人名用漢字」の改定に携わる。『方言漢字』(角川選書)、『日本の漢字』(岩波新書)、『漢字の現在』(三省堂)など著書多数。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2014/6/6)
- 発売日 : 2014/6/6
- 言語 : 日本語
- 新書 : 272ページ
- ISBN-10 : 414088438X
- ISBN-13 : 978-4140884386
- 寸法 : 11.3 x 1.4 x 17.1 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 563,360位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年10月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2014年6月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書のコンセプトは、タイトルの『日本の心』が抽象的ながら日本語における『漢字』、殊に「訓読み」や日本で作られた「国字」などの、日本独特の情緒ある『漢字』文化、即ち日本人が“外国語”であった『漢字』をどのように「日本語」として取り入れ『日本の心』に昇華してきたか、と言う歴史的背景と日本語としての『漢字』を分析的、実証的に綴るものと言える。巷間に見えるような、単なる文字の起源や誤用、本来の字義・語義等の辞書的な解説に留まるものではなくて、漢字の歴史(使用背景)、変遷、創出(国字・会意文字)、消滅など、実証的、統計的に分析・考察するもので、私見ながら読み応えのある構成と言える。このページの上の「商品の説明」には、「『訓読み』や『国字』を独自に創出するなど、漢字を日本語になじませるための不断の努力を重ねてきた日本人が、漢字に託してきたものは何なのか……漢字の様々な使用例を見つめ、多角的に検討」とある通り、幅広い歴史的・統計的な用例分析や意義の変遷・文化的背景、そして現代のIT事情の考察まで進める。
構成・内容は、(1)漢字はあんがい身近な文字であるーー日本人の当て字の歴史や実態を古今の実例から概観、漢字の成り立ちの解釈と俗説など、(2)日本人と漢字の出会いーー「倭」から「和」の変遷(歴史考察)と読みの自由化、「国字」の誕生・会意文字(実例)とひらがな・カタカナとの関係ほか、(3)誤字も略字も文字のうちーー誤字の端緒と用例、新聞用文字の用例、手紙特有の用例、小説・医学などの専門的漢字用例ほか、(4)地名や人名を表す文字ーー地方特有の漢字用例、名字の地域別統計データ(多い名字、珍しい名字)、地域特有の名字、名前の時代的流行(統計)ほか、(5)若者漢字と漢字文化の未来ーー現代若者の漢字の用例(ネット、メールなど)、絵文字と顔文字に観る新たな「象形文字」など、以上の6章からなる。
著者は、上記のような日本人と漢字の交わりを歴史的、実証的に紐解きながら、IT化の進む現代における日本語または記号文字としての「象形文字」の多様化、正確には絵文字や顔文字に代表される表意化について江戸時代に起源を求めつつ、必ずしも通り一遍の批判や懸念を主張するのではなくて、かかる変遷も一応肯定的に観ている(258〜260頁)。その反面で、日本人の『漢字』または文字に対する自由な意味付けないし創出が「消化不良」を起こす懸念、「幅広い観察と思考による論理性、余剰性や感受性を失い、直感的なイメージ」(263頁)のみに依る多様化には、日本の『漢字』文化(日本の心)を喪失する懸念を吐露している。日本人の漢字(文字)に対する歴史的民族性(独自の意味付け、創出、工夫など)を積極的に評価する一方、示唆的で興味深い論考となっている。
個人的に興味を惹いたのは、在日ニュージーランド大使館が募集した自国の漢字名(“英・米”のような1文字)を、一旦は「乳」と決定しつつも本国政府からの“待った!”の掛かったエピソード(42〜43頁)、「粁」と「糎」の会意性(45頁)、「やまと」の熟字訓の史料に観る諸例(78〜94頁)、誤字の実例(118〜136頁)などは、なかなかに面白い。また長すぎる地名(186頁)、珍しい名字や明治維新時の名字作成経緯や命名(4章後半)なども意外性があって興味深い。ただ著者と感覚的な相違を覚えたのが、「卵」と「玉子」の用例がある。著者は「卵」について「生々しさが感じられ、生物のタマゴを想起」(143頁)させると言う。私個人的にはそうしたイメージは殆ど感じられないが、他方著者が作家のこだわりとして「よりそれらしく書きたいといった」(167〜168頁)動機に依るものと観る「身區」(※注)や「躰」の方が、私には「身体」よりも生物学的なイメージが強い。全体に『漢字』の用例や意義の歴史を実証的、分析的に解説しつつ、統計データ等による珍しい名字や地名、名前、現代の絵文字や顔文字まで対象とする幅広いトピックは読み応えのある一冊と言える。
※「躯」の正字で、“身”偏に“區”旁の文字フォントが正しく表示されないので、便宜的に「身區」と2字を使用している。
構成・内容は、(1)漢字はあんがい身近な文字であるーー日本人の当て字の歴史や実態を古今の実例から概観、漢字の成り立ちの解釈と俗説など、(2)日本人と漢字の出会いーー「倭」から「和」の変遷(歴史考察)と読みの自由化、「国字」の誕生・会意文字(実例)とひらがな・カタカナとの関係ほか、(3)誤字も略字も文字のうちーー誤字の端緒と用例、新聞用文字の用例、手紙特有の用例、小説・医学などの専門的漢字用例ほか、(4)地名や人名を表す文字ーー地方特有の漢字用例、名字の地域別統計データ(多い名字、珍しい名字)、地域特有の名字、名前の時代的流行(統計)ほか、(5)若者漢字と漢字文化の未来ーー現代若者の漢字の用例(ネット、メールなど)、絵文字と顔文字に観る新たな「象形文字」など、以上の6章からなる。
著者は、上記のような日本人と漢字の交わりを歴史的、実証的に紐解きながら、IT化の進む現代における日本語または記号文字としての「象形文字」の多様化、正確には絵文字や顔文字に代表される表意化について江戸時代に起源を求めつつ、必ずしも通り一遍の批判や懸念を主張するのではなくて、かかる変遷も一応肯定的に観ている(258〜260頁)。その反面で、日本人の『漢字』または文字に対する自由な意味付けないし創出が「消化不良」を起こす懸念、「幅広い観察と思考による論理性、余剰性や感受性を失い、直感的なイメージ」(263頁)のみに依る多様化には、日本の『漢字』文化(日本の心)を喪失する懸念を吐露している。日本人の漢字(文字)に対する歴史的民族性(独自の意味付け、創出、工夫など)を積極的に評価する一方、示唆的で興味深い論考となっている。
個人的に興味を惹いたのは、在日ニュージーランド大使館が募集した自国の漢字名(“英・米”のような1文字)を、一旦は「乳」と決定しつつも本国政府からの“待った!”の掛かったエピソード(42〜43頁)、「粁」と「糎」の会意性(45頁)、「やまと」の熟字訓の史料に観る諸例(78〜94頁)、誤字の実例(118〜136頁)などは、なかなかに面白い。また長すぎる地名(186頁)、珍しい名字や明治維新時の名字作成経緯や命名(4章後半)なども意外性があって興味深い。ただ著者と感覚的な相違を覚えたのが、「卵」と「玉子」の用例がある。著者は「卵」について「生々しさが感じられ、生物のタマゴを想起」(143頁)させると言う。私個人的にはそうしたイメージは殆ど感じられないが、他方著者が作家のこだわりとして「よりそれらしく書きたいといった」(167〜168頁)動機に依るものと観る「身區」(※注)や「躰」の方が、私には「身体」よりも生物学的なイメージが強い。全体に『漢字』の用例や意義の歴史を実証的、分析的に解説しつつ、統計データ等による珍しい名字や地名、名前、現代の絵文字や顔文字まで対象とする幅広いトピックは読み応えのある一冊と言える。
※「躯」の正字で、“身”偏に“區”旁の文字フォントが正しく表示されないので、便宜的に「身區」と2字を使用している。