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脳内現象 (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2004/6/24
- 本の長さ245ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日2004/6/24
- ISBN-10414091002X
- ISBN-13978-4140910023
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2004/6/24)
- 発売日 : 2004/6/24
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 245ページ
- ISBN-10 : 414091002X
- ISBN-13 : 978-4140910023
- Amazon 売れ筋ランキング: - 827,230位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,215位医学
- カスタマーレビュー:
著者について
1947年、東京生まれ。生物学者。東京教育大学理学部生物学科卒、東京都立大学大学院理学研究科博士課程生物学専攻単位取得満期退学、理学博士。山梨大学教育人間科学部教授を経て、現在、早稲田大学国際教養学部教授、山梨大学名誉教授。専門の生物学分野のみならず、科学哲学、環境問題、生き方論など、幅広い分野に関する60冊以上の著書を持ち、フジテレビ系「ホンマでっか! ?TV」にも出演する等、テレビ、新聞、雑誌等でも活躍している。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『人間、このタガの外れた生き物 (ISBN-10: 458412406X)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
1962年、東京生まれ。脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、慶應義塾大学特別研究教授。東京大学理学部、法学部卒業後、 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。専門は脳科学、認知科学。2005年、『脳と仮 想』で、第4回小林秀雄賞を受賞。2009年、『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 15歳の寺子屋 ひとり遊びのススメ (ISBN-13: 978-4062162678 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2 フジTVの株式20%以上を買収し、フジ子会社に韓国コンテンツの出版権利を与える
3 放送局を利用したステルス広告を展開
韓国政府が電通&フジと組んで行っていることは、ナチス・ヒトラーのプロパガンダにも匹敵する、立派な犯罪だ。
この脳科学者は、愚かにも、何ひとつ見抜けない。
個人的にはクオリアというものを心の持っている性質・
要素という風に理解していたので、
今回のこの本で「クオリアは私秘的な<私>という視点からしか
存在しない」と強く強調されているのを読んで、
意外な感じがしたと同時に、
より精密で新しい議論の段階に踏み込んできたという
印象を受けました。
「ホムンクルスを取り戻せ」という視点は、
すでに「脳とコンピューターはどう違うか」で少し
ほのめかされていましが、
この部分がやはり一番異論を呼ぶ重大な主張になっていると
思います。
正直に言うと、ここで書かれている「小さな神の視点」を
経由する「メタ認知」という説明では、
多くの人は納得に至らないだろうと思いますし、
僕自身もそこでホムンクルスの無限後退が収まるという
はっきりした確信は持てませんでした。
ただ、主観的な経験に即して考えると、
やはり自分自身についての認識というクオリアは厳然としてあるので、
そうした経験的な事実を重視する立場から
そういう思考の道筋に至っているのかもしれません。
買うのは無駄遣い。
『心を生みだす能のシステム』のほうがずっとよくできている。
クオリアについては、黒川伊保子『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』の方が遙かによくわかるし、
脳内現象については池谷裕二『進化しすぎた脳』山本貴光・吉川浩満『心脳問題』の方がいい。
あと、古典的だけど、時実利彦さんの『脳と人間』のほうがおすすめ。
脳と心のメカニズムについては渡辺雅幸『こころの病に効く薬』の法が科学的だしね。
とにかく、この本は読む価値はほとんどなしだね。
「誤認識問題」というのがある。太郎君がお菓子を箱の中に入れて部屋を出る。お母さんが箱の中のお菓子をたんすの上に隠してしまう。しばらくして、太郎君が部屋に帰ってくる。という映像を見せて、で。太郎君はどうする?っていう質問を被験者にしてみる。ぼくらは、箱の中を見る、ってきちんと答えられるのだけど、4歳以下のこどもは、太郎君の立場にたって考えることが出来ずに、たんすの上を見る、と答える。
この例から分かるのは、4歳くらいまでは、他人と自己っていう感覚が未分化でそれが次第に分節されていくようになるということらしい。確かにそうなのかも。茂木が言うには:
<おそらくは、「心の内容」を処理する領域と、それを誰に「帰属」させるかを処理する領域は異なっており、それらの組み合わせで「誰が」「どのような心的状態にあるのか」という認識が成り立つのだろう。>
ということである。このロジックで、ある心の認知内容を、「わたし」が感じていると処理するようなメタ認知的回路が人間には備わっているのではないかと茂木さんは推理する。
とすると、茂木さんはぜんぜんこんなこと言っていないんだけど、主語なんてはっきりしないのが当たり前で、あんまり主語を言わない日本語って結構脳みそに優しい原語なのかもしれないし、すごく楽しかったり悲しかったりするとき、主語が何なのかよく分からなくなるのも普通のことなのかもしれない。
茂木さんに興味を持ったのは養老先生との共著「スルメを見てイカがわかるか」だった。
そして初めての茂木さんの本(図書館で借りました)、いや~~難しい。
読むのに真剣に(朝の通勤電車ですが)2週間くらいかかりました。
非常に丁寧に繰り返し繰り返し、問題を説明してくれるのですが、おいらの固い
脳みそは中々それを咀嚼できません。
自分なりに理解したことは、1リットルの容積中の1000億の神経細胞という
物質がいかに意識を生み出すか? 「われ思う、ゆえわれ在り」はなぜ分かるの
かでしょうか。
最近の脳科学の進歩で、種々な新発見があるそうですが、根本問題は、意識あるいは
心がなぜ生じるかなのでしょう。これはノーベル賞などの言うレベルでない
凄い問題なんだなと感じました。
現在、茂木さんの本は科学を基礎とした本としては破格の売れ行きで、出る本が
殆ど版を重ねています。
憎しみ、羨望、悲しみなどの感情の本質的原因は科学的に解明出来るのでしょうか。
自分の脳を少し真剣に考えてみたいと思う今日この頃です。
次は茂木さんのどの本を読むべきか。。。。
著者は従来クオリアを
「感覚性クオリア」
「志向性クオリア」
の二つに分類してきましたが、より難しい問題(ハードプロブレム)と自認する「志向性クオリア」を追求した結果、「メタ認知」というシステム論的概念に到達したと思われます。したがって本書は、同著者他書の単なる「水増し」ではなく、著者の新しい研究の方向を提示したものといえましょう。
「システムがシステム自身を認知、制御する」
これが「脳内ホムンクルス=意識」の本質であるという主張は、デカルトの「われ思うゆえにわれあり」の科学的解釈ととることもでき、哲学的にも含蓄があります。
ただ現時点ではまだ「発想」の域を出ていません。今後の構成的研究に期待します。
ただ、形而上であろうが形而下であろうが、いずれも「初めに意識ありき」である。その意味では「意識」に対する「科学的」アプローチはあり得ないのかも知れない。
(「意識」に対してどうアプローチすればいいか、答えはないのだろうか?)
茂木さんも、あまり本を書いたりマスコミに出たりしていると、研究の時間がなくなるのでは…、とちょっと心配だが、きっと、本書の執筆から5年後の今だと、実験データに基づいて、「科学的に」ご自分なりの考えがさらに明確になってきているのではないかと思う。本書の続編の登場を渇望している。
いずれにせよ、2004年までの茂木ワールドがまとめられているという意味では、(私のような)入門者は是非読むべき本であろう。
天才志向もこの著者の特徴だ。p154あたりから、科学は凡庸な営みであるからこそ偉大なのだという「メタ認知」への覚醒が大仰に語られる。そんなこと40過ぎまで分からなかったのかという感じだが、それはいい。問題は、そう言いつつ、著者が語ることがいつもブレークスルーであり、新しい地平であり、デカルトやニュートンやアインシュタインが成し遂げたような知の革命を脳科学にもたらすことである点なのだ。また「小さな神の視点」だの「ホムンクルスの復権」だの、ネーミングがいちいち大げさで、ケレン味たっぷりで、わざと誤解を誘うようなもの。
しかし、茂木の本では、ブレークスルーは決して「訪れない」。新しい地平の必要性の訴えはあっても、地平は「拓けない」。そこにあるのはいつも見せ金であり、煽動でしかない。
今回の本でも、クオリアやメタ認知を機能主義的にでなく解明することこそが最重要課題と言って読者を引っ張りながら、巻末近くにいってバタバタと機能主義的説明に収束していく。ホムンクルス論も所詮は、機能主義的説明の少々の複雑化としか見えない。第1原理の解明はまだ時期尚早だからだそうだが、だったらこんな巻末近くまで引っ張るなよ、と言いたい。
付け加えておくが、茂木の議論はさまざまな哲学談義のごった煮になっている。しかもその混ぜ具合は繊細さを欠き、背後にある古臭い主客図式や主知主義が透けて見える。帯で養老が「今世紀の重要な一冊」などと書いているのは、本気か?