想像的な大衆、マルチチュードという存在を「ユートピア的」であり、期待し過ぎていると批判する意見が多いと思う。
特に経済、政治、文化の行き詰った現代の日本ではそうであろう。
しかし、考えてもみてほしい。
少なくとも我々が生きているうちに世の中が良くなることは無い!
「妥当」で「冷静」な議論など、そもそもありえないのだ。
我々に出来るのは、未来に「希望」を祈り、語り継ぐことだろう。
少なくとも100年〜1000年かそれ以上のスパンで。
<帝国>における思想は、「ユートピア」でしかありえないのでは?
で、これが未来に対する一つの希望の書であることには間違いないのではないか。
妥当性については、これからゆっくり考えれば良いことでは。
あえて、ゆっくりと。
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マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2005/10/30
- ISBN-104140910410
- ISBN-13978-4140910412
- 出版社NHK出版
- 発売日2005/10/30
- 言語日本語
- 本の長さ335ページ
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登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2005/10/30)
- 発売日 : 2005/10/30
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 335ページ
- ISBN-10 : 4140910410
- ISBN-13 : 978-4140910412
- Amazon 売れ筋ランキング: - 200,259位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年12月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マルチチュード という群れの見方が面白くて、各自の行きたい人生を目指して戦うこそ人権の真実かもしれません
2011年9月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、『<帝国>』の続編として書かれ、<帝国>のオルタナティヴとしての「マルチチュード」の可能性について論じるものである。
序「共ある生」では、本書の目的と構成について述べる。現在、「グローバルな民主主義」の可能性が生まれている一方、その可能性が「戦争」によって脅かされている。また、<帝国>という新たな「ネットワーク状の権力」、グローバルな主権形態が出現しつつある一方、その中で「マルチチュード」というオルタナティヴが成長しつつある。マルチチュードとは、概念的にpeople, mass, 労働者階級とは異なる。それは、社会的差異を保持したまま、互いにコミュニケートし、行動する<共>性(common)を持つ、包括的で開かれた概念である。このマルチチュードの「生政治的生産」(「経済的」側面)と、ネットワーク状の組織への移行(「政治的」側面)という2つの特徴は、来るべき民主主義の概念的基盤になるという。
以上のような前提の下、第一部「戦争」では、現在の戦争状態について論じる。
1-1「ジンプリチスム」は、戦争が永続的・全般的現象、<帝国>内での内戦となり、その結果、民主主義の停止が永続化される点。戦争が性権力の一形態となる点。戦争が「人道に反する罪」といった概念を要素とする新しい<帝国>の司法によって正統化されている点などを指摘する。
このような戦争状態において暴力は、<帝国>を維持する暴力とそれを脅かす暴力とに区分できる。
1-2「ネットワーク化する対反乱活動」では前者を、1-3「抵抗の系譜」では後者を取り上げる。そして、現代のネットワーク型の闘争形態に至る抵抗運動とそれを封じ込めようとする対反乱戦略の系譜を辿りつつ、抵抗の形態が変化する際の3原則を主張する。すなわち、1)ある特定の歴史状況における最も効率的な抵抗形態の創出、2)抵抗の形態と社会・経済的生産の組織形態との対応、3)民主主義と自由への欲求、である。
第二部「マルチチュード」では、マルチチュードを主に社会経済的な観点から定義しつつ、形態からその中身へと議論を移し、その(生政治的)生産について論じる。
2-1「<危険な階級>はいかに構成されるか」は、農民、移民、貧者などの労働の搾取の位相学(トポロジー)を示しつつ、非物質的労働が主導的な地位を占め、労働が共性を保持するようになった点を指摘する。
2-2「グローバル資本という身体」は、搾取の空間的分配の地勢学(トポグラフィー)を示しつつ、<帝国>において分業と権力の階層秩序は密接に関係している点を指摘する。
2-3以降は下巻所収のため、ここでは割愛する。
簡単な批評) 第一に、序から分かるように、本書は<帝国>の出現が論理的前提となっている。それゆえに、帝国のオルタナティヴたるマルチチュードの証明に、<帝国>それ自体の証明も含むことになり、ある種の循環論法の体をなしている。あるいは、結論先にありきで、それに見合う様々な議論を引き合いに出しているふしがある。
第二に、何を持って非物質的労働が主導的地位に立ったとするのかについて不明である。著者は、労働の量ではなく、社会全体を変容させるとする質的側面から論じているが、物質的労働もまた主体性の生産、生政治的生産は可能である。そもそも非物質的労働それ自体、物質的労働と同じぐらい歴史性のもった概念かもしれない。それにもかかわらず、世界の一部しか占めない現在の中核の非物質的労働を、大部分の周辺をさしおいて重要視するのはなぜか。ある種のエスノセントリズムが見て取れる。
序「共ある生」では、本書の目的と構成について述べる。現在、「グローバルな民主主義」の可能性が生まれている一方、その可能性が「戦争」によって脅かされている。また、<帝国>という新たな「ネットワーク状の権力」、グローバルな主権形態が出現しつつある一方、その中で「マルチチュード」というオルタナティヴが成長しつつある。マルチチュードとは、概念的にpeople, mass, 労働者階級とは異なる。それは、社会的差異を保持したまま、互いにコミュニケートし、行動する<共>性(common)を持つ、包括的で開かれた概念である。このマルチチュードの「生政治的生産」(「経済的」側面)と、ネットワーク状の組織への移行(「政治的」側面)という2つの特徴は、来るべき民主主義の概念的基盤になるという。
以上のような前提の下、第一部「戦争」では、現在の戦争状態について論じる。
1-1「ジンプリチスム」は、戦争が永続的・全般的現象、<帝国>内での内戦となり、その結果、民主主義の停止が永続化される点。戦争が性権力の一形態となる点。戦争が「人道に反する罪」といった概念を要素とする新しい<帝国>の司法によって正統化されている点などを指摘する。
このような戦争状態において暴力は、<帝国>を維持する暴力とそれを脅かす暴力とに区分できる。
1-2「ネットワーク化する対反乱活動」では前者を、1-3「抵抗の系譜」では後者を取り上げる。そして、現代のネットワーク型の闘争形態に至る抵抗運動とそれを封じ込めようとする対反乱戦略の系譜を辿りつつ、抵抗の形態が変化する際の3原則を主張する。すなわち、1)ある特定の歴史状況における最も効率的な抵抗形態の創出、2)抵抗の形態と社会・経済的生産の組織形態との対応、3)民主主義と自由への欲求、である。
第二部「マルチチュード」では、マルチチュードを主に社会経済的な観点から定義しつつ、形態からその中身へと議論を移し、その(生政治的)生産について論じる。
2-1「<危険な階級>はいかに構成されるか」は、農民、移民、貧者などの労働の搾取の位相学(トポロジー)を示しつつ、非物質的労働が主導的な地位を占め、労働が共性を保持するようになった点を指摘する。
2-2「グローバル資本という身体」は、搾取の空間的分配の地勢学(トポグラフィー)を示しつつ、<帝国>において分業と権力の階層秩序は密接に関係している点を指摘する。
2-3以降は下巻所収のため、ここでは割愛する。
簡単な批評) 第一に、序から分かるように、本書は<帝国>の出現が論理的前提となっている。それゆえに、帝国のオルタナティヴたるマルチチュードの証明に、<帝国>それ自体の証明も含むことになり、ある種の循環論法の体をなしている。あるいは、結論先にありきで、それに見合う様々な議論を引き合いに出しているふしがある。
第二に、何を持って非物質的労働が主導的地位に立ったとするのかについて不明である。著者は、労働の量ではなく、社会全体を変容させるとする質的側面から論じているが、物質的労働もまた主体性の生産、生政治的生産は可能である。そもそも非物質的労働それ自体、物質的労働と同じぐらい歴史性のもった概念かもしれない。それにもかかわらず、世界の一部しか占めない現在の中核の非物質的労働を、大部分の周辺をさしおいて重要視するのはなぜか。ある種のエスノセントリズムが見て取れる。
2014年1月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本屋さんでマルチチュードという言葉を見て気になっていたので検索したらこちらの商品が出てきましたので購入しました。
教養の一つとしてとても勉強になりました。
教養の一つとしてとても勉強になりました。
2015年3月7日に日本でレビュー済み
アントニオ・ネグリが「帝国」の続編として書いた上下巻。
微妙だけど「帝国」よりは分かりやすい気がする。
帝国に対抗する存在となるマルチチュード。それは多様性を保ったままの集まりというようなものらしい。
帝国のようなグローバリズムに対抗するのは小さなローカルではなく、多様性を持った色々な存在や活動の集合体なのだと思う。それはある意味でとてもグローバルにつながっている。
よくは分からないけど、何か大事なことが書いてある。大事な概念のような気がする。それがマルチチュードなのだと思う。
微妙だけど「帝国」よりは分かりやすい気がする。
帝国に対抗する存在となるマルチチュード。それは多様性を保ったままの集まりというようなものらしい。
帝国のようなグローバリズムに対抗するのは小さなローカルではなく、多様性を持った色々な存在や活動の集合体なのだと思う。それはある意味でとてもグローバルにつながっている。
よくは分からないけど、何か大事なことが書いてある。大事な概念のような気がする。それがマルチチュードなのだと思う。
2005年12月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ネグリ/ハートは、マルチチュードによる生産的な<協働>(cooperation)を呼びかけている。マルチチュードは、一種の<抽象機械>として、潜在的なレベルで触発・強化し合う個々人の多様な力のネットワークとしてとらえられている。もちろんこれは、それ自体としては、<帝国>と同様、発明された哲学的概念にとどまる。マルチチュードは、<帝国>と呼ばれるネットワーク的権力そのものの土台を自らの構成的な力によって生み出してきた。同時にそれは、この<帝国>が構成する生権力の網の目に組み込まれた我々自身の生存でもある。マルチチュードと<帝国>とは、コインの裏表の関係にある。ネグリ/ハートによれば、現在、我々の生存それ自身が、グローバル資本主義そのものを構成する力として登場している。
「<帝国>的管理(imperial control)」は、我々の生存における無数の差異を階層序列化しコントロールするという機能を持っている。生活のあらゆる場面で階層序列化されるなかで、個々人は分断され、個々人の協働があらかじめ阻止される。
では、こうした<帝国>の機能に対抗するマルチチュードの協働はどのようなものなのか。これがネグリ/ハートによって提起された課題である。ネグリ/ハートは、私たちのそれぞれが、自らの実践によって課題に応えていくことを求めているということ、これがポイントだ。
ジジェクの批判など重要な批判があり、今後考えていくべき点が多々あるが、上述のように、ネグリ/ハートが希求しているのは、そういった批判が、私たち一人ひとりが構成する生政治による生権力の内在的な乗り超えであるということだ。
「<帝国>的管理(imperial control)」は、我々の生存における無数の差異を階層序列化しコントロールするという機能を持っている。生活のあらゆる場面で階層序列化されるなかで、個々人は分断され、個々人の協働があらかじめ阻止される。
では、こうした<帝国>の機能に対抗するマルチチュードの協働はどのようなものなのか。これがネグリ/ハートによって提起された課題である。ネグリ/ハートは、私たちのそれぞれが、自らの実践によって課題に応えていくことを求めているということ、これがポイントだ。
ジジェクの批判など重要な批判があり、今後考えていくべき点が多々あるが、上述のように、ネグリ/ハートが希求しているのは、そういった批判が、私たち一人ひとりが構成する生政治による生権力の内在的な乗り超えであるということだ。
2006年2月19日に日本でレビュー済み
この『マルチチュード』と、同じ著者による『帝国』が、どのような関係にあるのか把握することが、まるでジグゾーパズルのように細かいピースを組み合わせて成立しているこの本を理解するには必要だ。著者は、現代をポスト近代の夜明けと捉えている。前著『帝国』では新しいグローバルな主権形態について語り、一方、この本では新たに台頭してきた階級であるマルチチュードとは何かを明らかにしようとしている。それはまた、近代の夜明けに、トマス・ホッブスが新興ブルジョワジーという階級について著した『市民論』、主権形態について述べた『リヴァイアサン』に対応しているとのこと。このような大きな構想の枠組みの中で論じられるテーマ(パズルのピース)を一緒に考えることで、読者各々が何かヒントを得られると思う。
2012年1月8日に日本でレビュー済み
難しい本だった(普段このような本は読まないので)。
論理的には理解が浅いが、感覚的にはとてもよく理解できる本だった。
この書籍は2004年に書かれたもので、「アラブの春」はまだ起こっていない。それなのに、マルチチュードのうねりとしての「アラブの春」を感じずにはいられない。
チュニジアでは無事に選挙が行われて、新たな政府が樹立した。本書を読むまでは西洋型の政府(もちろんイスラムとしての基盤が含まれている)が樹立する以外には考えられなかったが、マルチチュードとうまくつきあうことのできる政治が行われる可能性を期待できる。どうなるかを関心を持ってみていきたい。
その他として
・テロ型の新しい戦争にアメリカが疲弊することの予言
・自爆テロは<帝国>に対抗する力として存在する
といったことは面白い考えだと思った。
論理的には理解が浅いが、感覚的にはとてもよく理解できる本だった。
この書籍は2004年に書かれたもので、「アラブの春」はまだ起こっていない。それなのに、マルチチュードのうねりとしての「アラブの春」を感じずにはいられない。
チュニジアでは無事に選挙が行われて、新たな政府が樹立した。本書を読むまでは西洋型の政府(もちろんイスラムとしての基盤が含まれている)が樹立する以外には考えられなかったが、マルチチュードとうまくつきあうことのできる政治が行われる可能性を期待できる。どうなるかを関心を持ってみていきたい。
その他として
・テロ型の新しい戦争にアメリカが疲弊することの予言
・自爆テロは<帝国>に対抗する力として存在する
といったことは面白い考えだと思った。