ウェブ社会の思想と宿命
人間:宿命に彩られる生
ユビキタス―個人情報管理型の社会
バーチャル―越境する電子マネー
記憶と記録―データ化されるわたし
宿命と成長―島宇宙の外を生きられるか。
社会―民主主義の困難を超えて
共同性とマスメディア―偏向報道批判の背景
民主主義―グーグルが描く未来像
宿命と成長―関係へと開かれる生。
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ウェブ社会の思想 〈遍在する私〉をどう生きるか (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2007/5/26
鈴木 謙介
(著)
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- ISBN-104140910844
- ISBN-13978-4140910849
- 出版社NHK出版
- 発売日2007/5/26
- 言語日本語
- 本の長さ265ページ
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登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2007/5/26)
- 発売日 : 2007/5/26
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 265ページ
- ISBN-10 : 4140910844
- ISBN-13 : 978-4140910849
- Amazon 売れ筋ランキング: - 877,383位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2007年9月25日に日本でレビュー済み
「希望」を提示したかったという、熱いチャーリー兄貴の本!最高だぜ!
本書では、執拗に「個人」が持つ観念的な視点からウェブ社会を解説しようと試みている。考えてみればウェブ世界は「ボトムアップ」「トップダウン」といった今までのヒエラルキーが適用しづらい網目状のアメーバ世界になっており、さらに罵詈雑言でひしめき合っているウェブ社会に秩序、知恵を生み出そうとする民主主義の設計者(アーキテクチャー)もまた個人であり、彼もまた他のアーキテクチャーの構成員であるという輪廻のような現状をふまえると、我々は一体誰に突き動かされているのだ。誰に導かれているのだ。そもそも「私」はだれなんだ。といった本書で展開されるような極私的な「私」論に発展していくのは必然の流れであるといえる。
ちなみに本書は、ウェブを巡る様々な主張、思想についてまんべんなく切り貼りされているので、ネット関係の論文を書くうえで非常に便利。気になったトピックがあれば拾い上げ、その事柄について違う本を読むといったネタ帳に使える。
本書では、執拗に「個人」が持つ観念的な視点からウェブ社会を解説しようと試みている。考えてみればウェブ世界は「ボトムアップ」「トップダウン」といった今までのヒエラルキーが適用しづらい網目状のアメーバ世界になっており、さらに罵詈雑言でひしめき合っているウェブ社会に秩序、知恵を生み出そうとする民主主義の設計者(アーキテクチャー)もまた個人であり、彼もまた他のアーキテクチャーの構成員であるという輪廻のような現状をふまえると、我々は一体誰に突き動かされているのだ。誰に導かれているのだ。そもそも「私」はだれなんだ。といった本書で展開されるような極私的な「私」論に発展していくのは必然の流れであるといえる。
ちなみに本書は、ウェブを巡る様々な主張、思想についてまんべんなく切り貼りされているので、ネット関係の論文を書くうえで非常に便利。気になったトピックがあれば拾い上げ、その事柄について違う本を読むといったネタ帳に使える。
2007年6月1日に日本でレビュー済み
ベタに言えば”ちょっと救われる”
〈遍在する私〉をどう生きるか
という問いに対して、
現代の日本思想を主にアンソニー・ギデンズを引用し分析している。
ユキピタス社会に対する問題を弁証法的になんとか希望を見出そうと
もがいている感が文章からひしひしと伝わってくる。
リバタリアン+データベース超OK的な現状ってこれでいいの?
なんかむかつく。
でも諦めて流されないといけないのかなぁ?
”イキニクイ”、”クルシイ”
でも鈴木さんならこの”イキニクイ”、”クルシイ”を解決する処方箋
を与えてくれるかも知れないと期待しまくりな僕はルサンチマン('Д` )?!
ちゅーことで再読してみたけど、
すこし私の実存とはずれるかなぁ?
知識の再配分的で諦めたくない気持ちはわからなくもないけど、
やっぱなんだか違うかなぁ・・・。
階級社会はやっぱあってしかるべきなんじゃないかなぁ?
〈遍在する私〉をどう生きるか
という問いに対して、
現代の日本思想を主にアンソニー・ギデンズを引用し分析している。
ユキピタス社会に対する問題を弁証法的になんとか希望を見出そうと
もがいている感が文章からひしひしと伝わってくる。
リバタリアン+データベース超OK的な現状ってこれでいいの?
なんかむかつく。
でも諦めて流されないといけないのかなぁ?
”イキニクイ”、”クルシイ”
でも鈴木さんならこの”イキニクイ”、”クルシイ”を解決する処方箋
を与えてくれるかも知れないと期待しまくりな僕はルサンチマン('Д` )?!
ちゅーことで再読してみたけど、
すこし私の実存とはずれるかなぁ?
知識の再配分的で諦めたくない気持ちはわからなくもないけど、
やっぱなんだか違うかなぁ・・・。
階級社会はやっぱあってしかるべきなんじゃないかなぁ?
2007年6月22日に日本でレビュー済み
北田氏、東氏の類するものを読んでいれば別段読む必要はないが、いずれも読んだことがないというような人は話の種に読んでおくという分には損にならないかもしれないという本です。
そもそもメディア不信の原因について、「ネトウヨが〜」とか「大きな物語から小さな物語へ〜」とか言うことにどんな意味があるのでしょう。メディア不信=メディアリテラシーが高まった証拠に過ぎないことは、別段、隠された真実が探しだされたというようなご大層な話ではありません(ましてや真実が結局真実たる証拠はうんぬんかんぬんといった悪しきポモ的話ではないです)。単に、当該メディアの報道内容(過去含む)・姿勢そのもののデータベースがウェブ上に蓄積されただけのことです。
そもそもメディア不信の原因について、「ネトウヨが〜」とか「大きな物語から小さな物語へ〜」とか言うことにどんな意味があるのでしょう。メディア不信=メディアリテラシーが高まった証拠に過ぎないことは、別段、隠された真実が探しだされたというようなご大層な話ではありません(ましてや真実が結局真実たる証拠はうんぬんかんぬんといった悪しきポモ的話ではないです)。単に、当該メディアの報道内容(過去含む)・姿勢そのもののデータベースがウェブ上に蓄積されただけのことです。
2008年2月21日に日本でレビュー済み
インターネットが普及し、ウェブ上で情報をやり取りすることが当たり前になったこの社会では、人々の生活がどのように変化するかを展望する書。
技術的な側面から観察した実際的な生活の変容を考察するのではなく、
環境の変化に伴って発生する人々の意識の変化を考察しているのが特徴。
著者は、いつでもどこでもウェブの世界に接続可能になるという現在のウェブ社会の潮流を観察することで、バーチャルな「私」が私自身の意志や欲望を先行するかたちで現出するという現象を捉える。
これを以って、ウェブに接続されることで、我々の未来の可能性が閉じられていくことを懸念するのが本書の問題意識である。
この指摘はまさに、「大きな物語」が失墜したポストモダンな社会を我々はいかに生きるべきか、という重要な問いかけを含んでいる。
そうでありながら、最終的にこの問いかけの着地点を、社会性へ回収するところに設置しており、
前期近代以前のあまりに凡庸なモダニズムの視点で締めくくられてしまっている。
ウェブに関する社会学的評論に、とかく当人の個人的期待や反感を反映した論調が多い中で、本書は冷静な筆致であることは評価できる。
冷静ではあるが、予定調和的な価値基準によるその視点は、
価値基準の流動化しているウェブ社会を批評するにはあまりに凡庸すぎる。
技術的な側面から観察した実際的な生活の変容を考察するのではなく、
環境の変化に伴って発生する人々の意識の変化を考察しているのが特徴。
著者は、いつでもどこでもウェブの世界に接続可能になるという現在のウェブ社会の潮流を観察することで、バーチャルな「私」が私自身の意志や欲望を先行するかたちで現出するという現象を捉える。
これを以って、ウェブに接続されることで、我々の未来の可能性が閉じられていくことを懸念するのが本書の問題意識である。
この指摘はまさに、「大きな物語」が失墜したポストモダンな社会を我々はいかに生きるべきか、という重要な問いかけを含んでいる。
そうでありながら、最終的にこの問いかけの着地点を、社会性へ回収するところに設置しており、
前期近代以前のあまりに凡庸なモダニズムの視点で締めくくられてしまっている。
ウェブに関する社会学的評論に、とかく当人の個人的期待や反感を反映した論調が多い中で、本書は冷静な筆致であることは評価できる。
冷静ではあるが、予定調和的な価値基準によるその視点は、
価値基準の流動化しているウェブ社会を批評するにはあまりに凡庸すぎる。
2008年7月7日に日本でレビュー済み
情報化社会における「宿命」の前景化、を中心に扱った本です。個人情報の蓄積(「情報としてのわたし」)が、わたしを先回りして立ち現れるようになり、未来の選択が宿命のように前もって決められていた事柄として受け取られるという点に注目しています。
ただ、レコメンド・システムで「宿命」を語るのはいかがなものでしょうか。グーグル化で話題の某勝間氏などは、宿命を加速している(!)ことになります。ウェブ社会と宿命を結びつけるのは強引過ぎるとの印象を持ちました。
宿命論については、マンガや小説の作品論の側面が大きく、文学的主題としての宿命論になっているような気がします。
ウェブ社会についての記述は興味深い点が多く、一読の価値は大いにあると思います。しかし、宿命論につながる際の落差が大きく、興味が途切れてしまい読むのに時間がかかりました。
ただ、レコメンド・システムで「宿命」を語るのはいかがなものでしょうか。グーグル化で話題の某勝間氏などは、宿命を加速している(!)ことになります。ウェブ社会と宿命を結びつけるのは強引過ぎるとの印象を持ちました。
宿命論については、マンガや小説の作品論の側面が大きく、文学的主題としての宿命論になっているような気がします。
ウェブ社会についての記述は興味深い点が多く、一読の価値は大いにあると思います。しかし、宿命論につながる際の落差が大きく、興味が途切れてしまい読むのに時間がかかりました。
2007年12月5日に日本でレビュー済み
本書は、インターネットを切り口とした現代社会批評という比較的ソフトな部分と、ネット社会に対応した新しい社会・政治思想の構築というハードな議論を展開した部分という二つの「顔」を持っている。
その意味で特に興味深かったのは、ネット社会における民主的な意思決定のあり方を論じたくだりだ。この点について著者は、参加する人々が「民主的」で「正しい」意思決定を行わざるを得ないように誘導するようなアーキテクチャーを設計するべきだという「工学的民主主義」と、そのような意図的な誘導を行わず、グーグルの検索システムのように意思決定にかかわる母数を大きくすることで「みんなの意見は案外正しい」という結果が自然に生じることを期待する「数学的民主主義」という二つの方向性を示している。これは最先端のテクノロジーから生まれてきた議論のようにみえて、実は古典的な「積極的自由」と「消極的自由」の対立を受け継いものだ、という説明は大変興味深い。一時期ネット上で話題になったいわゆる「ネットイナゴ」とそれへの対処法をめぐる議論も、この枠組みによってかなりの程度うまくとらえられるのではないだろうか。
それにしても、本書で取り上げられているレッシグにせよ、サンスティーンにせよ、かの地ではこういう問題について考えることが憲法学者の仕事の一つになっているらしいということには、改めて考えさせられる。
その意味で特に興味深かったのは、ネット社会における民主的な意思決定のあり方を論じたくだりだ。この点について著者は、参加する人々が「民主的」で「正しい」意思決定を行わざるを得ないように誘導するようなアーキテクチャーを設計するべきだという「工学的民主主義」と、そのような意図的な誘導を行わず、グーグルの検索システムのように意思決定にかかわる母数を大きくすることで「みんなの意見は案外正しい」という結果が自然に生じることを期待する「数学的民主主義」という二つの方向性を示している。これは最先端のテクノロジーから生まれてきた議論のようにみえて、実は古典的な「積極的自由」と「消極的自由」の対立を受け継いものだ、という説明は大変興味深い。一時期ネット上で話題になったいわゆる「ネットイナゴ」とそれへの対処法をめぐる議論も、この枠組みによってかなりの程度うまくとらえられるのではないだろうか。
それにしても、本書で取り上げられているレッシグにせよ、サンスティーンにせよ、かの地ではこういう問題について考えることが憲法学者の仕事の一つになっているらしいということには、改めて考えさせられる。
2007年7月14日に日本でレビュー済み
著者の話では、情報化によって人々の「記憶」は「記録」に入れ替わり、次第に人々はおのおのが見つけ出した「事実」によって作られた、「セカイ」の中に閉じこもるようになる。それを打ち破るには、予定調和の中にない「他者」との関係性が必要である、と。しかしその関係性を作り出すような公共性はいったいどこにあるのか。
著者は、その予定調和に無い他者との関係を作るフックを、持続的な「時間」に求めている。データベースからの「事実」の引き出しによって、いかなる「セカイ」が構築可能なフラットな社会になったとしても、それまで積み重ねてきた「時間」の持続性はかならず固有性を持っている、と。
だがこの持続的な時間がどう関係性を作り出すフックになるのか疑問。今のところそうした「時間」の差異をも、データベースが埋め合わせてるのではないか。確かにそれでは「時間によって生じた差異」は埋めれても、「時間」そのものの差異を埋めることは出来ないかもしれない。だが今データベースから「事実」を引き出して「セカイ」を作ることになっている人々に対し、どうやって「時間」の差異を見ろと言えるのか。結論部分の具体性にかけたのが残念。
著者は、その予定調和に無い他者との関係を作るフックを、持続的な「時間」に求めている。データベースからの「事実」の引き出しによって、いかなる「セカイ」が構築可能なフラットな社会になったとしても、それまで積み重ねてきた「時間」の持続性はかならず固有性を持っている、と。
だがこの持続的な時間がどう関係性を作り出すフックになるのか疑問。今のところそうした「時間」の差異をも、データベースが埋め合わせてるのではないか。確かにそれでは「時間によって生じた差異」は埋めれても、「時間」そのものの差異を埋めることは出来ないかもしれない。だが今データベースから「事実」を引き出して「セカイ」を作ることになっている人々に対し、どうやって「時間」の差異を見ろと言えるのか。結論部分の具体性にかけたのが残念。