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〈性〉と日本語: ことばがつくる女と男 (NHKブックス 1096) 単行本 – 2007/10/1
中村 桃子
(著)
少女はなぜ自分を「ぼく」と呼ぶのか。
ことばとアイデンティティの関係に迫る画期的日本語論!
- ISBN-104140910968
- ISBN-13978-4140910962
- 出版社NHK出版
- 発売日2007/10/1
- 言語日本語
- 本の長さ252ページ
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商品の説明
出版社からのコメント
日本語を主体的に用いるために!
「おれ/あたし/ぼく」などの自称詞から「~ぜ/よ/だ」の文末詞まで、日本語には性が刻まれている。
一見、自然な言葉づかいに思える「女/男ことば」が、性についての規範と結びついてきたことを歴史的に示し、ファッション誌のコピーや翻訳小説の文体などにも、性の刻印が時代変化に即して捺されていることを、明らかにする。
「乱れ」を批判される若者たちなどの"ずれた言語行為"に、多様な自分らしさを表現するための創造的な試みを見いだし、開かれた日本語の伝統づくりへの道筋を示す、野心的日本語論!
著者について
中村桃子(なかむら・ももこ)●1955年東京都生まれ。上智大学大学院外国語学研究科言語学専攻博士課程前期修了。関東学院大学助教授、ブリティッシュコロンビア州立大学客員研究員などを経て、現在、関東学院大学教授。専攻は言語学。メディア論的な視点も踏まえながら、言語とジェンダーのかかわりをさぐる。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2007/10/1)
- 発売日 : 2007/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 252ページ
- ISBN-10 : 4140910968
- ISBN-13 : 978-4140910962
- Amazon 売れ筋ランキング: - 181,278位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 803位日本語研究
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2020年4月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一般の人、また言語学を専攻する学生にも読んでもらいたい本です。大変おすすめです。
2008年1月29日に日本でレビュー済み
本書は日本語を従来とは全く異なる視点で、自由で豊かな日本語の姿を描き出している。それは、私たちは「ことば」を資源として利用することで、創造的なさまざまな人間として立ち現れているという視点である。
その視点は、次のようななものである。
(1)日本語をセクシュアリティーの側面から見る視点。特に、ジェンダーとセクシュアリティーのねじれた絡み合いが、日本語にどう影響しているか。つまり、日本語の語彙や使用法には、「人間は男か女のいずれかである(男中心、女例外)」という異性愛規範が深く埋められているということである。
(2)日本語を消費社会の側面から見る視点。経済の変動に伴って私たちのアイデンティティが変化している。2007年には、なんと男性雑誌にも「着まわし」が登場している。男性ファッションに起こった変化から「男らしさ」に注目する。
(3)日本語には、特定の集団に特権を与えているイデオロギーとしての側面。セクシュアリティと資本主義から見ても日本語は異性愛者や消費者に特権を与えている。
(4)イデオロギーとしての日本語という視点。正しい日本語に縛られた息苦しい状況を打開する具体的方策を提案している。専門家の意見を無批判に受け容れるのを止めること。私たち自身が言葉づかいに関する「メタ言説metapragmatics」を発信する。言葉に対する昔ながらの「常識」に問いを発する。
日本語は、長い歴史の中で育まれてきた豊かな言語であるが、正しさとは別の観点から見るという視点である。「正しい日本語」という呪縛から解放されて、もっと新しい日本語観はないものかを模索している注目の一書である。
その視点は、次のようななものである。
(1)日本語をセクシュアリティーの側面から見る視点。特に、ジェンダーとセクシュアリティーのねじれた絡み合いが、日本語にどう影響しているか。つまり、日本語の語彙や使用法には、「人間は男か女のいずれかである(男中心、女例外)」という異性愛規範が深く埋められているということである。
(2)日本語を消費社会の側面から見る視点。経済の変動に伴って私たちのアイデンティティが変化している。2007年には、なんと男性雑誌にも「着まわし」が登場している。男性ファッションに起こった変化から「男らしさ」に注目する。
(3)日本語には、特定の集団に特権を与えているイデオロギーとしての側面。セクシュアリティと資本主義から見ても日本語は異性愛者や消費者に特権を与えている。
(4)イデオロギーとしての日本語という視点。正しい日本語に縛られた息苦しい状況を打開する具体的方策を提案している。専門家の意見を無批判に受け容れるのを止めること。私たち自身が言葉づかいに関する「メタ言説metapragmatics」を発信する。言葉に対する昔ながらの「常識」に問いを発する。
日本語は、長い歴史の中で育まれてきた豊かな言語であるが、正しさとは別の観点から見るという視点である。「正しい日本語」という呪縛から解放されて、もっと新しい日本語観はないものかを模索している注目の一書である。