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暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2007/12/21
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霊長類の争いと共存の姿に迫る。
- ISBN-104140910992
- ISBN-13978-4140910993
- 出版社NHK出版
- 発売日2007/12/21
- 言語日本語
- 本の長さ244ページ
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商品の説明
出版社からのコメント
私たち人類は、争いの火種もその解消の術も、霊長類として進化する中で獲得してきた。
6500万年前にこの地上に登場した霊長類。彼らは<食>と<性>をめぐる争いを、それぞれの社会性をもって回避してきたのだ。
それを受け継ぐ人類は、家族という独自の社会を得るに至る。
屋久島のニホンザルやコンゴ民主共和国のゴリラをはじめ、世界中の霊長類の姿を最新の研究成果から明らかにし、人類の社会性の起源に迫る!
著者について
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2007/12/21)
- 発売日 : 2007/12/21
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 244ページ
- ISBN-10 : 4140910992
- ISBN-13 : 978-4140910993
- Amazon 売れ筋ランキング: - 209,209位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 70位サル・人類学
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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前々から人類の現状を理解するのに経済学や哲学、人類学、歴史学だけでは割り切れないものを感じていた。それが動物としての人間を行動学や生態学の視点で猿と同じように考える事である事に気づく。果たして現在の人類の本質はアフリカのサバンナでの二足歩行から始まる進化の走り初めから変わり得たのか。文明という「修飾物」を剥がしていくとそこに見えてくるものがあるし、未来の解決策を探すきっかけになればと願う。良書である。
個人的に最も興味深いと感じたのは、チンパンジーとボノボはほぼ同じDNA構造を持っているにも関わらず、チンパンジーは子殺しに代表されるような残虐性を持つのに対し、ボノボは子殺しが見られず、それどころか血縁の無い子供を群れに迎えるような真逆の側面を持つ点です。本書では、この差異の理由を以下のように説明しています。一般的に類人猿は3-5年という長い授乳期間を持っており、授乳期間は普通発情も妊娠もしないため、群れに複数のメスがいても発情しているメスの数は少なく、それゆえ発情しているメスを巡る競合が激しく、オス同士が激しく争う。しかしボノボのメスは授乳が始まってから1年もすると発情を開始するため、他の類人猿よりも発情期間が長く、発情しているオスを巡るオスの競合が激しくない。この結果、チンパンジーもボノボも父性の複雄複雌社会を形成しているにも関わらず、チンパンジーは優位なオスがメスを独占する傾向があり、テリトリー争いや子殺しに代表される争いが散見される一方で、ボノボはオスがメスを独占することができず乱交状態になるため、メスを巡る争いが発生しずらく、むしろ協調的な行動がみられるとのことです。
最後に、個人的にとても興味深いと感じた一説を、備忘録がてら紹介します。我々は恐らく、「暴力的なもの」という見た目だけでその種を判断するのではなく、「暴力」に見えるものの先にあるその行動原理・葛藤をまず理解しなければならないのでしょう。
----------------------------------------(引用始まり)----------------------------------------
現代の生態学や行動学では、異なる種と種の間の争いと、同じ種内の争いとは違う性質をもっていることは常識である。肉食獣のライオンやオオカミが獲物を狙うのは、食欲から発する行動である。同種の仲間を攻撃するのは、テリトリーをめぐる争いだったり、交尾相手をめぐる葛藤が原因だったりする。獲物を狙うのと同じ方法で同種の仲間を攻撃することはない。獲物は効率よく仕留めることが大事だが、同種の仲間を殺すまで攻撃する必要はない。争いが起こった原因を取り除くか、自己主張を相手に認めさせることが目的だからである。そのため、同種の仲間に対する攻撃には、相手が納得すれば攻撃が抑えられるようなルールがある。
(中略)
同種の動物どうしの争いは、相手を抹殺することではなく、限りある資源をめぐっていかに相手と共存するかを模索することにあるのだ。では、その限りある資源とは何だろうか。動物たちにとって、それは食物と交尾をする相手である。自らの生命を維持し、子孫を残すために、動物たちは争いを起こす。
----------------------------------------(引用終わり)----------------------------------------
様々な霊長類種を比較し、その中でのヒトの位置付けから我々人間の性質を評価するという考え方は説得力があり、納得させられました。教科書的な文章であるため、少々かたく感じる方もいるかもしれません。
最強にいい記事が満載だ。
素晴らしい。暴力とは何なのかを考えさせられる。(適当
如何せん霊長類の種の特性にページが割かれすぎていて、単純に読み物としてはあまり面白くはないです。
この辺は図解などしてもらった方が分かりやすかったかと、、、
他の方の言う通り、タイトルの「(人間の)暴力はどこからきたか」という部分を充実させてほしかったです。
既に誤りと証明された過去の学説についてそこまで説明する必要もなかったと思います。
映画(キング・コングや2001年宇宙の旅)を交えた説明は面白かったですが。
また、著者はあくまで霊長類学者であるため、人間の暴力そのものについてはそこまで詳細にかかれていません。
私は人間の暴力についての理解がまだ深くないため、著者の説には完全に納得できませんでした。
以上によりタイトルはやや誇張、「霊長類における暴力とは」ぐらいが妥当だと思います。
「殺人は、人類の獣性本能の帰結である。よって、戦争は人間の本能行動であり、無くなることはない」
とっても厄介なのは、この戦争本能説が中国や北朝鮮脅威論、果ては9条改憲の根拠のひとつになり、我々の未来をも左右しているということだ。
よって、我々はこういう言説と厳密に相対峙し、批判的に検討し、自らの態度を決定しなくてはいけない。それが現代人としての、大袈裟にいえば務めだと思う。検討すべき問題は三つあるのではないか?
(1)動物が同族同種を殺した場合、それは本能なのか?
(2)チンパンジーやゴリラなどの霊長類と、我々人類は何処が似ていて、何処が違うのか?
(3)同族同種を殺すことと、戦争は同じことなのか?違うとしたら、無くすことができるのか?
この本をたまたま手に取ったのは、著者が2015年の安保「改正案」に明確に反対していたからである。「ゴリラでさえ、平和に交渉する術を知っている」と著者は、確か言っていたと思う。その半年後に2007年発行のこの本に出会い、「はじめに」でこう書いていて私は衝撃を受けた。
ゴリラは弱いもの、小さいものを決していじめない。けんかがあれば第三者が割って入り、先に攻撃した方をいさめ、攻撃された方をかばう。そして、相手を攻撃しても徹底的に追い詰めたりはしない。ましてや、相手を抹殺しようとするほど激しい敵意を見せることはない。敵意を示すのは自分が不当に扱われた時であり、自己主張をした結果それが相手に伝わればそれですむのだ。ここには明らかに人間とは違う敵意の表現がある。(8p)
その背景や理由を、今回じっくりと知ることが出来た。今まで「弥生時代にやっと戦争が始まったのだから(日本列島の人類の歴史を一年間で換算すると大晦日に始まったのだから)、戦争は無くすことができる」佐原真氏のこの指摘だけが、私が考古学を趣味とし、平和運動に向かうモチベーションになっていた。今回それ以上のモチを得ることができた実感を、私は持った。
(1)は、そうではない。ことは「はじめに」で明らかである。
(2)に関しては、かなり専門的になる。この本を読む以外にはない。あえて一言で言えば、著者は「(霊長類と人類との違いは)直立二足歩行と家族である」という。
(3)に関しては、霊長類学者の著者の専門ではないので、人類学の定説を紹介しながら、最終章に著者の見解を書いている。「武器」が人類に戦争を起こさせたわけではない。武器を狩猟に使い始めたのは、40万年前。人類が戦争を始めたのは、9000年前なのである。人間は39万年間という想像出来ないほど長い間、狩猟のための武器を手に入れても戦争は発想しなかった。つい最近の人間だけが始めたのだ。
では「戦争は無くすことができるのか?」少し長いが、著者の主張に大いに同調するので、抜粋しながら書き写すことにする。
(戦争は)家族や小さな共同体の内部でのみ用いられていた分かち合いの精神が、民族の理念として利用されるのである。家族を守るために戦っていた男たちが、同じ精神を持って民族のために戦うことを要求される。食と共同と性のルールによって生まれた愛と奉仕の心は、その力が及ばない領域を支配する者たちによってすりかえられ、戦争へと駆り立てられるのである。(略)この悪循環をどこかで断ち切らなければ、現代の暴力や戦争を止めることは出来ないだろう。
それは人間の持つ能力をもっと活用することだ、と私は思う。人間の社会性を支えている根本的な特徴とは、育児の共同、食の公開と共食、インセストの禁止、対面コミニュケーション、第三者の仲裁、言語を用いた会話、音楽を通した感情の共有、などである。霊長類から受け継ぎ、それを独自の形に発展させたこれらの能力を用いて、人類は分かち合う社会をつくった。それは決して権力者を生み出さない共同体だったはずだ。われわれはもう一度この共同体から出発し、上からではなく、下から組み上げる社会を作っていかねばならない。(227p)