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未来派左翼 上: グローバル民主主義の可能性をさぐる (NHKブックス 1106) 単行本 – 2008/3/1
「壁」崩壊、ユーゴ紛争、ワーキングプア問題......。ネグリは時代の危機をどう捉えたか?
- 本の長さ214ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日2008/3/1
- ISBN-104140911069
- ISBN-13978-4140911068
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商品の説明
出版社からのコメント
左翼に延命の途はあるのか? 疲弊した左翼をいかに再生するか?
左翼政権を支えた社民的な思考モデルが時代遅れになる一方で、シアトルやジェノヴァの講義デモ、メキシコのサパティスタの蜂起など、グローバル資本に対抗する新しいうねりが生じている。
ベルリンの壁が崩壊した1989年以降、全世界が<帝国>化へ向かうなかで起きた様々な出来事を考察し、現状に即応できない社会主義・社民的思考に引導を渡すとともに、「みんなでひとつになる」ことを目指す柔軟な闘争形態にグローバル民主主義への新たな希望を見出す。
著者について
アントニオ・ネグリ(Antonio Negri)
1933年生まれ。元パドヴァ大学社会科学研究所教授。70年代にはアウトノミア運動の中心人物となる。79年、テロ事件にかかわった容疑により逮捕・投獄されるが、フランスに亡命。現在は、完全に自由の身となり、研究・著述を続けている。主な著書に『マルチチュード(上)(下)』(NHKブックス)など多数。
●[編者]
ラフ・バルボラ・シェルジ(Raf Valvola Scelsi)
1957年、ミラノ生まれ。ベルガモ大学で教鞭をとるほか、出版業でも働いている。
●[訳者]
廣瀬 純(ひろせ・じゅん)
1971年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修士課程(芸術学)修了。パリ第三大学映画視聴覚研究科DEA課程修了。現在、龍谷大学経営学部専任講師。専攻は、映画論、現代思想、仏西伊語圏地域研究。仏・映画批評誌『Vertigo』編集委員。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2008/3/1)
- 発売日 : 2008/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 214ページ
- ISBN-10 : 4140911069
- ISBN-13 : 978-4140911068
- Amazon 売れ筋ランキング: - 299,011位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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キーワードは「帝国」「プレカリアート」「マルチチュード」「共」。
「プレカリアート」は「非正規雇用者などの不安定労働者」、積極的な意味合いで使われていて、革命の主体になり得るもの。とりわけITを操るテクノクラートを「コニタリアート」とよび、自由な空間で彼らが価値を想像していることが、現実社会の決定的な進化だとする。
「マルチチュード」とは帝国の内部で成長するオルタナティブであり、グローバル民主主義を推進する多種多様性のこと。
「共」はコミュニズムの共なんだけど、多種多様でありながらともに活動し、帝国に抗するその闘争形態にグローバル民主主義の可能性を見ている。
どうしてそれが可能になったのかといえば、経済的、歴史的に現代を「労働を組織するものはもはや資本ではなく、労働は自らの手で自己組織化するのであり、資本はその主観的潜勢力を盗用する」とのテーゼがベースになっているよう。
『資本論』の様に理解を積み上げて行く書物ではなく、1970年代の『朝日ジャーナル』の様に、読むことで、インスパイアされるいわば雑誌。インタビューなので入口の敷居も低い。
僕が「アントニオ ネグリ」というコミュニストの哲学者を知ったのは、金曜官邸前原発抗議の群れの中で、視察に来たらしい、スピーチもしないで通り過ぎて行った大柄な白人の一団をみて、人々の口から、そしてその夜のTwitterで「ネグリ」「ネグリ」とつぶやかれたのを聴いたから。それだけでも、本書がいまを生きている闘いの書物だとわかると思う。
ネグリは熱心なマルクス主義者で左翼の理想主義など駄目さを辛辣に指摘している。僕が何となく左翼に疑問に思っていた事、左翼の平和主義の疑問・左翼も所詮市場原理に取り込まれる事などそれを解決する手がかりになった気がする。
この人が言いたいことは要するに「『国』や『個』ではなく『共』を取り戻すことが今後の課題である」らしい。それはそれで結構だが、『共』を無邪気に信じてしまえるナイーブさが僕には不思議でならない。まず、この人の概念では『共』の定義自体が不明瞭で、彼が挙げる例はたとえばトリノのデモ隊や路上の車に火をつけて回ったパリの学生たちだ。もちろん、それはそれでいいけど(笑)、それからどうするの?シアトルで頭の中がとまったまんまやんけ。どのような『共』をどうやって作るかという視点がまったく感じられないのは奇妙だった。そこをネグっちゃだめなのよ(笑)。
今の社会は何かおかしい。でも民主主義も資本主義も一応、最良の選択肢のように思う。ではその前提で何を目指すべきか、世界は何に向かっているのか。歴史的な意義は何なのか。そんなことを考えたい人向け。
聞き手がイタリア人であるために、日本人読者にはなじみのない話題も多々展開されておりわかりにくい部分もあるものの、これからの民主主義のあり方を考える上で刺激的な問題提起がなされており、興味深い。前著『マルチチュード』や、同様の問題意識を掲げるテッサ・モーリス・スズキ『自由を耐え忍ぶ』などとセットで読むとよいように思う。
余談だが、去る08年3月29日の安田講堂におけるネグリ来日プロジェクトは、ネグり本人の来日が日本の入管体制の前に頓挫した。下巻ではその時の主催者の一人であった姜尚中氏による解説がつく。どんな解説になるか。こちらも楽しみにしたい。
まず、本書はその構成が特徴的です。インタビュー形式なので構成がQ&Aの形になっており、ネグリ自身がネグリの思想を解説するという大変理解しやすい文章になっています。既刊の著作の傍らにおいて参考書としても読むことができると思います。またユーゴ紛争やシアトル、ジェノヴァのデモ、サパティスタの蜂起など現実の運動、現実のマルチチュードについての分析と考察がなされており、実践的な内容になっています。活動家にとってはハンドブック的な読み方もできるでしょう。
前半では社会主義の考察を行ないます。単に失敗と片付けるのではなく、その積極的な意味も掬い上げている点が興味深いです。後半はマルチチュードの形成過程を追います。まさに上記のような90年代以降のアクチュアルな問題群を縦横に横切りながら、マルチチュードを立体的にに形成していく様は大変鮮やかです。続く下巻の出版を心待ちにせざるを得ません。
今までネグリを読んできた人にも、これからネグリを読もうという人にもオススメの本です。ぜひ、手にとって見てください。