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刺青とヌードの美術史 江戸から近代へ (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2008/4/25
- ISBN-104140911093
- ISBN-13978-4140911099
- 出版社NHK出版
- 発売日2008/4/25
- 言語日本語
- 本の長さ235ページ
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商品の説明
出版社からのコメント
今日、雑誌や野外彫刻で目にする七頭身美人のヌードとは、全く異なる美の基準に立つ裸体表現が江戸時代に存在した。
美人画や刺青画では肌の白さやきめ細かさが重視され、他方、生人形では日常の姿を写し取る究極の迫真性が追求され、生身の人間性を感じさせる淫靡な裸体芸術が花開いた。
明治期、人格を除去し肉体を誇示した西洋ヌードを移入すると、伝統の解体や再接続を経て、新たな裸体美が模索される。
従来の研究から抜け落ちた美術作品を多数俎上に載せ、日本美術史の書き換えを試みる画期的な論考!
著者について
1963年名古屋市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修了。兵庫県立近代美術館、東京都現代美術館学芸員を経て、現在、神戸大学大学院人文学研究科准教授。専攻はイタリアを中心とする西洋美術史、日本近代美術史。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2008/4/25)
- 発売日 : 2008/4/25
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 235ページ
- ISBN-10 : 4140911093
- ISBN-13 : 978-4140911099
- Amazon 売れ筋ランキング: - 50,461位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 12位東洋・日本美術史
- カスタマーレビュー:
著者について
1963年名古屋市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業、同大学院人文科学研究科修了(美術史学専攻)。1989年より兵庫県立近代美術館学芸員、1992年より東京都現代美術館学芸員、1995年から神戸大学文学部助教授。現在、神戸大学大学院人文学研究科教授、美術史家。1998-99年、文部省在外研究員としてローマ大学美術史研究所で研究。1999年、第6回鹿島美術財団賞受賞。2005年、『カラヴァッジョ-聖性とヴィジョン』で第10回地中海学会ヘレンド賞および第27回サントリー学芸賞受賞。専門はイタリアを中心とする西洋美術史・日本近代美術史。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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個人的にも稚拙ながら美術史を話す機会を定期的にもっているものとして、本書は西洋美術史→日本美術史と順番に紹介する中で当然の様に感じてしまう違和感や、江戸時代の浮世絵や春画を話す中での西洋的視点で話さざるを得ない居心地の悪さを代弁してくれるかの様な内容で、胸をすく読後感でした。
美術史に興味のある誰か、あるいは近代における【西洋化】で何を失ったのか?について考えたい誰かにもオススメ。
芸術を語るのであれば、それなりの資料を載せて欲しいです。
無駄な買い物をしました。
日本人が裸をどう見てきたのか、とか、そもそもヌードというものがなぜ芸術に
なったのか、といった日頃あまり考えたことのない問題について考えさせられ、
春画からアラーキーまで、豊富な珍しい図版の数々を楽しみながら、とても有意義な読書体験を得られました。刺青についても、今までは単に恐いものだと思っていましたが、日本のユニークな美術のひとつだということがよくわかりました。日本の「身」という概念は、肉体と精神をいっしょにしたもので、そのために西洋のような裸体芸術が生まれなかったが、刺青こそが精神を含んだ「身」の芸術だ、という主張は実に刺激的です。そして、刺青とは「見えていても見えない裸体を見せる装置であった」ということです。幕末に流行した「生人形」についても、こんなすばらしい芸術が日本にあったのかと驚きました。ぜひ熊本に行って実物を見てみたいと思います。少しでも美術に興味のある人なら確実に楽しめる一冊。広くおすすめします。
差異と特質をあきらかにする。第2章では、幕末から明治にかけて起こった裸体芸術の
傑作である「生人形」や、西洋の影響による裸体表現の試みを取り上げ、第3章では、
明治政府による裸体習俗や裸体芸術への規制と、その後裸体芸術が歩んだ茨の道について
考察する。第4章では日本近代における裸体観の変化と、ヌード制作に立ちはだかった
障害とその克服について、現代へ射程を広げつつ検討してみたい。そして第5章では、
刺青を日本の裸体芸術として位置づけてヌードと比較し、日本における裸体芸術の意味に
ついて考えたい」。
「刺青は欧米人の視線を気にして禁止され、欧米人の指示によって解禁された」という
具合に、とりわけ本書が中心射程とする幕末から明治を中心に、単に芸術論に留まらない
日本人における身体観の変遷を論じた書としてまずは秀逸な一冊。
また、混浴の習慣に関して「眺める者の視線は他の入浴者を通り過ぎるか、すり抜けるか
であって、〈見れ〉ども心に留めずなのである」といった具合に、視線という暴力性、
非対称性の議論としてもコンパクト、そしてそれゆえにこそ、西洋を模倣して、ヌードに
取り組むと日本においてしばしば奇妙なねじれ、違和感を伴ってしまう、との論理展開も
面白い。日本における他者論、「まなざしの地獄」論としての広がりもある話。
その情報量の多さゆえにこそ、記述がやや簡潔な点に物足りなさも残る。
例えば、「寓意や象徴の体系を人物の姿で表す擬人像の伝統のない日本で、本来は厳密な
象徴のコードに則らなければならないのを知らずに、作者が思いつきでタイトルを決めても
よいと勘違いしてしまっ」ている点を批判するならば、本書の論理展開の上からも、
神話や聖書をはじめとした「象徴のコード」やその系譜、鑑賞作法に一通り触れておくのが
筋だと思うのだが、そうして点は終始言及されぬまま。
コストの観点から仕方ないとはいえ、ヌードを素材として取り扱うのならば、その質感を
伝えるためにも、カラーグラフはもっと充実させて欲しかったところではある。
けれども、単に美術史の枠をはるかに超えた社会論、文化論として楽しめる一冊。
日本の風俗、美意識の変化の様子がとてもおもしろい
しかし刺青についての記述はラストの20ページくらいなもんなので
刺青のお話も読みたかった人的には正直物足りない…
タイトルに偽り有りという感じ
「裸体は本来美しいものではないのではなかろうか。少なくとも私は、人の裸を見たいと思わないし、女性の着飾った姿には惹かれても裸にはさほど性的な魅力を感じないのだ」(序章、p12)
人にはそれぞれに独自の嗜好、美学があっていいと思うが、この感性は(控えめに評価しても)あまり普通ではないだろう。かりにこれが大多数の人の考えであれば、成年用産業の殆どは成り立たなくなる。こういう珍しい方がヌードや刺青の美術史をものするというのが非常に面白い。事実関係については実に良く調べてあり、多くの参考文献も羅列されている。しかし著者の基本姿勢がこれなので、特に序章と終章では首を傾げたくなるような立論展開が多い。「女性の裸に性的魅力を感じない人による裸体芸術論」は空前絶後だと思うし、その意味で貴重でもあるが、とても共感できるものではない。美術史の記述は値打ちなので、星ふたつ。