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社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2009/6/26
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デュルケム、ウェーバーからパーソンズまで。
近代再考から社会学の本質に迫る!
ベーシックな内容から応用まで。
格差や家族問題から国際紛争まで何でも扱う社会学。
では、その根本に流れる問題意識とはどのようなものか?
「無意識」の発見に象徴される、近代の理性的人間観の崩壊を踏まえ、
人々が無自覚にもつ価値観と、社会形成とを関連づけて捉える視点だ。
以上の見立ての下、デュルケムやウェーバーらを考察するとともに、
他の人文科学との比較を通して、社会学の輪郭を描き出す。
パーソンズ以降、社会学の中心理論の不在が続く現状を捉え直し、
ダイナミックに変容する現代社会を分析する上での、
社会学の新たな可能性をも探る、著者渾身の一書。
- ISBN-104140911360
- ISBN-13978-4140911365
- 出版社NHK出版
- 発売日2009/6/26
- 言語日本語
- 本の長さ285ページ
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商品の説明
著者について
1963年生まれ。一橋大学社会学部卒業後、
東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。
専攻は社会倫理学。現在、明治学院大学社会学部教授。
著書に『所有と国家のゆくえ』(NHKブックス)ほか。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2009/6/26)
- 発売日 : 2009/6/26
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 285ページ
- ISBN-10 : 4140911360
- ISBN-13 : 978-4140911365
- Amazon 売れ筋ランキング: - 476,712位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 8,937位社会学概論
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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よかったです。
内容について。
「社会学にしか興味がない奴はカエレ!」というコンセプトの教科書、殊更に「社会学の魅力」を言い立てない教科書というのが、まあこの本の売りの一つではある。しかしこれは見かけほどあざといわけでもない。
第一に、自虐は社会学の伝統芸である。社会学者は社会学の悪口が大好きだ。しかし外部から悪口を言われると怒るのだが。「社会学の社会学」も「再帰的近代化」もまあ、そういうことだろう。
第二に、社会学プロパーよりむしろ隣接分野に広く目配りするのも、社会学の伝統芸だ。ただこの二十年ほど、もっとも端的にはフーコーとハーバーマスの扱いに顕著だが、社会学者でもない人の業績をいつの間にやらちゃっかり社会学の在庫目録の中に入れて涼しい顔をする、という悪い風潮があるのだが。
日本においてこの風潮の原点というべきは、おそらくは1980年、若き内田隆三の衝撃のメジャーデビュー論文「構造主義以後の社会学的課題」であろう。この論文こそが内田の代表作であり最高傑作だとぼくは思う。
内田のこの論文におけるレヴィ=ストロース、フーコー、ボードリヤールに対して、ぼくの教科書の場合はドーキンス、デネット、スペルベルというわけだ。しかしどのみちフーコーは登場するし、モダニズム論においては内田的な議論の影響は隠すべくもない。
([...])
さて、無理を承知で本書をズバッとまとめると、「社会の意味づけが変化する危機的事態を分析する学問」が社会学であり、その危機=理論の変容を扱うという性質ゆえに「社会学の一般理論はあり得ないし、それを求めるのは危険な思想である」。
ここから中範囲の理論とか構造主義とかに行くわけだが、その部分は最後の少し。現代社会学を知りたい人は 新しい社会学のあゆみ (有斐閣アルマ) などを併せて読むといいだろう。
近代危機に対応するための学問(つまり『疫学』)である」
表向き、著者はそう主張している。
一方で、
「しょせん社会学ごときでは近代の危機には対応できないから、
ほかの学問、特に経済学さまのお力を借りなければ駄目」
というのが、著者の真の主張である。
さて、著者が表向き述べているように、仮に社会学が近代の疫学だというのなら、
近代経済学が生み出している危機について社会学はきっちり指摘しなければなるまい。
そうしなければ、近代の危機を記述する学問としては成立しないだろう。
この本はそれをしていないので、著者が要求する社会学の水準に自分自身が達していないといえる。
「社会学をすること」の難しさを身をもって教えてくれる悪書である。
私自身が社会学学習の必要性を感じているが、社会学を体型的に学んだ事は一度もない。だから、高い視座から「本書は良書」と言える立場ではないのだけれど、本書を読んでみて、アタマのなかもいろいろな疑問や考えがかなり整理された感じがしている。その経験から、僭越ながら冒頭の一文を書かせていただいた。
本書、第一部では、社会学の理論が何をするもので、そういう理論がなぜ必要なのかが論じられる。第二部では、社会学の成立過程を辿り、近代を推進してきた理念とその行き詰まり、そこから生じてきた社会学の問題意識が明らかにされる。第三部は、現代の社会学と、社会学の未来についての著者の考えがはっきりと論じられている。私が胡散臭いと感じた某書は(名前こそ出ていないが)一刀両断されていた。本書は全体に理論的で抽象度の高い考察が主であるが、著者の概念の整理や説明の仕方が上手いので、それほど苦にならない。(ただし、具体的な社会問題を扱った社会学の本を読んだことがないと、この本だけでは社会学をイメージしづらいはず。本書の理論編と並んで、もう一冊、姉妹編として実践編がほしい。追記: この本 あたりが良いと思った。)
さて、「社会学」についてのメタ考察による入門を目指すという点に加えて、本書にはもう一つの特徴がある。分野横断的な話題が面白いのだ。たとえば、社会学を「社会に共有された意味や形式」に注目する学問だとさしあたり特徴づけるに際して、著者は論理回路(コンピュータ科学)や遺伝子(進化論)を持ち出してきて、「多重実現可能性」 ―― 要するに論理回路はシリコンチップじゃなくても作れるし、遺伝子もDNAである必要はないかもしれないということ ―― の話までしてしまう。 このくらいは教養として押さえておけと言わんばかりに、いろんな分野の話題が他にもいくつか出てくる。素晴らしい。
そういうこともあって、本書で一番面白いのは、巻末の著者解説付き文献表かもしれない。社会学の本はもちろん、経済学、哲学、生物学、評論、小説まで出てくる。センスも良いと思う。このリスト、私が大学生だったときに欲しかったなぁ。
本書は学問論である。だから最後に、文献解説に見える著者の言葉を引こう。私は心底からこれに共感する。―― 「学問に人生論を求めないでください。そこに「生きる意味」についての答えはありません。ただ参考になる知見があるだけです。」
その問題は主に第一章で扱われている。著者によれば、経済学は社会は個人の集合だと考える。それは方法論的個人主義だ。いっぽう方法論的全体主義は、社会は個人の単なる集まりには還元しきれないと考える。
がしかし、経済学だって個人の振る舞いをみただけではわからない現象が集団レベルで起きることに同意するだろう。社会が個人の「単なる」集まりだとは考えないだろう。その上で集団の振る舞いはそこに属する個人の振る舞いと無関係ではなく、個人の行動を理解することは集団レベルの理解を増す(その逆もしかり)と考えるのではないだろうか。これは動植物学と生態学の関係にも似ている。著者の定義では経済学も(動物学でさえ)全体主義と個人主義両方のアプローチも使っていることになる。
では社会学における全体主義とはどんなものか?これが大変曖昧でわかりづらい。例に挙げられているのは演劇だが、実際に台本を理解するのは個人だ。生活習慣や文化を学ぶのも個人だ。個人の理解や振る舞いに基づいて劇全体を理解するのが不可能だ、という著者の説明に説得力はない。この例は方法論的全体主義と方法論的個人主義の説明として成立しているとは思えない。 また著者が個人主義としばしば結びつけるのは「単純化」である。しかし全体主義だって人間に理解可能な程度に社会を単純化してとらえるのではないだろうか。それに認知科学の専門議論を考えればわかるように、個人主義が全体主義より単純だとは到底いえない。
形式主義の説明のところでは「生物としての性質は遺伝的で、社会的存在としては後天的だ」と述べているが、これは今や到底支持できない生物/文化二元論に見える。文化と脳をハードとソフトに分けるのも全く正当性がないと思う。科学的なモデルとして二元論が役立つことがあるかも知れないが、その部分の正当化はない。具体的な研究成果を挙げて二元論や、方法論的全体主義の長所と短所を説明するほうが良いのではないか。具体的な研究例なしで、喩え話やアナロジー頼みで分野全体の説明をするのは厳しい。
2012/12/05書き直し
19世紀末から20世紀初頭にかけての、いわゆる「モダニズムの時代」についての説明が出色。
社会学のみならず芸術や文学、数学などの理論の変化から、この時代がどのような時代だったのかを上手く説明している。
それ以降、現代までの理論の流れも、ヨーロッパの現代思想の流れを踏まえていてわかりやすい。
アメリカの社会学については、きちんとした説明があったのはパーソンズくらいだったかと思うが、社会全体、あるいは社会学全体を手中におさめるスケールの大きな理論にしぼって説明しようとすればこれは仕方のないところだろうか。
文章は、全体的に大変読みやすい。
社会学はもちろん、近現代の思想や時代像を捉えることに興味を持つ人が読むと参考になると思います。