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森林飽和 国土の変貌を考える (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2012/7/26
太田 猛彦
(著)
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もう木を植えるところがない! ?
私たちが緑豊かな里山で憩うとき、数十年前までそこが荒れ地であり、はげ山であったことを忘れていないだろうか? 山が人に収奪されて地肌をさらし、土砂崩れが相次ぎ、砂が川を埋め、海辺で砂浜が広がり続けてきた列島1000年の歴史が、たった50年で転換した。変化は副作用をもたらす。海岸の道路を崩壊させる「砂浜流出」が止まらなくなったのだ――国土の総体を分析し、危機解決策を提言する!
私たちが緑豊かな里山で憩うとき、数十年前までそこが荒れ地であり、はげ山であったことを忘れていないだろうか? 山が人に収奪されて地肌をさらし、土砂崩れが相次ぎ、砂が川を埋め、海辺で砂浜が広がり続けてきた列島1000年の歴史が、たった50年で転換した。変化は副作用をもたらす。海岸の道路を崩壊させる「砂浜流出」が止まらなくなったのだ――国土の総体を分析し、危機解決策を提言する!
- 本の長さ260ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日2012/7/26
- ISBN-10414091193X
- ISBN-13978-4140911938
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登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2012/7/26)
- 発売日 : 2012/7/26
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 260ページ
- ISBN-10 : 414091193X
- ISBN-13 : 978-4140911938
- Amazon 売れ筋ランキング: - 177,312位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2023年1月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
東海道五拾三次の風景版画に森がないのは合点がしました。燃料が薪ですもの。人との関わり方に再考を促す本です。
2023年9月18日に日本でレビュー済み
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今まで想像ていた世界観ががらっと変わった。
昔の日本は今の途上国みたいな国土だった。
昔の日本は今の途上国みたいな国土だった。
2016年12月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
◇1.
昭和30年から10年近く、胴元渋沢敬三のもと宮本常一、有賀喜左衛門、笹村草家人ら錚々たる民俗学の達人による月に1回の「絵巻の会」がつづいて、その成果として、「絵巻物による日本常民生活絵引」全5冊が刊行されました。
「1住居2衣服」から、「15 動物・植物・自然」までの分類項目をあげ、図柄の隅々まで考究されているものの、なぜか、どんな絵の背景にも描かれている(今日の目から)極めて奇異な、「裸地に近い草山に木立が点々としている野山の景観」への言及がありません。
民俗学の達人たちがなぜ?と、不思議でならなかったのです。大和絵伝統の「装飾的な現実離れ」として、問題にしなかったのか?
しかしそうでなくて、「平成の目から」奇異にみえる山野の景観は、絵巻物の時代の現実であり、昭和前半でもいまだ(平凡な)現実であった、ということが本書でわかりました。
引用開始・・・
「明治中期は日本で過去もっとも山地・森林が荒廃していた時期と推定される。第二章で紹介した明治33年ごろの土地利用状況調査結果を参照してほしい。(⋯) 荒廃地及び劣化した森林・草地の合計面積は国土の3分の1程度に達していたと思われる。」(P120)
「昭和時代後期から平成時代にかけて日本の植生は劇的に変化していることが確認できる。すなわち、荒廃山地や採草地・焼畑などは完全に姿を消した。薪炭林も消滅している。代わって人工林の面積が1000万ヘクタールを超えた。これは森林面積全体の40%にあたる。」(p136)
◇2.
近世以前の歴史をかんがえるために、内陸水運は重要です。しかし、現状の河川をながめると「この水量で大丈夫かな?」と思います。舟の工夫や舟路の開拓・維持工事もされたのですが、水量が、禿山時代の方が総合的にかなり多かったというのも、本書で知ったおどろきの事実。
引用開始
「世界中どこでも、森林を伐採すると年間流出量が増加する。森林を伐採して年流出量が減少した例は一ヵ所もない。しかもその増加量は意外に大きく、皆伐処理の場合、年降水量1700ミリ(日本の年平均降水量に相当)の地域で平均400ミリ増える。つまり、森林があったために河川の流量が減少していたということである。さらに、伐採量を半分にすると増加量も半分になる(右の例だと200ミリになる)。つまり、取り除いた地上の樹冠の量あるいは葉の量に比例して流量が増加するのである。」(p193)
◇3.
零細なる里山地主のひとりとして、荒れる里山に苦慮していたのですが、明快な指針をいただきました。
引用開始・・
「往時の里山の再生がきわめて困難なことはすでに明らかであろう。人手をかけて森を徹底的に収奪しなければならないからである。割り切って、里山を稲作農耕森林社会の時代の歴史的遺産あるいは文化財と考え、地域を限定し、森林ボランティアなどの力を借りて、“収奪”を試み、かつての里山の姿を維持するほかない。」(p238)
里山の運命については悩まないかわりに、排砂の減少による千里浜ドライブウェーはじめ、全国で起きている海岸の浸食が心配です。
昭和30年から10年近く、胴元渋沢敬三のもと宮本常一、有賀喜左衛門、笹村草家人ら錚々たる民俗学の達人による月に1回の「絵巻の会」がつづいて、その成果として、「絵巻物による日本常民生活絵引」全5冊が刊行されました。
「1住居2衣服」から、「15 動物・植物・自然」までの分類項目をあげ、図柄の隅々まで考究されているものの、なぜか、どんな絵の背景にも描かれている(今日の目から)極めて奇異な、「裸地に近い草山に木立が点々としている野山の景観」への言及がありません。
民俗学の達人たちがなぜ?と、不思議でならなかったのです。大和絵伝統の「装飾的な現実離れ」として、問題にしなかったのか?
しかしそうでなくて、「平成の目から」奇異にみえる山野の景観は、絵巻物の時代の現実であり、昭和前半でもいまだ(平凡な)現実であった、ということが本書でわかりました。
引用開始・・・
「明治中期は日本で過去もっとも山地・森林が荒廃していた時期と推定される。第二章で紹介した明治33年ごろの土地利用状況調査結果を参照してほしい。(⋯) 荒廃地及び劣化した森林・草地の合計面積は国土の3分の1程度に達していたと思われる。」(P120)
「昭和時代後期から平成時代にかけて日本の植生は劇的に変化していることが確認できる。すなわち、荒廃山地や採草地・焼畑などは完全に姿を消した。薪炭林も消滅している。代わって人工林の面積が1000万ヘクタールを超えた。これは森林面積全体の40%にあたる。」(p136)
◇2.
近世以前の歴史をかんがえるために、内陸水運は重要です。しかし、現状の河川をながめると「この水量で大丈夫かな?」と思います。舟の工夫や舟路の開拓・維持工事もされたのですが、水量が、禿山時代の方が総合的にかなり多かったというのも、本書で知ったおどろきの事実。
引用開始
「世界中どこでも、森林を伐採すると年間流出量が増加する。森林を伐採して年流出量が減少した例は一ヵ所もない。しかもその増加量は意外に大きく、皆伐処理の場合、年降水量1700ミリ(日本の年平均降水量に相当)の地域で平均400ミリ増える。つまり、森林があったために河川の流量が減少していたということである。さらに、伐採量を半分にすると増加量も半分になる(右の例だと200ミリになる)。つまり、取り除いた地上の樹冠の量あるいは葉の量に比例して流量が増加するのである。」(p193)
◇3.
零細なる里山地主のひとりとして、荒れる里山に苦慮していたのですが、明快な指針をいただきました。
引用開始・・
「往時の里山の再生がきわめて困難なことはすでに明らかであろう。人手をかけて森を徹底的に収奪しなければならないからである。割り切って、里山を稲作農耕森林社会の時代の歴史的遺産あるいは文化財と考え、地域を限定し、森林ボランティアなどの力を借りて、“収奪”を試み、かつての里山の姿を維持するほかない。」(p238)
里山の運命については悩まないかわりに、排砂の減少による千里浜ドライブウェーはじめ、全国で起きている海岸の浸食が心配です。
2021年10月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昭和40年頃より海岸浸食が目立つようになりました。当時は原因が分からず、そのため大規模な埋め立て工事(対処療法)が継続しています。浸食の真の理由は、過剰な植林にあったのですね。いま森の整備が追い付かず、森林は荒れたままです。早急な対応が必要でしょう。
2020年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
海岸浸食や河床の低下の原因は、砂防ダムなどの河川横断工作物である。と断定的に考えていたが、確かに周囲の山を見れば鬱蒼としたジャングルのような森林が広がりつつある。人が適正な管理を行うことで、河川への適度な土砂供給もおきるのではないか?という今まで考えたこともなかったことを気づかせていただいた。
2018年8月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
林業、森林にかかわる本はいくらか読んできたつもりですが、そうして積み重ねた知識も一気に凌駕する極めて大きく、根本的で、斬新な視座で書かれた素晴らしい良書。とにかく出会えてよかった本です。
森を語るのに砂浜から出発して、あらゆる一般常識をこてんぱんに論破する論調にまさに目からうろこでした。
歴史軸(木材利用の歴史)を丁寧にたどり、地質学(花崗岩の風食等)や物理学(森の貯水機能)も整理し、マクロな視点から森のダイナミズムを分かりやすくまとめられたとても勉強になる本でした。
「森が危ない!」と叫ぶ世間の声に対して、『森林飽和』のタイトル一つで一蹴する姿勢がかっこよかったです。
森を語るのに砂浜から出発して、あらゆる一般常識をこてんぱんに論破する論調にまさに目からうろこでした。
歴史軸(木材利用の歴史)を丁寧にたどり、地質学(花崗岩の風食等)や物理学(森の貯水機能)も整理し、マクロな視点から森のダイナミズムを分かりやすくまとめられたとても勉強になる本でした。
「森が危ない!」と叫ぶ世間の声に対して、『森林飽和』のタイトル一つで一蹴する姿勢がかっこよかったです。
2012年9月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「現代の日本では緑がどんどん失われている」という認識に異を唱える人はほとんどいないに違いない。
だから本書が言うような、日本の森林は江戸以降で最も豊かな状態ー森林飽和にあるという意見は、
そう簡単には受入れられないだろう。
しかし頁を追うに従って、地下資源に乏しい日本の自然がいかに過酷に収奪されてきたのか、
その影響がどれほど広い範囲に及んでいたのか、それを回復させるのにどれほど労力が払われたか、
そしてようやく飽和状態になったにもかかわらず、現在の森林がどのように荒廃しているのかが、
豊富な資料を元に詳細に解説され、読み終えたあとには自然を見る目が確実に変わっているのに気づく。
3.11でようやく気づかされたように、我々は災害がくり返し起こるこの国で暮らしていくしかない。
原発に象徴されるような、自然を徹底的に改造し管理しようという方向性の開発ではなく、
日本の自然、とくに森林のもつポテンシャルを十分に生かし開発して行くにはどうすればよいか
本書に重要なヒントがあるといっても過言ではない。
だから本書が言うような、日本の森林は江戸以降で最も豊かな状態ー森林飽和にあるという意見は、
そう簡単には受入れられないだろう。
しかし頁を追うに従って、地下資源に乏しい日本の自然がいかに過酷に収奪されてきたのか、
その影響がどれほど広い範囲に及んでいたのか、それを回復させるのにどれほど労力が払われたか、
そしてようやく飽和状態になったにもかかわらず、現在の森林がどのように荒廃しているのかが、
豊富な資料を元に詳細に解説され、読み終えたあとには自然を見る目が確実に変わっているのに気づく。
3.11でようやく気づかされたように、我々は災害がくり返し起こるこの国で暮らしていくしかない。
原発に象徴されるような、自然を徹底的に改造し管理しようという方向性の開発ではなく、
日本の自然、とくに森林のもつポテンシャルを十分に生かし開発して行くにはどうすればよいか
本書に重要なヒントがあるといっても過言ではない。
2020年11月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「もう木を植えるところがない! ?
私たちが緑豊かな里山で憩うとき、数十年前までそこが荒れ地であり、はげ山であったことを忘れていないだろうか? …」
上にある本著紹介文書き出しである。
題名を見て、緑地を潰して開発することを「是」とする根拠にされる危険性があるので☆2つとした。
著名に「飽和」を、著者の学説を説明するのに「はげ山やだらけの日本」という言葉を使ったことに、やはり引っかかる。
関心のある方は本書を手にとり、ご自分の頭で考えてほしい。
専門的な森林や里山・禿山等の定義をよく理解していないので、私が使う緑地とは、自分にとって身近であった田畑、雑木林をさす。
昭和30代までは、首都近郊の街場にも田畑が迫っていたし、雑木林もあちこちに残っていた。
それが、この60年(約二世代)の乱開発(重機を使用した開発)で土地活用の姿を激変させてしまった。
幼少の頃メダカは希少生物でなく、タナゴも郊外に行けば普通に採れた。
今の居住地でホタルを最後に見たのは50年前の小学生の頃で、玉虫色のタマムシも久しく見ていない。
子供の頃は明かりにカブトムシが飛んできて驚かされることもあったが、今ではカナブンでも珍しい。
こうした生物多様性の減少は、生き物の住処(田畑・雑木林等の緑地)を開発によって失ったこと、護岸工事や汚水の増加、化学物質の使用などが原因として考えられる。
春になれば当たり前にように鳴いていたカエルは水場が無くなればいなくなるし、雑木林がなくなれば様々な野鳥の声も聴けなくなる。
秋の虫も以前は見事な音量だったが今は弱々しい。
蜜蜂も今世紀になって激減したような気がする。
【1、古い航空写真と迅速測図を見る】
国土地理院の古い空中写真(昭和20,30年代のもの)と、現代の空中写真を、今お住いの地点で比べてみることをおすすめする。
任意の範囲、様々な年代のものを閲覧できる。
迅速測図は、明治の初期から中期、陸軍によって作成されたもので、
歴史的農業環境閲覧システムのサイトでは、現在の地図と比較表示できる。
この地図から幕末の土地利用も推測できるが、地域が関東圏に限定される。
【2、欧米人の幕末・明治初期の来訪記を読む】
一時期、集中的に読んでいたことがある。
その際、注目していたのは自然描写だけでなく、以下は正確でないかもしれない。
彼らの記録の中で「日本は禿山が多い」というような記述に出合った記憶はない。
むしろ風光明媚な自然の素晴らしさを多々表現していたように思う。
彼らにしてみれば、産業革命の環境破壊や社会の矛盾を感じていたからこそ、日本の自然や庶民の充ち足りた表情に憧れたのだ。
個人的な興味関心から、印象に残っている作品は、
①プラントハンターのフォーチュンによる『幕末日本探訪記』、
②トロイア遺跡発見のシュリーマンによる『シュリーマン旅行記』、
などである。
【3、明治期の文学作品に表現されている自然描写】
明治、大正、戦前の古い地図を見るのが好きだ。
これも記憶で書いているので正確さに自信がない。
漱石の『三四郎』では、千駄木から向こうは農村風景で団子坂下のせせらぎで誰かが大根を洗っていたような気がするし、それは古い地図とも一致する。
鴎外の『青年』では、郊外に向かう車窓からの様子があったように思い出す。中身は忘れてしまったが、自然描写であったかもしれない。
文学作品は余り読まない。
禿山描写の作品はあるのだろうか。
PCによる用例検索と(興味深い用例も散見された)、
文学作品を用例にしている新潮と学研の特徴ある辞典に当たってみた。
前者は、荷風の『ふらんす物語』で、後者は三島の『潮騒』であった。
いずれも若い頃、読んだ記憶はあるが、どのような文脈で使用されているか、用例を見ても全く覚えがない。
幼少期、よそ行きの服を着て東京に出かけ、列車で川を渡って帰ってくると、空気が違うことを感じていた。
夏などは、ホームに降り立つとヒンヤリした。緑のお陰である。
あの当時は、どの路線も都心から少し離れると緑の中を走っていた。
昭和40年代の初頭までは、首都圏でも蒸気機関車が走っていて、その様子をサイトで見ることができる(関東一円の蒸気機関車)。
【4、江戸鳥瞰図】
江戸期のものも、現代の絵師が描いたものも、これらの絵図を見ると美しく、江戸は緑の都市であったことがわかる。
その痕跡は、戦後の高度成長期に殆ど失われてしまった。
(まとめ1)
はげ山と聞くと、一番に思い起こすのは足尾周辺の山々である。
ここは観望したことがあり、人々の努力により緑の山々に回復しつつあるという。
「日本禿山紀行」などどいった記録文が残っているのだろうか。
本書の参考文献にも掲げられている千葉徳爾の、『はげ山の文化』で、独逸の地理学者リヒトフォーフェンと、和蘭陀の技師デ・レーケに、日本の禿山についての記述があることを知った。
宮本常一なども昔読んだが、すっかり忘れてしまった。
熊出没が多発する要因として、里山の奥山化や犬の放し飼いがなくなった事によると指摘していた「クマ問題」の本を読んだことがある。
繰り返すが私の記述は、山間部や辺鄙な村落を想定していない。
現在は首都圏で、幕末までは村々であった私にとって身近な自然について述べている。
田んぼに突き出た古い城郭跡の林、高台の鎮守の森、台地の村落から谷津田に降りるまでの雑木林なども、「森林」や「里山」とするならば、私の体感的、定点観測的な記憶で判断すると、50年前は禿山でなかった。
禿山であるかないかは別としても、この50、60年で、高台や台地の緑はブルドーザーで破壊し、田んぼを埋め立て宅地、工場、団地や道路にしてしまったというのが実感である。
日本の森林危機(明治以降)は三度あったという(①明治維新の混乱期②物資欠乏の戦時中③戦後の破壊と放置)。
私が目の当たりしたのは③の破壊である。
森林が荒れる(神社合祀により鎮守の森がなくなる)と人心が乱れると言ったのは南方熊楠であったが、逆も「真」などであろう。
有名な「南方熊楠山中裸像」(写真)の森はどうだったかを考えている。
撮影場所は分かっているので、いつか空中写真を比較してみたい。
最近、山下清の放浪記(四巻本)を読んだ。
彼の抜群の記憶力で、山下清が一時期暮らした常磐線「馬橋」(現松戸市)の自然と、どう関わったかを知ることができた。
また彼の作文(学園に戻った時に書いた)は、当時の人々(主に関東圏)の日常の暮らしを自然との関わりの中でどのように成立させていたかを理解する手がかりともなった。
私が幼少の頃、風呂は鉄砲風呂で薪割りは日常の光景であった。
ご先祖様たちは、刹那的短絡的な現在の私たちよりも賢く、10年、30年、50年先を意識し持続可能な生活を構築しようとしていた。
ペリーの砲艦外交による脅しに対して、林大学頭は「日本は自国で産出される物品だけでやっていける」と返答したことを思い出す。
むろんエネルギーも。
エネルギーや食料の多くを外国に依存している現代日本の生活様式が、未来永劫続くとはとても思えない。
今春はマスク不足で大騒ぎをしたが、これが食料やエネルギーだったらどうするのだろうか。
田中内閣時代の石油危機や平成の米騒動を思い出す。
新型強毒ウィスルの流行、火山の大爆発、世界的な作物の不作、広域大規模災害等、望まない災禍や鎖国状態はいつ起きてもおかしくない。
おカネがあっても外国から直ぐに購入できないということだ。
こうした可能性を考慮して都市部の緑地も考えるべきである。
「もう木を植えるところがない! ?」のは、首都圏の貴重な山(高台や台地の緑地)そのものを無くしてしまったからで、
「私たちが緑豊かな里山で憩う」場所もなく、
「数十年前までそこが荒れ地であり、はげ【山であったこと】」さえも想像することが出来ないからである。
(まとめ2)
村落の里山が百%はげ山(草木がない地肌露出)だったら、その日から煮炊きに困るわけで、それはありえない。
また一般論として、同じ事実を「(はげ山)だらけ」と書くのと、「(はげ山)が点在」と表記するのとでは印象が違う。
著者も述べているように、様々な工夫により、貧しいながらも(現代と比べて、物質的に)私たちのご先祖様は里で生き抜いてきた。
森林の専門家として「はげ山」を強調するか、それとも生活史として「村々の工夫・生き抜く術」を強調するかで、里山のイメージも違ってくる。
著者自身は、あとがきで『森林飽和』という表題に多少の躊躇があったと記している。
私は後者とりたい。「それでも里で生きてきたと」。
山下清の放浪記には、たきぎを拾いに行く様子も描かれている。
都市部の里山は絶滅寸前である。
最後の方の「里山は選んで残せ」という項を興味深く読んだ。
短い文だが、著者の主張が凝縮している。
里山の保全について、ことはそう簡単ではないという専門家の思考になるのは理解できる。
しかし、ここは単純に考えたい。
人間も動物であることを思い起こし、緑のそばでヒトの子どもが成長するのは、かけがえのないことだと感じている。
「都市部の里山は全て残した方がよい。」
「その緑地もきっと役立つ時がくる。」
私たちが緑豊かな里山で憩うとき、数十年前までそこが荒れ地であり、はげ山であったことを忘れていないだろうか? …」
上にある本著紹介文書き出しである。
題名を見て、緑地を潰して開発することを「是」とする根拠にされる危険性があるので☆2つとした。
著名に「飽和」を、著者の学説を説明するのに「はげ山やだらけの日本」という言葉を使ったことに、やはり引っかかる。
関心のある方は本書を手にとり、ご自分の頭で考えてほしい。
専門的な森林や里山・禿山等の定義をよく理解していないので、私が使う緑地とは、自分にとって身近であった田畑、雑木林をさす。
昭和30代までは、首都近郊の街場にも田畑が迫っていたし、雑木林もあちこちに残っていた。
それが、この60年(約二世代)の乱開発(重機を使用した開発)で土地活用の姿を激変させてしまった。
幼少の頃メダカは希少生物でなく、タナゴも郊外に行けば普通に採れた。
今の居住地でホタルを最後に見たのは50年前の小学生の頃で、玉虫色のタマムシも久しく見ていない。
子供の頃は明かりにカブトムシが飛んできて驚かされることもあったが、今ではカナブンでも珍しい。
こうした生物多様性の減少は、生き物の住処(田畑・雑木林等の緑地)を開発によって失ったこと、護岸工事や汚水の増加、化学物質の使用などが原因として考えられる。
春になれば当たり前にように鳴いていたカエルは水場が無くなればいなくなるし、雑木林がなくなれば様々な野鳥の声も聴けなくなる。
秋の虫も以前は見事な音量だったが今は弱々しい。
蜜蜂も今世紀になって激減したような気がする。
【1、古い航空写真と迅速測図を見る】
国土地理院の古い空中写真(昭和20,30年代のもの)と、現代の空中写真を、今お住いの地点で比べてみることをおすすめする。
任意の範囲、様々な年代のものを閲覧できる。
迅速測図は、明治の初期から中期、陸軍によって作成されたもので、
歴史的農業環境閲覧システムのサイトでは、現在の地図と比較表示できる。
この地図から幕末の土地利用も推測できるが、地域が関東圏に限定される。
【2、欧米人の幕末・明治初期の来訪記を読む】
一時期、集中的に読んでいたことがある。
その際、注目していたのは自然描写だけでなく、以下は正確でないかもしれない。
彼らの記録の中で「日本は禿山が多い」というような記述に出合った記憶はない。
むしろ風光明媚な自然の素晴らしさを多々表現していたように思う。
彼らにしてみれば、産業革命の環境破壊や社会の矛盾を感じていたからこそ、日本の自然や庶民の充ち足りた表情に憧れたのだ。
個人的な興味関心から、印象に残っている作品は、
①プラントハンターのフォーチュンによる『幕末日本探訪記』、
②トロイア遺跡発見のシュリーマンによる『シュリーマン旅行記』、
などである。
【3、明治期の文学作品に表現されている自然描写】
明治、大正、戦前の古い地図を見るのが好きだ。
これも記憶で書いているので正確さに自信がない。
漱石の『三四郎』では、千駄木から向こうは農村風景で団子坂下のせせらぎで誰かが大根を洗っていたような気がするし、それは古い地図とも一致する。
鴎外の『青年』では、郊外に向かう車窓からの様子があったように思い出す。中身は忘れてしまったが、自然描写であったかもしれない。
文学作品は余り読まない。
禿山描写の作品はあるのだろうか。
PCによる用例検索と(興味深い用例も散見された)、
文学作品を用例にしている新潮と学研の特徴ある辞典に当たってみた。
前者は、荷風の『ふらんす物語』で、後者は三島の『潮騒』であった。
いずれも若い頃、読んだ記憶はあるが、どのような文脈で使用されているか、用例を見ても全く覚えがない。
幼少期、よそ行きの服を着て東京に出かけ、列車で川を渡って帰ってくると、空気が違うことを感じていた。
夏などは、ホームに降り立つとヒンヤリした。緑のお陰である。
あの当時は、どの路線も都心から少し離れると緑の中を走っていた。
昭和40年代の初頭までは、首都圏でも蒸気機関車が走っていて、その様子をサイトで見ることができる(関東一円の蒸気機関車)。
【4、江戸鳥瞰図】
江戸期のものも、現代の絵師が描いたものも、これらの絵図を見ると美しく、江戸は緑の都市であったことがわかる。
その痕跡は、戦後の高度成長期に殆ど失われてしまった。
(まとめ1)
はげ山と聞くと、一番に思い起こすのは足尾周辺の山々である。
ここは観望したことがあり、人々の努力により緑の山々に回復しつつあるという。
「日本禿山紀行」などどいった記録文が残っているのだろうか。
本書の参考文献にも掲げられている千葉徳爾の、『はげ山の文化』で、独逸の地理学者リヒトフォーフェンと、和蘭陀の技師デ・レーケに、日本の禿山についての記述があることを知った。
宮本常一なども昔読んだが、すっかり忘れてしまった。
熊出没が多発する要因として、里山の奥山化や犬の放し飼いがなくなった事によると指摘していた「クマ問題」の本を読んだことがある。
繰り返すが私の記述は、山間部や辺鄙な村落を想定していない。
現在は首都圏で、幕末までは村々であった私にとって身近な自然について述べている。
田んぼに突き出た古い城郭跡の林、高台の鎮守の森、台地の村落から谷津田に降りるまでの雑木林なども、「森林」や「里山」とするならば、私の体感的、定点観測的な記憶で判断すると、50年前は禿山でなかった。
禿山であるかないかは別としても、この50、60年で、高台や台地の緑はブルドーザーで破壊し、田んぼを埋め立て宅地、工場、団地や道路にしてしまったというのが実感である。
日本の森林危機(明治以降)は三度あったという(①明治維新の混乱期②物資欠乏の戦時中③戦後の破壊と放置)。
私が目の当たりしたのは③の破壊である。
森林が荒れる(神社合祀により鎮守の森がなくなる)と人心が乱れると言ったのは南方熊楠であったが、逆も「真」などであろう。
有名な「南方熊楠山中裸像」(写真)の森はどうだったかを考えている。
撮影場所は分かっているので、いつか空中写真を比較してみたい。
最近、山下清の放浪記(四巻本)を読んだ。
彼の抜群の記憶力で、山下清が一時期暮らした常磐線「馬橋」(現松戸市)の自然と、どう関わったかを知ることができた。
また彼の作文(学園に戻った時に書いた)は、当時の人々(主に関東圏)の日常の暮らしを自然との関わりの中でどのように成立させていたかを理解する手がかりともなった。
私が幼少の頃、風呂は鉄砲風呂で薪割りは日常の光景であった。
ご先祖様たちは、刹那的短絡的な現在の私たちよりも賢く、10年、30年、50年先を意識し持続可能な生活を構築しようとしていた。
ペリーの砲艦外交による脅しに対して、林大学頭は「日本は自国で産出される物品だけでやっていける」と返答したことを思い出す。
むろんエネルギーも。
エネルギーや食料の多くを外国に依存している現代日本の生活様式が、未来永劫続くとはとても思えない。
今春はマスク不足で大騒ぎをしたが、これが食料やエネルギーだったらどうするのだろうか。
田中内閣時代の石油危機や平成の米騒動を思い出す。
新型強毒ウィスルの流行、火山の大爆発、世界的な作物の不作、広域大規模災害等、望まない災禍や鎖国状態はいつ起きてもおかしくない。
おカネがあっても外国から直ぐに購入できないということだ。
こうした可能性を考慮して都市部の緑地も考えるべきである。
「もう木を植えるところがない! ?」のは、首都圏の貴重な山(高台や台地の緑地)そのものを無くしてしまったからで、
「私たちが緑豊かな里山で憩う」場所もなく、
「数十年前までそこが荒れ地であり、はげ【山であったこと】」さえも想像することが出来ないからである。
(まとめ2)
村落の里山が百%はげ山(草木がない地肌露出)だったら、その日から煮炊きに困るわけで、それはありえない。
また一般論として、同じ事実を「(はげ山)だらけ」と書くのと、「(はげ山)が点在」と表記するのとでは印象が違う。
著者も述べているように、様々な工夫により、貧しいながらも(現代と比べて、物質的に)私たちのご先祖様は里で生き抜いてきた。
森林の専門家として「はげ山」を強調するか、それとも生活史として「村々の工夫・生き抜く術」を強調するかで、里山のイメージも違ってくる。
著者自身は、あとがきで『森林飽和』という表題に多少の躊躇があったと記している。
私は後者とりたい。「それでも里で生きてきたと」。
山下清の放浪記には、たきぎを拾いに行く様子も描かれている。
都市部の里山は絶滅寸前である。
最後の方の「里山は選んで残せ」という項を興味深く読んだ。
短い文だが、著者の主張が凝縮している。
里山の保全について、ことはそう簡単ではないという専門家の思考になるのは理解できる。
しかし、ここは単純に考えたい。
人間も動物であることを思い起こし、緑のそばでヒトの子どもが成長するのは、かけがえのないことだと感じている。
「都市部の里山は全て残した方がよい。」
「その緑地もきっと役立つ時がくる。」