戦後、関西・関東各地に生まれた団地。本書はその団地に
入居した人々の、新たな生活スタイルに育まれた政治感覚を軸に、
共産党・社会党・公明党など当時の野党の動きを
シンクロさせて語った一種の戦後政治思想史である。
人の政治感などというものは、経済指標と違って
明確に数字化できるものではない。そういった、
団地に暮らした著者の感覚をベースとして組まれる
本書のロジックは、新鮮な切り口で唸らされることもあり、
また、読む人によっては妄想とも写るのであろう。
個人的には西部沿線の居住者だったこともあり
肌感覚で判る部分が多いので、自治会記録などを丹念に追った、
知られざる史実の連続に、極めて興味深く読めた。
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団地の空間政治学 (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2012/9/26
原 武史
(著)
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- 本の長さ296ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日2012/9/26
- ISBN-104140911956
- ISBN-13978-4140911952
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登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2012/9/26)
- 発売日 : 2012/9/26
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 296ページ
- ISBN-10 : 4140911956
- ISBN-13 : 978-4140911952
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年9月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者自身が団地生活が長く、研究者としての天皇史、また、趣味としての鉄道史も兼ね備えた名著。建築当初は憧れだった団地が何故衰退していったか。駅から遠いバス便が多いという立地だけではない、モノカルチャに押し込められた空気。
読み応えある一冊です。
読み応えある一冊です。
2013年1月25日に日本でレビュー済み
いいかにも『滝山コミューン1974』の著者らしい、こ
だわりの書です。それにしても見つけるだけでも大変な
各団地(主として公団住宅)の自治会報やタウン誌など
によく目を通したものです。克明な記録のおかげで、60
年安保の熱気が冷めやらぬまま各地に文化サークルが
生まれ、そのうちの多摩平団地の「声なき声」がベ平連
に繋がることや、首都圏や関西の団地自治会の保育園
設置や運賃値上げ反対運動がやがては各地の革新自
治体を生みだす原動力になったことなど、恥ずかしなが
ら初めて知ることができました。
一方、この時期の考察がかように充実しているのに対
し、70年代以降の高島平団地を例にとっての個人主義
化の流れの把握が論証不足だったのは残念でした。そ
のせいでしょうか、終章のいくつかの団地での孤独死防
止の取組にも、あまり勇気がもらえませんでした。今後
はこの辺の中身をもっと濃くしてもらえたらと思いました。
だわりの書です。それにしても見つけるだけでも大変な
各団地(主として公団住宅)の自治会報やタウン誌など
によく目を通したものです。克明な記録のおかげで、60
年安保の熱気が冷めやらぬまま各地に文化サークルが
生まれ、そのうちの多摩平団地の「声なき声」がベ平連
に繋がることや、首都圏や関西の団地自治会の保育園
設置や運賃値上げ反対運動がやがては各地の革新自
治体を生みだす原動力になったことなど、恥ずかしなが
ら初めて知ることができました。
一方、この時期の考察がかように充実しているのに対
し、70年代以降の高島平団地を例にとっての個人主義
化の流れの把握が論証不足だったのは残念でした。そ
のせいでしょうか、終章のいくつかの団地での孤独死防
止の取組にも、あまり勇気がもらえませんでした。今後
はこの辺の中身をもっと濃くしてもらえたらと思いました。
2013年1月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本に書かれていることは著者の妄想である。多摩地域は明治期以降、繊維産業が栄え、昭和に入ってから軍需産業関連の工場が増えた。ことに航空機産業とその膨大な下請け企業が広く分布し、戦後も工場地帯として繁栄した。多摩地域における民主主義運動は、こうした機械工業の労働者と密接なつながりを持っている。
著者は自分の体験から、それを団地というソ連型社会主義圏で広く普及した住居様式からきていると考えているが、それは本末転倒した思考の結果に過ぎない。もともと労働運動と、それが地域化した社会党や共産党と密着した政治運動があったのであり、その地区細胞の活動対象として団地もふくまれていたのである。著者はもう少し歴史を研究した方が良いだろうと思う。
追記
稚拙な批評にコメントをつけていただいた。それを読んでいただきたいと思う。追加すると、著者が主張するような団地空間の政治化は、ひばりが丘団地と滝山団地など西武線沿線の団地以外には見られないことが本書の中で明らかにされている。つまり居住空間が住民の政治的傾向を決める要因にはなっていない。そのように見えるのは著者が幼少期を過ごした団地に見られる特異事例である。言ってしまえば、学者として成長した著者が、そのように過去を特定の思い込みから再構成し、日本各地にその痕跡を求める「センチメンタルジャーニー」を繰り広げて、それが普遍性を持っていないことを確かめたのがこの本である。著者の主張に「真理性」は担保されていない。
著者は自分の体験から、それを団地というソ連型社会主義圏で広く普及した住居様式からきていると考えているが、それは本末転倒した思考の結果に過ぎない。もともと労働運動と、それが地域化した社会党や共産党と密着した政治運動があったのであり、その地区細胞の活動対象として団地もふくまれていたのである。著者はもう少し歴史を研究した方が良いだろうと思う。
追記
稚拙な批評にコメントをつけていただいた。それを読んでいただきたいと思う。追加すると、著者が主張するような団地空間の政治化は、ひばりが丘団地と滝山団地など西武線沿線の団地以外には見られないことが本書の中で明らかにされている。つまり居住空間が住民の政治的傾向を決める要因にはなっていない。そのように見えるのは著者が幼少期を過ごした団地に見られる特異事例である。言ってしまえば、学者として成長した著者が、そのように過去を特定の思い込みから再構成し、日本各地にその痕跡を求める「センチメンタルジャーニー」を繰り広げて、それが普遍性を持っていないことを確かめたのがこの本である。著者の主張に「真理性」は担保されていない。
2019年5月23日に日本でレビュー済み
本書で取り上げられた団地の乗降駅でもある中野以西の中央線沿線の駅や松戸の駅に降りると、よく護憲や安倍政治反対などのビラ配りをしている相当な年齢の人々を見かける。正直なところ何とも言えない思いが交錯する。
著者の作品は、有名な「滝山コミューン」や鉄道関係の作品しか読んだことがなかった。この作品は、個人的な思いが色濃く残った「滝山コミューン」の延長線上に位置づけられるものだが、本書ではその個人的な思いはある程度脱色されており、団地という社会的な現象の一般的な構図を抽出しようとしたものであろう。その下になっているのは膨大な現地調査と私的なパンフレットや資料の渉猟であろう。もちろんそこには著者の趣味でもある鉄道も密接に関わってくる。その結果、事実関係のわかりやすい整理と場所(大阪、多摩、千葉)の特性による違いもある程度浮かび上がってくる。
つまるところ、著者のテーゼは、日本の団地は「空間」が「政治」を形成したケースということであり、その逆ではなかったということなのだ。日本の巨大な賃貸団地は戦間期のドイツやオーストリア、フルシチョフ時代のソ連そして東欧で建設された集合住宅のように、社会主義のドグマに基づいた労働者階級向けの住宅としてつくられたものではなく、むしろプライバシーを重視したアメリカ型のマイホームとしてもとは設計された背景がそこにはあるというのだ。そしてその意図とは異なり(つまりunintended consequences)、団地は結果的には社会主義に親和的な土壌をつくり出し、当時の革新政党の党勢戦略と見事なフィットを示し、都市部での自民党の低落を招くという逆説的な構図を生み出したのだというのだ。
たしかにある一時期(60年代後半から70年代前半)の東京郊外での共産党への得票率は驚くべき高さに達している。もっともそこには、本書にも登場し実際に団地の居住者でもあった上田兄弟(不破哲三こと上田建一郎と上田耕一郎)のような党アパラチークや光成秀子などの戦前からの奇妙な左翼崩れが関わってくるのは時代のなせる業だ。
ただ本書もやはり事実の面白さで読ませる作品であり、政治学の作品としては不完全だ。革新政党の興亡が団地のそれと重なっているのだが、そのダイナミックスの抽出はうまく整理されてはいない。選挙戦略の一時的な成功は長続きすることはなく、その後は社会党が消滅し共産党の低迷が長く続くこととなる。この部分は「第五章」で、空間の変貌(団地の高層化とエレベーターの導入)と「私化」という観点から扱われているが、仮説の呈示にとどまっている。おそらく著者はもう一度このテーマに戻ってくるはずだ。楽しみに待っていよう。
著者の作品は、有名な「滝山コミューン」や鉄道関係の作品しか読んだことがなかった。この作品は、個人的な思いが色濃く残った「滝山コミューン」の延長線上に位置づけられるものだが、本書ではその個人的な思いはある程度脱色されており、団地という社会的な現象の一般的な構図を抽出しようとしたものであろう。その下になっているのは膨大な現地調査と私的なパンフレットや資料の渉猟であろう。もちろんそこには著者の趣味でもある鉄道も密接に関わってくる。その結果、事実関係のわかりやすい整理と場所(大阪、多摩、千葉)の特性による違いもある程度浮かび上がってくる。
つまるところ、著者のテーゼは、日本の団地は「空間」が「政治」を形成したケースということであり、その逆ではなかったということなのだ。日本の巨大な賃貸団地は戦間期のドイツやオーストリア、フルシチョフ時代のソ連そして東欧で建設された集合住宅のように、社会主義のドグマに基づいた労働者階級向けの住宅としてつくられたものではなく、むしろプライバシーを重視したアメリカ型のマイホームとしてもとは設計された背景がそこにはあるというのだ。そしてその意図とは異なり(つまりunintended consequences)、団地は結果的には社会主義に親和的な土壌をつくり出し、当時の革新政党の党勢戦略と見事なフィットを示し、都市部での自民党の低落を招くという逆説的な構図を生み出したのだというのだ。
たしかにある一時期(60年代後半から70年代前半)の東京郊外での共産党への得票率は驚くべき高さに達している。もっともそこには、本書にも登場し実際に団地の居住者でもあった上田兄弟(不破哲三こと上田建一郎と上田耕一郎)のような党アパラチークや光成秀子などの戦前からの奇妙な左翼崩れが関わってくるのは時代のなせる業だ。
ただ本書もやはり事実の面白さで読ませる作品であり、政治学の作品としては不完全だ。革新政党の興亡が団地のそれと重なっているのだが、そのダイナミックスの抽出はうまく整理されてはいない。選挙戦略の一時的な成功は長続きすることはなく、その後は社会党が消滅し共産党の低迷が長く続くこととなる。この部分は「第五章」で、空間の変貌(団地の高層化とエレベーターの導入)と「私化」という観点から扱われているが、仮説の呈示にとどまっている。おそらく著者はもう一度このテーマに戻ってくるはずだ。楽しみに待っていよう。
2016年11月27日に日本でレビュー済み
ものごころついたときから小学校高学年まで、団地に住んでいた。子供だったので、自治会の存在もそこでなにが行われていたのかも全く知らなかったけれども、自分の人生のなかでももっとも近所づきあいが活発な時代だったことを覚えている。そしていま振り返ってみれば、異常なほど同質な家族に囲まれていた。友だちの家庭はわずかな例外を除いてサラリーマン夫と専業主婦の家庭で子供が二人いた。同じ間取りの家に住み、所得も似たり寄ったりで、同じような新聞を読んで同じようなテレビ番組を見ていた。
本書によれば、団地という空間は「60年代から70年代にかけての革新的な政治意識を支える有料な基盤」となったという。親が自治体の活動に熱心であったというわけでもなく子供会みたいなものとくになかったような気がするが、長屋的あるいはコミュニティ的な空気があって、同じ階段を使っている人たちの名前や家族構成は子供ながらに知っていた。その後郊外のマンションに移り住み、東京に引越し、段階的に近所づきあいが希薄になっていった。
日本住宅公団が発足したのは1955年7月。いわゆる55年体制の始まった年だ。初期の団地が建造された時期は、60年安保闘争の時代と重なっており、団地には「私生活主義」と「地域自治」が同時並行的に現われたと著者は指摘する。今見て驚くのは、1965年11月に読売新聞社が東京と大阪の郊外にある41の団地の住民を対象にしたアンケートで、革新系支持が東京・大阪あわせて58%もいて、支持政党を社会党と答えた回答者が50%もいることだ。その理由は「社会主義国家のほうがいいと思うから」と答えた人が44%、「保守政権ではわれわれの幸福は望めない」と答えた人が45%。「社会主義という理念そのものに共鳴する積極的支持」する人たちがこんなにいたのである。共産党や創価学会がそこに目をつけ、団地住民を積極的に組織化していった。
著者はこれを「集団生活という居住形態や自治会での活動が、平等や公平といった価値を重視する社会主義に対する共感を生み出す一因となっているのは容易に想像でき」るとしている。いまでいうダイバーシティなどほとんどない同質社会においては、平等や公平は努力して追い求めずとも自然な状態だったのかもしれない。そうした空気のなか、「香里ヶ丘文化会議」「多摩平声なき声の会」「むさしの線市民の会」「ひばりヶ丘民主主義を守る会」といった住民の自治組織が立ち上がり、地域問題、政治問題、社会問題について集まって話し合い、会報を発行し、ときには具体的な政治運動も組織した。
これが可能だったのはやはり、住民の同質性、住民の平均年齢の若さ、出生率の高さなどがベースにあったのではないだろうか。同じ場所、同じ環境に住んでいる者同士、通勤、子育て、物価といった問題を共有しているがめ、解決に向けて団結しやすかったということもあるだろう。身近な問題だけでなく、小さい子供を持つ世代ほど戦争や環境といった長期的な問題も自分ごととして考える傾向があるが、当時団地に住んでいた世代がまさにそうだった。
60年代の団地から生まれた市民運動は70年代に入ると沈静化していく。自民党は賃貸団地は「革新標の巣」として警戒し、中間層の持家政策を推進したが、70年代になると、団地にも徐々に個人主義が浸透し、全国の団地を支持基盤とした革新政権の可能性は後退し、自民党の長期政権が続いていくことになる。団地における政治の時代はいかにして終わったのか。本書はモータリゼーション時代の到来、景気対策のための持家奨励、民間マンションの台頭、高層化によるエレベーターの導入、そして子供世代の転出による高齢化、などを団地自治体の衰退の原因として挙げているが、高度経済成長からバブル期に同質だった団地内においても格差が広がり、より高い所得を得るようになった者から近郊のマンションや一戸建てに住み替え、自治体が空洞化したということも大きいだろう。少子化の進行と住宅供給の増加により、そうした転出後により若く所得の低い層が流入するというサイクルが起きなかった。
著者がいうとおり、日本の団地は「空間」が「政治」を形成した例であり、その逆ではなかったのだ。戦間期のドイツやオーストリア、フルシチョフ時代のソ連で建設された集合住宅のように、社会主義の思想に基づいた労働者階級向けの住宅としてつくられたものではなく、むしろプライバシーを重視したアメリカ型のマイホームとして設計されたのだった。それが「結果的に」社会主義的なコミュニティをつくり出し、革新政党を呼び込んでいったという構図が非常に興味深かった。
いま団地に限らず空き家問題が深刻だが、シェアハウスや民泊といった新しい空間利用の流れから、新たな政治的動きを形成していくということも考えられるかもしれない。
本書によれば、団地という空間は「60年代から70年代にかけての革新的な政治意識を支える有料な基盤」となったという。親が自治体の活動に熱心であったというわけでもなく子供会みたいなものとくになかったような気がするが、長屋的あるいはコミュニティ的な空気があって、同じ階段を使っている人たちの名前や家族構成は子供ながらに知っていた。その後郊外のマンションに移り住み、東京に引越し、段階的に近所づきあいが希薄になっていった。
日本住宅公団が発足したのは1955年7月。いわゆる55年体制の始まった年だ。初期の団地が建造された時期は、60年安保闘争の時代と重なっており、団地には「私生活主義」と「地域自治」が同時並行的に現われたと著者は指摘する。今見て驚くのは、1965年11月に読売新聞社が東京と大阪の郊外にある41の団地の住民を対象にしたアンケートで、革新系支持が東京・大阪あわせて58%もいて、支持政党を社会党と答えた回答者が50%もいることだ。その理由は「社会主義国家のほうがいいと思うから」と答えた人が44%、「保守政権ではわれわれの幸福は望めない」と答えた人が45%。「社会主義という理念そのものに共鳴する積極的支持」する人たちがこんなにいたのである。共産党や創価学会がそこに目をつけ、団地住民を積極的に組織化していった。
著者はこれを「集団生活という居住形態や自治会での活動が、平等や公平といった価値を重視する社会主義に対する共感を生み出す一因となっているのは容易に想像でき」るとしている。いまでいうダイバーシティなどほとんどない同質社会においては、平等や公平は努力して追い求めずとも自然な状態だったのかもしれない。そうした空気のなか、「香里ヶ丘文化会議」「多摩平声なき声の会」「むさしの線市民の会」「ひばりヶ丘民主主義を守る会」といった住民の自治組織が立ち上がり、地域問題、政治問題、社会問題について集まって話し合い、会報を発行し、ときには具体的な政治運動も組織した。
これが可能だったのはやはり、住民の同質性、住民の平均年齢の若さ、出生率の高さなどがベースにあったのではないだろうか。同じ場所、同じ環境に住んでいる者同士、通勤、子育て、物価といった問題を共有しているがめ、解決に向けて団結しやすかったということもあるだろう。身近な問題だけでなく、小さい子供を持つ世代ほど戦争や環境といった長期的な問題も自分ごととして考える傾向があるが、当時団地に住んでいた世代がまさにそうだった。
60年代の団地から生まれた市民運動は70年代に入ると沈静化していく。自民党は賃貸団地は「革新標の巣」として警戒し、中間層の持家政策を推進したが、70年代になると、団地にも徐々に個人主義が浸透し、全国の団地を支持基盤とした革新政権の可能性は後退し、自民党の長期政権が続いていくことになる。団地における政治の時代はいかにして終わったのか。本書はモータリゼーション時代の到来、景気対策のための持家奨励、民間マンションの台頭、高層化によるエレベーターの導入、そして子供世代の転出による高齢化、などを団地自治体の衰退の原因として挙げているが、高度経済成長からバブル期に同質だった団地内においても格差が広がり、より高い所得を得るようになった者から近郊のマンションや一戸建てに住み替え、自治体が空洞化したということも大きいだろう。少子化の進行と住宅供給の増加により、そうした転出後により若く所得の低い層が流入するというサイクルが起きなかった。
著者がいうとおり、日本の団地は「空間」が「政治」を形成した例であり、その逆ではなかったのだ。戦間期のドイツやオーストリア、フルシチョフ時代のソ連で建設された集合住宅のように、社会主義の思想に基づいた労働者階級向けの住宅としてつくられたものではなく、むしろプライバシーを重視したアメリカ型のマイホームとして設計されたのだった。それが「結果的に」社会主義的なコミュニティをつくり出し、革新政党を呼び込んでいったという構図が非常に興味深かった。
いま団地に限らず空き家問題が深刻だが、シェアハウスや民泊といった新しい空間利用の流れから、新たな政治的動きを形成していくということも考えられるかもしれない。