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水不足に苦しむ火星植民地で絶大な権力をふるっている水利労組組合長アーニイ・コット。彼は、国連の大規模な火星再開発にともなう投機で地球の投機家に先を越されてしまった。そこで、とほうもない計画をもくろんだ。時間に対する特殊能力を持っている少年マンフレッドを使って、過去を自分に都合のよいように改変しようというのだ。だが、コットが試みたタイム・トリップには怖ろしい陥穽が……!? ディックの傑作長編
(ハヤカワSF文庫版うらすじより)
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アメリカのSF作家フィリップ・K・ディック(1928 -1982年)が1964年に発表した長編小説です。邦訳は1966年にハヤカワ・SF・シリーズ3129として出た後、1980年にハヤカワ文庫版として再版されました。
舞台設定は、本国アメリカでの出版からちょうど30年後の1994年8月。すでに人類は火星での植民を進めています。植民にあたっては肌の黒いブリークマンと呼ばれる火星原住民との共棲が図られています。なにしろ現実世界ではアポロ11号が月面着陸する(1969年)よりも前に執筆されていますので、90年代初頭に火星植民地化が成功しているという話は荒唐無稽といえば荒唐無稽です。
しかしこの物語の核となるのは、自閉症児マンフレッドです。その障害のために彼は周囲の登場人物と(私たち読者が考えるような)通常の会話はできません。しかし作家ディックが描くのは、彼の見つめる世界は「普通ではない」のではなく、私たちとは「異なる」ということ。
「われわれの目に動きが見えるものは、その子には、ものすごい勢いで動いて見えるから、結局、なにも見えないのか。反対に、その子の目にはこの種みたいなゆっくりした過程が、ちゃんととらえられるんだな。きっと庭先にしゃがんでいると、植物がぐんぐん伸びていくのが、はっきりと見えるにちがいない。その子の五日間は、われわれには十分にしか感じられないんだよ」(171頁)
むしろマンフレッド以外の大人たちは、インサイダー取引的な情報によって経済的利益をいち早く獲得しようとしたり、絶大な権力を握って植民地社会を牛耳ろうとしたり、配偶者以外との関係にうつつを抜かしたりと、彼らが形作る社会が真に「普通」であるかどうかは疑わしい様子が淡々と描かれていきます。
そうした描写と並行して、現実世界がループ現象を起こすなどしてSF的な仕掛けをほどこされながら溶解していきます。現実世界が認識不能な対象となり、何が現実で何が虚構なのかが特定できなくなります。『
パーマー・エルドリッチの三つの聖痕
』、『
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
』、『
高い城の男
』といった作品でディックが手腕を発揮したのは、人間の認識力のあまりの脆弱さを強く読者に自覚させることでした。この『火星のタイム・スリップ』もその系譜に連なるものです。
ディックらしい作品に幻惑される読書でした。
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*54頁:「おれたちが蛇のようにのたりくたりと這っているすきに」という訳文がありますが、原文は “We creep along like snails”です。つまり「snakes(蛇)」ではなく、「snails(カタツムリ)」です。
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火星のタイム・スリップ (ハヤカワ文庫 SF 396) 文庫 – 1980/6/1
フィリップ K.ディック
(著),
小尾 芙佐
(翻訳)
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- 本の長さ343ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日1980/6/1
- ISBN-104150103968
- ISBN-13978-4150103965
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (1980/6/1)
- 発売日 : 1980/6/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 343ページ
- ISBN-10 : 4150103968
- ISBN-13 : 978-4150103965
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年9月16日に日本でレビュー済み
2024年4月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ディックは十代のころにはまり代表作といわれるものを一通り読んだが、そのなかでも特にお気に入りがこの「火星の…」と「ユービック」であった。再読してみて確かに面白いのだが、以前ほどの興奮や感動までは感じなかった。書かれた時代を考えれば止むをえないが、「自閉症」「精神分裂症」などの扱いが医学的・コンプラ的に大丈夫なのかというのもあるし、登場人物のキャラも前半と後半で急に変化したりしているのが気になる。自閉症児がトラクターを運転できるのだろうか?ディックはよくプロットの破綻が語られるので、そこは承知しながら読むべきだとは思うが…。とはいえ、このディックならではの雰囲気、フィーリングは大好きだし、いかにもディックらしい作品だと思う。
2011年1月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「ディック自作を語る」によると,質の面でも複雑さの面でも文学的価値の面でも,
評判の良かった「高い城の男」の次のレベルをめざした作品で,とても重要な本だと思っていたのに
まともな扱いを受けなかった,という。
個人的には,B級SFっぽいタイトルで損をしているのではないかと思います。
本作品が例えば「パーマーエルドリッチの三つの聖痕」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
「流れよ我が涙,と警官は言った」のようなクールなタイトルであったならば,また違った評価を受けたかも知れません。
しかし,間違いなく,本作品はPKディックの最高傑作です。
この作品執筆当時,ディックは異常な精神状態に興味をひかれ,精神病に関する本を山ほど読んでいたという。
そして,精神病の生存的価値,実用的有用性について検討し,精神病患者の現実,時間感覚が我々とは違うのではないか,
という考えのもとに,10歳の自閉症児マンフレッドの内的宇宙が描かれています。
多数の魅力ある登場人物の心理描写と作品のプロットが見事に融合し,
ラストまで緊張感が途切れないディック作品の頂点を極めている本作品は,もっと広く読まれるべき作品だと思います。
評判の良かった「高い城の男」の次のレベルをめざした作品で,とても重要な本だと思っていたのに
まともな扱いを受けなかった,という。
個人的には,B級SFっぽいタイトルで損をしているのではないかと思います。
本作品が例えば「パーマーエルドリッチの三つの聖痕」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
「流れよ我が涙,と警官は言った」のようなクールなタイトルであったならば,また違った評価を受けたかも知れません。
しかし,間違いなく,本作品はPKディックの最高傑作です。
この作品執筆当時,ディックは異常な精神状態に興味をひかれ,精神病に関する本を山ほど読んでいたという。
そして,精神病の生存的価値,実用的有用性について検討し,精神病患者の現実,時間感覚が我々とは違うのではないか,
という考えのもとに,10歳の自閉症児マンフレッドの内的宇宙が描かれています。
多数の魅力ある登場人物の心理描写と作品のプロットが見事に融合し,
ラストまで緊張感が途切れないディック作品の頂点を極めている本作品は,もっと広く読まれるべき作品だと思います。
2018年1月5日に日本でレビュー済み
フィリップ・K・ディックは、現代の多くの作家に影響を与えています。日本のSFコミックにも。『攻殻機動隊』なんかね。そして、これらのコミックは、アメリカのSF小説に影響。ウィリアム・ギブスンのようなね。
「SFで好きな作品は?」と聞かれた時はいつも『火星のタイム・スリップ』と答えることにしている。しかし情けないことに、ずっう~~~と以前に読んだので、内容をあまり覚えていない。ただ、「とても感動した」ということだけ。が、とても深く深く心に残っている。で、もう一度読み直してみた。
この本のあらすじなんて書かない方が良いだろうと思う。ディックの作品のあらすじなどを書くととてもハチャメチャなコミック本のようなものになってしまうからだ。彼の作品にはたいてい「精神的に問題がある」人々が出てくるが、この本も「例にもれず」である。
わたしは、彼の伝記本も持っている。伝記の類はキライだが、英語の勉強と思って(いくら英語の勉強でも興味あるものを読みたいよね)、購入した。その本の作者によるとディックは双子として生まれたようだ。彼の双子の妹は、幼い時に死んでしまった。ディックの方が健康で妹の方は病弱だったのだ。
彼の母親は、母親として未熟だったようで、ディックの方を大切にした。そのため、妹は衰弱死したらしい。ディックはそのことを幼い頃から自分のせいだと思い始めた。彼の作品にはよく「生まれなかった双子の兄妹」が出てくる。生まれなかった双子はもう一方の身体の中に宿っている。映画『トータル・リコール』にも出てきたように。そんなこともありディックは精神的に問題を抱えるようになった。最後にはドラッグ中毒で亡くなっている。作家によくある話ではあるが。
彼の作品には同様に精神にダメージを受けた人々が書かれている。というか、メインは大抵問題を抱えた人々だ。分裂病、自閉症、偏執、多幸性などなど。『アルファ系衛星の氏族たち』では、地球バーサスアルファ星系の星間戦争の後、アルファ系衛星に取り残された病院の、精神疾患を持った人々が活躍するのだ。
『火星のタイム・スリップ』では、自閉症の10歳の少年が重要な役割を果たす。その彼の最後は涙なしには語れない、なんて。わたしも泣いてしまいましたよ~~~、「歳のせい」もあると思うが。
ディックが言いたいのは、「彼らこそ正常な人々である」ということ。つまりこの自然界からかけ離れてしまったストレスフルな人間社会では、「正常な人」なら正常な生活を送ることは困難だということ。こんな「人間らしくない」生活をなんの困難もなしにスムースに送れる人こそ「正常ではない」ということ。そんなところだと思う。
この本に「精神病とは必要にせまられてなされた発明である。」という一節がある。この社会のシステムに同調できない人々を「精神病」という言葉に押し込めたのだ。
火星には「ブリークマン」という原住民がいる。例の如く、人間は彼らを差別する。しかし、この誰にも心を開かない自閉症の少年は、ブリークマンだけを「美しい人間」とみなす。ブリークマンのこんな会話がある。
「この子の考えは、わたしには、プラスティックのようにお見通しです。この子にも、わたしの考えが手に取るように見えるでしょう。わたしたち、二人とも囚人です。ミスタ、敵地にとらえられた。」
フィリップ・K・ディックは彼の伝記によると、「純文学の作家として認めてもらいたい」という願望を生涯持ち続けた。しかし、彼の作品はまぎれもなく「現代文学」だ。わたしは、そう評価いたしますよ。しかし、もうディックには聞こえないかあ。
「SFで好きな作品は?」と聞かれた時はいつも『火星のタイム・スリップ』と答えることにしている。しかし情けないことに、ずっう~~~と以前に読んだので、内容をあまり覚えていない。ただ、「とても感動した」ということだけ。が、とても深く深く心に残っている。で、もう一度読み直してみた。
この本のあらすじなんて書かない方が良いだろうと思う。ディックの作品のあらすじなどを書くととてもハチャメチャなコミック本のようなものになってしまうからだ。彼の作品にはたいてい「精神的に問題がある」人々が出てくるが、この本も「例にもれず」である。
わたしは、彼の伝記本も持っている。伝記の類はキライだが、英語の勉強と思って(いくら英語の勉強でも興味あるものを読みたいよね)、購入した。その本の作者によるとディックは双子として生まれたようだ。彼の双子の妹は、幼い時に死んでしまった。ディックの方が健康で妹の方は病弱だったのだ。
彼の母親は、母親として未熟だったようで、ディックの方を大切にした。そのため、妹は衰弱死したらしい。ディックはそのことを幼い頃から自分のせいだと思い始めた。彼の作品にはよく「生まれなかった双子の兄妹」が出てくる。生まれなかった双子はもう一方の身体の中に宿っている。映画『トータル・リコール』にも出てきたように。そんなこともありディックは精神的に問題を抱えるようになった。最後にはドラッグ中毒で亡くなっている。作家によくある話ではあるが。
彼の作品には同様に精神にダメージを受けた人々が書かれている。というか、メインは大抵問題を抱えた人々だ。分裂病、自閉症、偏執、多幸性などなど。『アルファ系衛星の氏族たち』では、地球バーサスアルファ星系の星間戦争の後、アルファ系衛星に取り残された病院の、精神疾患を持った人々が活躍するのだ。
『火星のタイム・スリップ』では、自閉症の10歳の少年が重要な役割を果たす。その彼の最後は涙なしには語れない、なんて。わたしも泣いてしまいましたよ~~~、「歳のせい」もあると思うが。
ディックが言いたいのは、「彼らこそ正常な人々である」ということ。つまりこの自然界からかけ離れてしまったストレスフルな人間社会では、「正常な人」なら正常な生活を送ることは困難だということ。こんな「人間らしくない」生活をなんの困難もなしにスムースに送れる人こそ「正常ではない」ということ。そんなところだと思う。
この本に「精神病とは必要にせまられてなされた発明である。」という一節がある。この社会のシステムに同調できない人々を「精神病」という言葉に押し込めたのだ。
火星には「ブリークマン」という原住民がいる。例の如く、人間は彼らを差別する。しかし、この誰にも心を開かない自閉症の少年は、ブリークマンだけを「美しい人間」とみなす。ブリークマンのこんな会話がある。
「この子の考えは、わたしには、プラスティックのようにお見通しです。この子にも、わたしの考えが手に取るように見えるでしょう。わたしたち、二人とも囚人です。ミスタ、敵地にとらえられた。」
フィリップ・K・ディックは彼の伝記によると、「純文学の作家として認めてもらいたい」という願望を生涯持ち続けた。しかし、彼の作品はまぎれもなく「現代文学」だ。わたしは、そう評価いたしますよ。しかし、もうディックには聞こえないかあ。
2006年3月29日に日本でレビュー済み
不毛と荒廃と絶望に覆われた火星植民地。きれいな水は手に入らず、新鮮な自然食品も地球からの密輸に頼っている状態。そしてスクールによる徹底的な刷り込み教育。精神病患者が激増し、火星で生まれてくる子供の3人に1人は自閉症になって現実と関わろうとしない。
火星一の実力者である水利労組組合長のアーニイ・コットは国連によるFDR山の開発を嗅ぎつけ、土地投機を企てる。しかし、それには開発地区の正確な位置をつかんでおく必要がある。アーニイは自閉症の子供に予知能力があると考え、マンフレッド・スタイナーという少年を引き取ったが、少年には想像を絶する悪魔的能力が眠っていた・・・・・・
数あるディック作品の中でも特に難解な作品。はっきり言って私にもよく分からない。
ただ言えることは、自閉症患者のマンフレッドはディック作品に頻出するアンドロイドと通じるところがあるということだ。それは、感情移入能力の欠如である。人間性を鋭く問うメタファーとしてマンフレッドは存在しているのだ。
あと1つ言えることがある。死の匂いの立ちこめる、この悪夢の世界は、本当に怖いということだ。
火星一の実力者である水利労組組合長のアーニイ・コットは国連によるFDR山の開発を嗅ぎつけ、土地投機を企てる。しかし、それには開発地区の正確な位置をつかんでおく必要がある。アーニイは自閉症の子供に予知能力があると考え、マンフレッド・スタイナーという少年を引き取ったが、少年には想像を絶する悪魔的能力が眠っていた・・・・・・
数あるディック作品の中でも特に難解な作品。はっきり言って私にもよく分からない。
ただ言えることは、自閉症患者のマンフレッドはディック作品に頻出するアンドロイドと通じるところがあるということだ。それは、感情移入能力の欠如である。人間性を鋭く問うメタファーとしてマンフレッドは存在しているのだ。
あと1つ言えることがある。死の匂いの立ちこめる、この悪夢の世界は、本当に怖いということだ。
2011年10月21日に日本でレビュー済み
巻き込まれ型の主人公は、困難な中でも最良の道を見つけようと努力します。救われる人もあり救われない人もあり、混沌はすっきりとは解決しません。
自閉症、起死回生、異星人・・・ディックの好む自らを投影したようなそんなガジェットが散りばめられた本作品は、いかにもディックらしい作品です。
再読に耐えることは間違いなく、破たんの少ないところも作品の完成度を高めています。
自閉症、起死回生、異星人・・・ディックの好む自らを投影したようなそんなガジェットが散りばめられた本作品は、いかにもディックらしい作品です。
再読に耐えることは間違いなく、破たんの少ないところも作品の完成度を高めています。
2009年4月4日に日本でレビュー済み
私にとってディックのベストです。
火星殖民の話ですが、この火星って、アメリカ開拓の延長線上にある、ウェストコーストのちょっと先っていう感じですよね。これ凄いシュール、もう以降の人には書けないよ。技術には完全に無頓着、舞台はLA郊外の住宅地としか思えない(この植民地は砂漠に作られたLAと似ている)。登場人物たちは、火星のテラフォーミングなどにはまったく関心がなく、彼らが心配しているのは、障害児の問題、仕事のこと(火星で食料品の家庭訪問販売員って凄いよこれ)、浮気のこと、だものね。本の主題は例の如く、自閉症の子供が感じる世界が現実世界を侵食していく話ですが、そんなのディックのお決まりのストーリーで全然驚かない、むしろこの火星植民地で展開されるソープオペラという舞台設定の方が衝撃が大きい。いやー、このシュールさ、ディックの中でもピカイチです。
火星殖民の話ですが、この火星って、アメリカ開拓の延長線上にある、ウェストコーストのちょっと先っていう感じですよね。これ凄いシュール、もう以降の人には書けないよ。技術には完全に無頓着、舞台はLA郊外の住宅地としか思えない(この植民地は砂漠に作られたLAと似ている)。登場人物たちは、火星のテラフォーミングなどにはまったく関心がなく、彼らが心配しているのは、障害児の問題、仕事のこと(火星で食料品の家庭訪問販売員って凄いよこれ)、浮気のこと、だものね。本の主題は例の如く、自閉症の子供が感じる世界が現実世界を侵食していく話ですが、そんなのディックのお決まりのストーリーで全然驚かない、むしろこの火星植民地で展開されるソープオペラという舞台設定の方が衝撃が大きい。いやー、このシュールさ、ディックの中でもピカイチです。